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96.「遠き日」

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 夢の中で、これは夢だと気づいた。
 何故ならば、周囲には夥しい魔物や人々の死体が見え、俺自身も辛うじて立ってはいるが腹部から大量に出血している。
 こんな残酷な戦場で戦った経験は無い上、先程まで、戦いとは程遠い行為に溺れていた記憶がある…。

 そして、見たことも無い、けれども何処か懐かしい黒髪の男が淡く発光する『聖剣』を手に暮れ行く戦場の中に立っている後ろ姿が見えた。
 肩まである癖毛に褐色掛かった健康的な肌、極限まで無駄を削って鍛え抜かれたような体を洗練された漆黒の鎧に包んでいる。
 振り返った彼は不機嫌とも取れる表情で此方を睨むも、瞳は黒曜石のように美しく、放たれる強烈な意志の強さは高潔に感じた。

 そんな姿に目が離せないでいると徐に距離を詰められて何事かを口にしてから、手にした聖剣で一息に心臓を貫かれた。
 予期せぬ事態に、恐怖よりも悲しみで目の前が滲んで、次に心臓から全身に広がる力強く温かな熱と腹の大きな傷が塞がる光景に驚き、聖剣が光と共に消えた頃には相当間抜けな顔で彼を見上げていた。
 眉間に皺を寄せたまま目を僅かばかり細めたその人は、くしゃりと俺の髪を撫でる。
 そして一言、『生きろー…。』と言われた気がした。






「……ん?」

 泥のように重い意識と体のせいか、目を開けた瞬間、自分が一体何処にいるのか分からなかった。
 倦怠感と戦いながら視線を彷徨わせ、薄暗くなりつつあるものの場所が主寝室の広いベッドである事に気付く。
 何故、此処で寝ているのかと思っていると横から抱き寄せられ、直ぐに良く見知ったお顔が目の前にあった。

「目が覚めたか?」

「…ヘル…マ…っ…プロディー…トス…神…?」

 確認の為に発した声が、思ったよりも掠れていて驚く。
 喉が渇いているのか…と考えて、走馬灯のように駆け巡った記憶に目を見開き、目の前が火事では無いかと思えるぐらいに真っ赤に染まった。

「あ…っ…」

「いや、うん、分からなくも無いけれど、労おうとした気持ちが何処かに飛んで行くからさ…。」

 そんな顔は止めてくれとばかりに守護神の目が泳いだが、此方はそれ所では無い。
 確かに決意は固めて挑んだが、あんな、あんな、あんな事に………………。
 脳がオーバーシュートするのでは無いかと思える程に高速で思い悩んでいると片手で両頬を掴まれて、唇が押し当てられる。

「んぅっ…!?」

「ンッ…」

 完全に油断し、驚きと同時に開いた口から水が流れ込んで来て思わず零さないように飲み込んでしまっていた。
 意図は理解できたが、何もこのタイミングでと体を押し返すとすんなりと距離が出来て、上体を少し起こした守護神と視線が合う。

「落ち着いたか?」

「え…あ、はい…。」

「残りの水はどうする?」

 暗に自分で飲むか、飲ませて欲しいかと問われて慌てて口を開く。

「自分で飲みます!」

 勢い良く主張すると可笑しそうに目を細められ、予め準備していたのかベッドの横にある椅子に置かれた水の残ったカップを手渡そうとしてくれたので起き上がって受け取ると、見覚えのある黒いシャツを着ている事に瞬く。

「シュ…ヴァルト様の…?」

「適当に着せて置いた。」

「ありがとうございます…が、本当に適当ですね。」

 釦はしっかりと止められている…だかしかし、感覚から下着パンツを穿かされていないと分かる。
 遂、じとりと視線を向けると心底可笑しそうに笑われ、何か良からぬ事を口にしようとする雰囲気に気がついて俺は勢い良く水を煽った。
 体が欲しているのか、自棄気味に口にした水分はするりと喉を通って落ちていく。
 正直、飲み終えても物足りなく感じていると守護神が水差しから補充してくれた。

「ありがとう…ございます…。」

「どう致しまして。」

 礼を伝えると優しく微笑んで様子を見守られ何だか落ち着かない。
 どうしたのかと思いながらも満足するまで飲み終えるとカップを戻してくれた守護神に横になるよう促されたが、違和感に躊躇った。

「良いから少し横になれ。話して置きたい事がある。」

「話し…ですか?」

「ああ、横にならないと話してやらない。」

 口調は柔らかいが、真剣な様子に大人しく横になると上掛けを肩まで掛けられる。

「さて、最中にも話していたとは思うが…ああ、いや、真面目な話だから大人しくしていなさい。とにかく、君の力に関わる話だ。」

「俺の力…?」

「力と言っても『聖剣』に関してだがな。君の中に存在するそれは、まさに『本物』だ。私も術を施す時に気がついたのだが、この世界の物では無い上に…別の世界の『神』、しかも相当な力で創造されている。」

「は…?」

 意味が分からずぽかんと守護神を見上げてしまう。
 そもそも、この世界に来た時に伝説上『勇者』は最初から『聖剣』を持っているものだと説明を受け、本当に召喚出来たので、何と言うかこの世界で獲得した物だとばかり思っていたのだが…?
 訳が分からずに半ば思考停止していると、見兼ねたヘルマプロディートス神が説明を加えてくれる。

「以前、母親の話しをしていただろう?」

「していましたが…、あの仮説は本当だったと…?」

「ああ、彼女は異世界人だ。しかも、君と同じ『勇者』だった。根拠はわたしが保証するとして、元は『聖剣』も彼女の物だった。更に付け加えれば彼女の祖先も代々受け継いでいる。恐らく、原初の者が『聖剣』を体内に埋め込まれたのだろう。」

「そんな事が…。」

 半信半疑ながらも説得力のある相手の話と垣間見た夢が重なって、真実味を帯びている。
 息を呑んでいると更に話は続いた。

「それから、今すぐにどうこうと言う訳では無いが、手放したいと思うならば君は必ず子孫を残さねばならない。残念ながら、そういう『理』でしか取り出せない物だ…。」

「子孫…?あの、だから…子供をと…?」

「そうだな。些か性急な話し方だったが、何も我欲だけで言った訳では無い。真剣に考えて置くと良い。」

「そうだったのですね…、お気遣いありがとうございます。…あの、もしかして何か体に害があるのでしょうか?」

 シュヴァルト様が心配して下さっている気がして尋ねると首を振られた。

「いや、寧ろ君の体を守ってくれさえする。だが…」

 一度、逡巡するように言葉を切ると守護神の口角が皮肉げに上がる。

「恐ろしく強いが、潔癖な神だったようだな。情事の度に君が幾度となく羞恥に悶え苦しむ事に、私は心が痛むよ。」

「…は?」

 そこだけは本気なのか、冗談なのか分からずに俺は間抜けな声を上げていた。
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