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第6章
誕生 常冬の女王
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消耗が激しい。
ずっと降らせていた雪も止んだようだ。
純度の高い魔力で形づくられた肉体のない体にとって、大魔術・大魔法の行使は存在に関わる。だが、その大きな疲労にも関わらず、女王は満ち足りていた。
微睡む女王は思い出す。
“お父様”との出会い、そして、自分が最初に救った少女のことを。
「やあ」
初めて出会う“お父様”は、とても、とても美しいひとで。でも、何かを憂うように眉間に皺を寄せていた。彼の周りには、三人の男女がいた。
常夏の王、リェータ。
常秋の女王、オーセニ。
そして、レティアを精霊にして、ここに連れてきた常春の王、ヴェスナー。
彼は“お父様”に手の平を向け、言った。
「御挨拶なさい。“お父様”だよ」
うまく挨拶できたかは、覚えていない。精霊になったばかりのレティアは、あまりにも気高く美しい“お父様”を前に、完全に舞い上がっていた。
「レティア、お前がわたしの娘になるにあたって、お前に尋ねたいことがある」
レティアは蚊の鳴くような声で、『何でしょうか、“お父様”』と尋ねた。
「レティア、人々にとって幸せとは何だね」
レティアは、思いつく限りのことを並べた。
財産、結婚、出産、武勲、出世……。
“お父様”は首を横に振った。
「違う。わたしがお前に尋ねたいのは、みながもっと享受できる、誰もが受け取ることができる幸福だ」
レティアは考え込んでしまった。
“お父様”はやがて、こう言った。
「レティア、お前に少し時間をあげよう。お前が人々にあまねく広く渡る幸福を探しだせたら、お前をわたしの娘として、常冬の女王と認めよう」
“お父様の娘”に、どんな価値があるかは、レティアにはよくわからなかった。
だが、悩んでいる“お父様”に何かしてあげたいと思った。
“お父様”に優しく話しかけられたことが嬉しかったのである。
レティアは、自身の父親の優しい声も、笑った声も聞いたことがなかった。
父に見守られることを無邪気に喜ぶ幼女のような心理に変化が訪れたのは、彼女がおとぎ話のお姫様のように始めた、幸福探しの旅の過程である。彼女は陸という陸を渡り、人々を見た。世界は広かった。そして、どこでも人間がいた。幸せそうな顔をした者も、そうでない者もいた。彼女はあらためて感慨にうたれた。
人間はどこにでも住み、生き抜いていこうとするものなのだと。
そして、理解した。
この健気な姿。愛さずにいられようものか。
レティアは決意する。
何としてでも、人々が幸福になれる手段を探そう。
“お父様”のためではない。彼らのために。
だが、その答えを得ることは、想像以上に困難を極めた。まず、常冬の女王候補たる彼女の魔力属性は氷。作物を育てる地でもなければ、大地を潤す水でもなく、種を運ぶ風邪でもない。また、冷えた体に温もりを与える火でもなかった。
自分の持つ魔力が何の助けにもならないと感じた常冬の女王は、力ではなく、行動によって人々を救おうとする。
ある街角で、娘に焦がれる若者を見た。レティアは夜中彼の寝室に現れ、お告げをした。“あの娘は、あなたを愛している”と。若者は翌日花束を持って、彼女に愛を告白した。二人は、結ばれたのだ。その場から去ろうとしたレティアは、自分の過ちをはっきりと悟った。物陰から、唇を噛み締めて涙を浮かべている別の娘がいたからである。
その後も、うまくいかなかった。
職を探していた男に仕事を与えれば、別の男が仕事からあぶれた。
飢えた子に食べ物を与えれば、別の子がそれを取り上げた。
レティアはあらためて“お父様”の言葉を思う。
あまねく、人々に行き渡る幸福。誰もが享受でき、誰もが望むもの。
実際、“お父様”とレティアが追い求めるものは、人々が幾度となく求めては、その答えに窮してきたことだった。
途方に暮れたレティアは、かつて自分が産まれた土地へ帰ってきた。
故郷の町は、荒れ果てていた。レティアは首を傾げた。
なぜ、町はこんなに荒れているのだろう?
