そんなに嫌いなら、私は消えることを選びます。

秋月一花

文字の大きさ
表紙へ
上 下
22 / 252
2巻

2-3

しおりを挟む
「うん、できれば愛称で呼んでくれない?」

 アル兄様のように『ヴィー』って? と目を丸くすると、彼は顎に手をかけて考えるように空を見上げる。

「そうだなぁ、……うん、ヴィニーって呼んでくれない?」
「ヴィニー殿下?」
「殿下はらないって言いたいところだけど、エリザベス嬢には負担かな?」

 肯定のうなずきを返した。さすがに、敬称なしでは恐れ多い。ヴィンセント殿下のことは友人だと思っているけれど、それとこれとはまた別の問題なのよね。

「じゃあ、さっきの呼び方でお願い。『ヴィー』だとアルと被っちゃうし」
「わかりました」
「それと、その敬語もできればやめてほしい」
「え?」
「アカデミーではみんな対等な『学生』なんだし、ね」

 にっと白い歯を見せるヴィンセント殿下……いいえ、ヴィニー殿下は、なんだかとても嬉しそうだ。
 私とヴィニー殿下がそんな会話をしていると、アル兄様とシー兄様、ジーンがバルコニーに来た。みんな少し疲れた顔をしていて、「だ、大丈夫?」と思わず声を震わせる。

「……さすがにちょっと、踊り疲れて……」
「すごいよ、あの赤いドレスの子。ノンストップで踊り続けている……」
「こっちに来たから逃げてきた」

 会場へと視線を移すと、確かにまだ踊っている。シー兄様がバルコニーの柵に寄りかかるように背中を預け、「ふー」と息を吐いた。

「シー兄様もお疲れのようですね」
「疲れた……というよりも、緊張した。オレ、こういう華やかな場所にあんまり行かないし」
「……そうなのですか?」

 あ、でも確かにシー兄様が舞踏会や貴族の集まりに行ったなんて聞いたことがない。騎士団に所属しているから、そういう集まりにはあまり参加しないようにしていると耳にしたことがある。……騎士団、関係あるのかしら?

「シリル兄様より、僕のほうがよっぽどお茶会に参加しているよ」
「そこはほら、アルはアンダーソン家の次期当主だし。顔を売っておかないと」

 シー兄様に近付いて、アル兄様が不服そうに唇を尖らせ小声で呟く。それに対して、ヴィニー殿下が肩を震わせて笑い、ジーンはおろおろとしていた。バルコニーに私たちが集まっているからか、ちらちらとこちらをうかがうような視線を感じる。

「私はそろそろ戻りますね」
「では、私も」
「ジーンは来たばかりじゃない」

 もう少し休憩したほうが良いのでは? と声をかけると、ジーンは緩やかに微笑んで、耳元でささやく。

「男性三人と残るのは気恥ずかしいわ」
「……なるほど」

 アル兄様とシー兄様は私にとって家族だし、ヴィニー殿下と義理とはいえ従兄妹いとこで何度も話したことがあるから、気にしたことがなかったけれど……そうよね、あまり話したことがない異性と一緒にいるのは、気まずいわよね。

「それじゃあ、私たちは先に戻るね」

 彼女と腕を組んで、三人に笑顔を見せてから会場に戻る。……やっぱり、会場はとてもきらびやかだわ。

「ねえ、お腹は空かない?」
「そうね、お腹空いたかも。美味おいしそうな料理が並んでいるし……、それに、エリザベスはたくさん食べないとね」
「……さっきもイヴォンに言ったけど、これでも身長は伸びたのよ?」
「もっともっと、伸ばさないとね」

 からかうように笑うジーンに、口元を隠して微笑む。なごやかな気持ちのまま、料理が並んでいる場所に足を進め、美味おいしい料理を頂いた。料理人が一生懸命に作っているのだ、選んだ料理は全部美味おいしかった。彼女も目を輝かせながら食べている。
 そんな中で、不意にか細い声で話しかけられた。

「あ、あの、ごきげんよう」
「ごきげんよう、クラウディア様」
「わ、わたくしの名前をご存知で……?」
「同じクラスですもの」

 自己紹介で留学生だと言っていたから、一番印象に残っている。クラウディア様はここから離れた国の王族らしい。末の王女だから、できればこの国に留まりたいと話していた。

「嬉しいですわ、わたくし……国では印象が薄いようで……」

 印象が、薄い? 改めて不躾にならない程度に彼女をよく見る。
 ストロベリーブロンドの髪は背中まで伸び、アル兄様と同じように天然パーマのようだ。でも、そのくるくるとしたくせが愛らしさを感じさせる。視力が悪いのか、眼鏡をかけているけれど、眼鏡の奥に見えるアクアマリンのような水色の瞳は澄んでいた。それに、なによりも……身長がとても高いわ。胸を張って堂々と歩けば、むしろいろんな人の目を引くでしょうね。
 そんな彼女がしょんぼりと肩と声のトーンを落としているのを見て、きっと、なにか私には知りえない理由で、自分に自信がないのだと思った。
 うつむいてばかりいた以前の自分を思い出して、私は彼女の手を取る。

「クラウディア様、並んでいる料理は食べまして? 私が食べた中では、こちらの料理がお勧めですわ。ジーンはお気に入り、ある?」
「私はこの料理かしら」

 私とジーンでクラウディア様に料理を勧めると、彼女は少し戸惑ったように瞳を揺らして私たちを見たあと、「で、では……そちらを頂いても?」と料理を受け取り、ぱくりと食べた。

