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「幹人? ……幹人が朝食を作ってるのか? こんな時間に?」

 日曜日の朝五時半。キッチンに父がやって来た。

「おはようございます。お水ですか?」

「ああ。おはよう。……そう。喉が渇いてね」

 そう言うので、グラスに水を汲んで手渡す。

「どうぞ」

「ありがとう」

 と、グラスの水をごくごく飲み干す父を横目に調理に戻る。
 だし巻き卵用の卵をかき混ぜていると、父が不思議そうに覗き込んできた。

「料理できるのか?」

「できますよ」

 何を今更と思い答えつつ、そう言えば、家では料理をしたことがないなと気が付く。

「一人暮らしをしている時に覚えました」

「そうか……すごいな」

「そうですか?」

 別にすごいとは思わないし、やれば誰でもできるだろうとも思う。ただ、やろうと思うかどうかだろう。僕は不味いご飯を食べるのと比べて、自分で作る方を選んだだけだ。僕にとって料理とはその程度のものだった。
 でも、今、料理を覚えておいて本当に良かったと心から思う。そんな僕はきっとさぞ緩んだ顔をしていたのだろう。

「楽しそうだな?」

 父に言われて、

「ええ、最高に」

 と答えると、父は不思議そうな顔をした。そして、ふと思い出したというように、

「そう言えば、先日の熱を出した医者は大丈夫だったか?」

 と聞いてきた。

「はい。翌日には熱も下がりましたし、今日からは普通に勤務するそうですよ」

「それは良かった」

 父はうんうん頷いている。
 そんな父を見て、響子さんのことを話したくて仕方なくなる。父は医者だ。なので、医者と付き合う心得的なものを教えてもらえるかも知れない。例えば、どんな言葉が嬉しいかとか、こういうことは言っちゃダメだとか、ぜひとも知っておきたい。
 でも、まだ「お付き合いしてください」にはOKしてもらっていない今、時期尚早だろう。

「それじゃあ、もう一寝入りしてくるよ。今日の朝食、楽しみにしてるな」

 父はそう言うと大きなあくびをしながらキッチンを後にした。
 響子さんのお弁当を作るだけのつもりだったけど、ああ言われてしまっては作らないわけにはいかない。
 幸い、材料は多めに買ってある。冷蔵庫から追加の材料を取り出しながら、時間は大丈夫だろうかと壁の時計に目をやった。


   ◇   ◇   ◇


 朝七時ちょうど。
 今日は一度呼び鈴を鳴らしただけで、すぐに響子さんが出てきてくれた。

「おはようございます」

「おはようございます。……本当に来たんですね」

 昨日、確かに朝七時に来ると言ったのに、響子さんは半信半疑だったらしい。
 僕が響子さんとの約束を破る訳がないじゃないですか。

「はい」

「朝早くからご苦労様です」

 なんだろう。まるで仕事に来た作業者を迎え入れるかのような反応?
 なんとなく微妙な気持ちにならないでもなかったけど、響子さんの顔を見ていたら、そんなことはどうでも良くなってしまった。僕の脳内は今日も朝から響子さんの顔を見られたことで浮かれまくっていた。

 慣れたもので、響子さんは「どうぞ」と家の中に入れてくれる。
 三日目とあって、僕も遠慮なく「お邪魔します」と部屋に上がる。
 
 だけど、真顔だった響子さんは、僕の

「すぐ、雑炊を作りますね」

 という言葉に満面の笑顔を浮かべた。

「ありがとうございます!」

 その変化がおかしくて、思わず僕も笑顔になる。

「響子さんは出かける準備していてください。十五分もあれば完成なので」

「あ、もう準備はできてます」

「もう? ……と言うか、僕のせいですね。朝早くからすみません。本当ならもう少しゆっくりできましたね」

 当然着替えは終わっているし、もうお化粧も終わっている。そりゃ、作りに来るのが朝食だからと言って、朝の準備をまったくせずに僕を迎える訳がないか。病気の時は別だったけど、もう体調は回復したし仕事の日なのだから。
 これは申し訳ないことをしたかも知れない。
 だけど、響子さんは、

「とんでもないです。お雑炊のためです」

 と言い、僕が土鍋に火を入れながらネギを刻み、ボールに割り入れた卵をかき混ぜるのを、いかにも待ち遠しそうに覗き込んでくる。そんな姿を見ていたら、まったく問題ない気がしてきた。

