やさしい魔法と君のための物語。

雨色銀水

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外伝「君と見上げた空は眩しくて」――ヴィルヘルム編

1:ヴィルヘルムの受難

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「ねえ、ヴィルって結婚しないの?」

 唐突にそんな爆弾を投げ込まれて、彼——ヴィルヘルム・シュタイツェン=ヴァールハイトは手にしていた木剣を取り落とした。落下した木剣は足に激突し、騎士は思わず呻いてうずくまる。

 想像以上に激しい反応に、爆弾を投げ込んだ当人も口を半開きにするしかない。構えていた木剣を下げると、トワルは現在の保護者にそっと声をかける。

「……大丈夫? なんかすごい音がしたけど」
「そこで心配するくらいなら、突然変なこと訊くなよ。俺の心臓を止めてどうするつもりだ」
「足よりも心臓がまずいってどういう……でもさ、ヴィルって結構いい歳じゃないか。本当に結婚しないの?」
「あーあー、俺には何も聞こえないぞー」

 うずくまりながら耳をふさぐいい歳の大人。あんまりと言えばあんまりの様子に、少年は乾いた笑みを浮かべて肩を落とした。

 魔法使いの森から離れてから、季節は少し巡り——気づけば夏が訪れていた。
 トワルがカーディスの新都で暮らすようになって、早数ヶ月。小柄だった子供の背も少しずつ伸び、今では面立ちも少年といって差し支えないものになっている。

 今まで着ていた服の裾が短くなったり、丈が足りなくなっていたり。そんな健やかな成長を取り戻しつつある少年を、ヴィルヘルムはいつも楽しそうに見つめていた。

 そんなトワルは現在、ヴァールハイト家にて居候として暮らしている。

 もともと隣国ラッセンの出身である少年には、当然ながらカーディスに戸籍が存在しない。難民扱いであるにしても、この国に定住するとなると面倒な手続きが必要になってくる。

 それは無論、一日や二日で済むようなものではなく。そのためトワルは、カーディスでの居住権を獲得できるまで、ヴァールハイト家に世話になることとなったのである。

 そして本日は、ヴィルの誘いで夏の日差しの下、剣の訓練に勤しんでいたのだが。

「あーもう、そんなこと言っていた無駄に暑くなってきだぞ! 今日は訓練やめやめ!」
「夏だからね。というか、本当に勝手だなぁ……自分からやろうって言ったくせに」
「訓練なんてこんな炎天下でするもんじゃない。もうやめて何か冷たいものでも食べに行こう。アイスとかアイスとかアイスとか」
「ちょ、何言い始めたんだよ! そんなに結婚話が嫌だったのか⁉︎」
「うるさいうるさいうるさいー。俺は今アイスが食いたいんだー!」

 立ち上がるなり、ヴィルは木剣を庭の隅に放る。そして唖然としてるトワルの首根っこを掴むと、そのまま屋敷の門に向かって歩き始めたのだった。

 ——————
 ————
 ——

 それからしばらく経って。

 新都の中心街から少し外れた場所にある、小さなカフェテラス。その一角に陣取って、騎士と少年はアイスを口に運んでいた。

 大きなパラソルが作る影の下、吹き抜ける風は少しだけ涼しい。口の中で溶けるアイスの冷たさと優しい甘さが相まって、午後の光景は穏やかなものとなりつつあったのだが——。

「あー生き返る」
「あのさ、それ物凄く目立つからやめた方がいいよ」

 テーブルに半ば倒れこみながら、ヴィルは器用にアイスを口に運んでいる。その顔は非常に幸せそうであるのだが、無駄にでかい男がそんなことをしていると言うまでもなく目立つ。

 そもそも——トワルは落ち着かなげに周囲を見渡す。周りは女性客やカップルばかりなのである。

 そんな中で、長身で体格も良いそれなりの歳の男が、アイスを食いながらだらけきっているのだ。無論、目立つ。目立ちすぎて、周りからチラチラと視線を送られている。

 注目の的であるヴィルと同席している少年は、向けられる視線に顔を伏せるしかない。
 まだ多感な年頃のトワルである。いくら世話になっているとはいえ、大人の厚顔無恥《こうがんむち》さにまで理解を示すのは難しかった。

「良い加減にしないと、鼻にほうれん草詰めるよ」
「……何でアイス食ってるだけで、ほうれん草なんだよやめろよ」
「だったらせめて起きて食べてよ。おじさんだからって何でも許されるわけじゃないんだからね」
「……お、おじさん……?」

