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「ねえ、幹人」
「はい。なんですか?」
朝食をテーブルに出しながらの母の言葉に軽く答える。
「別に、あなたが望むのなら、男の方でも良いのよ?」
「は? なんのことですか?」
「結婚相手」
男の人と結婚相手が頭の中でくっついて、思わず飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになる。
「グッ……ゴホッゴホッ!」
「あらあら。慌てないで」
母が背中をさすってくれる。
けど、母さん、あなたのせいですよ、これ。
テーブルの反対側で新聞を読んでいた父さんも目を点にして母さんを凝視していた。いや、母さんと僕の方を……。
誤解だ! 僕にそっちの気はないから!
けど、むせている間も母のあらぬ発言は続く。
「あちらではそう言うのも普通なのでしょう? わたくし、あなたが愛した方ならちゃんと受け入れられますよ?」
「……ちょっと待ってください。どうしてそうなったんですか!?」
「あらだって、あなた、来月には三十六歳だと言うのに、浮いた噂の一つもなく、お見合いもしたがらないし。どんな人でも良いと言ってあるのに連れて来てくれないから、これはもう、女性じゃないのかしらって。だからね、どんな女性でも良い、じゃなくて、どんな人でも良いのですからね? 遠慮せずに連れて来なさいね?」
いやなんて言うか。
母さん、それはさすがに考え過ぎだ。
とは言え、これには若干事情がある。
「ご心配おかけしてすみません。ですが、母さん、残念ながらそういう相手はおりません」
「本当に?」
母はそれでも、まだ隠しているのかもと思っているようで疑いの眼差しを向けてくる。
「本当に心から『この人だ』と思える人を探しているんです。まだ出会えていないだけですよ」
「なら良いのだけど。あんまり見つからないようなら、お見合いなどで出会いを探してみても……」
「お待たせして申し訳ないですが妥協はしませんよ。もしも『その人』に出会った時、私が既婚者だったらどうします? 誰も幸せになれないでしょう?」
案に離婚や不倫の可能性を示唆する。もしも運命に人に出会えたとしたら、僕は自分を抑えられる気がしない。無理に抑えたとしたら、それはそれで僕が不幸だ。
下手にお見合いなどして、『この人でも良いかも?』なんて思ってしまったらそんな最悪な結末になるかもしれない。逆に、『この人だ』という人に出会えなければ、それで良かったと思うのだろうけど。
「……まあ、そうかも知れないわねぇ」
母は小首を傾げつつ同意してくれる。
「ご馳走様でした」
「まだ三十六、と考えた方が良いのかしらね。今は晩婚の方も多いし」
「そうそう。気楽に構えていて下さい」
そう笑いかけてから、ナフキンで口元を拭い席を立った。
父は総合病院を経営する医師で、僕は総合商社の社長なんてものをしている。他にも小さな会社をいくつも持つ我が家はいわゆる名門と言われる旧家だ。しかも子どもは自分一人で、その僕が未婚だなんて言うと、普通はさぞかし早く結婚しろと締め付けが厳しかろうと思うだろう。けど、うちは違う。
父はもともと三人兄弟の末っ子で自由に育ったらしい。金銭的に余裕のあるこの家で三男という気軽さから家業を手伝えとも言われず、自由に医学への道を進んだ。更に医者になってから、祖父と二人の兄の助力を得て総合病院を作ったらしい。僕が生まれる前の話だ。そこまでは良かった。
僕が五歳の時、祖父と一緒に牧村商事を切り盛りしていた伯父二人が相次いで亡くなった。その時の祖父の落胆ぶりは相当だった。
伯父の一人は未婚で、もう一人は結婚はしていたが子どもはいなかった。
そこで祖父は父に跡を継ぐように言ったそうだ。だけど、その時には父の立ち上げた牧村総合病院は地域の中核病院となっていて、医者を生涯の生業と決めていた父は断った。
結果、かなり揉めたらしい。経営手腕も愛社精神もない、ただうまい汁だけを吸いたい遠い親戚が口を出して来て、社内もかなり荒れたらしい。ただでさえ、経営者一族の副社長と専務が突然いなくなり混乱した現場は、その不届きな親戚のせいで更におかしなことになりかけていたという。
そうして、祖父の「後を継げ」攻撃はお願いから始まり、じきに泣き落としになり、最後には「牧村商事を継がなければ牧村総合病院を潰す」と口にするところまで行ってしまった。祖父が出資し理事長も勤めていた関係で、祖父が資本を引き上げれば簡単に潰せる状態だったらしい。
