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第六章 百地のからくり

(一)白露

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「知らぬ、知らぬうっ」
どんと、鉄鋲の門が閉じられた。
なかでは、一切かかわりはごめんとばかりに、わんわんと念仏を唱えていた。
赤銅色のむさい男どもは怨めしげに大寺を仰いだ。
「なんじゃ、ちっとは名の知れた寺というのに」
「おおっ、ここにもゆらゆらしておる」
「あれが、見えぬわけがない」
貝塚の湊から少し離れたこの辺りでも、もやがふわりと漂う。
「そこっ、人魂ぞっ」
「え、えっ。お、お婆か、おととし逝った、お婆なのか」
「くそっ、このもやはなにか。なぜ、もやのなかに死人がおる。この真昼に」
「おぞましや。船で魂消て、貝塚へ逃げたのに、死人は追いかけおるの」
「なんまいだぶ、なんまいだぶっ」
どどっと馬が走り込む。
「海の荒くれが、ひるむな。ちんたらする間があるなら、他の寺へゆけ」
馬にまたがる立波が怒鳴った。
それで、へっぴり腰ながら、水夫どもが走ってゆく。
立波の後ろには、振り落とされぬよう百学がしがみついていた。
「他愛のない、どいつもこいつも。おまけに、坊主も坊主よ。寺はお飾りか。いざ死人があふれたら、あたふた。てめらが冥途へやらずに誰がやれる。このもやを、どうにかしろ。えい、やはり、これはあれか」
百学はうむっとうなった。
立波はしかめっつらになる。
「ともあれ、なんとかしないとな。おちおち船にも乗れぬ。頼りは紅白寺の尼さんしかないものか。ちなみに大波が呼ぶという、ありがたい坊主はもういるのか。この先が京の寺の縁の寺になるが」
「それが、使いには、のらりくらりとか。でも、この死人どもを鎮めるには、坊さまがそろってやらねば。その呼びかけに、京の坊さまがおらねば」
「ちがいない。もしいたら、首を引っ掴んでも」
ふと、百学は苦笑いする。
「まこと、頭にはすみません。ほんとは、あにさまがやれねばならぬのに」
立波が弾けたように笑った。
「なあに、あのへろへろではな。まんまとつぶれおって。あとで酒のさかなにしてやる」
はあっと、立波がぽんと両の足で馬の腹を蹴った。どっと馬が土煙をあげ駆けてゆく。あとには、透けたものたちが笑っていた。
もやのなかで死人がふわり。もやはそろり、そろりと広がってゆく。湊も町もひっそりとしている。船はつながれたままで、家は戸をぴしゃりと閉めていた。
ひとの姿がない。
ところが、紅白屋の前では、ひとでいっぱいであった。
「材はそろえたか」
ねじり鉢巻きの、爺さまが呼ばわる。木材を担ぐ若い衆がおおさと応じた。
「なら、浜へゆくか」
浜の女衆が口々にいう。
「桃々さまは、まこと護摩を焚いてくださるか」
「ほかに坊主はこぬ。呪われる、呪われると、おびえておる」
ぶるぶると腰が抜けそうなものもいた。
「ほんと、これはいったい、なにか」
「もしや、ぶちり。ぶちりに呑まれてしまうのか」
杖をつく、お婆が海をにらんでいた。
「どっぷりと、あふれたかの。島を呑み、小唐を呑み、いまやここまできおった」
「逃げぬかお婆。小唐のものは、みな逃げたというぞ」
お婆が目玉をぎろり。
「どこへ逃げる。死人はどこまでも追ってこよう」
もの売りの娘たちは嘆いていた。
「ええい、大波はなんとした。あれだけの兵でぶちりをぶちれなかったか」
「もしや、丸々、ぶちられたやも」
「いやじゃ。もうお終いじゃあっ」
そこに、どんどんと太鼓が打たれた。
「おびえてはなりませぬ」凛とした声があった。
尼さま二人と、紅白屋の子らがしずしずと階段を下りてきた。
「さあ、みなさま。これより、浜へ護摩の壇を組みまする。安堵なされませ、桃々さまなればやれまする。亡きものを安らかに冥土へと導きまする」
尼さまにつづいて、おかっぱ頭の娘も呼びかける。
「桃々さまは、いま清めておられる。しばしおまちあれ」
くりくり坊主のおちびがちらりと仰いだ。
「そうか、清めとは、酒を抜くことか」
ぺしっと、おかっぱの娘に小突かれた。
その、三階の寺の本堂では、また二つの樽が置かれていた。
「おや、うまいね」
阿国が柄杓に汲んではぐびと呑む。桃々もぐびぐび呑んでいた。
「ほら、おまえたちも」
小雪と小桜はそっぽを向く。才蔵は腹を叩く。王鈴はうげっと口を押えた。
「ほらほら、これは、熊野権現さまの清水というよ。美味しい水だね」
「とうが、頼んでやっと手に入れた。酒を抜くにはこれが一番」
いや、もうと小桜はうんざり。小雪もひっくとしゃっくり。
「たらふく呑んだ。もう呑み過ぎ。おかげで旦那は厠へいったきり」
才蔵がぶつくさいう。
へたれだねえと、うわばみ二人が笑った。
「怖ろしや、あの二人もぶちりね」
「まったく。とんでもねえ、おろちのぶちりだ」
こんこんと王鈴と才蔵を柄杓で小突いたあと、阿国はそれをぽいと若い衆へ投げる。
さてと、ほおを叩いた。
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