「醤油ベースで味付けてしまって大丈夫ですか?」

 料理をする隣に響子さんがいる喜びを全身で感じながら、努めて冷静にそう聞くと、

「大丈夫です」

 と、響子さんがなんと「どうぞ」と醤油を手渡してくれた。
 嬉しさのあまり抱きしめたくなったけど、自重する。ここで警戒されては元の木阿弥だ。

 あまりの幸福感で、途中で何を作っているのか分からなくなりかけたけど、ここで味付けを失敗させて失望されたりしたら大変だ。味見をしてみたけど問題はなさそうだ。

「お待たせしました。できましたよ」

 そう言うと、響子さんは昨日洗って干しておいてとんすいを持ってきてくれた。
 昨日と同じようにテーブルに土鍋を持って行って、そこで食べようかと思っていたけど、朝の慌ただしい時間だし、キッチンでつけ分けて行き、足りなければおかわりをするというのでも良いかもしれない。
 いや、つまり、響子さんが持ってきてくれたとんすいを受け取って使うというのが、僕にとって何より大切だということだ。



 一緒に雑炊を食べ、一緒に家を出る準備に勤しむ。
 こんなのまるっきり夫婦じゃないか! とまた頭の中で祝福の鐘が鳴り響く。結婚式まで後何日だ? もう今日からでも同居したい。ここに住んでもいいかな? ダメか。
 そんなとっ散らかった脳内をおくびにも出さず、響子さんが歯磨きをしている間に食べ終わった後の食器を手早く洗う。

「これ、お昼にどうぞ」

 家を出る時に、作って来たお弁当を手渡すと、響子さんは本気で驚いていた。

「え?」

「お弁当です。お茶も入ってるので」

「え、本当にいいんですか!?」

「もちろんです」

 にっこり笑いかけると響子さんはお弁当とお茶の入ったトートバッグを受け取ってくれた。

 響子さんの胃袋を掴む作戦と言うのもあるけど、ちゃんとしたものをあまり食べていなさそうな響子さんに、栄養バランスの良いものを食べてほしいと言うのも大きい。
 忙しい大学病院で医師をする響子さんが自炊をするのは無理だろう。ゆっくり昼を食べるのすら難しいと思う。
 でも、そんな生活をしていたら金曜日のように、倒れてしまう。激務は変わらないにしろ、せめて食べられる日はしっかり食べて欲しい。

「おにぎりだけにしようかと思ったんですが、日曜日なら少しはゆっくり食べる時間もあるかなと思って、おかずも作ってきました。お口に合うと良いのですが」

「あの……ありがとうございます」

 響子さんは少しくすぐったそうな、はにかんだような笑顔を見せてくれた。



 その後、車で病院まで送ると言うのは断られてしまった。日曜日のこの時間に車で行ったことがないから、もしも渋滞していて遅刻するとまずいからと言われると引かざるを得ない。
 駅まで並んで歩き、別れ際に、

「じゃあ、夕方、お弁当箱を取りに行きますね」

「え? あ、はい。お願いします」

 と、今日の約束を取り付けた。
 響子さんはまた家に行くのだろうと思っているだろうけど、響子さんの職場まで迎えに行くつもりだ。
 ちゃんと駅までの道のりで、今日の終業時間や普段のシフト情報を聞き出していた。

「じゃあここで。はい、どうぞ」

 駅の改札でお弁当を渡すと(ここまでは僕が持ち運んでいた)、響子さんは

「あれ、そう言えば、牧村さん、車って言ってましたっけ」

 と今更気付く。

「行ってらっしゃい。お仕事頑張ってくださいね」

「行ってきます。はい、お弁当食べて頑張ります」

 照れくさそうにそう言って手を振る響子さんは最高に可愛かった。
 朝から、こんなに楽しませてもらって良いのだろうか?
 身悶えしそうな喜びでに包まれながら、響子さんを見送ると、僕は駅舎から外に出る。

 さて、この後の時間、何をしよう?
 本当なら響子さんの部屋で掃除したり洗濯したりの、響子さんの嫌いな家事を肩代わりしてあげたい。けど、合鍵なんてもらっていないし、まだ彼氏にすらなれていない。

 ああ、そうだ。貯まっている仕事を片付けておこう。急ぎではないけど、今日片付けてしまえば明日その分早く帰れるかも知れない。響子さんが早く終わる日は遅くても定時で帰りたい。
 とすれば、今の自分にできるのは貯まった仕事を片付けてしまうことと、そうだな、料理のレシピの確認くらいだろう。

 やることが決まったらスッキリした。
 朝から響子さんの顔を見られた喜びで、足取りも軽く僕は車を取りにコインパーキングに向かった。
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