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第一幕「小公女リゼットとおかしな装丁たち」
3.不思議な図書館と謎の『ルリユール』
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ねこ。それは紛うことなき『猫』だった。
目の前の存在が異常すぎて、リゼットはあんぐりと口を半開きにしにしてしまう。世の中には不思議なことがある。確かにあるとは思うのだが、これはちょっとひどくない?
視線は絡み合ったまま。しかし、気づけば『猫』は徐々に後退している。野生の本能のなせる業か、敵を前にして背を向けないとは――。思わず感心してしまってから、ハッと我に返る。
「って、違う! それわたしの本ですよ!」
リゼットは獲物に襲い掛かる猛獣のごとき動きで駆けだした。十数歩の距離を飛ぶように進み、『猫』の尻尾に手を伸ばす。
「ぎにゃ! やめろよ!」
『猫』は素早く振り返り、毛を逆立てながら猫パンチを見舞う。思わぬ反撃にリゼットは悲鳴を上げて手を引っ込める。子供くらいの大きさがあるだけあって、猫パンチの威力も意外とすさまじい。
「返して! わたしの本でしょ!」
「にゃあ、冗談だろ! これはもうおいらの本だ! 間抜け女はさっさと帰れよ!」
可愛い声で罵声を浴びせかけ、『猫』はすぐ傍らの路地に飛び込んだ。長い茶色の尻尾を追い、リゼットも迷うことなく後に続く。こんなことで大切な装丁を失うわけにはいかない。決意を胸に進もうとした瞬間、なぜか目の前に壁が現れる。
「うそぉ!」
壁に頭から突っ込み地面を転がる。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことだ。恨めしく思いながら身を起こした瞬間、涼やかな音色と共に無数の光が宙を舞った。
「なに、ここ」
路地だったはずの場所は、いつしか薄闇に包まれていた。
周囲に目を向ければ、青白いスズランが咲き乱れている。風もないのに花弁が揺れ、そのたびに涼やかな音色が鼓膜を揺らす。どこまでも続く薄青い輝きをまとった花の楽園。そんな言葉が頭に浮かんで、リゼットは戸惑いながらも立ち上がった。
「にゃあ、お前どうやってここに来たんだよ! さっさと消えろよ!」
視線を動かすと、少し離れた場所に淡く輝く道があった。白い流れの縁に立った『猫』は、忌々しそうに目を細める。どうやってここに来たかはこちらも聞きたい。だが、この事態が異常なのだとしても、どこからつっこめば良いかすらわからなかった。
二足歩行の猫に、輝くスズランの花園。ここは本当に現実なのだろうか――?
「と、とにかく。わたしの本を返して。それは大切なものなんです。返してくれたらすぐ帰るから」
「大切なものぉ? はっ、古書店でさっき買ったばかりのくせして。金があれば何でも買うんだろ貴族なんてさ! そんなやつにこの装丁本は似合わないにゃ! おいらがしかるべき場所にしまうから、とっとと失せろ、にゃ!」
「貴族だとか、そんなの盗む理由にならないですよ! いいから返してってば!」
「いやだね! お前みたいな高慢ちきな貴族ってもんが、おいら一番嫌いなんだよ!」
リゼットが反論する間もなく、『猫』は身をひるがえし走り出した。その先には一枚の扉――青いスズランに縁どられた真っ黒な――があり、『猫』は何のためらいもなく体当たりして消える。
「待ってください!」
どうしてこんなことになってしまったのだろう? ただ、麗しい装丁を愛しているだけなのに。理解されないことには慣れていたが、それでも大切なものを奪われて黙っていられるほど大人しくなれない。
リゼットは大きく息を吸い込むと、甘い香りの漂うスズランの花園を駆けていく。すべては麗しい装丁のため。しかし真っ黒な扉は道を開くこともなく、無言の圧を放ち続けている。
たとえ本当は怖くても、逃げ帰ることなんてできない。何があっても、あの本を守り抜きたいのだ。大切な本のためにできることがあるなら、この扉だって越えてみせる。
扉に触れると、ぐにゃりと視界が歪んだ。すべての光景が渦の中に巻き込まれ、消え去っていく。あまりのことに悲鳴を上げたリゼットは、両手両足をばたつかせる。
何が起こっているの! 混乱ともにぎゅっと目をつぶる。と、唐突に肩をたたかれた。
「おい、うるさいぞ。誰だお前」
まぶたを開く。刹那、強いきらめきが視界いっぱいに広がった。目をこすりながらリゼットは『それら』を見つめる。古びた書架に並ぶ金銀細工の施された背表紙、ガラスケースに飾られた宝石の輝く装丁本。
「こっ!」
ここは楽園か! 棒立ちになっている誰かの横を通り抜け、平置きされていたエメラルドグリーンの美しい装丁に頬を寄せ――。
