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第六章 百地のからくり

(一)式神

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ちゅん、ちゅん。
おやと、百学は顔を上げた。
地下の部屋にどこからか聞こえてくる。
「雀でも迷うたか」
格子の外では、粥の鍋を運んでくれた宝亀がきょろ、きょろ。
「こちらも、朝は、朝なのですね」
「えたいの知れぬ鳥はともかく、雀とはめずらしい」
こほんと咳をした。
「それより早うせよ。ぼちぼちお迎えも戻る。白塗りさまの酒の相手もある。娘も、ほどほどに切りあげねば。もちろん、寺に残ってもらえるならありがたい」
いえいえと、百学は苦笑いで椀に粥を入れた。
ふっと息をつく。
白塗りさまとは、あの乱破だな。でも、きまって湯浴みをして酒を呑むと耳にした。なら充分に擦れ違える。ここはへんに急いで怪しまれぬよう。
百学は枕元の人形にそれらしく朝飯の真似をする。ときおり、胴より伸びる紐を引き、それがいい案配に寝返りになった。
宝亀に疑ってる素振りはない。
それにしてもと髪をなでた。
「ほんとは、これほどでも。それをみんなで鈴々さんに似せた。この髪なんか、小雪さん、上手いな。ほんのり化粧は小桜さん。なかのからくりは若葉ちゃんと二葉ちゃんか。なにやら、あとでくす玉もこさえてたっけ。二人は器用なものだ。
 あれくらい踊りも出来たらって、小桜さん嘆いてた。おっと、嘆きといえば、王鈴さんはやたらへこんでた。それに白鈴姉さんも、はてさて」
椀を置いて百学は布団をかけた。もはや、どうみても鈴々が伏している。ふいに百学の腹がきりっと痛む。なんとか、心の底に沈めていてももたげてくる。
はたして二人は、逃れたや、否や。
さらにきりっとなる。
「ほんとうに、あれでよかったか。またたびをあんなに混ぜて。この一手が盤上を引っくり返すと、阿国姉さまは笑ったけど。鈴々さん危うくないのか、まったく」
「まったく、どうなっておじゃる」
百学は飛び上がった。
その、みやびなものいい。秀麿が格子の戸をくぐろうとしていた。
心が転げ廻る。
まて、湯浴みはどうした、酒は呑まないのか、そのはずなのにどうしてここに居る。まずい、たかをくくってた。
「お、おまちを」
ともあれ格子に向かう。
白粉のつらと格子を挟み、つらつき合わせた。こうも、易々と奈落へ落っこちそうになるものか。背中は冷や汗でぐっしょり。
しきりと、秀麿は布団をのぞこうとする。
もし入られたら、このものなら、なんなく見破られる。
百学は腹をくくった。
「な、なんじゃ、若造。文句でもあるのか」
おどけた風だが、目玉は笑っていない。
「そも・・」
そこでつっかえた。
いかにするか。
いかに、ここから追っ払い、鈴々は居るものとして山を下りる。いや、おのれのことなど構わない。いかに、この乱破をとどめるか、ことが知れたらこぞって山を下りよう。そうなれば船を抑えられて、お終い。
おつむの書物を、めいっぱい広げて、答えを探し廻った。その一方で、もしものものが懐にある。
南蛮渡来の毒の小瓶。
天竺の蛇のものらしい。まるで水のそれは、一滴を桶の水に入れたところで、牛が丸々二頭もころりという。秀麿の毒煙に対して毒の水。とくに傷から浸みれば、万に一つも助からない。
百学の、これが覚悟。
この身と引き換えに、ぶちまければ、あるいは。

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