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第五章 白鈴の文

(二)天竜玉

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押せば押すほど拍子にはまる。
「逃れられない」
そう漏らした才蔵が、あっと閃いた。
「のがれ、じゃない。にげる、ほうだ」
すると、勢いよく鉈と朱槍を弾くと、とんと後ろに跳ねた。
きょとんと猫耳と猫爪。
そのつらめがけ、あかんべえをするや、才蔵はくるっと背を向けて逃げた。猫耳と猫爪は泡を喰ったように追っかけてくる。
「もはや、おいらの拍子」
へらっと笑うと、ちんとかちわりを鞘におさめた。
草っぱらをじぐざぐに走り抜ける。逃さぬとばかりに、猫耳と猫爪は追う。もうひと息と、猫耳がすぐ後ろまで迫ってきた。と、だしぬけに才蔵が向き直った。
ぽいと、玉を一つ。
あっという間もない。どうと爆発。
もうもうとこげ茶色の煙。
ぐえっと猫耳がひるむや、才蔵は懐へ飛び込み、みぞおちにひじを打ち込むと、ついで、あごをぶん殴った。そのまま猫耳は転がってゆく。
次に、猫爪が慌てて突く槍の穂先を、はっしと掴む。
にっと笑ってやる。
猫爪が怒って抜こうとした、そこでぱっと放す。その弾みで仰け反って腹がのぞくや、めいっぱいの蹴りをおみまい。
猫爪はもんどりうって倒れた。くるくると朱槍は空に廻って地に刺さる。
あれよあれよに、鈴々はただ目を丸くするばかり。
ゆらりと松明の炎が風にゆれた。
ぐいっと才蔵は朱槍を抜くと、のされた猫爪に歩み寄る。そして、とどめと高々と槍を掲げた。
そこで、へらっと笑う。
「ねらうなら、ここっ。勝ち誇ったときが隙だらけ。そうだろ猫飛」
いなや、朱槍で背後を薙ぎ払った。
がきっと音。
折られた太刀を手に猫飛がうずくまってた。才蔵が寄る。いきなり、太刀を投げた。おっとと避ける間に猫飛は逃げる。足はもつれ、転がるように逃げてゆく。
その背に朱槍を投げようとして、ぽいと槍を捨てた。
「こっから、お猿となって生きてけ」
がさりと藪へ消える。それで才蔵は鈴々のいる岩穴へ足を向けたとたん、ぎゃあっと凄まじい悲鳴が上がった。
ぞくりとなった。
青白い月が天辺にある。なまぐさい風が吹き抜けた。
才蔵は藪をにらみつけた。
藪ががさがさとゆれる。ぱきっと枝を踏む音。ずずっとなにかひきずる音。
やおら、毛むくじゃらのかたまりが藪から出てきた。
あいつだ。
黄色い歯をむき、ましらが笑っていた。
「もう・・逃さぬ・・」
才蔵の額に冷や汗がたらり。
ましらは右手に猫耳の生首をぶら下げ、左手で首をへし折られた猫飛をずるずると引きずっていた。
「戯れにもならぬ・・」
藪へぼろ布のように投げ捨てる。それからのそり、のそりと歩き、そのまま仰向けの猫爪を踏みつぶした。
「しもべに・・下手くそはいらぬ。やはり・・おまえが・・欲しい・・」
才蔵の足が、逃げたがる。
けど、踏んばった。
「地の利が、まずい」ちらと岩穴の鈴々をうかがう。「玉の煙幕も、こいつではとんずらできまい」
ならば、やってやるっ。と、ましらの目玉がらんと光る。
鈴々は息を呑んだ。
いまや、問うまでもない。その七尺もある毛むくじゃらが、あれとわかる。震える手で玉を抱えた。ふと、つんとくるにおいに少し咽た。
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