この町には、彼女と、もと自分の精霊であったあの男がいるはずだが、はて?
考えたが、いま一つよくわからない。
荒廃した町を歩き回るレティアの目に、壁に寄りかかったまま、いまにも息絶えようとしている少女の姿が目に入った。
少女は薄汚れた人形を抱き、自身はさらに汚れていた。がりがりに痩せ衰え、皮膚が体にひっついているだけの体。目はよどみ、すでに生気はない。
女王は少女の体を冷たい腕に抱く。思わず、呟いた。
『許して』
どうか、どうか、わたくしのこの無力を許して。
死にゆくお前を救うことも、温もりを与えることもできない、わたくしを許して。
少女の鼓動が止まった。
レティアは、あらためて少女の顔を見る。そこで、彼女は雷に打たれたような衝撃を受けた。
少女は、笑っていたのだ。
少女を横たえ、女王は考える。
なぜ、この少女は笑ったのだろう?
考える時間と、場所が必要だとレティアは思った。
レティアは、かつて自分が将として派遣された砦に向かった。
寒いあそこなら、一人でゆっくり考える時間が持てると思った。
レティアの思ったとおり、そこには、もう誰もいなかった。
ただ、巨大な氷の魔力の結晶した石、氷晶石があり、それは玉座にちょうどよい形をしていた。
レティアは氷の玉座に腰かけ、ひたすらに考えた。
なぜ、あの少女は笑っていたのか。
十年、二十年……。月日が流れていく。
さらに十年。答えはまだ見えない。
さらに考えた。そして、閃いた。
それは、天啓であった。
「結論は出たかい? レティア」
久しぶりに会った“お父様”はあいかわらず美しく、何かを憂いている。
レティアは迷うことなく、自身の考えを述べた。
人々が誰しも求め、享受できる幸福、それは、安らかな死だと。
常夏の王は笑い、常秋の女王はお話にならないと蔑みのまなざしを向けた。
レティアは懸命に訴えた。
自身が生きていた間も処刑後も、自分の苦しみは続いた。だから、せめて安らかに眠るように逝きたいと、自分はそう考えていた。だから、あの少女も笑って死んだのだと。人が生きている間に受け取れる幸福には、限りがある。どんなに懸命に生きている人でも、死を迎えるときは悲惨で、苦しい思いをするかもしれない。だから、自分はそんな人たちの最後の受け皿になってやりたいのだと。
常夏の王はこらえきれなくなったように笑い、常秋の女王は蔑むような目でレティアを見た。常春の王は、会ったときと同じように涼しげな微笑を浮かべていた。
突然、“お父様”が言った。
「――娘よ」
この一言こそ、レティアが“お父様”に娘として迎えられた、その証だった。
「お前の言葉を認めよう。お前の思うとおり、人々に安らかな死を与えてやりなさい。だが、お前はまだ精霊としては幼い。だから、その崇高な使命を手助けしよう。ヴェスナー」
「はい」
常春の王が、レティアに向かって一冊の本を差し出した。
「これは、ぼくが創ったスクラップ・ブックだ」
黒い表紙のそれを、レティアはおずおずと受け取る。
『……スクラップ・ブック』
「そう。君が救った人間たちが、これには自然と明記される。いっぱいになれば、本は勝手に分かれ、また新しいスクラップ・ブックが出来る。君はこれを人々にばら撒き、『安らかな死』がどんなに素晴らしいか、人々に伝えるんだ。そして、この本の真の意味は――」
どこか楽しげに、彼は言った。
「人々がいつか、もっと大きな死を望んだときに、わかるよ」
レティアは無言で本を見つめる。ヴェスナーはさらに言った。
「まずは君の名前を、その本に向かって言って」
『レティア・モリガン』
その瞬間、レティア・モリガンとして残っていた感情の、すべてが消えうせた。
“お父様”は抑揚のない声で言った。
「誕生おめでとう。常冬の女王よ」
ずっと降らせていた雪も止んだようだ。