「バカか! なんてことしてる!」
「うきゃあ!」
首根っこをつかまれて装丁から引きはがされる。あまりの扱いに涙目で振り返れば、そこには黒髪の男が立っていた。年齢はリゼットよりも少し上くらいだろうか。深い青色の目に剣呑な光をたたえ、こちらを傲慢に見下ろしてくる。
「な、何するんですかぁ!」
「何はこちらの台詞だ! いきなり装丁本に頬ずりしようとするとか、汚れたり傷ついたりしたらどうしてくれる!」
「だって美しいんですもの! しょーがないです! ああ、すりすりしたい」
「はぁ!? お前、まさか変態か!」
変態と言われてもリゼットは特に反論しなかった。再び装丁本に向き直り、美しすぎる輝きにうっとりする。が、視界の端を見覚えのある茶色の尻尾が通り過ぎていく。
「あ」
目が合う。そこにいたのは間違いなく本を盗んだ『猫』だった。
「ね、ねねね、ねこぉおお!」
「にゃあああ、な、なんで!」
リゼットがいることが予想外だったのか。『猫』は両手に抱えていた紫の装丁本を落とした。ページが開かれ、オーレンにもらったダリアのしおりが床を滑る。
「ちょお! なにしてるんですか! バカねこぉおっ!」
「うるさい」
「うきゃあっ!」
再度の首根っこ。リゼットは今度こそ本気で男をにらみつけた。
「あ、あなたさっきから一体何なんですか! 邪魔ばっかりして!」
「俺は『ルリユール』だ」
「る、ルリルールさん?」
「違う。『ルリユール』! 職業名であって、俺の名前じゃない!」
「むぅ、じゃあ名前を教えてくださいよ。あ、ちなみにわたしはリゼットです」
礼儀として先に名乗っておく。すると職業名『ルリユール』男は、眉間にしわを寄せてそっぽを向いた。
「クライド。この魔法図書館の館長で『装丁師(ルリユール)』をしている」
「そう、ていし……?」
クライドと名乗った男の言葉を、リゼットが聞き流すことはできなかった。
――装丁師。それはたぶん、装丁にかかわるなんやかんやの職業。そんなものがこの世の中に存在していたとは! どういう仕事かわからないが『装丁』がつく以上、リゼットの守備範囲内のはず。両手を恭しく差し出してクライドを崇める。
「す、すばらしい! 装丁師! これぞわたしの目指すもの……! ど、どど、どうか弟子にしてください『クライド師匠』!」
「はあ!? ふざけるなお断りだ! 意味わかんねぇし!」
迫ってくる両手を振り払い、クライドは忌々しげに舌打ちする。それでも構わず差し出される手に、装丁師の青年は面倒そうにため息をついた。
「うぜぇ」
目の前の存在が異常すぎて、リゼットはあんぐりと口を半開きにしにしてしまう。世の中には不思議なことがある。確かにあるとは思うのだが、これはちょっとひどくない?
視線は絡み合ったまま。しかし、気づけば『猫』は徐々に後退している。野生の本能のなせる業か、敵を前にして背を向けないとは――。思わず感心してしまってから、ハッと我に返る。
「って、違う! それわたしの本ですよ!」
リゼットは獲物に襲い掛かる猛獣のごとき動きで駆けだした。十数歩の距離を飛ぶように進み、『猫』の尻尾に手を伸ばす。
「ぎにゃ! やめろよ!」
『猫』は素早く振り返り、毛を逆立てながら猫パンチを見舞う。思わぬ反撃にリゼットは悲鳴を上げて手を引っ込める。子供くらいの大きさがあるだけあって、猫パンチの威力も意外とすさまじい。
「返して! わたしの本でしょ!」
「にゃあ、冗談だろ! これはもうおいらの本だ! 間抜け女はさっさと帰れよ!」
可愛い声で罵声を浴びせかけ、『猫』はすぐ傍らの路地に飛び込んだ。長い茶色の尻尾を追い、リゼットも迷うことなく後に続く。こんなことで大切な装丁を失うわけにはいかない。決意を胸に進もうとした瞬間、なぜか目の前に壁が現れる。
「うそぉ!」
壁に頭から突っ込み地面を転がる。踏んだり蹴ったりとはまさにこのことだ。恨めしく思いながら身を起こした瞬間、涼やかな音色と共に無数の光が宙を舞った。
「なに、ここ」
路地だったはずの場所は、いつしか薄闇に包まれていた。
周囲に目を向ければ、青白いスズランが咲き乱れている。風もないのに花弁が揺れ、そのたびに涼やかな音色が鼓膜を揺らす。どこまでも続く薄青い輝きをまとった花の楽園。そんな言葉が頭に浮かんで、リゼットは戸惑いながらも立ち上がった。
「にゃあ、お前どうやってここに来たんだよ! さっさと消えろよ!」
視線を動かすと、少し離れた場所に淡く輝く道があった。白い流れの縁に立った『猫』は、忌々しそうに目を細める。どうやってここに来たかはこちらも聞きたい。だが、この事態が異常なのだとしても、どこからつっこめば良いかすらわからなかった。
二足歩行の猫に、輝くスズランの花園。ここは本当に現実なのだろうか――?
