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第二部「あなたに贈るシフソフィラ」編

4:万能であるが故の誤り

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「さて、引き受けたものの。どこから手をつけるべきかわからんな」

 城の裏庭にひっそりと建つ、一見すると掘っ建て小屋のような小さな家。その粗末な扉に手をかけたイクスは、背後に向けてぼやきをもらした。万能の魔法使いとは言っても、地道な調査は専門外である。

 今更なぼやきを向けられ、ヴィルは物言いたげな顔をした。しかし当然と言うべきか、イクスが背後の表情に気づくことはない。文字通り役立たずの『棒切れ』と化した魔法使いは、諦めの混じった息をもらす。

「面倒くさい。逃げるか」
「試験前の学生かお前。引き受けておいてそれはあり得ないだろ」
「わかっている、冗談に決まっているだろう。……だが真面目な話、私はこういった調査が不得手なのだ。なんの指標もなく闇雲に調べたところで、まともな結果が出るわけもない」
「うーん……指標ねぇ」

 真面目なイクスの言葉に、ヴィルは難しい顔で唸る。宰相からイクスとともに調査を命じられたとはいえ、騎士に出来るのはあくまでも『補佐』だけだ。不得手でも、イクスが主体に動くしかない。

 奇妙な事象には、必ず常人には見えない何かがある——ならば、これは適切な人選なのだろう。
 普通の人間ではたどり着けない答えを探し出すこと。それがイクスに望まれたものであるであるならば——。

「とりあえずさ、これまでの事件資料は貰ってきたから……一通り読んでみないか? 宰相から聞いただけじゃ気付かなかったこともあるかも知れないし」
「冷静な意見感謝するよ。……そうだな、一度資料を読み込んで、まとめてみるのが良いか」

 ひとまずの目標を得たイクスは、深く頷きながら扉を押し開けた。粗末な見た目に反して、扉は滑らかに開かれていく。その向こうに現れた暗闇をじっと見つめ、イクスは慣れた調子でに呼びかける。

「ただいま。——また、妙なことはしていないだろうな?」

 言いながら、イクスは扉をくぐった。暗闇は踏み込んだ瞬間、光に反転し——目を細めたイクスの前に、穏やかな光に満たされた部屋が現れる。

 柔らかな日差しが差し込む出窓に、真っ黒な毛並みの猫が寝そべっている。猫《かれ》は魔法使いに気づくと、緑色の目を細めて長い尾を揺らす。悠然とした態度の黒猫に、イクスは軽く笑って声をかけた。

「ただいま、『ネコ』。お前はいつも通り愛想のかけらもないな」

『ネコ』と呼ばれた猫《かれ》は、気のない様子で欠伸をする。首輪の小さな鈴が澄んだ音を立てても、『ネコ』はイクスにすり寄ったりはしなかった。媚を売ることのない態度は、野生動物のように誇り高い。

「……毎回言ってる気がするが、なんで猫の名前が『ネコ』なんだよ。センス云々言う以前に、まんま過ぎて意味がわからないぞ」
「名前なんて所詮《しょせん》記号でしかない。ならばすぐに何者か分かる呼び名の方が道理にかなっていると思わないか? こいつは猫以外の何者でもない。だから、猫の『ネコ』。どうだ、ピッタリだろう?」
「なんとなく良いこと言ってるように聞こえるけど、俺は騙されないぞ。お前ただ面倒くさいだけだろ」

 続いて部屋に現れたヴィルは、呆れた顔でイクスの妄言を切り捨てる。『ネコ』も短く鳴いて、騎士の言に賛同の意を表す。まさかの『ネコ』の裏切りに、さすがのイクスは落ち着きなく視線を彷徨わせる。

「……おい。黙ってないで何とか言ってくれ」

 二対一では勝ち目がない。旗色が悪いとみるや、イクスは奥の本棚の前に立つ『彼』に呼びかけた。
 情けなさの滲む声を聞き届けたのかどうか。本を読みふけっていた茶色の髪の少年は、背中を向けたままぼんやりした調子で呟く。

「んー……僕はどんなに間違っていようと、最後までの味方ですよ?」
「味方と言いつつ間違いと断じるのか。何気ない腹黒さを発揮するのはやめてくれ、キール」

 キールと呼ばれた少年は、本を閉じると微笑みながら振り返った。その笑顔には含みなど何もなさそうなのに、そこはかとなく腹黒い気配が漂う。けれど少年の褐色の瞳に悪気はなく、だからこそ悪質だとも言えた。
 少年——キールは『先生』の呼び名が表す通り、イクスの弟子に当たる。しかし実情は押しかけ弟子であり、イクスが正式に弟子と認めたわけではない。

 それでもキールを近くに置いているのは、少年がイクスの師である『フラメウ』の紹介状を持っていたからだ。師から面倒を見るよう頼まれた少年を放り出すわけにもいかず、イクス当面の間、彼を弟子として扱うことにした。

