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第四部「さよならを告げる風の彼方に」編
5.君を想えども
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ミシェルは本当に小さな村だった。かつては賑わったという大通りも、村人がのんびりと行き交うだけ。のどかと言えば聞こえは良いが、要するに寂れている。
そんな村だからして、宿も無いに等しかった。どうするのかと見守っていれば、ギルベルトはふらりと一軒の家に立ち寄るなり、納屋を借りられないかと交渉し始めた。慣れた様子で銀貨を数枚家主に握らせ、承諾の意思を引き出す。
にこやかに笑い、村人と冗談すらも言い合う姿にヴィルは目を見張る。もしや旧知の仲だったりするのか。あまりに見事な手並みに思わずそう告げると、ギルベルトはなんでもなさそうに笑った。
「いや? 常に愛想よく笑えていれば、そんなに悪い感情は持たれないものなのさ」
「胡散臭いにもほどがある……あんた本当に騎士か」
そんなこんなで、手早く休む場所が決まり——早々に手持ち無沙汰になったヴィルだった。何をするわけでもなく、ぼうっと納屋の外のベンチに腰掛ける。空は青い。惨めになるくらいの清々しさ。色々考え込むのも馬鹿らしい気がして、ヴィルは勢いをつけて立ち上がった。
「ん、なんだ少年。散歩にでも行くのか」
「そんな呑気な顔に見えるのか。今更だけど、あんた部外者のくせに首突っ込みすぎるよな」
「意図したわけでもないのだが、まあ。そうなっていることは間違いない。だが、言わぬが花というやつだぞそれは」
のっそりとイクスが窓から顔を出す。たいした距離を歩いたわけでもないのに、白い顔からは生気が抜けきっていた。目つきも怪しくなっている不審な魔法使いは、当然のことのように言わなくて良いことを口にする。
「ギルベルトを探しに行かないのか。このままだと、なんの意味もない時間を過ごすことになるぞ」
魔法使いの言葉は真実だった。けれど、ヴィルとしてはこれ以上歩み寄ることに意味があるとも思えなかったのだ。ギルベルトはもういない。その事実を動かすことなどできないのだから、幻影を追いかけたところで虚しい。
あらゆる全てを含めての睨みを向ければ、イクスは肩を落とした。無駄だというならばそれまでのこの世界。少なくとも、ヴィルヘルムにとっては悪夢でしかないというのに。
「お前は、父を憎んでいるのだな」
「そうだよ。あいつは俺たち家族なんかどうでもよかったんだ。地位を築くことの夢中で、戦いに熱中して……そんなやつのこと、どうして好きになれるっていうんだ」
「それが、本当のやつの姿でなかったとしてもか?」
「……何が言いたいんだよ」
「向き合っていなかったのは、お互い様だと思うがな。お前はギルベルトが家族を顧みなかったというが、今のあいつを見てもそう言えるのか? 英雄ヴァールハイト。あの男は確かにそう呼ばれていた。しかしあいつ自身は、それに見合うだけのご立派な人間ではなかったのだ」
ここに至るまでの道で、薄々勘付いてもいた。英雄と呼ばれた男は、結局ごく普通の人間でしかなかったこと。普通に笑えば、当然のように悲しみもする。幻影であったとしても、抱きしめてくれた腕は温かかった。
「だとしても、俺は認められないんだよ。あいつがどうしてそんな風に生きることを選んだのか……わからないから」
ヴィルはそっぽを向くと、地面を蹴り上げ歩き出す。認められないのはたぶん、彼自身に確信がないからだ。相手に愛されていたという確かな感情が、少年の中にはない。だから惑い、いつまでも囚われ続ける。
「向き合うことが怖いのか」
「わからない」
「わかりたくないのか。父を知ることが、そこまでお前を追い詰めるのか?」
「わからない、わからないよ……! だって、あいつは」
記憶の世界が歪んでいく。奇妙であるはずのそれも、今はなんの思いも呼び起こさなかった。息が詰まり、鼻の奥に痛みが走る。嫌だった。ヴィルは両手で顔を覆う。何も見たくない。何も考えたくなかった。
目を閉ざせば何も見えない。現実が変わるわけでもないのに、その闇は甘美に心を満たす。魔法使いが呼ぶ声が聞こえる。だめだ、と呼びかけられても、心はその光景を望む。
「父さんは助けに来てくれない。だから俺は、ずっとあの暗闇の中にいるんだ」
目を開くと暗闇が見えた。幼い声で誰かを呼べば、自らの言葉だけが闇の中で反響する。いつか見た光景、記憶の中に存在する闇に、幼いヴィルは膝を抱えて泣いた。
「たすけて」
こわい、かなしい。いつしかヴィルの心は、在りし日の中に帰っていく。幼い手は傷だらけで、震えるばかりだ。かつて存在したあの日、いや——今この時にも、ヴィルは父を呼び続けている。
過去と現在が混じり合い、境界をなくしていく。ヴィルはもう、現在には立っていなかった。記憶の導くままに、過去へと向かう心は——ずっと望んでいた答えを諦め、静かに闇へと沈んでいく。
「良いのか、それで」
目の前に誰かが立っていた。すらりとした長身に、低い声音。どこかで見たような佇まいに、小さなヴィルは何度も目を瞬かせる。暗闇に半身を沈めた誰とも知れぬ者は、そんな子供に静かに笑いかける。
