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最終章 阿国、跳ぶ

(三)二手にわかれる

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「あれも、唐鬼とやら」
草むらに百学がへたり込む。いっしょに座り込む鈴々は知らないと苦笑いした。
「でも、へたってられない」
才蔵はしかめっつら。
「沼へゆくよ」
阿国がきっぱりといった。
「腹をくくるか」
そういう千石の首に巻く鈴の数珠が、またひとつ砕けた。
「落っことすか、落っことされるか。諸刃の刃ってな」
才蔵にめずらしくためらいがあった。
「ちがう」
鈴々がぴしゃりという。
「なにが、なんでも、ぶちるの」
その瞳がきらりと光った。
よしっと、阿国がぱんと手を打った。
「なら、いうことはない。ひとまず屋根のある御堂へゆく」
ちらっと仰ぐ。ぽつぽつと降ってきた。いつのまにか雲がおおってる。風がざわざわと草木をゆらしていた。
雲の流れが速い。
あたかも、波乱が起こると告げているようであった。
小道を進み、ほどなくぷんと生臭くよどんだにおいがする。にょきりと歪む雑木林に囲まれて、ねっとりと緑に濁る沼があった。
骨沼というにふさわしい。
と、そこで百学は指さした。
「御堂がある。焼けてない。雨宿りですね」
沼のほとりに、なるほど古びた御堂がそのままあった。
へえっと才蔵が先に走り寄って、周りをぐるっと廻った。おかしな処はなかったのか両手で輪っかをこさえた。
「ここは護摩を炊く処だから、火の粉から守るように壁に細工がある。それで燃やすに燃やせなかったかね」
千石がいうのに阿国もうなずいた。
「よし、鬼の居ぬ間になんとやら。ついでにみんなぼろぼろ。手当もやろうか」
ふうっと千石はもちろん、すり傷だらけの百学に、まだお尻が痛い鈴々が御堂へと急ぐ。ところが才蔵はひょいっと屋根に上がった。
「才の字。おまえもいっぷくしないと」
「あとで。それに見張りもやらないとね」
「それもそうか。では、すまないね。しばしやっておくれな」
それで、千石と阿国は御堂へ入った。
ぽつぽつと糸の雨が降る。ときおり、沼が波立つような風が吹く。そのためか雲間が切れて薄日が差した。そろそろ雨もやむのかもしれない。
才蔵はしばらく空を仰いでいた。
笑みが消えている。
日が傾いてた。

ごお、ごお、ごおっ。
かがり火が三つ、四つと焚かれてゆく。
貝塚の浜には村々からひとがぞろぞろと集まっていた。屋台もてんてこ舞い。いよいよ、しめの紅白寺の桃々の祈りと阿国一座の巫女踊りが始まる。
やれ、それ、もうひとふんばり。
浜の男衆は新たに護摩壇を組む。女衆は踊りの舞台を掃いては清めの塩をぱらぱら。おちびどもは誰彼なく甘茶を振舞う。
紅白寺の宿の方では一座の娘たちが腹ごしらえをしていた。みんな巫女姿でむすびをほうばる。紅白寺の尼もほうばる。共に踊る手筈だ。えいえいおっ、の声も上がった。
奥の部屋で白鈴が賑やかなことと笑った。
布団からゆるりと起きる。そこで、巫女姿の小雪が薬湯の湯飲みを渡そうとした。と、舌が曲がると白鈴はぷいっと横を向く。なに、鈴屋の薬湯がよぽど苦いと阿国のものまね。
二人で大笑いした。
「さて、とどめは派手にやるってね。これで、おばけどもをみんな追っ払っとくれ」
「巫女踊りは久しぶり。せいぜい、気張ってやらせてもらいます」
「そうか、これ小桜の十八番だね」
ちらっと湊の方を見やる。
あの京林どもを追っ払ったあと、船を清めなおして、お札を貼り、それで立波と水夫は腹ごしらえをすませると、小桜たちを乗っけて慌ただしく湊から出ていった。
「まさか、あっちにまで追っ払いにいくとはね」
「あたしか、小桜が、やってやろうって。でも、じゃんけんで小桜になって悔しい」
「阿国は魂消るか」
「ふふっ。出雲の巫女踊り。さあ、あっちも、こっちも、おばけは出てけ」
「ところで、あの若葉と二葉までいっちまったのかい」
小雪がしょっぱい笑い。
「舞台の組木を積んでる間に、もぐり込まれた。いつもはのほほんとしてるのに、こういうのは素早い」
「かつて、二人もひと買いの処から逃げたってね。けれど、ゆく当てもなく神社の軒下で震えてたのを、阿国が拾った。それからは、阿国が姉さまで、おっ母さま。ゆえに居ても立ってもいられなかったか。でも、いまごろは酔ってげろげろだろう」
ほたほたと白鈴が笑った。
「ちなみに、おかっぱ頭の、巫女の姉弟がいたね。あれが、あの二人かい」
「はい。桃々さまの童たち。紅桃と白桃」
「しきりに、二人して手になぞってた」
「あれは、しやべっていたとか」
「しゃべる」
「姉の紅桃は目がいけなく、弟の白桃は耳がいけない。それで、手のひらに指でなぞり、しゃべっているそうです。でも、それゆえか、念がとびきりとか」
ふむと、白鈴はうなずく。
「腕に貼ってる札は、二人がこさえたものとかで、ほら、いまだに痣が消えてる。あのおちびたち、なかなかのものだね」
桃々さまはと、小雪はひとつ息をついた。
「よくぞ、島へ二人をゆかせてくれました。あれなら唐鬼もへっちゃら」
「頼もしいね」
でもと、小雪が辛そうになる。
「ひとことありました」
白鈴が舌打ちをした。
「しのかみの、あやつは、どうにもならないか」
「はい。やはり、五人に賭けるほかない」
震える小雪の肩に白鈴はそっと手をやった。
「なんの、乱破の才蔵に、道士の鈴々。学術の百学に、武術の千石。そして、それを束ねるは策士の阿国。つわものぞろいじゃないか。島で白旗がひらひらさ」
「はい。でも、もし危ういなら、逃げる助けは二人がやれる。いったん退いて、そのあとは桃々がともに、おつむをひねろうかと」
「あたしもひねったげる」
小雪に笑みがこぼれた。
ふいに、かんかんと鐘の音がする。
「おや、桃々さまの合図だ。小雪もそろそろ」
はいと、立ち上がる。
ほろっとなりそうな心をふり払った。
「そうとも、いざとなったら、座頭の逃げ足は鬼も魂消る」
泣いて笑った。
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