 あくまでも一時的なものだと、そう言いながら気づけば半年が経っている。その間にキールはイクスたちに馴染み、いまでは軽口を叩き合うことにもためらいがなくなっていた。

「だって、先生がヴィルさんやネコ様に敵うわけないじゃないですか。結果は分かり切ってるのに、僕程度が正面切って二人に楯突《たてつ》けるわけないでしょ?」

 爽やかな笑顔で言い切られ、イクスは自身が孤立無援だと悟る。思わず天を仰いだ万能の魔法使いに、キールはさらなる追い打ちをかける。

「そんな顔してもダメですよ。先生は細かいところが壊滅的に雑なのを自覚してくださいね」
「もう良い……私は自分探しの旅に出る。短い間だが世話になった……達者でな、キール」

 意気消沈したイクスは踵を返そうとする。だが言うまでもなく、ヴィルがそれを許すはずもない。行く手に立ち塞がり肩を捕まえると、そのまま部屋の中に押し戻していく。

「おいこら逃げるなよ。旅に出るのはやることやってからにしろ」
「いや私はもう面倒くさ」
「ほらほら、馬鹿言ってないでさっさと調査の下調べ下調べ! キール、悪いけどこの資料テーブルに並べてくれ」

 イクスの抗議などどこ吹く風で、ヴィルは部屋に置かれた応接セットに引きずっていく。あまりにも情けない様子を眺めやり、キールとネコは同時にため息をついた。

「本当に仕方ないなぁ……ネコ様もそう思いますよね?」

 呆れた笑みを顔に貼りつけ、少年はネコに視線を向ける。寝そべったままのネコは、欠伸をした後一声鳴く。

 ——そんな会話のしばし後、椅子に腰を下ろしたイクスたちは、テーブルの上の資料を前に腕組みしていた。
 どこから手をつけるべきか。思案顔でテーブルを見つめたイクスは、ひとまず最初の事件の資料を手に取ると、そのページをめくり始める。



 今をさかのぼること五ヶ月前、発端となる事件が起こる。
 現場となったのは、古くから上流階級が暮らすクラウゼル地区。通称『貴族街』にあるルーヴァン侯爵で、その事件は起こった。

 その日、ルーヴァン侯爵は奥方とともに、友人が主催する晩餐会に出席していた。晩餐会を終えて帰宅したのは、日付が変わる頃だったと言う。家人に湯の支度を命じた侯爵は、玄関ホールである異変に気付く。

 それは、ホールの床に散る白い花びらだった。白い花びらはまるで、誰かが落としていったかのように点々と続いていたと——そう侯爵は語っている。侯爵と執事が花びらを辿ると、地下にある倉庫に続いていた。

 そこには侯爵家の家宝が保管されている。花びらはその扉の前で終わっていた。念のため執事が扉を確かめたが、特に鍵が壊されたりした形跡はなかった。

 しかし気になった侯爵は執事に扉を開けさせた。鍵は常に執事が持ち歩き、複製はない。けれど開かれた扉の先にあったのは——空っぽの宝石箱と、そのそばに散る白い花びらだけだった。


 ——事件のあらましを読んだイクスは、思わず唸ってしまった。

 確かに不可解な側面はある。だが、これは本当に魔法使いが調査するべきものなのだろうか。疑問をありありと浮かべるイクスに、別の資料を眺めていた騎士が声をかけてくる。

「どうした、何か気になることでも?」
「気になると言うか、今更というか……確かに多少妙な部分はあるが、この事件にそこまでおかしな部分があるだろうか? 個人的な意見を言わせてもらえば、巧妙な盗難事件にしか思えない」
「うーん、どうなんだろうな。宰相がわざわざイクスを指名するんだから、明らかにおかしい部分があるんだろうけど。お前にそう言われると否定もしづらいな」

 眉を寄せた騎士は、もう一度資料を見つめ首をかしげた。問題はその『多少妙な』部分のはずだが、騎士はもとよりイクスも答えを導き出すことができない。揃って唸る魔法使いと騎士を見つめ、ネコが尾を揺らす。

 八方ふさがりというにはまだ早い。けれど魔法使いが関わる必要性を考え始めてしまうと、事件の自体がそこまで不可解なものには思えなくなってしまうのだ。

「とりあえず、事件の重要そうなところを一つずつ突き詰めてみればいいんですよ。そうすれば曖昧な部分も減って見通しも立つんじゃないですか?」

 いつの間にか勝手に資料をめくっていたキールは、大人たちの目の前に一枚の紙を掲げる。あまりに自然な行動に咎めることも忘れ、イクスたちは少年を黙って見つめる。

 キールは紙に『貴族街連続盗難事件』と書き入れると、大人たちを尻目に冷静な口調で話し始めた。

「まず、これまで起こった事件は五件。最初の事件が六ヶ月前……次の事件が五ヶ月前で……大体月に一度の頻度で起こっている計算になります。連続した盗難事件と判断されたのは、四件目が起こってからのようですね。それまでは単独で起こった事件として扱われていたと資料には書かれています」

