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第二幕「災厄の魔法装丁は街の影に潜む」
2.魔法の残り香と道標を探して
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「それで、どこから始めるんです?」
リゼットは石畳を踏み鳴らしながら、その場でくるりと回転した。古書街から続くこの通りは、北上すれば商業区へ、南下すれば港湾区へとたどり着く。
「ここからなら、港湾区か商業区かのどちらかだろう。だがま、むやみやたらに歩き回ったところで、何かつかめるとは思わないが」
後ろを振り返ると、のろのろとした足取りでクライドと猫が歩いてくる。わずかな距離を進んだだけなのに、どういうわけか彼らはひどく疲弊していた。
「む、じゃあどうするんです? 道標があるとでも?」
「そんな都合の良いものは、ない! と言いたいところだが、実はちょっとしたあてはある」
肩で息をしながら、クライドはリゼットに歩み寄ってくる。やたらに呼吸が荒いと、不審者のように見えてしまうのはなぜだろう。作業着に黒いジャケットをひっかけただけの姿だから、余計にそう思うのだろうか?
「クライドさん、なんでそんなにはあはあ言ってるんですか?」
「疲れたんだよ! 普段そんなに移動しないし……って、それはいいんだ。それより小公女、魔法装丁を出してみろ」
促されるままに、リゼットは魔法装丁を取り出す。するとリスっぽい生き物が装丁から顔を出し、リゼットたちを不思議そうに見つめる。
「出しましたけど。この後どうするんです?」
「まあ待て。……風、残りの魔法装丁の方向を予測。――『Forecast』――」
フォーキャスト。クライドが呟いた瞬間、風の生き物は耳をぴんと立て、静かに目を閉じる。そしてゆっくりとしっぽを揺らし、一声鳴いたと思えば宙に飛びあがった。
『きゅうん!』
くるりん。宙で回転した生き物から光の塊が舞い上がる。輝く光は周囲を旋回したあと、空へと浮かび上がった。リゼットの視線の先で塊は激しく発光し、高い音を響かせ二方向に飛び散っていった。
「北東と南西。見事に逆方向だな」
「今の光で何がわかったんです?」
「魔法装丁が今いるおおよその方角。北東の方が若干、反応が強かったように思えるな」
クライドは光が消えていった方向に目を凝らす。リゼットも同じ方向を見つめ、頭の中にソレルの地図を思い描く。現在地はソレル中心部近くの古書街。そこから北東といえば――。
「ここから北東というと……商業区と歓楽街の境目あたりでしょうか。屋台がたくさん出店している一角で、ソレル名物大噴水がある公園もあります」
「よくぱっと出てくるな。俺はまったく位置関係がわからなかったのに」
「ふふふ、一応、このソレルを治める大公の娘ですからね! あ、ちなみに南西には鍛冶屋街がありますよ!」
小公女を名乗るだけあって、ソレルの街区配置はおおむね把握できている。得意げに胸を張るリゼットに、クライドはジトっとした目を向けた。
「すいませんね。出不精の装丁師は街のことなんか興味ないから、なにもわからなくてさ」
「悪いことなんか何もないですよ。わからないことはこれから知っていけばいいだけです。さ、まずは行き先を決めてサクッと歩きましょう!」
「い、いちいちむかつくな、こいつ……。ま、とにかく目指す先は北東だ。魔法装丁の近くにきたら、風が教えてくれる。お前は反応をよく見ていろ」
「わかりました! それでは行きましょう。クライド師匠、あとは……あれ? 猫は?」
リゼットが周囲を見回すと、街路樹の陰に猫が横たわっていた。完全に力を失った尻尾が小さく地面を打ち、金色の目が恨めしそうにリゼットを見上げる。
「おいら、もう疲れたにゃ~」
「だめです! 今はソレルの一大事! 猫の手でも借りなければ事態を収束することはできません。動けないなら背負っていきますよ!」
「にゃにゃ!? 鬼にゃ! 変態にゃ! 小公女許すまじにゃ~!」
暴れる猫を背負い、リゼットは拳を突き上げ前へと進む。頑張ればきっと、どんな事態でも解決できる! 意気揚々と進む小公女の背中に、クライドの暗い声がぶつかった。
「無茶苦茶な……先行きがかなり不安だぞ」
「クライド師匠、なにしてるんですか! 早く早く!」
「あーもう! わかったよ! お前はちょっと落ち着け!」
振り返って手を振れば、クライドはのろのろと駆け出す。この状態で無事に商業区までたどり着けるのか。疑問は残ったものの、リゼットは猫を背負ったまま走り出した。