それでも、病院を潰させまいと他から資本を募ろうと奔走する父を見て、更に親しい友人たちから地域を支える病院をなくすということがどういうことかを懇々と諭されて、最後には祖父が折れた。
祖父は父に、
「幹人に継がせるのなら、その日まで待ってやる」
と言ったらしい。
その時のこと、実は覚えている。
当時五歳の僕は、ある日突然、よく遊んでくれた伯父が死んだと聞かされても何のことか分からなかった。そのすぐ後にまたもう一人の伯父が亡くなり、ようやく死の意味を知った。
死んでしまうと、二度と会えなくなるのだと。
穏やかだった父の顔が険しくなり、訪ねてくる祖父と言い争いをする姿を何度も見た。怯える僕に、母が、
「二人とも、お互いに自分の大切なものを……患者さんやね社員の皆さんを守ろうと必死なのよ。私利私欲で喧嘩しているのではないから、怖がることはないわ。大丈夫」
と優しく教えてくれた。
難しすぎて、その時はよく分からなかったけど、とにかく「大丈夫なんだ」とホッとした。
そんなやり取りがしばらく続いた後(五歳の自分には永遠にも感じられたけど、多分一ヶ月かそこら後)、苦虫を潰したような顔をした父と真顔の祖父の前に立たされた。
「幹人、お前、爺さんの会社を継ぐか?」
父は祖父の隣から僕の顔を見つめていて、その視線の悲壮感で穴が開きそうだと思ったくらいだし、祖父は祖父で僕の目を超絶真顔でジッと見つめて来た。
初孫の僕を祖父はいつも可愛がってくれていた。甘い祖父だったと思う。家業であった牧村商事に関わらない父の元に生まれた僕は、いわゆる外孫のようなものだった。難しい話もされたことはなかったし、とても自由に育てられた。
父はおそらく自分と同じように、僕にも好きなことをさせたいと思っていたのだろう。だからこそ、あの日の父はあそこまで悲壮感漂わせていたのだと思う。
「爺さんの会社はな、色んな国と取り引きしてるんだぞ? 幹人は海外旅行が好きだろう? きっと面白いぞ?」
取り引きって言葉自体が分からなかったけど、海外旅行には毎年連れて行ってもらっていたし外国は好きだった。
「どこの国?」
「色々だ。幹人が好きなタイもベトナムも中国も、後アメリカやイギリス、フランスなんかも。世界中だ」
「アフリカも!?」
まだ行ったことがない、いつか行ってみたい国。その時はアフリカと一言にいってもいくつもの国に分かれてはいることすら知らなかった。
「ライオンとかキリンとかいるんでしょう?」
「ああ、いるぞ。もちろんアフリカも行けるぞ」
「遊びに行けるの?」
「幹人、遊ぶだけじゃなくて仕事で行けるんだぞ」
「おしごと?」
「ああ。アフリカの国の人たちが、毎日綺麗な水を飲んで元気に生活できるようにするお手伝いができるんだぞ?」
その頃好きだった絵本にどこかの団体の活動を描いたものがあった。井戸を掘ったりトイレを作ったり産業を起こしたり。思えば、あの絵本は祖父がプレゼントしてくれたものだった気がする。
多分、くれた時にはこんな話しにつながる予定はなかったのだろう。だけど、祖父の話はアフリカという遠い国に興味津々だった僕には効果満点だった。
「スゴイ! おじいちゃん、スゴイね!」
その時の僕の目は輝いていたと思う。
「どれ。写真を見せてあげよう」
「写真?」
「爺さんがアフリカに行った時の写真だよ」
「おじいちゃん、行ったことあるの!?」
「もちろんだとも」
その後、祖父の膝の上でアフリカだけじゃなくたくさんの写真を見せられた。舗装されていないアフリカの田舎道、ヨーロッパの古い街並みに溶け込む店舗、高層ビルの立ち並ぶニューヨークの摩天楼を背景にした大きな看板、タイの真新しいオフィス、インドネシアの建設現場……。
祖父は分かりやすい言葉で、そこで祖父が、祖父の会社が何をしたのかを教えてくれた。
「爺さんの会社を継ぐかい?」
「うん。つぐ!」
跡を継ぐという意味などまったくわからないままに、その日、僕は祖父の跡取りになると自分で決めた。
お家騒動の最中には一切口を挟まなかった母が、この時になって初めて一つだけ条件を出したと言う。
「結婚相手は幹人が決めること。どんな相手でもどんな出自の人でも幹人が選んだのなら受け入れること」
たった五歳で将来の選択をした僕に、せめて生涯の伴侶の選択権をと思ったらしい。