「と、とにかく。わたしの本を返して。それは大切なものなんです。返してくれたらすぐ帰るから」
「大切なものぉ? はっ、古書店でさっき買ったばかりのくせして。金があれば何でも買うんだろ貴族なんてさ! そんなやつにこの装丁本は似合わないにゃ! おいらがしかるべき場所にしまうから、とっとと失せろ、にゃ!」
「貴族だとか、そんなの盗む理由にならないですよ! いいから返してってば!」
「いやだね! お前みたいな高慢ちきな貴族ってもんが、おいら一番嫌いなんだよ!」
リゼットが反論する間もなく、『猫』は身をひるがえし走り出した。その先には一枚の扉――青いスズランに縁どられた真っ黒な――があり、『猫』は何のためらいもなく体当たりして消える。
「待ってください!」
どうしてこんなことになってしまったのだろう? ただ、麗しい装丁を愛しているだけなのに。理解されないことには慣れていたが、それでも大切なものを奪われて黙っていられるほど大人しくなれない。
リゼットは大きく息を吸い込むと、甘い香りの漂うスズランの花園を駆けていく。すべては麗しい装丁のため。しかし真っ黒な扉は道を開くこともなく、無言の圧を放ち続けている。
たとえ本当は怖くても、逃げ帰ることなんてできない。何があっても、あの本を守り抜きたいのだ。大切な本のためにできることがあるなら、この扉だって越えてみせる。
扉に触れると、ぐにゃりと視界が歪んだ。すべての光景が渦の中に巻き込まれ、消え去っていく。あまりのことに悲鳴を上げたリゼットは、両手両足をばたつかせる。
何が起こっているの! 混乱ともにぎゅっと目をつぶる。と、唐突に肩をたたかれた。
「おい、うるさいぞ。誰だお前」
まぶたを開く。刹那、強いきらめきが視界いっぱいに広がった。目をこすりながらリゼットは『それら』を見つめる。古びた書架に並ぶ金銀細工の施された背表紙、ガラスケースに飾られた宝石の輝く装丁本。
「こっ!」
ここは楽園か! 棒立ちになっている誰かの横を通り抜け、平置きされていたエメラルドグリーンの美しい装丁に頬を寄せ――。
「バカか! なんてことしてる!」
「うきゃあ!」
首根っこをつかまれて装丁から引きはがされる。あまりの扱いに涙目で振り返れば、そこには黒髪の男が立っていた。年齢はリゼットよりも少し上くらいだろうか。深い青色の目に剣呑な光をたたえ、こちらを傲慢に見下ろしてくる。
「な、何するんですかぁ!」
「何はこちらの台詞だ! いきなり装丁本に頬ずりしようとするとか、汚れたり傷ついたりしたらどうしてくれる!」
「だって美しいんですもの! しょーがないです! ああ、すりすりしたい」
「はぁ!? お前、まさか変態か!」
変態と言われてもリゼットは特に反論しなかった。再び装丁本に向き直り、美しすぎる輝きにうっとりする。が、視界の端を見覚えのある茶色の尻尾が通り過ぎていく。
「あ」
目が合う。そこにいたのは間違いなく本を盗んだ『猫』だった。
「ね、ねねね、ねこぉおお!」
「にゃあああ、な、なんで!」
リゼットがいることが予想外だったのか。『猫』は両手に抱えていた紫の装丁本を落とした。ページが開かれ、オーレンにもらったダリアのしおりが床を滑る。
「ちょお! なにしてるんですか! バカねこぉおっ!」
「うるさい」
「うきゃあっ!」
再度の首根っこ。リゼットは今度こそ本気で男をにらみつけた。
「あ、あなたさっきから一体何なんですか! 邪魔ばっかりして!」
「俺は『ルリユール』だ」
「る、ルリルールさん?」
「違う。『ルリユール』! 職業名であって、俺の名前じゃない!」
「むぅ、じゃあ名前を教えてくださいよ。あ、ちなみにわたしはリゼットです」
礼儀として先に名乗っておく。すると職業名『ルリユール』男は、眉間にしわを寄せてそっぽを向いた。
「クライド。この魔法図書館の館長で『装丁師(ルリユール)』をしている」
「そう、ていし……?」
クライドと名乗った男の言葉を、リゼットが聞き流すことはできなかった。
――装丁師。それはたぶん、装丁にかかわるなんやかんやの職業。そんなものがこの世の中に存在していたとは! どういう仕事かわからないが『装丁』がつく以上、リゼットの守備範囲内のはず。両手を恭しく差し出してクライドを崇める。
「す、すばらしい! 装丁師! これぞわたしの目指すもの……! ど、どど、どうか弟子にしてください『クライド師匠』!」
「はあ!? ふざけるなお断りだ! 意味わかんねぇし!」
迫ってくる両手を振り払い、クライドは忌々しげに舌打ちする。それでも構わず差し出される手に、装丁師の青年は面倒そうにため息をついた。
「うぜぇ」
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