小公女リゼットは、魔法の装丁と謎がお好き?

雨色銀水

文字の大きさ
上 下
20 / 31
異章「真実のよすがは閉じた目では見えない」

1.「――お前は、だれだ」

しおりを挟む
 小公女は軽やかに道を走っていく。

 踊るような足取りは、後ろに続くものに対する配慮など忘れたかのようだった。いや、単についてくることを疑っていないだけか――クライドは内心で苦笑いする。

 あんな風に歩ける丈夫な体はとてもうらやましい。何のためらいもなく門扉を叩ける大胆さや社交性も。自分には何一つないもので、たまに見ていると嫌になる。

「クライド師匠! 鉄工所ってここですよね?」

 小公女は不意に脚を止めると、目の前を指さす。上がり始めた息を整え、クライドはのろのろと顔を上げた。扉の脇に飾られたプレートには『ソレル鉄工所』の文字が刻まれている。

「そうだな。ここがソレル最大の炉を有する鉄工所だ」

 石造りの壁で囲まれた建物は、他と比べても物々しいほど頑丈そうなつくりをしている。中にある炉の火力がそれだけ強いのだろう。鉄製の扉から奥の様子はうかがえないが、ところどころにある窓を見れば、赤々とした光がもれだしている。

「なるほど! じゃあ、とりあえず誰かに声をかけてみましょう! すみませーん!」
「って、おい! いきなりだな! さすがに普通の鍛冶屋とは規模が違う。そうやすやすと中に入れるはずが」

 クライドが制止したところで、簡単に止まるようでは小公女とは言えない。彼女は何のためらいもなく扉をたたくと、まるで自分の家のようにノブをひねる。するとまずいことに、施錠されていなかった扉が音を立てて開かれてしまう。

「あれ、開きましたよ?」
「開いたんじゃなくて開けたんだろそれ。鍵かけてないのか? 不用心だな」
「そうですねぇ。まったくもって不用心です。……はっ。もしかして私たちより先に、勝手に入った人が!? まずいです、追いかけないと!」
「どういう発想だよ! もしそうだったとしても、俺達には関わりない話だろ!」

 なるべく面倒ごとは避けたいのがクライド本来の思考だ。にもかかわらず、小公女は構わず鉄工所内に突撃していってしまう。取り残される形になったクライドに、魔法装丁の風と水がふわりと寄り添う。

『きゅうん……』
「ん? ……なんだよ、まさかあれを追いかけろって? まったく、お前たちも感化されやすい性質だな」
『クォン!』

 宙に浮かんだ水の魔法装丁から、青い小型犬のような化身が顔を出す。明らかに不服そうな様子だが、クライドのためらいを捨てさせるには十分だった。

「仕方ない、あのまま放っておいて何かあったら俺の責任……のような気がしてしまう。追いかけるか……」

 自分も大概感化され過ぎだ。苦い笑いを浮かべながらも、クライドの顔は自然と前を向いていた。小公女の消えた扉をくぐり、さらにその先へ。

 扉をくぐると、むっとする熱気が押し寄せてきた。設備は稼働中のようだが、不思議と人気は感じられない。だが、その状況に反して、鉄工所中央の高所に設置された炉からは強い熱気と赤い光、そして溶けた鉄の輝きが放たれている。

「炉が稼働している……? 何で誰もいなんだ」
「クライド師匠―! こっちです! こっち!」

 楽しげな声に顔を上げれば、小公女が炉の側面に設置された鉄骨の廊下から手を振っている。いつの間にあんな所まで行ったのだろう。行動力に呆れ果てると同時に、やはりそれが少しだけうらやましくもある。

「ばか、なんでそんな高いとこまで行った! 戻ってこい!」
「えー。どうしてですか! せっかくここまで来たんだから、師匠も一緒に見ましょうよ! ちょっと熱いけど、星みたいなのがキラキラしててきれいなんですよ」
「星みたいなの……?」

 なんのことだろう。火花とかではないのだとしたら、まさか魔法装丁の発しているものか? 風や水を見上げても、二体の魔法装丁は困惑したように漂うだけだ。いつもながらに彼らはあてにならない。そもそも魔法装丁は曽祖父の制作物だから、その残りかすのような力しか持たないクライドには扱いきれないものなのかもしれない。

「くそ」

 誰にともなく毒づいて、クライドは炉に続く階段を上り始める。かつかつと鋼鉄の階段を踏みしめていると、自分がどうしてこんなところにいるのかわからなくなる。何もなければ装丁の仕事をしながら図書館の管理をして、悠々と過ごせているはずだった。

「クライド師匠! はやくはやく!」

 小公女が手を振るのを見ていると、思わず張り倒したくなる。こんな状況になっているのは他ならぬあの少女のせいだし、クライドはどちらかというと彼女が巻き起こす嵐に巻き込まれた口だ。ゆえに恨み言くらい言ってもばちは当たらないと思う。だが、彼女も必死に努力して事態を挽回しようとしていることを知っているから、いざ目の前に立つと何も言えなくなる。

 理不尽だ。息を切らし階段を上り、毒を吐く。理不尽だと言いつつ、今回の険で最も割に合わない役目を押し付けられたのが小公女だということも理解していた。

 小公女は蜘蛛にからめとられた蝶だ。何者かによって魔法装丁の事件に組み込まれた哀れなエキストラ。本来は一番無関係で無害な立ち位置にいたはずなのに、最後には主役級に祭り上げられている。

