やさしい魔法と君のための物語。

雨色銀水

文字の大きさ
上 下
1 / 86
第一部「君と過ごしたなもなき季節に」編

0:ひとりぼっちの魔法使い

しおりを挟む
 ――その森には、魔法使いが住んでいる。

 深い深い森の奥、人も寄り付かない場所で独りきり。たまに訪れるのは監視役の騎士と、窓辺に止まる鳥たちだけ。

 森の奥の家でひとり、なにもない日々を数えて暮らす。
 時を数えるのも忘れてしまうほど長い間。魔法使いはひとりぼっちだった。

 そんな彼を人は、孤高の魔法使いと呼んだ。
 けれど彼が、その呼び名を望んだことは、一度たりともなかった。

 ※        ※        ※

 この出会いを、運命と間違っても呼ぶことはできない。

 魔法使いは孤独なものなのだと、彼を育てた師は言った。

 誰にも心許すことなく、ゆえに誰にも理解されない。それは人そのものよりも世界の理に寄り添い、ときに世界に反逆してきた魔法使いにとって、当然の『理《ことわり》』であるのだ、と。

 だから彼——魔法使い『イクス』にとって、この森の静けさは愛すべきものだった。

 人はわずかな例外を除き訪れない。それは紛れも無い『孤独』だったが、何者にも侵されることのない静寂を、いとおしいものと感じていた。

 耳に届くのは森の木々のざわめきと、遠くで鳴く鳥の声だけ。夜は灯りもなく、輝くのは空の星と月のみ。

 そんな日々を、彼は愛していた。
 たとえどれほど孤独だとしても、確かに愛していた。

 ――少なくとも、あの日。
 森の中でうずくまり震える、小さな子供に出会うまでは。

 ※        ※         ※

 魔法使いは、目の前にうずくまるものを無感情に見つめていた。

 森の木々は静かに葉を落とし、鮮やかに地面を彩っている。歩めば地面を踏みしめる音が響き、湿り気を含んだ土の香りがした。

 あと少しで日も暮れ、じきに夜が訪れるだろう。
 木々の影が長く伸び、暗さを増していく空を眺めてから、魔法使いは再び『それ』を見た。

 『それ』は、使い古した布のようにボロボロで、どこもかしこも泥をかぶり汚れていた。

 何処かから逃げてきたのだろうか?
 特に感慨もなく、ため息を漏らす。ふと頭に浮かんだのは、近隣諸国の情勢の変化だった。

 最近、隣国の王が崩御した結果、後継者争いによる内乱が起こっているのだという。
 そのためこの国まで難民が大量に流入しているのだと、監視役である騎士が言っていたのを思い出す。

 例の隣国との国境は、まさに今この森がある地域だった。
 だとしたら、多くの難民がこの森にまで押し寄せるのだろうか。どうでもいいが面倒な話だ。そう感想を漏らした数日前のことが頭をよぎる。

 そして今、その戦乱の現実が目の前にうずくまっている。

 おそらく、隣国の難民の子供なのだろう。
 『それ』は小さく、とてもやせ細っていた。身につけている服はボロ切れにしか見えず、靴のない素足は傷と土で汚れきってる。

 微動だにしない小さな姿は、普通なら哀れを誘っても不思議ではない。だが、魔法使いは目をそらすこともなく、ただその姿を見つめていた。

 ――どうせ、もう生きてはいない。ここまで逃げてきて、力尽きたのだろう。

 名も知らぬ、どこの誰ともわからぬ子供だった。
 しかし命の消えたその身体は、物言わぬ肉塊でしかない。それがわかってしまったから、魔法使いは興味を失い目をそらした。

 だけどもし。
 たとえば、その子供がまだ生きていたなら?

 魔法使いは小さな骸に背を向ける。

 口元に苦い笑みが広がるのを感じ、魔法使いは戸惑い首を振った。
 監視役の騎士が見たら腰を抜かしそうなくらいに、苦々しい笑いだった。

 思わず浮かんだ『もしも』の話は、あまりにも無意味な仮定だった。
 その子供が生きていたなら、どうしたというのだろう? 抱き上げて温めて? そんなこと考えられない。

 考えられるわけがなかった。

 魔法使いは孤独な生き物だ。
 誰かの手をとって救い上げるなど、そんなことは夢にも思いはしない。

 冷たい枯葉を踏みしめ、歩き出した。そのはずだった。
 けれど、その瞬間、何かが裾を引っ張った。

 強い力ではない。それなのに、ひどく切羽詰まったものを感じ、魔法使いは振り返る。

 そして、目に映ったのは――。
 最後の力を振り絞るようにして裾を握りしめる、ボロボロの子供の姿だった。

 あまりにも弱々しいのに、怨念に近いほどの生への執着を感じる瞳。
 魔法使いは、小さく息を呑んだ。それほどまでに醜く鮮やかな、幼くも激しい生への渇望。

「たす、けて」

 ひび割れた唇が、かすれた声を吐き出した。

 魔法使いは動けなかった。
 振り払うことなど簡単なはずなのに、見捨てることは更に容易いはずなのに。
 魔法使いは動かなかった。闇のような黒い瞳から逃れることができない。

「たすけ、て。たすけて」

 繰り返す。壊れたように、狂ったように。
 それはきっと、本当に恐ろしいまでの執念。

 生きていたい。生きたい、生き続けたい。

「――助けて‼」

 幼くとも、いや幼いからこそ。生への叫びは純粋なものだった。

 魔法使いは驚いたように、子どもを見下ろした。
 やっと本当に『それ』が、生きた人間だと気付いてしまったから。

 ――ここから始まるのは、忘れえぬ優しくも苦い季節の話。
 魔法使いは、初めてこの腕に小さな命を抱きしめる。

 のちに魔法使いは、それを人生ただ一度の『奇跡』と呼んだ。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

完結 愛のない結婚ですが、何も問題ありません旦那様!

音爽(ネソウ)
恋愛
「私と契約しないか」そう言われた幼い貧乏令嬢14歳は頷く他なかった。 愛人を秘匿してきた公爵は世間を欺くための結婚だと言う、白い結婚を望むのならばそれも由と言われた。 「優遇された契約婚になにを躊躇うことがあるでしょう」令嬢は快く承諾したのである。 ところがいざ結婚してみると令嬢は勤勉で朗らかに笑い、たちまち屋敷の者たちを魅了してしまう。 「奥様はとても素晴らしい、誰彼隔てなく優しくして下さる」 従者たちの噂を耳にした公爵は奥方に興味を持ち始め……

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

処理中です...