純度の高い魔力で形づくられた肉体のない体にとって、大魔術・大魔法の行使は存在に関わる。だが、その大きな疲労にも関わらず、女王は満ち足りていた。
微睡む女王は思い出す。
“お父様”との出会い、そして、自分が最初に救った少女のことを。
「やあ」
初めて出会う“お父様”は、とても、とても美しいひとで。でも、何かを憂うように眉間に皺を寄せていた。彼の周りには、三人の男女がいた。
常夏の王、リェータ。
常秋の女王、オーセニ。
そして、レティアを精霊にして、ここに連れてきた常春の王、ヴェスナー。
彼は“お父様”に手の平を向け、言った。
「御挨拶なさい。“お父様”だよ」
うまく挨拶できたかは、覚えていない。精霊になったばかりのレティアは、あまりにも気高く美しい“お父様”を前に、完全に舞い上がっていた。
「レティア、お前がわたしの娘になるにあたって、お前に尋ねたいことがある」
レティアは蚊の鳴くような声で、『何でしょうか、“お父様”』と尋ねた。
「レティア、人々にとって幸せとは何だね」
レティアは、思いつく限りのことを並べた。
財産、結婚、出産、武勲、出世……。
“お父様”は首を横に振った。
「違う。わたしがお前に尋ねたいのは、みながもっと享受できる、誰もが受け取ることができる幸福だ」
レティアは考え込んでしまった。
“お父様”はやがて、こう言った。
「レティア、お前に少し時間をあげよう。お前が人々にあまねく広く渡る幸福を探しだせたら、お前をわたしの娘として、常冬の女王と認めよう」
“お父様の娘”に、どんな価値があるかは、レティアにはよくわからなかった。
だが、悩んでいる“お父様”に何かしてあげたいと思った。
“お父様”に優しく話しかけられたことが嬉しかったのである。
レティアは、自身の父親の優しい声も、笑った声も聞いたことがなかった。
父に見守られることを無邪気に喜ぶ幼女のような心理に変化が訪れたのは、彼女がおとぎ話のお姫様のように始めた、幸福探しの旅の過程である。彼女は陸という陸を渡り、人々を見た。世界は広かった。そして、どこでも人間がいた。幸せそうな顔をした者も、そうでない者もいた。彼女はあらためて感慨にうたれた。
人間はどこにでも住み、生き抜いていこうとするものなのだと。
そして、理解した。
この健気な姿。愛さずにいられようものか。
レティアは決意する。
何としてでも、人々が幸福になれる手段を探そう。
“お父様”のためではない。彼らのために。
だが、その答えを得ることは、想像以上に困難を極めた。まず、常冬の女王候補たる彼女の魔力属性は氷。作物を育てる地でもなければ、大地を潤す水でもなく、種を運ぶ風邪でもない。また、冷えた体に温もりを与える火でもなかった。
自分の持つ魔力が何の助けにもならないと感じた常冬の女王は、力ではなく、行動によって人々を救おうとする。
ある街角で、娘に焦がれる若者を見た。レティアは夜中彼の寝室に現れ、お告げをした。“あの娘は、あなたを愛している”と。若者は翌日花束を持って、彼女に愛を告白した。二人は、結ばれたのだ。その場から去ろうとしたレティアは、自分の過ちをはっきりと悟った。物陰から、唇を噛み締めて涙を浮かべている別の娘がいたからである。
その後も、うまくいかなかった。
職を探していた男に仕事を与えれば、別の男が仕事からあぶれた。
飢えた子に食べ物を与えれば、別の子がそれを取り上げた。
レティアはあらためて“お父様”の言葉を思う。
あまねく、人々に行き渡る幸福。誰もが享受でき、誰もが望むもの。
実際、“お父様”とレティアが追い求めるものは、人々が幾度となく求めては、その答えに窮してきたことだった。
途方に暮れたレティアは、かつて自分が産まれた土地へ帰ってきた。
故郷の町は、荒れ果てていた。レティアは首を傾げた。
なぜ、町はこんなに荒れているのだろう?
