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第七章 紅白さまのお札

(四)逃げた明海

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そこも、やはり錦の幕が張られて、旗がひるがえっていた。けれど、鎧の武者はひとつ。奥で床几に座っていた。
「わら人形じゃない」
百学がぶるっとなる。
「干からびているが、あれは、大波の浜長さまか」
千石は嘆いた。
これから、戦の采配をおこなわんとばかりに軍配を手にした骸であった。そして、頭上には三本の垂れ幕が下りる。白地に朱のぶっとい文字がおどっていた。
阿国がすらっと読む。
「いよいよ、ぶちりのなかのぶちりがはじまる。宴となる、祭りとなる。唄えや唄え、踊れや踊れ」
二本目を百学が読んでみる。
「われこそ、ぶちりなり。みごとぶちれるか。ぶちらねば、ぬしらが、いや、この和国のものどもが、ぶちられよう」
三本目を鈴々が震えながら読んだ。
「我は、この島のどこかにおる。さあ、捜してぶちれ。隅から隅まで、走れや走れ、踊れや踊れ。ぶちりが終わるか、ひとが終わるか、舞台の幕は上がった」
しばしあぜんとなった。
ややあって、どんと千石が床を踏む。
「なんて、まねをする」
「してやられたね」
からっと阿国が笑った。
「つまりは、この、唐鬼のうろつく山で、かくれんぼ」
才蔵が荒れた。
「そのうち日が暮れる。終わってしまう」
百学がうなだれた。
「あ、あの船のことは、これのことか。百地がしのかみ、じゃない、しのかみが百地だから厄介なのか。戦いすらやらせない。はめられた」
「さても、やつめが上手であったな」
ひょこと秀麿が御堂に入ってくる。ひゃははと嘲けたように笑った。このっとなる才蔵に阿国がぴしゃりといった。
「ほっときな」
そして、鈴々に清めの塩を浜長にふってもらうと、向かいに座って手を合わせた。
「では、いまはこれにて」
いくよと、立つとそのまま御堂を出た。さわさわと風があった。護摩壇の炎はやや勢いが衰えている。雲が厚いのか日の光は鈍かった。
どうせと、才蔵がいきり立った。
「捜せとかぬかして、その辺りでのぞいてる。面白がってる。やいっ、出てこい。いつから腰抜けになった、おいらにおびえたか」
「や、やめましょう」
とまどう百学に阿国はやさしく笑った。
「憂さは、晴らしてやりな」
それでと、千石の口がへの字になる。
「どうしたものか」
そこへ秀麿がしゃしゃり出た。
「どうもこうもない、やるしかない。このままでは日の本までも、危うくなる」
もどかしそうに身振り手振りをする。
「ほれ、手分けしてやる。まろもやる。こうなれば六人となる。三人、いや二人で、やつを追ったとしても、ぬしらは腕はある。遅れは取るまい」
「いつぽっくりとなるかもしれないのに、ちゃんちゃんばらばらか」
千石が笑った。
「それに、みなはひとつよ」
「では、なんとする。西か東か、北に南か。おつむをひねっておってもはじまらぬ」
ふんと千石は鼻で笑って、本堂そして、その先を指さした。
「いっそ沼を鎮めるのはどうだ。こちらも護摩壇を組んで、鈴々や、祈ってくれるかい。そも沼がおさまれば、ぶちりも消えよう」
「喜んで。みんながいれば怖くない」
鈴々が文字のある数珠を手にする。
「ま、まちゃれ。いまや、ごうごう燃える山火事に、柄杓で水をかけるようなもの」
「なんの、うちらは、でっかい柄杓よ」
へらっと笑う千石に秀麿があたふたした。
「らちがあかぬ。これ、狐葉。なんとかゆうておくれ」
えっと、みょうな顔になるも、才蔵はそっぽを向く。
ふふっと阿国が笑った。
「沼で護摩を焚くのは面白い。でも、それはとっとこう。それで、このかくれんぼだけど、あてがないようでいて、あるものが知れたら鬼がみつかるやもしれない」
「あるもの」
百学も才蔵も、はてとなる。
「喰いものだよ」
「それは、なぜ」
鈴々はぴんとこない。
「なに、たあいもないこと。やつは、ともあれ寺で主となって暮らした。たらふく山海の料理を喰らっては、不味いと文句たらたらだったらしい」
千石がぷっと吹いた。
「道珍だな。寺の婆さまが、さんざぼやいたってな」
「つまり、舌も肥えたろう。それなら、いまさら夜露やら、ひとの死肉やらは、ごめんだろうよ。酒につまみはゆずれない」
なるほどと、百学がうなずく。
「それなら、岩穴や洞窟じゃない。喰いものや、酒のある隠れ家なのか」
ほうと才蔵も笑みが浮かぶ。
そこで、まってましたとばかりに秀麿が叫んだ。
「あ、あるで、おじゃる」
冷ややかな目が集まる。
「ここより、さらに登った処でおじゃる」
「なにが、おじゃるのか」
才蔵がうんざりする。百学がもしやと、なった。
「湯治場ですか。あそこに隠れる処が、あったか」
「いいや、その奥にある。いつごろのものか、奥の院よりも古き寺院の跡がある。いまは誰もおらぬが、やつはときおり籠っておった」
「いにしえの寺の跡」
百学がいぶかしむ。
「朽ちた古寺でもあるのか」
ふと、もう才蔵が歩いてゆく。
「なにか、むしの知らせか。でくわすかもな」
「よし、まろもゆくぞ」
「もうよせ」
そういう千石を手で払うや、秀磨はどこに元気があるかというくらい足早になる。
「まろとて、玉のひとつくらいくらわせる。そして、まろにはやつが籠った処が、おおよそ見当がつく。そこになら酒も米もあろう」
えっと、才蔵の足が止まる。そこをとっとと杖をつきながら抜いてゆく。百学も鈴々も呆れた。
ふと、阿国がひとりうわの空でいる。
「姉さん。うかないな」
千石がぽつり。阿国はしょっぱい。
「百地。なにか、こう、まどろっこしい」
「ぐうたらものには、上手い手さ。手をわずらわすことなく、酒でも呑んでられる」
「みくびられたか」
「おくしたのよ」
阿国がぷっと笑った。先をゆく鈴々が何度も振り返る。それでもう語らず、二人はあとを追った。
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