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最終章 阿国、跳ぶ

(一)阿国、跳ぶ

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ずいと、丹波は手水鉢をのぞき込む。
ちゃぷりと涼しげな水面がゆれた。
どこも、これというものはない。なれど、いぶかしむ。ちらとみる先には、斬られた才蔵と介抱する鈴々がうずくまっている。
「さんざ、あがいておったのにあっけない。ようやく心が折れたか。それとも、なにかやらかしたのか」
もしやと、水中をうかがう。毒草でもまぜてないか。さらに、においはどうか。そこで、おやっとなる。くんくんと鉢をにおった。なにやら、桃の香りがする。
とたん、鈴々があたふたとなった。
「いけない。香りがばれた」
才蔵はけろっと笑う。
「構うものか。もう詰みとなってる。こっから、打つ手はない」
「そうか。いまさら、林に向かえば毒が廻る。ほかに水といえば沼しかない。白露を嫌っても、丹波は二進も三進もいかない」
「ちがいない」
二人はともにうなずいた。
風に乗って、ほんのりと鉢から香ってくる。
丹波はいらつく。手をこまねいてもいられない。それでも腕を組みしばし目をつぶる。そして、はたとなった。
「そうか、これは毒ではない。むしろ清めのものか。明海がいうておったな。桃のにおいの香るもの。それはひとたびのみだが、どの呪いも清めるという」
うめいた。
「白露か」
ぎろりと、二人をにらみつけた。才蔵がにやりとなる。
こいつめと向かいかけるも、足に痺れがくる。崩れそうになった。どうにかせねば、このまま倒れては立てなくなる。
「手を、打てぬものか」
「はや、投了しろ。もはや、打つ手なんかあるか」
才蔵がいい放つ。
ひとつ間があった。そして、こんどは丹波がにやりとなった。
「いや、そうかな」
「はったりか。なら水に浸してみろ。指一本でもな」
「ならば、指を浸そう」
すると、丹波はおもむろに腰の革袋から五寸釘を手にする。なにをするやら、才蔵も鈴々も息をひそめた。
素早く、一つ、二つと両手で印を組むと息を整える。そして左指で釘を摘まむや、右の指にずぶりと突き刺した。血があふれるのも構わず文字を刻む。さらに痛みで歪む口元が呪文を唱えはじめた。
鈴々は息を呑む。才蔵はふっと笑った。
「呪いを指にかけるのか。それで逃れるものか。浸せば、もろともに清められる」
なぜか丹波は嘲笑っている。
やおら、かあっと口をあけると、ばきりと文字の指を噛み切った。あっとなる、才蔵と鈴々。血の滴る口元が、鉢の中へ指を吐く。
ちゃぽんと沈めば、そこに桃色の煙がふわりと上がり、すっと消えた。
「白露よ、おさらば」
かあっははっと丹波は高笑い。
「そ、そんな」
鈴々は嘆く。
「そうか、指を、ひとつの依り代とした。ゆえに、もうひとつの呪いとなった」
才蔵はうめいた。
「ひとたび、清められたのか」
もがきながら、なんとか立とうとするも、痺れる痛みに目がくらむ。さっぱり力も入らない。息まで詰まりそうになった。
「にっ、逃げろ。鈴々」
その、震える肩を鈴々は後ろからぎゅっと抱きしめた。
「えっ」
ほおにつたう涙があった。
「才蔵がいるもの。怖くない」
鈴々は、才蔵の腰袋から玉を取る。ひとつとなったほうろく玉。火縄を近づけて、いつでも火をつけられる。
「ふたりでいるの」
その瞳に迷いはない。きっと前をにらみつける。
「こいっ、百地丹波」
凛とした声があった。才蔵はうなづく。涙がほろりとこぼれた。
ひゅるり、ひゅるりと風が吹き抜ける。沼が、ごぼごぼと泡を立てた。
かっかかと冷えた笑い。
「いまさら、巫女が挑むか。なんの打つ手があるのやら」
丹波は嘲る。
「あるなら、破れかぶれの玉か。なに、とったかみたかで、鎖鎌で腕を断ってくれる。あとはぶちるのみ。巫女ならば、おそらく沼の底が抜ける。しのかみであふれよう。滅びがやってこよう」
どれと、右腕をまくった。
「洗えば、二人をぶちるか」
それでも、才蔵も鈴々も怖気ない。その二人に、これみよがしに腕をふり上げた。
「投了よ」
からっとひと笑いすると、ざぶりと鉢の水へ腕を沈めた。
とたん。
丹波の顔がぐにゃりと歪む。うっがあっと腕を抜くや、うろたえる。腕はただれ、白煙がのぼっていた。
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