やさしい魔法と君のための物語。

雨色銀水

文字の大きさ
上 下
54 / 86
第三部「魔法使いの掟とソフィラの願い」編

5-1.無理解の論証

しおりを挟む
 ゆるやかに森を進んでいく。秋めいた木立を抜けても、時が止まらないという事実だけが胸の空洞に落ちる。キールは踏みしめた木漏れ日を見下ろし、強く唇を噛み締めた。

「この先に、フラメウがいるのは間違いないんだな」

 共に歩んでいた足を止め、ルパートが振り返った。彼は普段の軽装を脱ぎ捨て、戦いに向かう装いに着替えている。とは言っても皮鎧の上に胸当てをしたくらいだから、そこまでの重装備とは言えない。

 それはキールも同じことで、こちらはほぼ普段着そのままだった。フラメウと戦闘になれば、キールがいくら重武装したところで勝ち目などない。ならばせめて動きやすい服装を、と。そう告げて送り出してくれたのはクルスだったが。

 しかし、フラメウへと至る道を歩むにつれ、キールは捉えどころのない不安に襲われていた。そもそも万全とも言い難い状態で、あの師と対峙するのは自殺行為ではないだろうか。さすがに出会った瞬間、殺されるほど柔ではないにしても。危険があることは確かだし、戦う前提ではどうやっても勝ち目はない。

「キール、聞いてるか?」
「すみません。フラメウは気配を隠していませんから、この先にいることは間違いないです。魔力を使って撹乱するつもりがなければ、ですが。でもまさか、僕相手にそんな小手先の戦法を使うことはないと思います」
「なるほど、完全に舐められてるってわけだなちくしょうめ。しかし、いいのか。話し合うって言うけど、いきなり襲ってくる可能性がないわけじゃないだろ。俺も一緒にいた方がいいんじゃ」
「それは、いいえ。クルスさんにも言った通り、ルパートさんがそばにいたら、フラメウは僕の話を聞かないと思います。それは単純に、僕よりもルパートさんの方が師にとって危険だというだけではなく……たぶん、彼は他者の介入を快くは思わない」

 枯葉を踏みしめ歩み出しながらも、キールの胸に去来するのは虚無感だった。ノヴァはもう一度フラメウに会うべきだと言った。けれど、師弟の間に横たわる溝は再び出会うことで決定的なものになるのではないか。予感というより確信に近い想いが心を覆い、気づけばキールは手を強く握りしめていた。

「僕に、変えられることがあるとしたら。それが何であれ為さなければならない」
「なあ、今更言うのも今更だけどさ。ノヴァを置いてきちまってよかったのか。あの子の力があれば、俺よりもお前さんの助けになったんじゃねぇの」
「……仰ることは、わかります。でも、この件にあの子は無関係です。これ以上、今以上の重みを背負わせたくはない」

 顔を上げたキールに、ルパートは肩をすくめただけだった。それがキールの自己満足であることは、重々承知している。それでも彼は、ノヴァをフラメウの矢面に立たせることが出来なかった。

 そう、紛うことなき自己満足だった。ルパートが良くてノヴァが駄目だという図式は、どう考えても合理的ではない。全員の生存率を考えれば、戦力の低下が致命的であることはわかり切っていた。

「ま、お前がそれでいいなら俺はこれ以上言うまい。だが、何度もしつこく言ってるが、お前死にに行くつもりじゃないよな。負け戦ならまだしも、自殺には付き合わないぜ」

 面白くなさそうに言い切り、ルパートは歩み出す。先立つ背中を追いかけ、キールは走り出した。答えは保留。どうあっても変えられない結果があるのなら、キールはそれを選ぶしかない。

 森を歩み続ければ、次第に時間の感覚は曖昧になっていく。ルパートのような森の祝福を持たないキールには、この道行きは心を削るものでしかなかった。だが歩まなければ、何もしないで立ち止まっているのと同じだ。歯を食いしばりルパートを追い越すと、青年はとうとうたどり着く。

「ここか」

 森が途切れた、わずかばかりの草原。今となっては遠い昔のことのようだが、ここはノヴァの中にいるオーリオールと邂逅した場所だ。まるで木々が避けるように存在する遺跡群を見つめ、キールは背後に向かって声を投げる。

「ルパートさんは待っていてください。ここから先へは僕だけが行きます」
「本気か、って聞くのも野暮か。だが、ここからだとほとんど援護は期待できないと思え。いくら俺が森の中では負けないって言っても、ここは色々場所が悪すぎる。もしや、それをわかった上でここに陣取ってんのかね」
「そうかもしれません。師の遠見をもってすれば、ルパートさんの加護の種類も見抜けたでしょうから。とにかく、何かあったとしても、ご自分の身を第一に考えてください。僕も善処するつもりですけど、相手が相手だけに何が起こるか見当もつかないので」

 木々の合間から目を凝らしつつ、キールはそう言って微笑んだ。笑う余裕があるわけではなく、所詮強がりではあったが。それでも幾分楽になって、青年は森から一歩踏み出していく。

