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最終章 阿国、跳ぶ

(四)二手にわかれる

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雨が止んでいた。
雲があれよあれよと流れてゆく。
いきおい、島につむじ風が吹き抜けた。草木がざわつき、雑木林がゆれ、沼は波立った。
やたらと冷える。
へっくしっと才蔵はくしゃみした。
ひいっ、ひいっ。
屋根の下から千石ののたうつ声がする。
「さては、鈴屋の塗りものか。あれはしみやがる」
 へらっと笑って、ふるっと震えた。と、そこで、かたりと音があった。
あれっと振り返ると後ろで瓦が一枚、二枚とずれてる。
「さぶっ」
 瓦をどけた処から鈴々がのぞいている。
「おっ、おい」
 のそのそと這って出てきた。
「あのね、屋根裏へ梯子か掛けてあったの。もしやと上がったら、やっぱり」
「いや、でも」
「ここなら、手当やっても見張れる」
「ちょ、ちょっと」
もはや、問答無用とばかりに才蔵の袖をまくった。
「あの、塗りものはいいみたい。千石さんもひいひい喜んでた」
「いや、まって」
またない。鈴々は腰にぶら下げてた小ぶりな器から、褐色の塗り薬をずぶりと腕に塗りたくった。
ひいいっ。めったにない才蔵のもだえ。
「ねえ、効いてる」
くいくいと首がのたうつ。
「よかった」
違う、違う、うなずいてるんじゃない。もう声にならなかった。けれど、しばらくするうちに、ひりひりからほかほかになってきた。心なしか腕も軽い。
ほおっと才蔵はにっこり。
そうか、はじめをこらえたらいいのか。
それで放っとくと、腕に足に、それからお尻にまで塗りたくろうとする。
「おっ、おいおい」
「才蔵」
しばし間があった。その、桜色のくちびるがふるっとなる。
「あ、あたし、許せない。やつは許せない」
うつむく鈴々。
「許せないの」
手が震えていた。
「でも、阿国姉さまも、千石さんも、百学さんも、助けたい」
涙がぽろぽろと才蔵の腕にこぼれた。
「助けたい」
ぎゅっと腕を握る。
「あたしは、どうなってもいい」
腕をゆさぶった。
「どうしたら」
ほろほろと泣いてた。
「どうしたらいい。才蔵」
さわっと風があった。
才蔵はどこか遠くを見ていた。ややあって、その片方の手が鈴々の背を抱く。そしてうんとうなずいた。
そのあと二人はしばし語った。
互いにうんとなったとき、またも、かたりと音がした。
はっとなる才蔵に、鈴々。
さらに瓦がどけられている。そこから、阿国がのぞいていた。
「わっ。姉さんかよ」
へらっと笑いがあった。
「手当はもういいかい」
のそのそと出てきた。つづいて百学と耳まで呪文を書かれた千石が這って出てくる。
「ありゃ、みんな上がってきた」
「いいね、いいながめだ」
ふむふむと阿国が腰を下ろした。それで百学も千石も座った。ひゅるるっと風が吹く。木々がざわっとゆれて沼に波紋があった。
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