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第二部「あなたに贈るシフソフィラ」編
7:近づくほどに遠く霞む
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「こちらが家宝を保管しておりました倉庫になります」
わずかに漂う土の匂いに、イクスは鼻を鳴らした。地下とはいえ、しっかりと手入れのされた床や壁は、鈍く光を反射している。空気は淀むことなく澄んでおり、少し肌寒いほどだった。
「ご存知かとは思いますが——六ヶ月前、この倉庫に賊が入りました。当家の家宝である『陽の名残』が盗まれ、それは今も戻ってきておりません」
早口で話す執事は、胡散臭そうな目でイクスを見た。メンフィス家令嬢とヴァールハイトの騎士がいなければ、話もしたくないというような顔だ。
早々に追い返そうとする意図をひしひしと感じながらも、イクスは地下室を観察してみた。
地下室は思ったよりも広く、イクスの部屋くらいの大きさがある。しかし件《くだん》の倉庫は、さらにその先——固く閉ざされた扉の向こう側にあるようだった。
「心中お察しいたしますわ。大切な家宝を盗まれるということは、魂を削り取られるようなものですもの」
険悪な空気に気づいたのだろう。マリアベルがそっと言葉を滑り込ませる。それだけのことで、執事の眉間に刻まれたしわは薄くなった。しかも目頭を押さえながら、感激したように肩を震わせている。
「マリアベル様……お気遣い感謝いたします。主人もそのお言葉で慰められることでしょう」
「いいえ、わたくしの言葉などは無力ですもの。ああ……それなのにこんなことを聞いていいのか……失礼を承知でお尋ねしますが、ルーヴァン様の家宝とはどのようなもでしたのかしら?」
わたくし、何とかお力になりたいのです。切々と訴えるマリアベルの声を聞いたイクスは、『女は得だな』と独りごちた。男がそんなことをやっても、鼻で笑われるか気味悪がられるだけだ。
何となくヴィルに目を向けると、騎士は問うように片眉を持ち上げる。精悍な横顔は端正であるものの、言うまでもなくそういう種類の可愛らしさとは無縁だった。
「マリアベル様に隠し立てするようなことではございませんが……当家の家宝である『陽の名残』は少し変わっておりまして。緋色の『魔法石』をあしらった——世に二つと無い魔法の指輪なのです」
「……魔法石、ですか?」
聞きなれない単語だったのだろう。マリアベルは小首を傾げ、ヴィルに視線を送った。その視線を受けた騎士は、記憶を辿るように目を上に向ける。
「魔法石って言えば……魔法使いだけが作れる魔力の結晶体、だったか?」
「概ねそれで正解だ。だが、細かなことを言えば少し違う」
魔法石、とは。魔法使いが生涯に一度だけ生み出すことのできる、魔力の結晶体である。
生み出された魔法石は、魔法使いによって様々な色形を持ち、大きさも一定ではない。だがその小さな石に込められた力は例外なく強大で、資質のないものですら魔法と扱えるようになることがある程だ。
とは言え、魔法使い自体が少なくなった今、魔法石を目にする機会はまずないと言っていい。
そんな魔法石だからこそ、貴族の家宝になるのだろうが——イクスは皮肉な思いで閉ざされた扉を見やる。
魔法石は、真の意味で魔法使いの命なのだ。それを装飾品として身につける神経は、魔法使いには到底理解できなかった。
その瞬間、イクスの頰を何かが撫でた。思わず頰に手を当てたが、そこには何の痕跡も残っていない。気のせいか——そう考え視線を落としたイクスの耳に、声が届く。
「魔法石は、満月の下で美しい光を放つのです」
何かが抜け落ちたように虚ろな声だった。意識を引き戻されたイクスは、扉の前に立つ執事を見る。老齢の男はうわごとのように、その言葉を紡いでいく。
「まるで生きているかのように……だから、あの満月の日に消え失せたのは、指輪自身の意思だったのかと……」
脈絡もなくそんなことを口にした執事は、ぼんやりと宙を見つめていた。奇妙なほど空っぽなまなざしに、イクスは説明のできない異様さを感じる。それはヴィルたちも同様で、二人は顔を見合わせた。
「申し訳ありません。事件当日の話でございましたね。何なりとお尋ねくださいませ」
先ほどまでとはうって変わった態度は、何を意味するのだろうか。だが、明確な理由など何も見出せず、イクスは疑問を感じながらも問いを投げかけ始めた。
「ならば質問させてもらう。まずは、事件当日ののことだ。異変には侯爵が気づいたとのことだったが、それ以前に異変はなかったのか?」
「はい、特には何も……あの日は来客もありませんでしたし、屋敷に出入りした人間もはっきりしております。その中でここに近づけた人間はいません」
「何故そうわかる?」
「主人が戻られる時刻には、私が玄関ホールに待機しておりましたから。もし不審な人間がいれば気づいたはずです」
次に問うべきは、事件発覚前のことだろうか。イクスは顎に手を当て、再び問いかける。
