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第六章 百地のからくり

(三)白露

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阿国の指図で、一座の娘たちには巫女踊りの仕度にゆかせて、桃々とともに白鈴の部屋へと向かった。鈴々を支えてゆく小雪と小桜に、才蔵と王鈴もつづいた。
薬種の部屋は一階の奥の部屋になる。廊下ではもう、ぷうんと甘辛い香りがした。
引き戸を開けると、六畳ほどの広さ。薬種の名の入った、小さな引き出しのある箪笥がずらりとあって、大小の壺やら瓶も置かれてある。
卓は立てられ、部屋の真ん中に布団がひかれてあった。ただ、その掛け布団は跳ね飛び、椀は転がって粥がこぼれていた。
そこで、ぎょっとなる。
げっそりとした白鈴。さらに、その白い肌には蛇が絡みついたような、黒い痣が腕にも、顔にも浮かんでいた。びっしょりと汗をかいて息も苦しそう。
「なんてこと」
小雪の悲鳴。小桜は足が震えた。
「これって、なんの病なの」
才蔵の問いに、桃々はだんまり。やおら、阿国へ向いた。
「どうも、してやられたか」
「してやられた」
「やるなら、あそこか。ほら、あの小唐の湊で、へこませたあと、あやつはなにか、やらかさなかったかい」
阿国が目をぱちくり。
「そういえば、そう、式神とやらか。でも、それは、白鈴が叩いて消えたよ」
「黒い煙となってね」
「なぜそれを」
「やはり、あの呪札か。あれは厄介なものだ。式神が消えるときに呪いをかける。封じるには箱に入れて水に沈めねばならない。煙こそが呪いなの。かつて、銭を叩いてたった二枚とは、この札のこと。禁呪術でこさえた、黒縄の札という」
「では、どうするの。このままだと」
鈴々が桃々にむしゃぶりついた。
「ひとたび呪いをくらったら、呪いを祓っても呪うやからの念でまた絡みつく」
鈴々がひざがら落ちた。
ならばと、阿国がきっぱりといった。
「呪うやからとやらを、断てばよかろう」
「そ、それは、そう」
よっしゃと腕まくり。
「やるかい。明海、いや、百地丹波をぶちのめす。ならば、おそらく沼の底も抜けずに、死人どもも冥土へおさらば」
と、そこへいきなり白鈴が阿国の腕にひしとしがみついた。
「やめとくれ。それは、やめとくれ。あたしはどうなってもいいから」
「先生っ」
小雪と小桜が叫んだ。
「あ、あんたを失うわけには、いかない」
「ちょいと、あたしが敗れるというの」
白鈴に苦みの笑いがあった。
「てんで、やられるのがおちさ」
そんなと小桜はむっとなった。
「ならば、小桜は、はて、どう、ぶちりどもとやり合うのかい」
それはと口ごもる。
「そも、しのかみとはどうやら怨念のかたまり。その手立ては、なにかある」
「ふ、札とか。そう、あの赤札」
王鈴がしょげる。
「あれね、あれは、もう一枚もないね」
小雪がはたとなった。
「ひるがえって、沼ならどうなの」
その声が弾む。
「いっそのこと、明海をよいしょと沼へ沈める。そう、ぶちるの」
小桜も勢いづいた。
「いいかも。それに、それは逃げる手にもなる。ほら、危うくなったら沼へ入るの。なら向こうは指をくわえるしかない。あたしらにはあれはただの沼でしょう」
おほほと、白鈴は笑った。
「では、才蔵や。そんなばればれでぶちれるのかい。伊賀のお頭とやらは」
才蔵はさえない。
「ぶちるもなにも、いつ、どこで、やらかしてくるかしれやしない。いきなりかも」
つまりはと阿国がぴんときた。
「いつ、どこで、だろうと、冥土へぶっとばせないといけないのか」
「その、切り札がいるの。無いまま舞台へはあがれない」
才蔵が黙ってうなずいた。
「なら、どうするの。まさか、このままなの。うそでしょ」
鈴々につづいて王鈴も嗚咽する。
白鈴は微笑んだ。
「なあに、望みはある。やがてここへは徳を積まむ坊さまがこられて、桃々さまと祈ればぶちりを封じれるやもしれない。あたしが逝っても、みんなが健やかなら」
「白鈴」
「阿国、どうか、鈴々のことを」
と、ふいに、玄関が騒々しい。なにやら泣くやら、叫ぶやら。
千石の苦いものいい。
「泣くな。おまえはやるだけはやった。あとはこちらでなんとか算段する」
悔しそうに百学がしゃくりあげていた。
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