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最終章 阿国、跳ぶ

(五)なんでも出来る天邪鬼

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「か、からかうな」
「あざむくつもりか」
「そうか、いうわけがないって、いったからかい」
百学がきょとんとなる。
「天邪鬼だから」
ぷっとなるのを、千石はこらえた。
「それで、どうすればやっつけられるの」
阿国がずばりという。天邪鬼は満面に笑みが広がる。
「さても、さても」「いうぞ、いうてやる」
もったいぶる。
「我は、もはや出来ぬことはない。なんでも出来る」「仏である。神である」
そっくり返った。
「それが、くつがえるとあらば」「我は、ただの土塊とならん」
「くつがえる」
阿国はおつむをひねる。
「すなわち、おまえたちに出来て、我に出来ぬこと」「やってみよ。みせてみよ。ならば、我は仏にあらず、神にあらず」
天邪鬼に暗い笑いがあった。
「さあ、挑んでみるか。なれど、これはひとり、ひとたびのみ」「しくじれば、祈るものとなる。永遠に、このものたちと我を祈れ」
千石が息を呑む。
「さては、そうやってひとを石にしては喜んでたか」
「からかいですね。これは」
「それでも、やり込められるやも」
百学は疑わしい。
「そもそも、鵜呑みにしてよいものか」
どうやらと阿国は腕組みをした。
「あやつは、言霊が力の源のような。いうことをやりとげることで、神仏でいられるのではないか。とすれば、うそっぱちとなれば力が失せる」
ふんと千石が鼻で笑う。
「逆らうやからのくせに」
「天邪鬼は、おのれが正しいの。なにがなんでもおのれのいう通りにするの」
「みょうな、正直ものか」
そこで阿国はふと、天邪鬼に向き直った。
「ちょいと、まっとくれ」
いぶかしげな素振りをする。
「神仏に挑むとなれば、正々堂々と。ちがうかい」
うむと、天邪鬼はうなずく。
「ならば、ずるはいけないね」
「なに、ずるとな」「ずるをするとな」
「心をのぞくだろ。ねたがばれる。丁半博打でつぼをのぞくのとおんなじ。神仏がいかさまをやっちゃあねえ」
すると、弾けたように笑い転げた。
「のぞかぬ。それでは、楽しめぬ」「いかさまでは、つまらぬ」
そういうと、これみよがしに目をおおって、くるりと背を向けた。
ふうと千石が冷汗をぬぐう。
「いやはや、危うく手の内をさらしたな」
「いったからには、さとりの真似はやらないでしょう」
「とはいえ、こっからだよ」
それで、阿国はちらと空を仰ぐ。
・・おや、夕暮れにどれほどもないね。こっちも踏ん張りどころか。
千石と百学がおつむをひねりあげる。
なんでも出来るものに、出来ないことを挑む。
とんだ、謎かけ。
「ひとおもいに、百地丹波をやってくれねえか。なんでもやれるのだろう」
「それならまず、おまえからやってみろですよ」
百学がつづける。
「いっそ、神仏というなら、救いをこうてみたら」
「なら、祈るものとやらになるよ。もはや、悲しむことも、苦しむこともない」
ふむうと、千石が腕組み。
「この謎かけに、かこつけて才の字の加勢にゆけぬものか。いや、そのまえに日が沈む。そうすると、こいつは、こいつでどうにかするしかないか」
百学も途方に暮れる。
「たとえば、百種の薬草を問い比べ。いいや、和国に、漢方に、南蛮にと、八百万の病の処し方。おっと、そういえば、ひとつといってたっけ」
こうとなればと千石がほおを叩く。
「二進も三進も、いかなくすればいいのさ」
「あにさま」
低い笑いがある。
「くたばる。これでどうだ」
「なっ、なんてこと」
百学は絶句する。
「俺ひとりですむなら、安いもの」
阿国は呆れた。
「おやめ。そりゃあ、くたばってみせれば、くたばるさ。でも、次の番になったら、けろっと生き返るよ。なんたって、なんでも出来るから」
「うっ。生き返るなっていえば」
「それ、二つやれといってる。それに、あれは生きもなのかい」
「まいったな」
そこで、ともに黙りこくった。それぞれ、おつむをひねる。それぞれ、ねたとなるものの糸をたぐっていた。
千石はつぶやく。「生きものならいいか」
百学は腰に手をやった。「やるからには、拒めまい」
阿国は扇子をいじくる。
「つまり、あたしに出来て、なんでも出来るものには出来ないもの。ひょっとしたら、ひとつ、あるかも」
ひゅうっと冷えた風が吹く。夕暮れの気配がにおった。
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