「異変に気付いたのは、具体的にいつのことなんだ?」
「主人に湯の支度を命じられ、私は一度ホールから下がりましたので具体的にいつかは存じません。しかし
私がホールを少し離れた間に、あの白い花びらが地下へと続いていたのです」
「その少し離れた間に出入りした人間はいないのか」
「出入りしたものはおりません。ご覧になればおわかりかと思いますが、地下にに行くためには必ず、玄関ホールを通ることになります。もし誰かが地下に降りたとしても、逃げ出す前に私か主人と鉢合わせしたはずです。それくらいに少しの間でした」
地下に降り、扉を開き家宝を盗み、そして逃げる。手際よく行えたとしても、一瞬で済むわけもない。だとしたら、その少しの間で起こった変化は何を意味するのだろう。
「花びらを見つけたのは侯爵なんだな。その後すぐに地下へ降りたのか」
「はい、異変に気付いてすぐ、主人とともに地下へと降りました。そこで扉を確認しましたが、鍵は閉まっており、壊されてもいませんでした。しかし、主人に中を調べるよう命じられましたので、私が鍵を開け——家宝が納められていた箱が空になっているのを発見したのです」
その過程に不審なものはないように思う。だがイクスはそこで、重ねて問いを投げかける。
「その扉の鍵は誰が管理しているんだ?」
「私でございます。重要な場所の鍵に関しては、常に身につけ持ち歩いているのです。この倉庫の鍵に関しても同様で——私が持っているもの以外、複製もありません」
「それは確実か」
「ええ。それにこの扉の鍵は少々特殊なものでして、普通の鍵のように簡単に複製できないのです」
だとしたら、執事以外には扉を開けられないということになるが——それならば、犯人はどうやって倉庫に侵入したのだろうか。
「確認だが、倉庫に窓や出入り出来る隙間などは」
「ありません。お疑いならば中をご覧になりますか。今は大したものもございませんが」
言いながら、執事は懐から鍵を取り出す。取り出された鍵は、いくつもの突起とへこみが組み合わされた複雑なもので、型を取るのも難しいように見える。
イクスたちが見守る中、執事は無言で鍵を差し込み扉を開く。ゆっくりと開かれて行く扉の先に目を凝らしたイクスは、現れた光景に眉を寄せた。
「……一応聞くが、魔法石の指輪の他に盗られたものは?」
「ござません。もともと、ここは家宝のためだけの部屋でした。そこに白い——あれはおそらくソフィラの花でしょうが……そのしおれた花びらが舞う様は、かなり異様な光景でござました」
そう言って執事は夢見るように微笑む。開かれた扉の先では——枯れ果てたたくさんの花びらが、無残な残骸を床の上に散らしていた。
わずかに漂う土の匂いに、イクスは鼻を鳴らした。地下とはいえ、しっかりと手入れのされた床や壁は、鈍く光を反射している。空気は淀むことなく澄んでおり、少し肌寒いほどだった。
「ご存知かとは思いますが——六ヶ月前、この倉庫に賊が入りました。当家の家宝である『陽の名残』が盗まれ、それは今も戻ってきておりません」
早口で話す執事は、胡散臭そうな目でイクスを見た。メンフィス家令嬢とヴァールハイトの騎士がいなければ、話もしたくないというような顔だ。
早々に追い返そうとする意図をひしひしと感じながらも、イクスは地下室を観察してみた。
地下室は思ったよりも広く、イクスの部屋くらいの大きさがある。しかし件《くだん》の倉庫は、さらにその先——固く閉ざされた扉の向こう側にあるようだった。
「心中お察しいたしますわ。大切な家宝を盗まれるということは、魂を削り取られるようなものですもの」
険悪な空気に気づいたのだろう。マリアベルがそっと言葉を滑り込ませる。それだけのことで、執事の眉間に刻まれたしわは薄くなった。しかも目頭を押さえながら、感激したように肩を震わせている。
「マリアベル様……お気遣い感謝いたします。主人もそのお言葉で慰められることでしょう」
「いいえ、わたくしの言葉などは無力ですもの。ああ……それなのにこんなことを聞いていいのか……失礼を承知でお尋ねしますが、ルーヴァン様の家宝とはどのようなもでしたのかしら?」
わたくし、何とかお力になりたいのです。切々と訴えるマリアベルの声を聞いたイクスは、『女は得だな』と独りごちた。男がそんなことをやっても、鼻で笑われるか気味悪がられるだけだ。
何となくヴィルに目を向けると、騎士は問うように片眉を持ち上げる。精悍な横顔は端正であるものの、言うまでもなくそういう種類の可愛らしさとは無縁だった。
「マリアベル様に隠し立てするようなことではございませんが……当家の家宝である『陽の名残』は少し変わっておりまして。緋色の『魔法石』をあしらった——世に二つと無い魔法の指輪なのです」
「……魔法石、ですか?」
聞きなれない単語だったのだろう。マリアベルは小首を傾げ、ヴィルに視線を送った。その視線を受けた騎士は、記憶を辿るように目を上に向ける。
「魔法石って言えば……魔法使いだけが作れる魔力の結晶体、だったか?」
「概ねそれで正解だ。だが、細かなことを言えば少し違う」
