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第七章 紅白さまのお札
(五)小雪、してやったり
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「おや、ぶるぶるとなさいますが」
所々、ひび割れて、はがれた土壁に染みがあちらこちら。それがなにやら、ひとの影のようでもある。
「なに、武者ぶるいというものよ」
ごくっと固唾を呑む。
「頼もしや」
丸い瞳が笑った。
そして、蔵の奥に阿弥陀如来がある。手前に線香と花が供えられていた。敷かれたござにそろりと座ろうとしたとき、ばたりと扉が閉まった。
灯がゆらりとなった。
もしや、灯が消えたら真っ暗になる。
「こ、これ」
「よいのです。閉めねば、お清めとはなりませぬ」
京林はやむえない。
さてと、桃々は背筋を伸ばした。
「いまより、お経を唱えます」
「うむ。清めか」
「なれど、これは修行でもあるのです。死人が邪魔をする。あらぬものをみせつけ、経を断たんとする。心乱れては、呪われましょう」
「なっ、なに。それは、聞いておらぬ」
どっぷりと冷汗が出た。
「でも、たわいないこと。目をつぶって経を終えたら、お終い」
「そうか」
「ゆえに、なにがあろうと、聞こえようと、いっときの辛抱」
「う、うむ」
いっときの辛抱と、京林はつぶやいた。
ゆらっと灯がゆれる。
そして、阿弥陀如来に向かい経を唱え始めた。
ぷんと、香がやけに匂う。ともすれば咽せそうになった。
ほどなくして。
ずるっ、ずるっとなにやら、這いずる音がする。京林の経が震えた。なにか、これはなにか、問いたい。されど、それでは経が断たれる。
さては、死人かと、経に力を込めた。
それは、いつのまにやら静かになった。ほっとなるのもつかの間、次に、ふっと燭台の灯がひとつ消えた。
「なに」
目をつぶっていてもわかる。つづいて燭台の灯が二つ、三つと消えてゆく。冷や汗で衣がぐっしょりとなる。声も裏返る。がたがたと震えがおさまらない。
そこで、はたとなった。
消えている。
桃々の、お経の声が消えている。
京林の経が切れ切れになった。いかぬ、いかぬと、焦れば焦るほど、おびえが、のた打ち廻る。
ふいに、冷やりと首筋をなでられた。
「ひっ」
耳元でささく。
もし・・もし・・
ひとつ、残った燭台の灯がゆらゆら。
たまらず、目を開いた。
そこに、真っ白な衣装に、真っ白な肌、黒い縄の痣が浮かび、目の真っ赤な女がのぞきこんでいた。
「ひゃあっ」
京林は跳び上がった。
「とおっ、桃々」
横を向くと、頭巾が脱げ、額が、焼けただれた桃々。
「痛い・・」
もはや、心はびりびりに破れた。
「ひゃあっ、ひゃあっ、呪いじゃあ、呪いじゃあ」
ひっくり返るやら、転がるやら、這うやら、それで扉にぶち当たって転げ出た。それからは、わめきながら、馬へゆくとすぐさま、またがって狂ったように馬の尻を叩き、どこへともなく駆けていった。
老師も坊主どもも、なにがなにやら。
小雪が叫んだ。
「早う、早う、追いなされ」
それで、ともかく老師が追っかける。そして、尼さま二人も叫んだ。
「みなさまも、早う、早う、追いなされ」
坊主どもも慌てふためき、追っかけた。
若葉と二葉が叫ぶ。
「さあ、さあ、みなさま」「早う、早う、いっちまえ」
そのまま、坊主どもは彼方へといってしまった。
しばらくして。
「どれ、追っ払ったかい」
頭巾を直した桃々が白鈴の手を引き出てきた。すぐに若葉と二葉が支えにゆく。
「やれやれだね」
「白鈴お姉、すみませぬ、具合が悪いところ」
小雪に、白鈴は苦笑い。
「あんたもやらかすね。あたしを出汁にするかい」
「いや、そんなつもりは」
「白々しい。やだねえ、年々似てきてるよ。そのうち、用もないのにうちに来ては呑んだくれて、くだを巻くようになる」
よっ、座頭と若葉と二葉のかけ声に、みんなの笑いが弾けた。そこへ、おおいと声がかかった。松林から立波が太い馬の手綱を引いてやってくる。
おやと、桃々がぽつりという。
「どうやら馬に乗ってるのは、お狸どのか」