「クライド師匠、もうちょっとです! がんばってください!」

 それなのに彼女は、誰よりもまっすぐに事件へと立ち向かっている。そのことがひどく滑稽で、愚かしくて――それでも人間としてはとてつもなく善良にして最良の部類だとわかっている。こんな怠惰で役立たずの自分にさえ、小公女は手を差し出してくれるのだから。

「息も絶え絶えじゃないですか! しっかりしてください!」
「うるさい。お前みたいに頑丈なやつには、この俺の想いは理解できない」

 巨大な炉の脇に設置された廊下の真ん中に倒れ込んで、クライドは浅い息を繰り返した。直線距離ならそこまでの長さはなくとも、階段でぐるぐると遠回りさせられれば自然とこうなる。自身の体力のなさを嘆きつつ、クライドは大きく息を吐いて体を起こす。

「で? 星みたいなのってどこにあるんだ?」
「あ、それなら……炉の奥の方にですね、きらっとしたものが」

 小公女は炉を指さす。赤々とした光と溶けた鉄が奇妙な輝きを周囲に投げかけている。炉に近づくだけで恐ろしいまでの熱気が襲ってきて、クライドは一瞬、近づくのを躊躇した。

「よくこんなところを覗けたな、お前……」
「えへへ、これはもうあれです! 根性です! さ、クライド師匠も頑張って!」
「頑張る方向性が違う気がするが」

 背後でエールを送ってくる小公女は無視して、クライドは手すりから炉の奥を覗き込む。どろどろとした金属の液体が波打ち、火花がいくつも散る。しかし彼女が言うような星のようなものは見えない。もっと奥だろうか? さらに身を乗り出した、その時だった。

『きゅうぅんっ!』

 肩の上で風の化身が強く跳ねた。切羽詰まったその響きに、思わず肩越しに振り返る。するとそこにはこちらに手を伸ばしたまま停止している小公女がいて――。

「――――」

 赤い光に照らされ、小公女のふんわりとした金髪も赤銅色に変わる。ほんの少しだけ首をかしげて視線を合わせると、彼女は仮面のようなアルカイックスマイルを浮かべた。

「どうしたんですか、クライドさん」
「………お前は、だれだ」

 炎に照らされた小公女は、澄んだ『銀色』の瞳をこちらに向けてくる。クライドはゆっくりと彼女に向き直りながら、わずかばかりの微笑みを浮かべた。

「どうも。初めましてかな、見知らぬ人。俺に何の用だ」

 変化は瞬きするより早かった。仮面の笑みを消した小公女の姿をした何者かは、にこりと笑って優雅に礼をした。

「お初にお目にかかります、魔法装丁師殿。僕の名前は『オーレン』。しがない魔法使いの末裔です。あなた様の持つ魔法装丁を頂きに参りました」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】平民聖女の愛と夢

ここ
ファンタジー
ソフィは小さな村で暮らしていた。特技は治癒魔法。ところが、村人のマークの命を救えなかったことにより、村全体から、無視されるようになった。食料もない、お金もない、ソフィは仕方なく旅立った。冒険の旅に。

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

聖女を騙った少女は、二度目の生を自由に生きる

夕立悠理
恋愛
 ある日、聖女として異世界に召喚された美香。その国は、魔物と戦っているらしく、兵士たちを励まして欲しいと頼まれた。しかし、徐々に戦況もよくなってきたところで、魔法の力をもった本物の『聖女』様が現れてしまい、美香は、聖女を騙った罪で、処刑される。  しかし、ギロチンの刃が落とされた瞬間、時間が巻き戻り、美香が召喚された時に戻り、美香は二度目の生を得る。美香は今度は魔物の元へ行き、自由に生きることにすると、かつては敵だったはずの魔王に溺愛される。  しかし、なぜか、美香を見捨てたはずの護衛も執着してきて――。 ※小説家になろう様にも投稿しています ※感想をいただけると、とても嬉しいです ※著作権は放棄してません

「白い結婚の終幕:冷たい約束と偽りの愛」

ゆる
恋愛
「白い結婚――それは幸福ではなく、冷たく縛られた契約だった。」 美しい名門貴族リュミエール家の娘アスカは、公爵家の若き当主レイヴンと政略結婚することになる。しかし、それは夫婦の絆など存在しない“白い結婚”だった。 夫のレイヴンは冷たく、長く屋敷を不在にし、アスカは孤独の中で公爵家の実態を知る――それは、先代から続く莫大な負債と、怪しい商会との闇契約によって破綻寸前に追い込まれた家だったのだ。 さらに、公爵家には謎めいた愛人セシリアが入り込み、家中の権力を掌握しようと暗躍している。使用人たちの不安、アーヴィング商会の差し押さえ圧力、そして消えた夫レイヴンの意図……。次々と押し寄せる困難の中、アスカはただの「飾りの夫人」として終わる人生を拒絶し、自ら未来を切り拓こうと動き始める。 政略結婚の檻の中で、彼女は周囲の陰謀に立ち向かい、少しずつ真実を掴んでいく。そして冷たく突き放していた夫レイヴンとの関係も、思わぬ形で変化していき――。 「私はもう誰の人形にもならない。自分の意志で、この家も未来も守り抜いてみせる!」 果たしてアスカは“白い結婚”という名の冷たい鎖を断ち切り、全てをざまあと思わせる大逆転を成し遂げられるのか?

処理中です...