この町には、彼女と、もと自分の精霊であったあの男がいるはずだが、はて?
考えたが、いま一つよくわからない。
荒廃した町を歩き回るレティアの目に、壁に寄りかかったまま、いまにも息絶えようとしている少女の姿が目に入った。
少女は薄汚れた人形を抱き、自身はさらに汚れていた。がりがりに痩せ衰え、皮膚が体にひっついているだけの体。目はよどみ、すでに生気はない。
女王は少女の体を冷たい腕に抱く。思わず、呟いた。
『許して』
どうか、どうか、わたくしのこの無力を許して。
死にゆくお前を救うことも、温もりを与えることもできない、わたくしを許して。
少女の鼓動が止まった。
レティアは、あらためて少女の顔を見る。そこで、彼女は雷に打たれたような衝撃を受けた。
少女は、笑っていたのだ。
少女を横たえ、女王は考える。
なぜ、この少女は笑ったのだろう?
考える時間と、場所が必要だとレティアは思った。
レティアは、かつて自分が将として派遣された砦に向かった。
寒いあそこなら、一人でゆっくり考える時間が持てると思った。
レティアの思ったとおり、そこには、もう誰もいなかった。
ただ、巨大な氷の魔力の結晶した石、氷晶石があり、それは玉座にちょうどよい形をしていた。
レティアは氷の玉座に腰かけ、ひたすらに考えた。
なぜ、あの少女は笑っていたのか。
十年、二十年……。月日が流れていく。
さらに十年。答えはまだ見えない。
さらに考えた。そして、閃いた。
それは、天啓であった。
「結論は出たかい? レティア」
久しぶりに会った“お父様”はあいかわらず美しく、何かを憂いている。
レティアは迷うことなく、自身の考えを述べた。
人々が誰しも求め、享受できる幸福、それは、安らかな死だと。
常夏の王は笑い、常秋の女王はお話にならないと蔑みのまなざしを向けた。
レティアは懸命に訴えた。
自身が生きていた間も処刑後も、自分の苦しみは続いた。だから、せめて安らかに眠るように逝きたいと、自分はそう考えていた。だから、あの少女も笑って死んだのだと。人が生きている間に受け取れる幸福には、限りがある。どんなに懸命に生きている人でも、死を迎えるときは悲惨で、苦しい思いをするかもしれない。だから、自分はそんな人たちの最後の受け皿になってやりたいのだと。
常夏の王はこらえきれなくなったように笑い、常秋の女王は蔑むような目でレティアを見た。常春の王は、会ったときと同じように涼しげな微笑を浮かべていた。
突然、“お父様”が言った。
「――娘よ」
この一言こそ、レティアが“お父様”に娘として迎えられた、その証だった。
「お前の言葉を認めよう。お前の思うとおり、人々に安らかな死を与えてやりなさい。だが、お前はまだ精霊としては幼い。だから、その崇高な使命を手助けしよう。ヴェスナー」
「はい」
常春の王が、レティアに向かって一冊の本を差し出した。
「これは、ぼくが創ったスクラップ・ブックだ」
黒い表紙のそれを、レティアはおずおずと受け取る。
『……スクラップ・ブック』
「そう。君が救った人間たちが、これには自然と明記される。いっぱいになれば、本は勝手に分かれ、また新しいスクラップ・ブックが出来る。君はこれを人々にばら撒き、『安らかな死』がどんなに素晴らしいか、人々に伝えるんだ。そして、この本の真の意味は――」
どこか楽しげに、彼は言った。
「人々がいつか、もっと大きな死を望んだときに、わかるよ」
レティアは無言で本を見つめる。ヴェスナーはさらに言った。
「まずは君の名前を、その本に向かって言って」
『レティア・モリガン』
その瞬間、レティア・モリガンとして残っていた感情の、すべてが消えうせた。
“お父様”は抑揚のない声で言った。
「誕生おめでとう。常冬の女王よ」
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