――しばし後。
商業区中心部、交易市場にて。
石造りの門を抜けると、その先には人々で賑わう市場が見えてくる。
呼び込みの声が響き、いくつもの屋台が道の両端に立ち並んでいる。香辛料や肉を焼くにおいが周囲に流れ、リゼットの背中で猫は軽く身を乗り出す。ふとそばを見れば、鉄板の上でソースの絡まった麺類が焼かれている。その隣では、串に刺さった肉が香ばし色に染まっていた。どれを見てもお腹がすく光景だった。
リゼットは市場をゆっくりと見まわし、変わらぬ賑わいに笑みを浮かべる。普段通りの様子がとても愛おしい。露店に並んだ銀の装飾品や色とりどりの布、珍しい植物の数々は交易都市ならではの品ぞろえだ。色彩豊かなそれらを眺め、何気なく傍らのクライドに目を向ける。
「どうですか、クライド師匠。何か感じます?」
「……う、うう……」
道の端っこで、クライドはうずくまり頭を抱える。はた目から見ても具合が悪そうだ。さすがに心配になって、リゼットはそっと顔を覗き込む。
「……大丈夫なんです?」
「大丈夫じゃねぇ……もう限界。人いっぱい気持ちわる」
クライドは青白い顔で口に手を当て、さらに体を小さくする。今にもいろいろ限界を超えてしまいそうな様子に、リゼットはきょろきょろと視線を動かす。
「待ってくださいね? どこか休めそうなところを」
「急ぐにゃ! しっかりするのにゃ、主さま!」
猫が肩の上で主人にエールを送る。こんなことなら、猫ではなくてクライドを背負ってきた方が良かっただろうか。今更ではあるが、ちょっと後悔をする。
「えーと、休めそうな場所……さ、さすがにこんな道の真ん中にはありませんよねぇ」
悠長なことを言っている暇はなさそうだった。いよいよクライドの顔色は青を通り越して紫に近づいている。困った。これは小公女権限を使って助けを求めるしかない?
「あんまりやりたくないんですけどねぇ。そうも言っていられませんか」
「早くするにゃ、小公女! 主さまが……!」
「う、うーん。仕方ないですね。……えーと、すみません! 助けてください!」
ひとまず、目の前を通り過ぎていく人に声をかける。だが、人々は視線を向けはすれども、面倒ごとの気配を感じ取っては遠ざかっていく。やはり小公女の名を出すべきか。
リゼットはため息と一緒にためらいを吐き出した。人助けのためなら、父も文句は言うまい。大きく息を吸い、名乗りを上げようとしたその時だった。
「あの、何かお困りですか?」
「はへ?」
気づけば、リゼットの前に一組の親子が立っていた。ふっくらとした体格の優しげな茶色の瞳をした母親と同じ目の色をした女の子。二人は気づかわしげにこちらを見つめている。
こんな状況では渡りに船だ。リゼットは力強くうなずくと、親子に助けを求めた。
「あ、あの……実はわたしの師匠の具合が悪くてですね。少し休める場所を探しているんです」
「あらまあ、それは大変。でしたらこちらへ……リマラ?」
母親に呼び掛けられた女の子は、飛ぶような足取りで駆け寄ってくる。そしてきらきらした目でリゼットを見上げると、嬉しそうに両手を差し出してきた。
「やっぱりあのときの! つよーいおねえちゃんだ! えへへ、また会えてうれしい!」
「え、えぇ?」
誰だったっけ? 困惑していると、視界の端でオーレンからもらったダリアのリボンが揺れる。その瞬間、頭の中に風と戦った日の光景が閃光のように蘇ってきた。
「あ……もしかして、古書街でオーレンさんと一緒にいた!」
「そうだよ! もー、忘れちゃってたのー!?」
風との戦いの日に出会った女の子――リマラは、呆然と立ち尽くすリゼットに飛びついてきた。
リゼットは石畳を踏み鳴らしながら、その場でくるりと回転した。古書街から続くこの通りは、北上すれば商業区へ、南下すれば港湾区へとたどり着く。
「ここからなら、港湾区か商業区かのどちらかだろう。だがま、むやみやたらに歩き回ったところで、何かつかめるとは思わないが」
後ろを振り返ると、のろのろとした足取りでクライドと猫が歩いてくる。わずかな距離を進んだだけなのに、どういうわけか彼らはひどく疲弊していた。
「む、じゃあどうするんです? 道標があるとでも?」
「そんな都合の良いものは、ない! と言いたいところだが、実はちょっとしたあてはある」
肩で息をしながら、クライドはリゼットに歩み寄ってくる。やたらに呼吸が荒いと、不審者のように見えてしまうのはなぜだろう。作業着に黒いジャケットをひっかけただけの姿だから、余計にそう思うのだろうか?
