不思議屋マドゥカと常冬の女王

らん

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第4章

カルチェロッタ・リズヴール

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 大分雪が深くなってきた。

(やっぱり、ヨールカに寄らずに氷宮殿に向かうのは、無茶があるか)
 一刻も早く氷宮殿に行きたいところだが、いた仕方あるまい。それに足がぱんぱんだ。とにかく、一秒でも早くブーツを脱ぎたい。
 
 後ろを歩くダーティの様子をちらりと伺う。
 彼の顔が真っ青な上にむっつりなのは、寒さのせいか。
 はたまた、昨日のジョークのせいか。
(まだ純な子供を、あんな風にからかうもんじゃないな)
 思わず苦笑する。
 マックの気分が沈んでいるは、健全な青少年に対する反省だけではない。
 
 昨夜のカールとの会話だ。
 
「年を感じるわあ。ミーシャ隊長の息子が、もうあんなに大きくなったのねえ」
「わかるか?」
 半ば揶揄するかのように、マックは言う。
「そりゃわかるわよ。あんたの御贔屓で、しかも“視える”ときたら、もうそれしかないでしょ」
 ワインをくゆらせ、カールの赤い唇が大きな弧を描く。
「エルは感慨深いでしょうね。あたしたちの中で一番、隊長を慕ってたから」
「――まあな」
 少し赤らんだ魅惑的な顔。夜の彼女は好きだと、マックは思う。

「――で」
 
 彼女はいきなり切り込んできた。
「あんたはお兄様に何を吹き込まれて来たの?」
「参ったな」
 ちっとも参ってなさそうな口調で、マックは言った。
「おれたちを――というよりおれを引き留めた理由はそれか? カール」
 隣の部屋に目をやる。ダーティは、もう眠っただろうか。
「ふふ」、カールは楽しそうに笑った。
「大胆な割に臆病。あいかわらずね、ユージーンは」
「まったく、ご立派な男だよ」
 嫌み混じりの言葉に、幼なじみは優しくフォローを入れる。
「必死なのよ。リリ家を守ろうと」
(守るほどの価値ある家かねえ)
 口には出さない。話すべきことは、別にある。

「――で、本当のところはどうなんだ?」

「何が?」
 グラスをくるくる。跳ねる赤い水面を、カールは楽しそうに見つめている。心なしか、ほほが赤い。
 
 酔っているのか。
 
 喉まででかかった言葉を、マックは口にしなかった。
「『アンナとバルバザン』だよ。あれ、どこで手に入れた?」
「言ったじゃない。ローリで見つかったの」
「誰が見つけた?」
 いたずらっぽい顔をして、カールは言う。
「ひ・み・つ。言ったら、迷惑がかかるから」
「誰に?」
 カールは少女のように愛くるしい笑顔になる。答えない。
「わかった。じゃあ、質問を変えよう」
 優しい父親のように、マックは言った。
「あのリジストリィ・ボルダって若いのは、どこから連れてきた?」

「連れてきたわけじゃないの。一年ほど前、ふいに現れたのよ。あの絵を持って」
 
 驚きが顔に出たことが、自分でもわかった。
 カールが、あわてて口に手をやる。
「やだ。うっかり」
「どういうことだ? あの若いのが、あの絵を持ちこんだのか?」
 カールはいたずらを叱られた少女のような顔をする。
「あたしがしゃべったって言わないでよ。そう。突然あの絵を持って現れて言ったの。雇ってくれって」
「一年も黙ってたのか。あの絵のこと」

「だってさあ」
 
 いままでの少女はすっかりなりを潜め、カールは獲物に飛びかかる女獅子の形相で言う。

「本物かどうか、わかんないじゃない?」
 
 マックは確信する。カールは嘘をついている。隠している。だが、リジーが絵を持ってきたことは真実だ。では、どんな嘘をついている? 何を隠している? ――わからない。

「カール」
 
 幼なじみとして心配している。その思いを、声音にこめる。
「君は何を望んでいる? 何を考えているんだ?」
 カールは、困ったように微笑んだ。
「いやあねえ。マック」
 
 心配なんて、しなさんな。
 
 彼女の声には、まるで母親のような優しさが溢れている。
「あたしの望みはただ一つ。愛すべき美術品たちが、多くの真実を明らかにしてくれることよ。――すべてを、ね」
 彼女の言葉が、マックの中にこだまする。
 