「お前は私に会いたかったのだろう? 何を驚くことがある」
そう言って、ギルベルト・シュタイツェン=ヴァールハイトは微笑んだ。ずっとヴィルが遠くから見ていた、英雄の浮かべる笑顔のままで。
「さあ、ヴィルヘルム。私と共に行こう。私なら、お前の望みを叶えてやれる」
そんな村だからして、宿も無いに等しかった。どうするのかと見守っていれば、ギルベルトはふらりと一軒の家に立ち寄るなり、納屋を借りられないかと交渉し始めた。慣れた様子で銀貨を数枚家主に握らせ、承諾の意思を引き出す。
にこやかに笑い、村人と冗談すらも言い合う姿にヴィルは目を見張る。もしや旧知の仲だったりするのか。あまりに見事な手並みに思わずそう告げると、ギルベルトはなんでもなさそうに笑った。
「いや? 常に愛想よく笑えていれば、そんなに悪い感情は持たれないものなのさ」
「胡散臭いにもほどがある……あんた本当に騎士か」
そんなこんなで、手早く休む場所が決まり——早々に手持ち無沙汰になったヴィルだった。何をするわけでもなく、ぼうっと納屋の外のベンチに腰掛ける。空は青い。惨めになるくらいの清々しさ。色々考え込むのも馬鹿らしい気がして、ヴィルは勢いをつけて立ち上がった。
「ん、なんだ少年。散歩にでも行くのか」
「そんな呑気な顔に見えるのか。今更だけど、あんた部外者のくせに首突っ込みすぎるよな」
「意図したわけでもないのだが、まあ。そうなっていることは間違いない。だが、言わぬが花というやつだぞそれは」
のっそりとイクスが窓から顔を出す。たいした距離を歩いたわけでもないのに、白い顔からは生気が抜けきっていた。目つきも怪しくなっている不審な魔法使いは、当然のことのように言わなくて良いことを口にする。
「ギルベルトを探しに行かないのか。このままだと、なんの意味もない時間を過ごすことになるぞ」
魔法使いの言葉は真実だった。けれど、ヴィルとしてはこれ以上歩み寄ることに意味があるとも思えなかったのだ。ギルベルトはもういない。その事実を動かすことなどできないのだから、幻影を追いかけたところで虚しい。
あらゆる全てを含めての睨みを向ければ、イクスは肩を落とした。無駄だというならばそれまでのこの世界。少なくとも、ヴィルヘルムにとっては悪夢でしかないというのに。
「お前は、父を憎んでいるのだな」
「そうだよ。あいつは俺たち家族なんかどうでもよかったんだ。地位を築くことの夢中で、戦いに熱中して……そんなやつのこと、どうして好きになれるっていうんだ」
「それが、本当のやつの姿でなかったとしてもか?」
「……何が言いたいんだよ」
「向き合っていなかったのは、お互い様だと思うがな。お前はギルベルトが家族を顧みなかったというが、今のあいつを見てもそう言えるのか? 英雄ヴァールハイト。あの男は確かにそう呼ばれていた。しかしあいつ自身は、それに見合うだけのご立派な人間ではなかったのだ」
ここに至るまでの道で、薄々勘付いてもいた。英雄と呼ばれた男は、結局ごく普通の人間でしかなかったこと。普通に笑えば、当然のように悲しみもする。幻影であったとしても、抱きしめてくれた腕は温かかった。
「だとしても、俺は認められないんだよ。あいつがどうしてそんな風に生きることを選んだのか……わからないから」
ヴィルはそっぽを向くと、地面を蹴り上げ歩き出す。認められないのはたぶん、彼自身に確信がないからだ。相手に愛されていたという確かな感情が、少年の中にはない。だから惑い、いつまでも囚われ続ける。
「向き合うことが怖いのか」
「わからない」
「わかりたくないのか。父を知ることが、そこまでお前を追い詰めるのか?」
「わからない、わからないよ……! だって、あいつは」
記憶の世界が歪んでいく。奇妙であるはずのそれも、今はなんの思いも呼び起こさなかった。息が詰まり、鼻の奥に痛みが走る。嫌だった。ヴィルは両手で顔を覆う。何も見たくない。何も考えたくなかった。
目を閉ざせば何も見えない。現実が変わるわけでもないのに、その闇は甘美に心を満たす。魔法使いが呼ぶ声が聞こえる。だめだ、と呼びかけられても、心はその光景を望む。
「父さんは助けに来てくれない。だから俺は、ずっとあの暗闇の中にいるんだ」
目を開くと暗闇が見えた。幼い声で誰かを呼べば、自らの言葉だけが闇の中で反響する。いつか見た光景、記憶の中に存在する闇に、幼いヴィルは膝を抱えて泣いた。
「たすけて」
こわい、かなしい。いつしかヴィルの心は、在りし日の中に帰っていく。幼い手は傷だらけで、震えるばかりだ。かつて存在したあの日、いや——今この時にも、ヴィルは父を呼び続けている。
過去と現在が混じり合い、境界をなくしていく。ヴィルはもう、現在には立っていなかった。記憶の導くままに、過去へと向かう心は——ずっと望んでいた答えを諦め、静かに闇へと沈んでいく。
「良いのか、それで」
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「お前は私に会いたかったのだろう? 何を驚くことがある」
そう言って、ギルベルト・シュタイツェン=ヴァールハイトは微笑んだ。ずっとヴィルが遠くから見ていた、英雄の浮かべる笑顔のままで。
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