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第六章 百地のからくり

(五)白露

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「それは、白露」
「はて、なんだろう」
とんとんと音がする。
「それは、祓いやら、清めやらの、水のひとつ」
桃々が包帯を抱えて階段を下りてきた。
「神なる水でね。お祓いの水でも三本の指に入る」
「祓いの。すると、呪いやら、怨みのものやらも」
「さっぱりとね。まったくきれいにするから、さも、上っ面のばかりの、きれいごとをいうものを、白露の呑み過ぎってゆうね」
鈴々がぱっと赤くなった。
「前に、そう、あたしもそれって」
「皮肉られたかい」
ほたほたと桃々が笑った。けれどと、才蔵は渋い。
「そんなのあったの。王鈴の船蔵には唐の刀や槍のほかは、がらくたに、干物に匂いのする木の枝、あとは清めの塩か」
それよと鈴々が指を折った。
「ひとつは、唐の香木、ひとつは清めの塩、もうひとつはここの熊野権現さまの、つまり清水があればいい」
「あら、材は三つなの。その白露とやらは」
阿国へ桃々がはいなと笑う。
「でも、侮るなかれ。なるほど祓いはひとたびのみでも、この水は汚れにも、けがれにも呪力を失うことはない優れもの」
「ほお」
「ただ、こさえるにはたいそうな念がいる。ゆえにとうはとんと忘れておった。まさに命をしぼらねば」
鈴々が涙をふるった。
「あたしがやる。きっと白露をこさえる。あたしにやらせて」
「おやめ」
ぴしゃりと声があった。
あっと、みながなった。そこに王鈴に支えられた白鈴がいた。
「おちおち寝てられやしれない。それで、白露か。とんだ切り札をみつけたものさ」
「白鈴」
「阿国や。もう、どうでも、いっちまうね。なら、その白露はあたしがこさえよう」
「えっ」
「念は、しぼろうとしてもしぼれるものではない。いまのあたしのように、心が張り裂けんばかりのものにこそ、しぼれるものさ」
「でも、そしたら、あんた」
「あはは。どのみち、命は消えるやもしれない。なら、ひと泡吹かせてやりたいじゃないか。そうだろ、才蔵、小雪、小桜、」
才蔵も小雪も小桜も、そろってうなずいた。
はて、白露が切り札とはと、ちんぷんかんぷんの千石と百学そして立波にも、王鈴がはじめから語ることで、おおっとなった。
「白鈴や」ひしと、阿国は白鈴を抱きしめた。
言葉はない、ただ二人の瞳から涙がほろりとあった。阿国はそれからとんと床を踏み、ぴしゃりとほおを叩いた。
「どれ、それなら、ゆくか。墨島へ明海を、いやさ、百地丹波をぶちのめしに」
才蔵が腕をまくる。
「なら、おいらだ。やってやるさ、まかせとけ」
おいと千石が笑う。
「いっちゃなんだが、槍は宝蔵院流。攻めは才の字なら、守りは俺がやろう」
百学も意気込む。
「むこうには、まだ秀麿もいます。毒はわたしでないと」
鈴々もつづく。
「もしもの唐鬼には、なんとします。道術の心得もないと」
あたしもと、小雪と小桜には、阿国はかぶりを振った。
「これまで」
「でも」
「誰が、巫女踊りを仕切れる。桃々さまを助けてあげな」
それでもという小桜を小雪は引き留めた。
「さて、この舞台は大一番になる。なにが出るやら、どう転ぶやら。もし、しくじっちまったら、堂々と閻魔の処へゆこうかい」
おうと声が上がる。
桃々もうむとなった。
「ならば、出発は明日の明け方。そして日が暮れるまでのひと勝負。いいかい、このぶんなら、夜のしのかみやら、ぶちりには太刀打ち出来ない。心しておくれ」
立波がにっと笑う。
「船ならわしが出そう。それで、夕刻も必ず迎えにゆくからな」
ありがたいと千石は立波と肩を抱き合い、そのまま外に出た。次いで、百学と才蔵は王鈴とともに船蔵へ材を取りにゆき、白鈴と鈴々は白露作りの準備にかかった。
ふと、桃々が阿国を手招きする。
「護摩壇を浜に組むのに、まだ間がある。ちょいと豆をあてに迎え酒といこうかい」
「おっと、いいね」
「ところで、あの娘への皮肉は誰かい。和人では使わないなずだが」
「ああ、あれは王鈴の客で紅骨とかいうの。胡散臭くて、和人だか、唐人だか。その皮肉っぷりはいかにも狐つらの婆さまらしい。おや、ぴんとこないかい。こっちにはこないのかねえ、あの語りべは」
「そうか、紅骨か。いや、うろついてるのは知ってる。でもちびたちが怖いらしく逃げちまうから、ねたが入らないのさ」
「あははっ、あのおちびどもでも、苦手なものがあるのか」
桃々がみょうな顔をした。
「はて、猫つらでなく、狐つらの婆さまなのかい」
「えっ」
こんどは、阿国がみょうな顔になった。
とんとんとん。
ひと息に小雪と小桜が階段を上がってゆく。二階へゆくと、一座の娘たちがいる巫女踊りのための仕度部屋へと向かった。
小桜はまだ、むくれている。
「もう、小雪姉は止めてばっか」
「あら、そう」
小雪はころころと笑った。
「でも、ああなったら、てこでも座頭はうんとならない」
「だからって」
ころころ笑いが含み笑いになった。
「な、なに」
「あたしだって、こうなりゃだまってられない」
「なに、なにか、やらかすの」
小桜の耳に小雪がひそひそ。
「ええっ、でもそんなこと」
「あっちも、こっちも、出雲の巫女踊りをやっちまえ」
「まとめて、祓いたまえ、清めたまえ、なの」
二人で笑った。
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