祖父は母の言葉を受け入れた。
そして、それから間もなく僕たち家族は祖父の家に引っ越した。
色んなことを言ってくる人がいる。ちゃんとした相手を与えておいた方が良いとか、親の息のかかったプロを当てがっておいた方が安心だとか。
そう言うのは家族全員で笑いながら全て無視した。
「人を見る目は養いなさいね。でも、あなたが生涯のお相手として選んだのであれば、どんな方でもわたくしたちは受け入れ祝福するわ」
母はいつもそう言っていた。
高校生、そして大学に入ったくらいまでは割と自由に付き合ったり別れたりもした。親が決めた相手もこういう出自の相手でという暗黙の了解もなかったから自由だったし、とにかく付き合ってみなければ分からないとも思っていた。
だけど、大学の途中で牧村商事に出入りするようになると否応なしに慎重になった。親経由ではなく僕自身に直接寄ってくる蝿のような人間が増えたのだ。
政略結婚を持ちかけてくる相手も多かった。すり寄ってくる相手もいれば色仕掛けも多く受けた。
結果、社会人になる頃には決まった相手を持つことはなくなり、海外駐在の間には付き合った相手もいたが、それもすぐに終わった。
違う。この人じゃない。
その感覚がいつも付きまとっていた。
そのせいか、いつだって長くは続かなかった。
二十九歳の時に祖父から社長業を譲られた。社長になった後も、数年の間、祖父は会長として陰に日向に色んなことを教えてくれた。
去年、祖父が亡くなった。最期まで、結婚しろとは一度も言われなかった。
「幹人はどんな人と結婚するんだろうな?」
と聞かれることはあったけど。
後悔があるとしたら、祖父に結婚相手を紹介できなかったことと、ひ孫を見せてあげられなかったこと。三十そこそこで結婚していれば見せられたかも知れない。
だけど出会えなかったのだから仕方ない。
母がもぎ取ってくれたこの権利、しっかり行使するつもりでいるのだけど、真面目に考え過ぎているのか逆に相手が見つからない。
いつか出会えるだろうから。とにかく四十までは待ってください。と、心の中で呟く。
もし、四十になっても見つからなかったら考え直そうと思っている。ここで牧村の血を途切れさせる選択はできない。そこまで引きずればさすがに妥協できるのではないかと思っていた。
「はい。なんですか?」
朝食をテーブルに出しながらの母の言葉に軽く答える。
「別に、あなたが望むのなら、男の方でも良いのよ?」
「は? なんのことですか?」
「結婚相手」
男の人と結婚相手が頭の中でくっついて、思わず飲みかけていたコーヒーを吹き出しそうになる。
「グッ……ゴホッゴホッ!」
「あらあら。慌てないで」
母が背中をさすってくれる。
けど、母さん、あなたのせいですよ、これ。
テーブルの反対側で新聞を読んでいた父さんも目を点にして母さんを凝視していた。いや、母さんと僕の方を……。
誤解だ! 僕にそっちの気はないから!
けど、むせている間も母のあらぬ発言は続く。
「あちらではそう言うのも普通なのでしょう? わたくし、あなたが愛した方ならちゃんと受け入れられますよ?」
「……ちょっと待ってください。どうしてそうなったんですか!?」
「あらだって、あなた、来月には三十六歳だと言うのに、浮いた噂の一つもなく、お見合いもしたがらないし。どんな人でも良いと言ってあるのに連れて来てくれないから、これはもう、女性じゃないのかしらって。だからね、どんな女性でも良い、じゃなくて、どんな人でも良いのですからね? 遠慮せずに連れて来なさいね?」
いやなんて言うか。
母さん、それはさすがに考え過ぎだ。
とは言え、これには若干事情がある。
「ご心配おかけしてすみません。ですが、母さん、残念ながらそういう相手はおりません」
「本当に?」
母はそれでも、まだ隠しているのかもと思っているようで疑いの眼差しを向けてくる。
「本当に心から『この人だ』と思える人を探しているんです。まだ出会えていないだけですよ」
「なら良いのだけど。あんまり見つからないようなら、お見合いなどで出会いを探してみても……」
「お待たせして申し訳ないですが妥協はしませんよ。もしも『その人』に出会った時、私が既婚者だったらどうします? 誰も幸せになれないでしょう?」
案に離婚や不倫の可能性を示唆する。もしも運命に人に出会えたとしたら、僕は自分を抑えられる気がしない。無理に抑えたとしたら、それはそれで僕が不幸だ。
