小公女リゼットは、魔法の装丁と謎がお好き?

雨色銀水

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第二幕「災厄の魔法装丁は街の影に潜む」

7.すべては祭りの後始末のように

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 夕刻に差し掛かり、噴水公園にもやっと平穏な時間が戻りつつあった。

「それではリゼット様、今回の件にかかわる諸経費につきましては、後ほど書面にてお送りさせて頂きます。届きましたら、対応の程よろしくお願いいたします」

 リゼットは屋台の元締めの女性と一緒に、今回発生した物損の補償などについてのやり取りを行っていた。本来ならば大公家直属の政務官が出向くような案件ではあったが、ソレル大公は静観を決めているらしい。結果、リゼットは不慣れながらも人々との折衝をこなすことになっていた。

「はい、こちらこそよろしくお願いします。あ、お酒関係の請求については、公女宛にしてください。その方が迅速に対応できるかと思います」
「畏まりました。それでは今日のところはこれにて」

 てきぱきと、というほどではないにしろ、何とか元締めとの話をつけ終わる。リゼットが内心ほっと息を吐き出していると、元締めは暗くなり始めた空に目を細めた。

「お帰りの際、護衛などは必要ですか? 夜道は何かと物騒ですし」
「だ、大丈夫です。一応、わたしの周囲に目を配ってくださっている方はいますので!」

 護衛などという物々しい言葉に、リゼットは両手を振って断りを入れる。元締めの心配は当然のことではあったが、いくらリゼットが奔放であっても、ソレル大公が何の守りもつけないわけはなかった。

「そうなのですか? では、リゼット様、どうぞお気を付けてお帰りくださいませ」

 元締めは腑に落ちない顔をしたものの、頭を下げてその場から去っていった。今度こそリゼットは大きなため息をつく。疲れた、とても疲れた。もう帰りたい。

「ずいぶんなため息だな。さすが小公女はため息も一味違う」
「クライド師匠。生き返ったんですね」

 向けられた皮肉にもリゼットが笑顔を返すと、クライドは少しだけ肩をすくめて鞄を手渡してくる。ありがたく鞄を受け取ると、中から緑色のリスっぽい生き物が顔を出す。

「とりあえず、今日わたしの方でできることは終わりましたよ。結構疲れましたけれども」
「そうか、お疲れさん。ところで服は着替えなかったのか。まだ湿っぽそうだが」
「いやぁ、服は用意していただいたのですが、着替える時間が惜しくてですね。そういうクライド師匠だって、びしょびしょじゃないですか」
「ふん、小公女様と違って、どこの馬の骨とも知らぬ装丁師に替えの服なんて用意してくれる奇特な人間はいなくてな。まあいいさ、全部終わったんならさっさと帰るぞ」

 言いつつ、クライドは背を向ける。寒そうに肩をすくめる様子で、彼が長い間待ってくれていたのだと気づく。言葉は不器用だし態度も悪いが根は優しい人なのかもしれない。

「にゃ! 主さま、帰るのかにゃ! 置いてかないでにゃ!」
「猫ちゃん帰っちゃうの? また遊ぼうね!」
「にゃ! またにゃ、リマラにゃ!」

 リマラと猫が別れの挨拶をする横で、母親である女性はにこにこと笑顔を浮かべている。リゼットはリマラの母親に歩み寄ると、丁寧にお礼を述べた。

「今日は本当にいろいろありがとうございました。クライド師匠のことだけじゃなく、お酒を集めることにも協力して頂いて。すごくすごく助かりました」
「いえいえ、こちらこそ。小公女様のお力になれてとても光栄でしたわ。あなた様が頑張っている姿を見ると、いつだって心が温かくなりますもの」
「そ、そんな風に言ってくださると照れますね……。って、あれ? もしかして最初からわたしが小公女だって気づいてたんですか?」
「ふふ、さあ? どうでしょう。何にしても、いつだって私は小公女様の味方です。もし何かお力になれることがあれば、声をかけてくださいね」

 そんな温かな言葉を残し、リマラと母親は去っていった。リゼットは仲の良い親子の後姿を見送りながら、ふと頭の斜め上を見上げた。

「……まだご機嫌斜めですか? 『水の烙印』さん」
『クゥウウ』

 水の色を映す装丁本は、不機嫌そうにその場で上下する。恐らくこの本にも風と同じような化身が宿っているはずだが、まったく姿を現そうともしない。

「わたしのところが嫌なら、クライド師匠のところに行ってもいいのですよ。無理強いはしませんし」
『クゥウウウ! クウ!』

 どうやら抗議されている。しかしながら、いつまでも宙に浮かんだ装丁本を連れ歩くわけにもいなかない。リゼットがためらいがちに手を伸ばすと、魔法装丁はびくりと震える。

『クゥウウ……』

 装丁本にも葛藤があったのだろうか。しばらく上下した後、青い色を放ちながら魔法装丁はリゼットの手の中に舞い降りてきた。

「観念したんですかね」

 そっと表紙をなぞるだけで、バタバタとページを揺らす。従うつもりはなさそうだが、それ以上の抵抗をするつもりもなさそうだった。苦笑いしながらリゼットが装丁本を鞄に収めると、背後から肩に手を置かれた。

「おい」
「ひゃあっ!」

 ばね仕掛けのように振り返れば、そこに立っていたのは帰ったはずのクライドだった。驚いた反動でリゼットは思わずその脛を蹴り上げる。

「ぎゃ! ば、ばかやろう! 明らかに確認してから攻撃しただろ!」
「お、驚かせるほうが悪いんです~! それより帰ったんじゃなかったんですか」
「あ、ああ。まあな……ちょっと」

