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第四章 才蔵のしくじり

(一)伊賀の里

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青白き月。
ゆるゆると雲が流れる。黒々とした森。ざわと枝がゆれた。
するする。
切り立つ崖を下に下に。
「深いな」
才蔵はしかめっつら。なにやら、うじゃうじゃといるやもしれない。
ちっ、それがどうした。
また、むかむかする。
そして、おのれを責めずにはいられない。もう、ひと喰らいからてんでなってない、不甲斐ない、情けない。
こらえていても涙がこぼれた。
ふと、月を仰いだ。
ぼんやりとひとがいるような。
笑ってる、酒を呑んでる。
それは、さっきの蟹頭やひげ達磨たちではない。もっと甘酸っぱく、切ないもの。
懐かしい連中だ。
「そうか、あれから三年か」
ぽつりとつぶやいた。

天正七年(1579年)の九月。
伊賀の里が、攻め寄せる八千の兵を見事に打ち破った。
そのある夜。
里の北の屋敷で宴があった。
愉快なつらがずらり。祝えや祝えっ、勝った勝った、わっははっ。
「呑めや、唄えや」
ひょろりとした足の爺さまが笑う。
「まったく、案山子のおん爺はうるさい」
鍋をよそう婆さまの眉がひくひくしてる。
「鍋お婆は塩っ辛い」
「なら喰うな」
「飯のことではないわ」
まだ青臭さぷんぷんの才蔵が笑ってる。
「おん爺、白旗上げな。ここじゃ婆さまに誰も敵わぬ」
「狐葉、おまえもぬかすようになったの」
周りのものは大笑い。
そこに小僧二人がきらきらする瞳できた。
「婆様。おいらたちも」
「おお。白丸に黒丸。たんとおたべ」
汁飯を大盛りにつぐ。
はうはうと、そろって掻き込んだ。
屋敷の座敷はひとで押し合いへし合い、笑いがあふれた。
こっそりと、他所の下忍もいる。このときとばかりに汁飯を喰らい酒を呑んだ。上座では一風変わった女人がまったりと座る。派手な衣装に、お面を被ってる。
紅丸さまと呼ばれた。
火傷があるとかで素顔をさらしたことがない。白地の面に紅の狐が跳ねてる。面の穴からは、涼しげな瞳がのぞいていた。ときに、面を浮かしては酒の杯をぐびりと呑む。その仕草はいかにも艶っぽい。
才蔵はどきどき。
「おうおう。また見惚れておる。はや色気づきおったか」
おん爺がひゃはと笑う。
「枯れたもんのひがみよ」
お婆がちくり。
「か、枯れたとはなんじゃ」
「なら、もうろくか」
あははと笑いがおこった。
その一方でため息が二つ、三つ。才蔵の箸も鈍る。
「ああ。こっから百姓に戻る。おいらたちはこき使われて稲刈りか。そして冬には、また他国へ忍びにゆく」
年中走り廻ってんな・・
「おい、ぬしがおん爺みたいなつらすんな」
お婆が、ほれと甘酒を振舞う。
「お、おいらは」
紅丸の笑いがあった。
「いっとき忘れよ」
ぽっと火照ると、才蔵はぐっと呑みっぷりをみせた。
そして二杯、三杯。
やんやと、みなが手を叩いた。
「ひゃは。いっちょ前に」
「あらま、半人前がいっちょ前に」
おん爺の目が尖った。
「もう、この婆さまは。いうておくが、もはや病の足は役に立たぬとはいえ、この手でこさえるわしの刃物は、隣の甲賀からもくれくれとうるさい」
「その技に溺れおった」
婆さまがふんとなる。
「わしの刀は折れぬと大口を叩き、いざ蓋を開けたら鈍らばかり。なるほど、『かちわり』もあるが、あとはとんかちかと笑われておる。これで研ぎが真面でなければ、とうに首が飛んでおるの」
おん爺はしわしわと小さくなった。
「のう、才蔵。ぬしも技は長けておるゆえ、爺のようになるでねえ」
「お、おう」
やや赤ら顔の才蔵はうなずく。
「おいらはもっと工夫する。そしてきっと里のものを、みんなを守ってやる」
みな、やんややんや。やれ、頼もしい、やれ勇ましい。そんな声のなかで、いつの間にやら紅丸は才蔵の隣で腰を下ろしてる。
ささやいた。
「可愛い。みんなを守るか」
「紅丸さま」
「おまえは技ではない」
「えっ」
「おまえは、おまえに溺れる」
才蔵はきよとん。
「どういうこと」
ほほっと笑い。
「いい、ここの連中は、みな出来そこない。でも、みんなはね」
「みんなは」
ひたと、みなが聞き耳をたてた。
ふっとその瞳が笑う。
「いまにわかる」
紅丸は立ち上がり手を叩いた。
「ささ、呑みな、呑みな。宴は賑やかに。呑めや、唄えや、踊れや」
わっとわいた。さっそく唄うものに、踊るもの。
才蔵は火照りがたまらなく戸口へふらふら。
「吐くなら厠ぞ」
お婆のいらぬひとこと。よけいじゃと外に出た。ひゅうっと風が吹き抜ける。
満天の星空だった。
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