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第三章 鈴々の帝鐘

(二)ぶちりをぶちる

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「さ、才蔵っ」
その首根っこを、淡宝がむんずと掴む。 
「無駄よ。ここからは万に一つも助からぬ」
「あ、あんたは」
「質になってもらうぞ。腕っ節があろうと、そこは坊主。娘がいるとなれば、薙刀もふるえまい。そのうちに霧にまぎれる」
むっと、けもの臭さに咽る。毛深く、垢まみれの犬の臭いであった。
「ぶちり」
笑いながら淡宝は、鈴々を羽交い絞めた。
「いやはや、よく当ておったな小娘。あれは冷やりとした。なれど、こうとなればすべはあるまい。あとは、坊主どもも霧に迷って御陀仏」
「ほ、彭(ほう)侯(こう)っ」
淡宝はげらげら笑う。
「さても、小僧の策を逆手に取った。うまうまと、はめてやったわ」
ひゅっと、風が抜けた。
「ああ、はめてやった」
淡宝はぎょっとなる。
いま、鈴々が座っていた処に、才蔵が涼しい顔で座っている。
「はて、曲者の尻尾を掴むにはいかに。それに、おあつらえ向きな古竹が、いや、あったものだ。ここでひと芝居すりゃ、乗っかるやつが、ぶちり。なあ淡宝」
「あ、あざむきおったか」
「いってなかったな。おいらは乱破。こんな崖なんか、端から屁のかっぱ」
おのれと、白刃を鈴々ののどへとなったところで、ぽろりとかちわりを落とした。その毛むくじゃらの手に深々と、手裏剣が刺さっている。
ばらばらと足音がした。
「おう、この痴れものめ。あまつさえ娘を質にするか。話は耳にしたぞ淡宝。それ、ものどもぶちるぞ」
弓月がぶうんと薙刀を廻した。
けっと淡宝が鈴々を突き離す、それを春竹が包むように受け止めた。その間に、うおおんと淡宝がひと声吠える。目は血走り、四つんばいとなり、尾っぽまでにょきり。
ぶちりめっと、各々は薙刀をふるった。
斬れるとみたが、その白刃を素早くかわす。まるで跳ねるように逃げ廻った。よだれを垂らし、鼻をひくつかせ、へっへっと臭い息を吐き、駆ける、駆ける。
そこっと、ねらうも白刃がまた空ぶる。ぴょん、ぴょん跳ねながらも、坊主の周りを離れない。くそっとなったのは才蔵。
「犬っころめ。手裏剣をくらわぬため、わざとひとの間を跳ねてやがる」
放つに放てない。と、やあっと豊春が突っ込んだ。
首だけ淡宝が、にっと笑う。
ひらっとかわすや、つんのめる豊春の背を踏み台に、跳ねた。あっとなるも、そのまま崖の方へ駆けてゆき、さらに、そこから跳ねた。
おおっと、みな崖から身を乗り出す。
それは、それこそ、落ちるがごとく駆け下る淡宝がいた。しまったと、才蔵が手裏剣を放つも、むなしく突き出た岩に阻まれる。
「えい、矢は」
弓月が叫ぶ。
慌てて、坊主どもは背の荷から、弓を出すも弦を張らねばならない。
「逃すものか」
そらっと、才蔵が飛び下りようとしたとき、鈴々が崖に向かう。
その手が弧を描いた。
りいいん。
涼やかなれど鋭い音色が響く。
とたんに、ぎゃあんと犬の悲鳴が上がった。
淡宝は、あたかも雷に撃たれたごとく仰け反るや、転げて落ちた。めきめきと木々の折れる音、茂みがゆれた。
「な、なに、どうなった」
才蔵は目をぱちくり。
鈴々の手には、柄のある小ぶりで青みの鐘があった。
おや、あれはと春竹。
その指差す先には、木々の茂みのなかから、ゆらりと煙のようなものが昇る。それは犬のような姿となり、やがてふわりと消えた。
「はて、なにか」
「あれが、淡宝のぶちりやも」
弓月と春竹は顔を見合わせてうなずいた。
「これに祈ろう。もはや仏よ」
ひとしきり、祈りがあった。
はたして、霧は晴れてゆく。冷やりとしたものもなくなる。風が一つ、二つと吹いてきた。ざわざわと木々がゆれて、緑の葉がそこにあった。
おおっと、みな喜びに手を叩く。
「作法なれば、沼へ沈めねばならぬが、封じれば、これもぶちることか」
「つまり、成仏すればよいのやも」
弓月と春竹は空を仰いだ。
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