 キールは紙に『五件』『六ヶ月』と書き入れ、線で結ぶ。六ヶ月で五件と言うのは、多いのか少ないのか。

「そして、事件に共通するのが『貴族街』で起こっているということ。そして、どの現場にも『白い花びら』が残されていたということと、盗まれたにも拘らず『扉が破られた形跡』がないことです。関連事項としては、どの事件でも盗まれたものが保管されていた場所の鍵に複製は存在せず、また扉以外に出入り口も存在しないということでした」

 少年はさらに『貴族街』『白い花びら』『扉』『破られていない』『鍵』『複製なし』『出入り口』と書き入れていく。『扉』『破られていない』『出入り口』を線でつなぎ、『鍵』『複製なし』を円で囲むと、『扉』にその円を接続する。

 その図を見つめたイクスは、次第に問題の本質が何か理解し始めていた。キールの説明はわかりやすく、資料を流し見ただけとは思えない。少年の意外な才能に驚きながらも、イクスは導き出された結論を口にした。

「要するに……普通の方法では、その部屋に侵入することはできない、ということだな。盗まれているのだから、どうにしかして侵入したのは間違いないだろうが……その痕跡もない、という話か」
「そうです。『白い花びら』以外、その場には何の痕跡もなかったと書かれています。僕の意見ですけど、『白い花びら』さえなければ、事件が発覚するのはもっと後でもおかしくなかったと思いますよ」
「俺にもわかってきたぞ。痕跡も残さずに侵入できたのに、どうしてわざわざ『白い花びら』を残して事件を発覚させたのか? ここが事件の最もおかしなところだろ」

 得意げに言い放ったヴィルに目を向けて、イクスは軽く眉を寄せる。それは確かに重要なことだが、今追求するべき問題ではない。眉間に指を当てると、騎士に向かって首を振る。

「いや、ヴィル。それは事件の本質ではあるが、今ここで言っても答えは出ない。まず突き詰めるべきは『いつ』『どこで』『誰が』『何をしたか』。——『いつ』と『どこで』はわかっているが、わからないのは『誰が』『何をしたか』だ」

 イクスが言えば、キールは同意するように頷く。そして紙にそれを書き入れると、再び線でつないでいく。

「その中の『誰が』は、最終的な解答になるはずです。だとしたら、僕たちが追求するべきなのは『何をしたか』の部分でしょう。わかっているのは、『誰かが』貴族の屋敷から家宝を盗んだということ。……だとすれば、とっかかりは貴族の屋敷から盗まれた『家宝』にあるのかもしれません……」

 急に頼りなさそうな口調になって、キールはイクスとヴィルを交互に見た。先ほどまで饒舌《じょうぜつ》に語っていたくせに、突然不安になったのだろうか。イクスは苦笑いすると、少年に指を突きつける。

「なるほど。盗まれたものに関連があれば、犯人の狙いも見えてくるかもしれない。おい、ヴィルよ。盗まれたもののリストはそこに入っているか?」
「今見てた。えーと……全部、装飾品みたいだな。指輪とか首飾りとかティアラとか……種類はバラバラだ」
「犯人は装飾品を狙った……? ヴィル、盗まれたものに他の共通点はあるか」
「家宝っていうだけあって、高価なアンティークばかりだ。だがそれ以外と言うと……わからん。書かれているのはそれくらいだし」

 ヴィルがリストを差し出してくるが、イクスは曖昧に笑って首を振る。渡されたところで、イクスに装飾品を語れるわけもない。

 しかしながら、資料の情報に限界があるのも確かだ。卓を囲んだまま、犯人を捕らえられるなら苦労はしない。気が進まなそうに立ち上がったイクスは、騎士と少年に視線を投げかけた。

「さて、ならば次は実地で調査するしかないな。貴族街に行けば、何かしらの話は聞けるだろう」
「珍しくやる気だな。魔法使いの探究心に火がついたか?」

 茶化すヴィルを小突き、イクスは確固とした歩調で歩き出す。その迷いのない歩調に肩をすくめてから、ヴィルは座ったままのキールに意味ありげな笑みを向ける。

「さて、魔法使い様はやる気を出したみたいだし。怒鳴られないうちにも行くか」
「え、僕も行くんですか?」
「当然だろう。ヴィルだけでは心許ないし、そもそも人手が足りていないのだ。使えるものはネコでも使いたいくらいなのだから、人間のお前を使わない通りはない」

 振り向くこともなく言い放ったイクスは、さっさしろと言うように手を振ってみせる。不遜ですらあるその態度に何度も瞬いて、キールは困ったような笑みとともに立ち上がった。

「はい、先生。仰せのままに」

 窓辺のネコは、そんな師弟の様子をじっと見つめ——何かを諦めたように目をそらした。
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