「クライドさん、なんでそんなにはあはあ言ってるんですか?」
「疲れたんだよ! 普段そんなに移動しないし……って、それはいいんだ。それより小公女、魔法装丁を出してみろ」
促されるままに、リゼットは魔法装丁を取り出す。するとリスっぽい生き物が装丁から顔を出し、リゼットたちを不思議そうに見つめる。
「出しましたけど。この後どうするんです?」
「まあ待て。……風、残りの魔法装丁の方向を予測。――『Forecast』――」
フォーキャスト。クライドが呟いた瞬間、風の生き物は耳をぴんと立て、静かに目を閉じる。そしてゆっくりとしっぽを揺らし、一声鳴いたと思えば宙に飛びあがった。
『きゅうん!』
くるりん。宙で回転した生き物から光の塊が舞い上がる。輝く光は周囲を旋回したあと、空へと浮かび上がった。リゼットの視線の先で塊は激しく発光し、高い音を響かせ二方向に飛び散っていった。
「北東と南西。見事に逆方向だな」
「今の光で何がわかったんです?」
「魔法装丁が今いるおおよその方角。北東の方が若干、反応が強かったように思えるな」
クライドは光が消えていった方向に目を凝らす。リゼットも同じ方向を見つめ、頭の中にソレルの地図を思い描く。現在地はソレル中心部近くの古書街。そこから北東といえば――。
「ここから北東というと……商業区と歓楽街の境目あたりでしょうか。屋台がたくさん出店している一角で、ソレル名物大噴水がある公園もあります」
「よくぱっと出てくるな。俺はまったく位置関係がわからなかったのに」
「ふふふ、一応、このソレルを治める大公の娘ですからね! あ、ちなみに南西には鍛冶屋街がありますよ!」
小公女を名乗るだけあって、ソレルの街区配置はおおむね把握できている。得意げに胸を張るリゼットに、クライドはジトっとした目を向けた。
「すいませんね。出不精の装丁師は街のことなんか興味ないから、なにもわからなくてさ」
「悪いことなんか何もないですよ。わからないことはこれから知っていけばいいだけです。さ、まずは行き先を決めてサクッと歩きましょう!」
「い、いちいちむかつくな、こいつ……。ま、とにかく目指す先は北東だ。魔法装丁の近くにきたら、風が教えてくれる。お前は反応をよく見ていろ」
「わかりました! それでは行きましょう。クライド師匠、あとは……あれ? 猫は?」
リゼットが周囲を見回すと、街路樹の陰に猫が横たわっていた。完全に力を失った尻尾が小さく地面を打ち、金色の目が恨めしそうにリゼットを見上げる。
「おいら、もう疲れたにゃ~」
「だめです! 今はソレルの一大事! 猫の手でも借りなければ事態を収束することはできません。動けないなら背負っていきますよ!」
「にゃにゃ!? 鬼にゃ! 変態にゃ! 小公女許すまじにゃ~!」
暴れる猫を背負い、リゼットは拳を突き上げ前へと進む。頑張ればきっと、どんな事態でも解決できる! 意気揚々と進む小公女の背中に、クライドの暗い声がぶつかった。
「無茶苦茶な……先行きがかなり不安だぞ」
「クライド師匠、なにしてるんですか! 早く早く!」
「あーもう! わかったよ! お前はちょっと落ち着け!」
振り返って手を振れば、クライドはのろのろと駆け出す。この状態で無事に商業区までたどり着けるのか。疑問は残ったものの、リゼットは猫を背負ったまま走り出した。
――しばし後。
商業区中心部、交易市場にて。
石造りの門を抜けると、その先には人々で賑わう市場が見えてくる。