 脛をさすりながら、クライドはひどく言いづらそうに視線をさまよわせる。クライドらしくもなく何を迷っているのだろう。不思議に思ってリゼットが顔を覗き込んだ瞬間、強い輝きを宿した黒い瞳と目が合った。

「まだ礼を言っていなかったと思って。今回のこと」
「? 礼、ですか? 何に関しての?」
「何って……いろいろだよ。今回はお前の協力がなければ、どうやったって解決することができなかった。だからその、あの……」
「? 何です?」
「だ、だから! 察しろよ!」
「えー。さすがに何だかわかりませんよ、それじゃ」
「くっ」

 観念したのか、クライドはまっすぐにリゼットを見つめた。深くて暗い夜のような色をしているのに、彼の目はひどく純粋に透き通っている。ただそれだけのことだったが、不可思議な思いが胸に広がる。なぜだろう。この目を嫌いになることは、たぶんできない。

「……ありがとう。お前がいてくれなければ、何も変えられなかった。俺の力だけでは届かなかった願いを叶えてくれて、本当に感謝している」
「クライド師匠……」
「と、それだけ! 面倒くさかったら忘れろ! と、とりあえずまた今度な!」

 耳まで真っ赤になって、装丁師クライドは風を切って去っていく。あの勢いで走って転ばなければいいけれど。そう考えた矢先に、黒い背中は思いっきりつんのめる。

「ふふ、ありがとう。かぁ」

 たった一言の何でもない言葉が、これほど嬉しいなんて思わなかった。リゼットは楽しげに鞄を揺らしながら、家路をたどり始める。

 こんなに嬉しいのはきっと、他でもないクライドがくれた言葉だからに違いない。やっと認めてくれた。そのことが嬉しくて、自然と笑顔になっていく。

「ふふ」
「何だか楽しそうだね、リゼットさん」

 不意に呼びかけられ、笑顔もそのままにリゼットは振り返った。視線の先に立っていたのは、見慣れた銀色の色彩を持つ古書店店主――オーレンは、どこか満足そうな様子でこちらを見つめていた。

「オーレンさん! 今お帰りですか?」
「そうだよ。リゼットさんも帰るところかな? 良ければそこまで一緒に帰らないかい?」
「もちろん喜んで!」

 オーレンはリゼットに笑いかけ、何気ない様子で隣に並ぶ。ゆっくりと歩き出した二人は、同じように暗くなり始めた空を見上げた。

「今日はいろいろあったみたいだね。疲れてはいないかい?」
「んー、そんなこと……と言いたいところですが。やっぱり疲れました。戦ったことよりも、そのあとの交渉ごとの方が疲れた感じです」
「へえ、そうなのかい? しっかりできていたと思ったけど」
「そう思ってもらえたなら良かったです。だけどまだ、わたしも修行が足りませんね」

 他愛ない会話は夜へ向かう道筋に流れては消えていく。西へと落ちていく太陽が今日最後の光を地平に投げかければ、すぐさま夜が訪れる。一日の終わりが寂しく感じるのはきっと、それだけ今日という日が充実していたからなのだろう。

「そういえば、リゼットさんと一緒にいた彼。仲は良いのかい?」
「クライド師匠のことですか? 仲が良いというか、どっちかっていうと犬猿の仲ですかね。師匠は師匠なだけあって、態度がでかすぎると言いますか」
「なるほどね。いくら彼が『装丁師』であったとしても、君と常に気が合うというわけではないのか」
「そうなんですよ! クライド師匠が装丁師でなければ、わたしだって――」

 リゼットははたと動きを止める。何か今、違和感のある言葉があったような。首を傾げたリゼットに、オーレンは微笑みを浮かべながら一冊の装丁本を差し出す。

「はい、頑張ったリゼットさんにプレゼント」
「へ。……ほ、ほぉおおおおっ! こ、この装丁本は、う、麗しい……!」

 オーレンの手から本を受け取り、リゼットはいつものように頬ずりを――しなかった。ぐっと衝動をこらえ、そっと手で表紙をなぞりながら長い息を吐き出す。

「あれ、頬ずりしないのかい?」
「え、ええ。やっぱり、頬ずりなんてすると装丁が痛むので……ああっ、だけどこの思いをどう発散したら!」
「何だか悩ましいことだねぇ。っと、そろそろ分かれ道だ」
「あ、はい。気づいたら着いちゃってました」

 それぞれの家路へと向かう道に立って、二人は別れのあいさつを交わす。激しく過ぎていった一日にしてはとても穏やかな終わり方だった。

「じゃあ、まだね。リゼットさん。君の師匠にもよろしく」

 最後に微笑みを向けて、オーレンは去っていく。やはり、オーレンはいつだってリゼットの理解者なのだろう。もう一度だけ頭を下げると、彼は気づいたように手を振り返してくれた。

 オーレンを見送り、リゼットはプレゼントしてもらった本に目を落とす。渋めの赤色で染め抜かれた革表紙のタイトルは『ダリアの乙女』だった。華やかな花の装丁に笑顔を落とし、リゼットは再び前を向く。

「さて、わたしも帰りますか!」

 こうして、リゼットの一日は終わる。軽快な足音をあとに残し、小公女は自らが返るべき場所へと戻っていった。



 第二幕――了
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