 ほうれん草よりもおじさん呼ばわりが堪えたのか。ヴィルは顔を引きつらせ、やっと身を起こした。トワルはそんな『おじさん』を冷たく睨み、アイスを一口食べる。

「おじさんのせいで、ちょっと溶けちゃったじゃないか」
「そ、そんな言い方しなくても良いだろ」
「だっておじさん、仕事中はともかく、普段がだらしなすぎるんだよ。服は放置する。食べた食器はそのまんま。掃除も言われなきゃやらないし……いい加減、奥さん貰いなよ」
「……け、結局そこに戻るのか……」

 げんなりとテーブルに肘をついて、ヴィルは大きなため息をつく。長くなった前髪が顔にかかり、表情に陰りが生まれる。黙り込んだ騎士を見て、トワルはこっそり嘆息を漏らす。

 トワルの目から見ても、ヴィルは『良い男』である。
 多少だらしがないところはあるにしても、性格は穏やかで優しく、家柄も良く、しかも剣の腕も一流。その上、端整な顔立ちは精悍で——けれど笑えば何ともいえない愛嬌がある。

 そう考えていくと、モテないはずもないのだが。どういうわけか、ヴィルヘルムの周りには全くと言って良いほど女性の気配が感じられないのである。

「ねえ、ヴィルってもしかして女の人嫌いなの?」

 スプーンでアイスを突きながら、トワルは疑問に切り込んでみた。根本的な質問をされたヴィルは、肘をつきながら首をかしげる。その薄青い目には何故か、面白がっているような光が浮かぶ。

「うん? いまいち質問の趣旨がわからないんだが?」
「……ヴィルって男が好きなのかよ」
「うん? 人間はみんな好きだぞ?」
「……わかった。今度イクスに『ヴィルがたくさん浮気してる』って送っとく」
「それは意味が変わるしいろいろ語弊《ごへい》があるからヤメテ」

 言葉ほど困っていない顔で笑って、ヴィルはまたアイスを口に運んだ。あまりにも飄々とした態度に、良い加減トワルも真意に気づきはじめる。騎士を斜めから睨み、少年は唇を尖らせた。

「……答える気はないってことか」
「意地悪で言ってるんじゃないけどな。まあ、ちょっと……色々あるんだよ」

 穏やかな騎士の顔は、どこか切なそうに映る。そんな顔をされてしまうと、トワルとしては何も言えなくなってしまう。少年は目を伏せると、再びアイスを食べ始める。

 無言でアイスを食べる少年を穏やかに見つめた騎士は、その頭に手を乗せる。そして労わるような仕草でそっと頭を叩いて、最後にヴィルは満面の笑みを浮かべた。

「やっぱり良いやつだな、お前は」
「……別に……おれもちょっと、無神経だったかなって思うし」
「照れるなよ。俺が言うんだから間違いないって」

 そんな風に戯れていると、トワルの視界に誰かの姿が映り込んだ。少し離れた木陰に佇んだその人物は、じっとこちらの方を見つめている。何か奇妙なほど、熱心に。

「……?」

 妙だとは思ったものの、ヴィルは特に何も気づいていないようだった。騎士の感覚はかなり鋭敏で、敵意や害意を瞬時に捉え反応する。にもかかわらず何も感じていないのなら、心配はないのか。

 大人の男と少年という場違いな組み合わせを、ただ興味深く見つめているだけかもしれない。
 そう思い直しトワルは再び視線を下げ、アイスを片付けにかかったのだが——その時。

「……様」

 声が響いた。しかも、かなりの近距離で。驚いたトワルが視線を上げると、そこには青ざめたヴィルの顔があった。けれど、問題はそれではない。今一番の問題は——。

「——ヴィルヘルム様‼︎」

 ガクンと、ヴィルの首が前に倒れた。と思ったが早いか、そのまま後ろに引き戻される。何が何だかわからず固まる少年の前で、騎士は首を締め上げられ激しく揺さぶられていく。

「お戻りになっていたならどうして知らせてくださらなかったのですか⁉︎ わたくし、ずっとずっとお待ち申し上げておりましたのよ! それなのにあなたときたら、どこの誰とも分からぬ子供と呑気にアイスなんて食べて……! こんの浮気者————っ‼︎」
「待て待て待て待て死ぬ死ぬ死んじゃう! 首! 首絞まってるからやめてマリアベルっ‼︎」

 訳がわからない。トワルは口を半開きにしてそのやりとりを見つめことしか出来ない。
 美しい金髪をなびかせた、小柄で可愛らしい女性。そんな人が何故に騎士を絞め殺そうとしているのか。遠い目で目の前の光景を見つめ、トワルはぼんやりとアイスを一口含んだ。

「なにこれ、意味わかんない」
「いや見てないで助けてくれよ‼︎」
「無理だよ」

 少年の呟きは、その場に居合わせた人々の思いを代弁していた。

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