呼び込みの声が響き、いくつもの屋台が道の両端に立ち並んでいる。香辛料や肉を焼くにおいが周囲に流れ、リゼットの背中で猫は軽く身を乗り出す。ふとそばを見れば、鉄板の上でソースの絡まった麺類が焼かれている。その隣では、串に刺さった肉が香ばし色に染まっていた。どれを見てもお腹がすく光景だった。
リゼットは市場をゆっくりと見まわし、変わらぬ賑わいに笑みを浮かべる。普段通りの様子がとても愛おしい。露店に並んだ銀の装飾品や色とりどりの布、珍しい植物の数々は交易都市ならではの品ぞろえだ。色彩豊かなそれらを眺め、何気なく傍らのクライドに目を向ける。
「どうですか、クライド師匠。何か感じます?」
「……う、うう……」
道の端っこで、クライドはうずくまり頭を抱える。はた目から見ても具合が悪そうだ。さすがに心配になって、リゼットはそっと顔を覗き込む。
「……大丈夫なんです?」
「大丈夫じゃねぇ……もう限界。人いっぱい気持ちわる」
クライドは青白い顔で口に手を当て、さらに体を小さくする。今にもいろいろ限界を超えてしまいそうな様子に、リゼットはきょろきょろと視線を動かす。
「待ってくださいね? どこか休めそうなところを」
「急ぐにゃ! しっかりするのにゃ、主さま!」
猫が肩の上で主人にエールを送る。こんなことなら、猫ではなくてクライドを背負ってきた方が良かっただろうか。今更ではあるが、ちょっと後悔をする。
「えーと、休めそうな場所……さ、さすがにこんな道の真ん中にはありませんよねぇ」
悠長なことを言っている暇はなさそうだった。いよいよクライドの顔色は青を通り越して紫に近づいている。困った。これは小公女権限を使って助けを求めるしかない?
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「早くするにゃ、小公女! 主さまが……!」
「う、うーん。仕方ないですね。……えーと、すみません! 助けてください!」
ひとまず、目の前を通り過ぎていく人に声をかける。だが、人々は視線を向けはすれども、面倒ごとの気配を感じ取っては遠ざかっていく。やはり小公女の名を出すべきか。
リゼットはため息と一緒にためらいを吐き出した。人助けのためなら、父も文句は言うまい。大きく息を吸い、名乗りを上げようとしたその時だった。
「あの、何かお困りですか?」
「はへ?」
気づけば、リゼットの前に一組の親子が立っていた。ふっくらとした体格の優しげな茶色の瞳をした母親と同じ目の色をした女の子。二人は気づかわしげにこちらを見つめている。
こんな状況では渡りに船だ。リゼットは力強くうなずくと、親子に助けを求めた。
「あ、あの……実はわたしの師匠の具合が悪くてですね。少し休める場所を探しているんです」
「あらまあ、それは大変。でしたらこちらへ……リマラ?」
母親に呼び掛けられた女の子は、飛ぶような足取りで駆け寄ってくる。そしてきらきらした目でリゼットを見上げると、嬉しそうに両手を差し出してきた。
「やっぱりあのときの! つよーいおねえちゃんだ! えへへ、また会えてうれしい!」
「え、えぇ?」
誰だったっけ? 困惑していると、視界の端でオーレンからもらったダリアのリボンが揺れる。その瞬間、頭の中に風と戦った日の光景が閃光のように蘇ってきた。
「あ……もしかして、古書街でオーレンさんと一緒にいた!」
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