上 下
103 / 177
第六章 百地のからくり

(八)式神

しおりを挟む
ふいに、ぶおう、ぶおうと法螺貝が吹かれた。じゃんじゃんと銅鑼が叩かれる。ぞろりと宝明寺の坊主たちが引き揚げ始めた。
赤袈裟坊主と白袈裟坊主はおさまらないのか荒げたように歩く。けれど明海はなにくわぬ顔でゆるゆると歩いた。
そっと懐から、黒い呪札を二枚手にする。
「かっかっ。やつめ、銭で床が抜けねば売らぬとぬかしたの。なにせこの札は、念さえ強ければ道術を知らぬでも式神が放てるとか。どれ、わしにやれようか」
念じたうえで、札を一枚後ろへ放った。
地に落ちるや一匹の小さな黒蛇となった。するすると坊主の足元をすり抜けて、その先には阿国が笑いながら歩いていた。背に向けてひょいと跳ねる。
白鈴がぴんときた。
素早く、帯から扇子を抜くと阿国をかばうようにして、ちょうと打ち据える。
「汚れめ」
ぼうっと黒い煙となって、その腕にからみつくようにして消えた。
「な、なんだい」
「どうやら式神かも。消えちまったけど」
「明海かね」
「どうだろ。道術かぶれの本人ならともかく。ともあれ、とっととおさらばだよ」
阿国が振り返った。
宝明寺の一団はそのままゆるりと歩いてゆく。明海はひとりほくそ笑んでいた。
日はみるみる傾いた。湊も海も朱に染まる。
銀波屋へ一座が戻ると王鈴が出迎えた。二階へ上がるやいなや、白鈴と王鈴と鈴々が抱き合って、ただただ泣いた。みなもらい泣きする。阿国はひとり窓から海を眺め煙管をふかした。
ひょいと才蔵がうるむ瞳で隣に腰を下ろした。
「姉さんありがと。あの一手がなかったら二人とも冥途へいってた」
「ああ、よかったね。危うくお猿と床入りだったね」
才蔵はげっとなる。
「でも、まんまとおいらも鈴々もだまされた」
「そりゃそうさ。二人をあざむけるか、否か。あざむけたから、あざむける。心がのぞけるからこそ、真に受ける。これがこたびの、ねらいどころ」
へえっと才蔵が笑う。
「それでしおらしくお礼かい。らしくもないね、まだなにかある」
「ましらがお陀仏のとき、ぬかしたのさ。頭は止められぬ、釜の底が抜ける、また会おう。これってどういうこったろう」
阿国がぽっと煙を吐いた。
「そうか、なにかやらかすのか。はてなんだろう」
そこへ、出し抜けにわっと声が上がった。なにと二人が向くと、娘たちが王鈴を取り囲んでいる。やたらと文句をぶつけて詰め寄っていた。
小桜はぷんぷん。小雪はため息。千石は面白いと笑ってる。
王鈴は悲鳴を上げた。
「ともかく、このままなら店がつぶれるの。だから途中で寄ってくの」
阿国がまあまあとなだめにきた。
「みんな怒ることかい。そりゃ商いもあるさ。こたびはたんと叩いたからね。ちょいと寄る処があっても、やむえないか」
百学が苦笑い。
「なら、どこへ寄るというのでしょうか」
阿国も才蔵も首をひねる。
小雪と小桜、それに一座の娘たちも、口をそろえていった。
「明海の、奥方の処って」
「ええっ」
空にはちらほらと星が輝いていた。
しおりを挟む

処理中です...