下手にお見合いなどして、『この人でも良いかも?』なんて思ってしまったらそんな最悪な結末になるかもしれない。逆に、『この人だ』という人に出会えなければ、それで良かったと思うのだろうけど。
「……まあ、そうかも知れないわねぇ」
母は小首を傾げつつ同意してくれる。
「ご馳走様でした」
「まだ三十六、と考えた方が良いのかしらね。今は晩婚の方も多いし」
「そうそう。気楽に構えていて下さい」
そう笑いかけてから、ナフキンで口元を拭い席を立った。
父は総合病院を経営する医師で、僕は総合商社の社長なんてものをしている。他にも小さな会社をいくつも持つ我が家はいわゆる名門と言われる旧家だ。しかも子どもは自分一人で、その僕が未婚だなんて言うと、普通はさぞかし早く結婚しろと締め付けが厳しかろうと思うだろう。けど、うちは違う。
父はもともと三人兄弟の末っ子で自由に育ったらしい。金銭的に余裕のあるこの家で三男という気軽さから家業を手伝えとも言われず、自由に医学への道を進んだ。更に医者になってから、祖父と二人の兄の助力を得て総合病院を作ったらしい。僕が生まれる前の話だ。そこまでは良かった。
僕が五歳の時、祖父と一緒に牧村商事を切り盛りしていた伯父二人が相次いで亡くなった。その時の祖父の落胆ぶりは相当だった。
伯父の一人は未婚で、もう一人は結婚はしていたが子どもはいなかった。
そこで祖父は父に跡を継ぐように言ったそうだ。だけど、その時には父の立ち上げた牧村総合病院は地域の中核病院となっていて、医者を生涯の生業と決めていた父は断った。
結果、かなり揉めたらしい。経営手腕も愛社精神もない、ただうまい汁だけを吸いたい遠い親戚が口を出して来て、社内もかなり荒れたらしい。ただでさえ、経営者一族の副社長と専務が突然いなくなり混乱した現場は、その不届きな親戚のせいで更におかしなことになりかけていたという。
そうして、祖父の「後を継げ」攻撃はお願いから始まり、じきに泣き落としになり、最後には「牧村商事を継がなければ牧村総合病院を潰す」と口にするところまで行ってしまった。祖父が出資し理事長も勤めていた関係で、祖父が資本を引き上げれば簡単に潰せる状態だったらしい。
それでも、病院を潰させまいと他から資本を募ろうと奔走する父を見て、更に親しい友人たちから地域を支える病院をなくすということがどういうことかを懇々と諭されて、最後には祖父が折れた。
祖父は父に、
「幹人に継がせるのなら、その日まで待ってやる」
と言ったらしい。
その時のこと、実は覚えている。
当時五歳の僕は、ある日突然、よく遊んでくれた伯父が死んだと聞かされても何のことか分からなかった。そのすぐ後にまたもう一人の伯父が亡くなり、ようやく死の意味を知った。
死んでしまうと、二度と会えなくなるのだと。
穏やかだった父の顔が険しくなり、訪ねてくる祖父と言い争いをする姿を何度も見た。怯える僕に、母が、
「二人とも、お互いに自分の大切なものを……患者さんやね社員の皆さんを守ろうと必死なのよ。私利私欲で喧嘩しているのではないから、怖がることはないわ。大丈夫」
と優しく教えてくれた。
難しすぎて、その時はよく分からなかったけど、とにかく「大丈夫なんだ」とホッとした。
そんなやり取りがしばらく続いた後(五歳の自分には永遠にも感じられたけど、多分一ヶ月かそこら後)、苦虫を潰したような顔をした父と真顔の祖父の前に立たされた。
「幹人、お前、爺さんの会社を継ぐか?」
父は祖父の隣から僕の顔を見つめていて、その視線の悲壮感で穴が開きそうだと思ったくらいだし、祖父は祖父で僕の目を超絶真顔でジッと見つめて来た。
初孫の僕を祖父はいつも可愛がってくれていた。甘い祖父だったと思う。家業であった牧村商事に関わらない父の元に生まれた僕は、いわゆる外孫のようなものだった。難しい話もされたことはなかったし、とても自由に育てられた。
父はおそらく自分と同じように、僕にも好きなことをさせたいと思っていたのだろう。だからこそ、あの日の父はあそこまで悲壮感漂わせていたのだと思う。
「爺さんの会社はな、色んな国と取り引きしてるんだぞ? 幹人は海外旅行が好きだろう? きっと面白いぞ?」
取り引きって言葉自体が分からなかったけど、海外旅行には毎年連れて行ってもらっていたし外国は好きだった。
「どこの国?」
「色々だ。幹人が好きなタイもベトナムも中国も、後アメリカやイギリス、フランスなんかも。世界中だ」
「アフリカも!?」