「キール」

 背後からルパートが呼びかける。それでも青年は歩みを止めない。そんなキールの背に向かい、ルパートは慰めにもならない言葉を投げかけた。

「死んでも骨は拾ってやらないからな。悔しかったら死ぬ前に逃げてきちまえよ」
「勝てと言わないだけ良心的なのかな。……僕の方からはご武運を、と」

 噛み合うことを期待しない言葉を吐きあって、キールは遺跡の中を進んでいく。大半が崩れ去り、石壁だけがわずかばかりの痕跡のようなそこには、かつてを偲ばせるものなど残っていない。

 風化していくばかりの建物の跡を乗り越え、まばらに生えた草を踏みしめ。歩んでいくキールの視線の先にあったのは、やはりかつてと変わらぬ黒衣の姿。祭壇のような舞台の上に一人佇んだ黒い男は、歩み寄る弟子に背を向けたまま、歌うような声音で語りかけてきた。


「かつてこの地には一つの王国が存在した。その名は失われ、今となっては歴史にすら語られることもない。そんな名もなき王国に、一人の魔法使いがいた」

 キールは足を止め、舞台の上の黒衣を見上げた。適当に切りそろえただけの黒髪が、風に吹かれ揺れている。病的に白い首筋は記憶よりも青白いような気がして、キールはしばし瞠目した。その間にも昔語りは続き、まるで思い出をなぞるように、言葉は失われた何かを描き出す。

「彼は、名もなき王と一つの契約をした。それは彼の国を永遠に生かし続けることだった。魔法使いの力をもってすれば、人々に永遠に近い命を与えられることだろう。それはつまるところ、すべての人々を魔法使いに変えることと同義だった。そしてその試みは成功した。名もなき王国は、最強にして最大の魔法使いの国に変貌を遂げたのだ」

「それから長い年月、名もなき王国は世界の覇者としてあらゆるものを支配した。地上はもとより、空も海も、さらには天上のさらに先や理の外に至るまで。彼らには真実、無限の力と万能の知が与えられていた。だから、誰もが忘れ去っていた。その王国に存在する、原初の契約の意味を」

「魔法使いは契約とともに、王に一つの制約を与えた。それは彼の国が、真の意味で世界に仇なす存在に堕ちた時には、契約に連なるすべてのものを消滅させるというものだった。それは言い換えるなら呪いと言える種類のものだったのだろう。だが名もなき王は、魔法使いに願ってしまったのだ。それほどまでに、永遠は王を魅了し続けていた。そして多くの者たちもまた、契約の裏の制約に気づかぬまま、力を振るい続け——そして」

「崩壊は、あっけなく訪れた。引き金を引いたのはただ、死んだ母を生き返らせようとした、幼い子供の願いだった。世界はその願いを異物を判断し、魔法使いの与えた契約通りの代償を彼の国に与えた。一瞬だった。ほんの瞬きする間に、その国は文字通り跡形もなく消えてしまったのだから」

 崩壊した過去をなぞるだけの、空っぽの物語。それを語りを得たフラメウは、ゆっくりと弟子を振り返った。変わらぬ虚ろな笑みをたたえた白い顔は、死人のようにすら見えてしまう。それが異様に感じるより早く、師である魔法使いはキールに呼びかけてきた。

「何をしに来た。そう問いかけて欲しいのか?」
「フラメウ、僕はあなたと話すためにここに来ました。あなたが本当は何を望み、そして僕が何をできるのか。それを互いに見極めなければ平等ではないでしょう? どうあっても僕を殺したいというのなら、僕はあなたと戦うしかありませんが」
「その強気の根源は、森に隠れている異能の男か。だがまあ、私としてもお前と語り合うのが無意味だとは思わんさ。久々にキール、お前の愚にもつかない論理を聞くのも悪くない」

 目を細め笑い、フラメウはキールを手招いた。一瞬ためらい、ここに来てそれこそ無意味だと思い直し。青年はかつて師と慕った男の前に立つ。彼らの目線はほぼ同じ。だが、互いの見るものは決して交わらない。

「さあ、私にどんな物語を聞かせてくれるのかな。期待させてもらうよ、愚かな私のキール」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

完結 愛のない結婚ですが、何も問題ありません旦那様!

音爽(ネソウ)
恋愛
「私と契約しないか」そう言われた幼い貧乏令嬢14歳は頷く他なかった。 愛人を秘匿してきた公爵は世間を欺くための結婚だと言う、白い結婚を望むのならばそれも由と言われた。 「優遇された契約婚になにを躊躇うことがあるでしょう」令嬢は快く承諾したのである。 ところがいざ結婚してみると令嬢は勤勉で朗らかに笑い、たちまち屋敷の者たちを魅了してしまう。 「奥様はとても素晴らしい、誰彼隔てなく優しくして下さる」 従者たちの噂を耳にした公爵は奥方に興味を持ち始め……

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...