 カルチェロッタ、カルチェロッタ。
 愛すべき幼なじみよ、偽りの君よ。

「――なあ」
 ふいに、ダーティが口を開いた。
「ん?」
「カールとさ、何の話をしてたんだ?」
「なんだ? あのとき起きてたのか?」
「いや、起きてたわけじゃないけど……」
 足がとられる。慣れない雪道に、マックは思った以上に苦戦している。
「大した話じゃないさ」
 微笑んでマックは言葉を濁す。
「――なあ」
 そして、唐突に話題を変えた。
「あの、リジーってやつのことだけど」
 ダーティは戸惑いながら「うん」、と返事をする。

「大分、“喰われて”るな」

「……うん」
 ダーティの表情が暗くなる。
 だが、確かめておかなければならない。
 彼のことを聞けば、幼なじみの心も見えてくるかもしれない。
 浮かない顔のダーティに気づかないふりして、マックは言った。
「いつからだ?」
「五年ほど前」
 ダーティにしては少し口が重い。ぽつりぽつりと彼は話をする。
「リジーが魔力変質にかかったのは、リジーが十五のとき。ハーディは十二だったかな。発病した朝は、ジムおじさんもおれの親父もいて、ちょっとした騒ぎになった」
 あの日のことは、よく覚えている。なにせ、前日の夜まではプラチナ・ブロンドだった彼の髪が、突然黒に変わってしまったのだから。最初のうち、リジーは病気をみんなに隠そうとした。髪は染めたのだと言って。
「魔力変質ってさ、変質って言うけど、実際は不治の病じゃん。リジー、けっこう荒れたみたいでさ。ジムおじさんとハーディ、けっこう大変だったみたい」
 魔力変質とは、持って生まれた魔力属性が、突然と変わる病だ。まず、髪の色が一夜にして変わる。手足に蔦のようなあざが走り、これが心臓に到達すると、死ぬ。
 人によって多少の差異はあるが、蔦が心臓に達するまでの期間はおよそ十年。
 詳しい原因は不明。治療法はおろか、進行を遅らせることもできない。確率的には一万人に一人という奇病である。
「発病した翌年に、急に姿を消しちまってさ。後を追うように、ジムおじさんも旅に出ちまって……」
 マックは、ハーディの顔を思い浮かべる。

(あんな泰然とした顔して、意外と苦労してんだなあ、あいつ)
 
 人は見かけによらないと言ったところか。
 マックは思考を元に戻す。
 寿命が確定してしまうのは恐ろしいが、魔力変質には思わぬ副産物もある。それは、魔術や魔法論式の技術が飛躍的に向上すること。世界で最もなるのが難しいと言われている美術復元師にリジーがなれたのも、皮肉なことにその不治の病のおかげというわけだ。
「昔からあいつ、絵はうまかったのか?」
「うん。うちの村の墓守のじいさんが絵がうまくてさ。その人に習ってた。小さいころから、絵描きにはなりたかったみたい」
「ふーん」
 マックはまた考える。
(だからと言って、むやみやたらに命を縮めるようなことに、賛成ができるわけじゃないがな)
 魔術や論式を行使すればするほど、魔力変質は進む。
 カールは無論、知っているだろう。
 リジーは――。
 
 ――知っているのか? 彼。
 ――もちろん、知ってるわよ。
 
 本当だと、信じたい。
 敬愛すべき長兄の顔を思い浮かべる。
 
 彼はすべてを疑っている。
 
 カルチェロッタも。王位簒奪の真相も。ダーティも。
 頭に響くは、兄の蔑み。
 
 ――おれの好きな言葉を知っているか。それはな、一石二鳥だ。
 
 もちろん知ってるよ、兄さん。
 真実のため、リリ家のため、ひいては国家のためか?
 あんたは本当にご立派な野郎だよ、兄さん。けどな、自分だけが嘘つきだと思わないことだ。器が知れるぜ。

「マック?」
 
 はっと我に返る。
「わりい。何でもない」
「そうか? マック、何だか変だぜ」
 未来ある若者の純粋さは、時として、大人を残酷に貫く。
「……三十路も近くなるとな、ぼうや」
 マックの中に確かに存在するわだかまりは、
「やんちゃだったあの頃を思い出して、青少年の健全な育成ってやつを真剣に考えざるをえなくなるのさ」
 美しい言葉を、わずかに汚した。
「さ、急ぐぜ」
 村はもうすぐだ。
 マックは気合をいれて、重たいひざをぐいと持ち上げた。
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