魔法石、とは。魔法使いが生涯に一度だけ生み出すことのできる、魔力の結晶体である。
生み出された魔法石は、魔法使いによって様々な色形を持ち、大きさも一定ではない。だがその小さな石に込められた力は例外なく強大で、資質のないものですら魔法と扱えるようになることがある程だ。
とは言え、魔法使い自体が少なくなった今、魔法石を目にする機会はまずないと言っていい。
そんな魔法石だからこそ、貴族の家宝になるのだろうが——イクスは皮肉な思いで閉ざされた扉を見やる。
魔法石は、真の意味で魔法使いの命なのだ。それを装飾品として身につける神経は、魔法使いには到底理解できなかった。
その瞬間、イクスの頰を何かが撫でた。思わず頰に手を当てたが、そこには何の痕跡も残っていない。気のせいか——そう考え視線を落としたイクスの耳に、声が届く。
「魔法石は、満月の下で美しい光を放つのです」
何かが抜け落ちたように虚ろな声だった。意識を引き戻されたイクスは、扉の前に立つ執事を見る。老齢の男はうわごとのように、その言葉を紡いでいく。
「まるで生きているかのように……だから、あの満月の日に消え失せたのは、指輪自身の意思だったのかと……」
脈絡もなくそんなことを口にした執事は、ぼんやりと宙を見つめていた。奇妙なほど空っぽなまなざしに、イクスは説明のできない異様さを感じる。それはヴィルたちも同様で、二人は顔を見合わせた。
「申し訳ありません。事件当日の話でございましたね。何なりとお尋ねくださいませ」
先ほどまでとはうって変わった態度は、何を意味するのだろうか。だが、明確な理由など何も見出せず、イクスは疑問を感じながらも問いを投げかけ始めた。
「ならば質問させてもらう。まずは、事件当日ののことだ。異変には侯爵が気づいたとのことだったが、それ以前に異変はなかったのか?」
「はい、特には何も……あの日は来客もありませんでしたし、屋敷に出入りした人間もはっきりしております。その中でここに近づけた人間はいません」
「何故そうわかる?」
「主人が戻られる時刻には、私が玄関ホールに待機しておりましたから。もし不審な人間がいれば気づいたはずです」
次に問うべきは、事件発覚前のことだろうか。イクスは顎に手を当て、再び問いかける。
「異変に気付いたのは、具体的にいつのことなんだ?」
「主人に湯の支度を命じられ、私は一度ホールから下がりましたので具体的にいつかは存じません。しかし
私がホールを少し離れた間に、あの白い花びらが地下へと続いていたのです」
「その少し離れた間に出入りした人間はいないのか」
「出入りしたものはおりません。ご覧になればおわかりかと思いますが、地下にに行くためには必ず、玄関ホールを通ることになります。もし誰かが地下に降りたとしても、逃げ出す前に私か主人と鉢合わせしたはずです。それくらいに少しの間でした」
地下に降り、扉を開き家宝を盗み、そして逃げる。手際よく行えたとしても、一瞬で済むわけもない。だとしたら、その少しの間で起こった変化は何を意味するのだろう。
「花びらを見つけたのは侯爵なんだな。その後すぐに地下へ降りたのか」
「はい、異変に気付いてすぐ、主人とともに地下へと降りました。そこで扉を確認しましたが、鍵は閉まっており、壊されてもいませんでした。しかし、主人に中を調べるよう命じられましたので、私が鍵を開け——家宝が納められていた箱が空になっているのを発見したのです」
その過程に不審なものはないように思う。だがイクスはそこで、重ねて問いを投げかける。
「その扉の鍵は誰が管理しているんだ?」
「私でございます。重要な場所の鍵に関しては、常に身につけ持ち歩いているのです。この倉庫の鍵に関しても同様で——私が持っているもの以外、複製もありません」
「それは確実か」
「ええ。それにこの扉の鍵は少々特殊なものでして、普通の鍵のように簡単に複製できないのです」
だとしたら、執事以外には扉を開けられないということになるが——それならば、犯人はどうやって倉庫に侵入したのだろうか。
「確認だが、倉庫に窓や出入り出来る隙間などは」
「ありません。お疑いならば中をご覧になりますか。今は大したものもございませんが」
言いながら、執事は懐から鍵を取り出す。取り出された鍵は、いくつもの突起とへこみが組み合わされた複雑なもので、型を取るのも難しいように見える。
イクスたちが見守る中、執事は無言で鍵を差し込み扉を開く。ゆっくりと開かれて行く扉の先に目を凝らしたイクスは、現れた光景に眉を寄せた。
「……一応聞くが、魔法石の指輪の他に盗られたものは?」
「ござません。もともと、ここは家宝のためだけの部屋でした。そこに白い——あれはおそらくソフィラの花でしょうが……そのしおれた花びらが舞う様は、かなり異様な光景でござました」
そう言って執事は夢見るように微笑む。開かれた扉の先では——枯れ果てたたくさんの花びらが、無残な残骸を床の上に散らしていた。
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