12年目の恋物語

真矢すみれ

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12年目の恋物語

8.陽菜と羽鳥

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 六月。梅雨。
 毎日の雨が鬱陶しい。こんな雨続きの日、わたしの体調は崩れやすくなる。
 昔は無理をして調子の良い振りをして登校して、学校で体調を崩して早退する羽目になっていた。そんな時は、カナがせっせと世話を焼いてくれて……。けど、やっぱり申し訳なくて、中等部に上がった頃から、無理せず最初から休んでしまうようになった。
 この一ヶ月ほど、気が張っていたのか、危ういながらも、毎日登校できていた。
 だけど、今日は何となく胃が重い。昔、切った胸の傷跡もシクシクする。何となく息苦しくて身体が重い。そんな身体の中から警告をわたしは久しぶりに感じていた。でも、まだ大丈夫。

 カナは最近、物問いたげにわたしを見つめてくる。
 送り迎えはまだ続いている。
 以前は色んな話をしながら歩いていた。
 わたしがろくに話さなくなった後も、カナは一生懸命、わたしに話しかけてくれた。だけど、今は、カナもわたしも無言で歩く。
 日課のように、

「送り迎えは、もういいよ」

 と言う。カナもまるで決まり事のように、

「いや、オレがしたいから」

 と答える。
 そうして、さぞかし居心地が悪いと思うのに、それでもカナはやってくるのだ。これが責任感からじゃないなら何だというのだろう?
 うつむいて歩きながら、たまに涙がこぼれそうになる。唇をきゅっと引き結んで、手をぎゅっと握りしめて、なんとかこらえる。
 そんな毎日に、わたしはもう疲れ切っていた。



 放課後、また、図書館を口実にカナを置いてきた。だけど、図書館で本を探す気にもなれず、そのまま裏手に回った。
 羽鳥先輩に教えてもらった図書館裏のベンチに座り、しとしとと降りしきる雨を眺める。雨は降っているけど、ベンチは広い軒の下に置かれているから、今日のような静かな雨なら濡れることはない。
 いつもなら綺麗な木漏れ日が見える時間。だけど今日は雨で、辺りは薄暗くて、まるで憂鬱なわたしの心を映しているかのよう。

「ハルちゃん」

 名前を呼ばれて声のした方に目を向けると、羽鳥先輩が立っていた。

「羽鳥先輩」

 先輩はいつものように、優しくにっこり笑う。暗かった辺りが急に明るくなったような気がして、肩の力がすうっと抜けた。

「ごめんね。邪魔しちゃったかな?」

「いえ!」

 思わず、大きな声がでる。

「ぜんぜん邪魔じゃ、ありません」

 自然とこぼれる言葉は紛れもない本心だった。先輩はくすりと笑った。

「ありがとう。じゃあ、お邪魔させてもらうお礼に、いいモノをあげよう」

 そうして、ポケットに手を入れると、わたしの目の前に小さなお茶の缶を差し出した。

「え?」

「暖かいよ」

 先輩は早く手を出しなさい、というように缶を軽く揺する。

「あの……」

「今日、梅雨冷えだよね。寒いから、ね」

 優しい笑顔につられて受け取ったお茶は、とても暖かかった。両手でお茶を包み込むようにして持つ。
 そうして、ようやく自分がこごえていたことに気が付いた。いつの間にか涙がこぼれ、先輩がわたしの頭を優しくなでた。
 羽鳥先輩はずっと隣に座っていてくれた。何も言わず、ただ隣にいてくれた。

 いつしか涙が止まっていた。それでも、わたしは、先輩にもらったお茶を手にしたまま空を見て、木々を見て、雨を見て、何も考えず、何もしゃべらず、ただ時が流れるのに身を任せた。
 どれくらい経ったのだろう。もともと薄暗かった空が更に暗くなっていた。時計を見ると五時を指している。

「そろそろ、帰った方がいいかな?」

 先輩も腕時計に目をやる。

「ごめんなさい。すっかり遅くなっちゃった」

 先輩は、また優しく笑う。

「ボクのことは、気にしなくていいよ」

 それより、と先輩は続けた。

「ハルちゃんはご家族が心配するんじゃない?」

「大丈夫です。……あの、図書館に寄るって電話したから」

 カナと歩きたくなくて、言い訳のように図書館を使った。

「そうか。でも、そろそろ帰った方がいいよね」

「はい」

 先輩の言葉に、小さくうなずく。

「家に電話する?」

「いえ。もう、迎え、来てると思うから」

 そう言うと、先輩はすっと立ち上がった。

「車まで送ろうか」

 瞬間、身体が固まった。
 暖かかった空気が、急に冷え込み、現実世界に戻されたような、冷や水を浴びせかけられたような、そんな気持ちにおそわれた。

 振り切るように置いてきたカナ。
 置き去りにされたカナの傷ついたような目。わたしたちを包む重い空気。人通りの少ない裏口への廊下に、虚しく響く2つの足音。
 何度となく繰り返される、カナから離れなくちゃ、カナを自由にしてあげなくちゃ、と言う想い。

 こんなに好きなのに。

 こんなに好きなのに。

 こんなに好きなのに。

 カナと離れなくちゃ、いけない。

 がんばっても、がんばっても、届かない。
 カナは優しいから。カナは責任感が強いから。今まで、わたしが、甘えすぎていたから……。
 羽鳥先輩はわたしの言葉を待っていた。

 でも、歩けない。カナ以外の人とは……。歩けない。

「……あの、」

 わたしが絞り出すように声を出すと、先輩はいつものように優しく目を細めた。

「やっぱり、ハルちゃんの悩みは、その辺りかな?」

「え?」

「ごめんね。カマかけちゃった」

 ……羽鳥先輩?
 先輩は、不意にわたしの頬に手をふれた。

「ハルちゃん、やせたよね」

「え?」

「食欲、ない?」

 ここ一ヶ月、何を食べても味がしない。食欲もなくて体重も減ってしまった。

「ずっと、悩んでたでしょ?」

「……あの」

「いつでも、聞くよ?」

 先輩は何かを探すようにポケットに手を入れた。それから、しゃがんで、まだベンチに座っていたわたしに目線を合わせた。膝の上で握りしめていた手を取られ、上を向けられ……。

「はい」

 手のひらにコロンと載せられたのは、ミルキー三つ。

「これくらいなら、食べられるでしょう?」

「え?」

 先輩は、うーん、どうしようかなとつぶやき、わたしの手のひらから、ミルキーを一つ取ると、きゅっと両端を引いた。

「口開けて」

 思わず反射的に口を開けると、先輩はポンとわたしの口にミルキーを放置込む。次の瞬間、懐かしい甘い味が口の中にふわっと広がった。
 羽鳥先輩は膝に手を当てて、よいしょ、と立ち上がり空を見た。

「行こうか?」

 小さくうなずく。

「分かれ道まで、ね」

 先輩はほほえみ、わたしの鞄を手に取った。
 カナとしか歩けない。
 だけど、裏口への道じゃなければ……。

「あの……ありがとうございます」

「どういたしまして」

 先輩は嬉しそうに目を細めると、行こうか、とゆっくり歩き出した。
 カナより細い先輩。顔つきもぜんぜん違うし、タイプもまるで違う。
 だけど、背の高さがほとんどカナと同じだった。ゆっくりと、わたしに合わせて歩いてくれるのも。
 先輩は何も言わない。だけど、さり気なく、わたしの歩く速さを気にかけてくれている気配を感じた。穏やかで優しい気遣いが心地よかった。
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