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最終章 阿国、跳ぶ

(五)二手にわかれる

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さてと、阿国がいう。
「あれっきりだ。どっかでくるとみたが、あてが外れたか」
ちらっと空を仰ぐ。眉がくねった。
日が傾いている。
「どうみる。ここらで、やつは仕掛けてくるかい」
阿国が才蔵に問う。
才蔵はしかめっつらをした。
「こない。もっと暗くなってからか」
えっと百学の腰が浮いた。
「そ、そんな。日が落ちたら、札も役に立たない。みんなしのかみに喰われる。そうなればやつも生けにえを失うことになる」
千石がぱちんと指を鳴らす。
「ほら、そこよ。その泡喰った処をねらってる」
百学はあっとなった。
「つくづく喰えないな。なるほど博打だが、こちらも尻に火がついて、その隙を突いてくるのか」
阿国にふっとが笑いが浮かぶ。
「百地の丹波」
ならばと、ひざをぱんと叩いた。
「ひとたび、下りる」
みな、えっとなった。
「この、じりじりも罠だね。焦りばかりが膨らんでくる。そうなれば、いざとなって慌てふためく。みすみすやられてたまるか。やつの土俵には上がらない」
 にやりと千石が笑う。
「尻をまくれるうちに、まくるか」
と、才蔵がまったをした。
「いや、そうなると、やつは山のぶちりどもをけしかけ、二進も三進もゆかなくなる。とっぷりと日が暮れちまう」
「では、どうすればいいの」
つい、百学がきつくいう。
「囮がいる」
「お、おとりって」
「つまり、おいらと、鈴々が骨沼に残る。そこで、みんなは浜へと」
みなまでいう間もない。
おらあっと叫び、千石がむんずと才蔵の襟首を掴み上げた。
「ば、ばかやろう」
真っ赤になっている。
「そんなこと、出来るか。たとえ、ぶちりどもが束になろうとな、なんとしても俺が道を切り開く。才蔵も鈴々も一緒だっ」
才蔵の瞳がうるんだ。
・・だ、だからなんだよ・・旦那。おそらく旦那は・・腹をくくってる・・道を切り開く・・その代わりに・・その身を砕く・・あの・・弓月房のように・・
「ま、まって」
どもりながら、鈴々が口を開いた。
「これは、その、助けを呼んで欲しいの」
「助けって」
百学がくり返した。
「そ、そう、迎えの船よ。それにはきっと桃々さまの手立てがある。百人力の立波の親方だっている。その助けを呼べば、みんなでやつを倒せる」
そうかと百学はうなずく。
「これも博打ですが、手立てを手にするための、囮というわけですか」
渋いつらの千石は掴む手を離した。
「俺は、残ろう」
いいえと、鈴々はきっぱりという。
「けしかけなくとも、山のぶちりはくる。そこで槍をふるうつわものがいないと。加えて百学さんの玉と、姉さまの知恵があってこそ」
凛とした鈴々に、さすがの千石も押された。
「おまけに、囮は鈴々がいないと囮にならないし、おいらでないとやつを防げない」
咽ながら才蔵がいう。
こうなると、もう千石に抗いようもなかった。
ところで、阿国はそのやりとりに口を挟もうとはしなかった。
心が痛かった。
そうか・・この子らは口裏を合わせたね。あたしらを助けるために。そして、いざとなればその身を、砕くやも・・
くっと唇をかむ。
してやられた・・まさか、助けを呼んでとは。いいおつむのひねり。あたしらは否とはいえない・・
もはや・・ゆらぐまい。あの瞳はそういってる。そして、これをやつは逃すまい・・ちくしょう。この子らをやらせてなるか・・ならばどうする・・
阿国は、おのれに問う。
なにか、とっておき・・とっておきの策がいる。
ともあれと帯をぽんと叩いた。
「よし、なら囮をやるか。とはいえ、なにかしら、やつやぶちりを防ぐ手立てをしてないと、心もとないね」
百学がぴんときた。
「護摩壇とかどうです」
そうかと、千石もうなずく。
「鈴々もいわば、巫女。これで護摩を焚いて祈れば、やつらとて易々と近寄れまい」
「なら、とっとと組むよ」
よっしゃと才蔵が腰を上げたところで、阿国がおまちとなった。
「才蔵と鈴々は馬をみとくれ。結界はあるが無事だろうか。山を降りれないとね」
「なにか憑いてたら、塩まみれにしてやります」
鈴々が腕まくり。では、こちらもと千石が手につばする。
「裏に薪はなかったかな。そうだ、台もいる。床板をはがすか」
それならと、阿国も腕をまくる。それをこんどは千石がまったした。
「姉さんは見張りをやってくれ」
「えっ、あたしだってね」
「やつがこないとも限らない。みっけたら指図を頼む」
「そうかい」
「どうせ、すぐにへたれて、腰をいわしたの、汚れたの、文句たらたら」
阿国がなにかいう前に、千石はすたこら屋根を下りた。
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