「あっ、ということは」
そこで小雪が改まった。
「桃々さま、お話があります」
所々、ひび割れて、はがれた土壁に染みがあちらこちら。それがなにやら、ひとの影のようでもある。
「なに、武者ぶるいというものよ」
ごくっと固唾を呑む。
「頼もしや」
丸い瞳が笑った。
そして、蔵の奥に阿弥陀如来がある。手前に線香と花が供えられていた。敷かれたござにそろりと座ろうとしたとき、ばたりと扉が閉まった。
灯がゆらりとなった。
もしや、灯が消えたら真っ暗になる。
「こ、これ」
「よいのです。閉めねば、お清めとはなりませぬ」
京林はやむえない。
さてと、桃々は背筋を伸ばした。
「いまより、お経を唱えます」
「うむ。清めか」
「なれど、これは修行でもあるのです。死人が邪魔をする。あらぬものをみせつけ、経を断たんとする。心乱れては、呪われましょう」
「なっ、なに。それは、聞いておらぬ」
どっぷりと冷汗が出た。
「でも、たわいないこと。目をつぶって経を終えたら、お終い」
「そうか」
「ゆえに、なにがあろうと、聞こえようと、いっときの辛抱」
「う、うむ」
いっときの辛抱と、京林はつぶやいた。
ゆらっと灯がゆれる。
そして、阿弥陀如来に向かい経を唱え始めた。
ぷんと、香がやけに匂う。ともすれば咽せそうになった。
ほどなくして。
ずるっ、ずるっとなにやら、這いずる音がする。京林の経が震えた。なにか、これはなにか、問いたい。されど、それでは経が断たれる。
さては、死人かと、経に力を込めた。
それは、いつのまにやら静かになった。ほっとなるのもつかの間、次に、ふっと燭台の灯がひとつ消えた。
「なに」
目をつぶっていてもわかる。つづいて燭台の灯が二つ、三つと消えてゆく。冷や汗で衣がぐっしょりとなる。声も裏返る。がたがたと震えがおさまらない。
そこで、はたとなった。
消えている。
桃々の、お経の声が消えている。
京林の経が切れ切れになった。いかぬ、いかぬと、焦れば焦るほど、おびえが、のた打ち廻る。
ふいに、冷やりと首筋をなでられた。
「ひっ」
耳元でささく。
もし・・もし・・
ひとつ、残った燭台の灯がゆらゆら。
たまらず、目を開いた。
そこに、真っ白な衣装に、真っ白な肌、黒い縄の痣が浮かび、目の真っ赤な女がのぞきこんでいた。
「ひゃあっ」
京林は跳び上がった。
「とおっ、桃々」
横を向くと、頭巾が脱げ、額が、焼けただれた桃々。
「痛い・・」
もはや、心はびりびりに破れた。
「ひゃあっ、ひゃあっ、呪いじゃあ、呪いじゃあ」
ひっくり返るやら、転がるやら、這うやら、それで扉にぶち当たって転げ出た。それからは、わめきながら、馬へゆくとすぐさま、またがって狂ったように馬の尻を叩き、どこへともなく駆けていった。
老師も坊主どもも、なにがなにやら。
小雪が叫んだ。
「早う、早う、追いなされ」
それで、ともかく老師が追っかける。そして、尼さま二人も叫んだ。
「みなさまも、早う、早う、追いなされ」
坊主どもも慌てふためき、追っかけた。
若葉と二葉が叫ぶ。
「さあ、さあ、みなさま」「早う、早う、いっちまえ」
そのまま、坊主どもは彼方へといってしまった。
しばらくして。
「どれ、追っ払ったかい」
頭巾を直した桃々が白鈴の手を引き出てきた。すぐに若葉と二葉が支えにゆく。
「やれやれだね」
「白鈴お姉、すみませぬ、具合が悪いところ」
小雪に、白鈴は苦笑い。
「あんたもやらかすね。あたしを出汁にするかい」
「いや、そんなつもりは」
「白々しい。やだねえ、年々似てきてるよ。そのうち、用もないのにうちに来ては呑んだくれて、くだを巻くようになる」
よっ、座頭と若葉と二葉のかけ声に、みんなの笑いが弾けた。そこへ、おおいと声がかかった。松林から立波が太い馬の手綱を引いてやってくる。
おやと、桃々がぽつりという。
「どうやら馬に乗ってるのは、お狸どのか」
「あっ、ということは」
そこで小雪が改まった。
「桃々さま、お話があります」
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