まだ行ったことがない、いつか行ってみたい国。その時はアフリカと一言にいってもいくつもの国に分かれてはいることすら知らなかった。
「ライオンとかキリンとかいるんでしょう?」
「ああ、いるぞ。もちろんアフリカも行けるぞ」
「遊びに行けるの?」
「幹人、遊ぶだけじゃなくて仕事で行けるんだぞ」
「おしごと?」
「ああ。アフリカの国の人たちが、毎日綺麗な水を飲んで元気に生活できるようにするお手伝いができるんだぞ?」
その頃好きだった絵本にどこかの団体の活動を描いたものがあった。井戸を掘ったりトイレを作ったり産業を起こしたり。思えば、あの絵本は祖父がプレゼントしてくれたものだった気がする。
多分、くれた時にはこんな話しにつながる予定はなかったのだろう。だけど、祖父の話はアフリカという遠い国に興味津々だった僕には効果満点だった。
「スゴイ! おじいちゃん、スゴイね!」
その時の僕の目は輝いていたと思う。
「どれ。写真を見せてあげよう」
「写真?」
「爺さんがアフリカに行った時の写真だよ」
「おじいちゃん、行ったことあるの!?」
「もちろんだとも」
その後、祖父の膝の上でアフリカだけじゃなくたくさんの写真を見せられた。舗装されていないアフリカの田舎道、ヨーロッパの古い街並みに溶け込む店舗、高層ビルの立ち並ぶニューヨークの摩天楼を背景にした大きな看板、タイの真新しいオフィス、インドネシアの建設現場……。
祖父は分かりやすい言葉で、そこで祖父が、祖父の会社が何をしたのかを教えてくれた。
「爺さんの会社を継ぐかい?」
「うん。つぐ!」
跡を継ぐという意味などまったくわからないままに、その日、僕は祖父の跡取りになると自分で決めた。
お家騒動の最中には一切口を挟まなかった母が、この時になって初めて一つだけ条件を出したと言う。
「結婚相手は幹人が決めること。どんな相手でもどんな出自の人でも幹人が選んだのなら受け入れること」
たった五歳で将来の選択をした僕に、せめて生涯の伴侶の選択権をと思ったらしい。
祖父は母の言葉を受け入れた。
そして、それから間もなく僕たち家族は祖父の家に引っ越した。
色んなことを言ってくる人がいる。ちゃんとした相手を与えておいた方が良いとか、親の息のかかったプロを当てがっておいた方が安心だとか。
そう言うのは家族全員で笑いながら全て無視した。
「人を見る目は養いなさいね。でも、あなたが生涯のお相手として選んだのであれば、どんな方でもわたくしたちは受け入れ祝福するわ」
母はいつもそう言っていた。
高校生、そして大学に入ったくらいまでは割と自由に付き合ったり別れたりもした。親が決めた相手もこういう出自の相手でという暗黙の了解もなかったから自由だったし、とにかく付き合ってみなければ分からないとも思っていた。
だけど、大学の途中で牧村商事に出入りするようになると否応なしに慎重になった。親経由ではなく僕自身に直接寄ってくる蝿のような人間が増えたのだ。
政略結婚を持ちかけてくる相手も多かった。すり寄ってくる相手もいれば色仕掛けも多く受けた。
結果、社会人になる頃には決まった相手を持つことはなくなり、海外駐在の間には付き合った相手もいたが、それもすぐに終わった。
違う。この人じゃない。
その感覚がいつも付きまとっていた。
そのせいか、いつだって長くは続かなかった。
二十九歳の時に祖父から社長業を譲られた。社長になった後も、数年の間、祖父は会長として陰に日向に色んなことを教えてくれた。
去年、祖父が亡くなった。最期まで、結婚しろとは一度も言われなかった。
「幹人はどんな人と結婚するんだろうな?」
と聞かれることはあったけど。
後悔があるとしたら、祖父に結婚相手を紹介できなかったことと、ひ孫を見せてあげられなかったこと。三十そこそこで結婚していれば見せられたかも知れない。
だけど出会えなかったのだから仕方ない。
母がもぎ取ってくれたこの権利、しっかり行使するつもりでいるのだけど、真面目に考え過ぎているのか逆に相手が見つからない。
いつか出会えるだろうから。とにかく四十までは待ってください。と、心の中で呟く。
もし、四十になっても見つからなかったら考え直そうと思っている。ここで牧村の血を途切れさせる選択はできない。そこまで引きずればさすがに妥協できるのではないかと思っていた。
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