美味おいしい……!」
「良かった!」

 口に合ったのだろう、彼女の表情が緩む。
 ……ところで、どうして私たちに声をかけてきたのだろう? 料理が並んでいるここには、私たち以外の学生も多くいる。ちらちらとこちらをうかがうように見ているのに気付いて、「クラウディア様?」と名前を呼ぶと、彼女の頬がぽうっと赤くなった。

「や、やだわ、わたくしったら……こんなにたくさん食べて」
「あら、たくさん召し上がるのは悪いことではありませんわよ。ねえ、エリザベス?」
「そうですよ。クラウディア様、背が高いですし……栄養をらないと!」

 肩を落として猫背にしている彼女を見上げて、顔を覗き込む。すると、慌てたように一歩後ろに下がった。その瞬間、トンっと誰かにぶつかってしまったみたい。その人は手にグラスを持っていて、パシャンと彼女のドレスにかかってしまった。私たちが顔を青ざめると、ドレスのシミに気付き、「シミが……」と呆然としたように呟く。

「申し訳ありません!」

 クラウディア様がぶつかったのはシー兄様だった。騎士団で鍛えられた声量が会場に広がり、みんなが一斉にこちらを見る。彼女はますますうつむいてしまい、ぎゅっとドレスを握って肩を震わせた。

「あ、あの、……お気になさらず」
「まぁ! なんということですの! 純白のドレスに赤いシミが!」

 大袈裟なくらいの声量で、真っ赤なドレスを着たジェリー・ブライトが近付いてきた。そして、クラウディア様のドレスについたシミを見て、目を大きく見開き、そして悲しそうに眉を下げて頬に手を添える。

「お可哀想に! 入学祝いのパーティーでドレスにシミを作るなんて。いくらなんでもあんまりではありませんか? ……もしかして、エリザベス様にそうしろと……?」

 ん? と首をひねる。ジーンも、シー兄様も、なにを言い出しているんだとばかりに彼女に視線を送る。その言葉に最初に反応したのは、クラウディア様だった。

「ち、違いますっ! エリザベス様は悪くありませんわ。わ、わたくしの不注意ですもの……!」
「あら、王族であるクラウディア様が不注意だなんて。そんなことありえませんでしょう……?」

 彼女の口角が上がる。なぜかわからないけれど、背筋がゾッとした。言葉に魔力でも乗っているのだろうか。優しく、甘く、自分の言い分が正しいのだと自信を持っているような口調。クラウディア様が緩やかに首を横に振り、それを見た彼女の眉が跳ねる。

「いいえ、わたくしの不注意です。この方とぶつかってしまいました。申し訳ございません」

 シー兄様に謝るクラウディア様。シー兄様は「あ、いえ……」とおどおどしていた。……あんなふうにおどおどしている姿を、初めて見たかもしれ得ない。

「まぁ、まぁ、まぁ。そうでしたの。私ったらすっかり勘違いしてしまったみたいですね。てっきり、エリザベス様が意地悪をなさったのかと」
「私が、なぜそんなことをしなくてはいけないのでしょうか?」
「あらぁ? だって、彼女を見ていると昔の自分を思い出すでしょう? それって、かなりイヤな気持ちになりません?」

 扇を取り出して口元を隠し、挑発的に目元を細める彼女に、私はゆっくりと息を吐く。

「なぜ?」
「なぜ、とは?」
「あなたが以前の私を知っているとして、なぜそのことをここで持ちだすのでしょうか。ハッキリ言いますが、あなたには関係のない話ですよね」
「……面白いことをおっしゃるのですね。ここにいる全員、あなたがアンダーソン家の養女であることを知っていますわよ。新聞にも大々的に取り上げられましたね。ああ、そちらのジーン様も、新聞に載っていましたわよね。二人一緒に、孤児院での活動なんて、同情を誘うような記事で」

 ざわざわと会場内が騒がしくなる。入学して初日。ジュリーによく似たこの人が、私のことを嫌っているのがひしひしと伝わってきた。私は肩をすくめて、呆れたような表情を浮かべてから、クラウディア様に声をかける。

「シミを落としに行きましょう」
「そ、そんなことが可能なのですか?」
「ええ、精霊たちにお任せです」
「魔法で」
「落とすよ!」

 ぴょこんと姿を現すソルとルーナ。私とジーンはクラウディア様の手を取って、休憩室に急いだ。残してしまったシー兄様には申し訳ないけれど、アル兄様とヴィニー殿下がフォローしに向かっているのが見えたし、たぶん大丈夫だろう。
 ちらりと横目で見た彼女の表情は、恐ろしいほどに感情が表に出ていなかった。

「……ものすごく、悪意を感じる方でしたね」

 休憩室に急ぎながら、クラウディア様が呟く。やっぱりはたから見ても悪意を感じ取れるのね。
 休憩室に入り、シミ抜きをしようとすると、私たちの後を追ってきたイヴォンが入ってきた。

「なに、あの女!」

 どうやらとても憤慨ふんがいしているらしい。怒りで顔を真っ赤にしていて、休憩室に置いてある水の入ったピッチャーを持ち、グラスに水を入れて一気に飲み干すと、ダンッと叩きつけるようにグラスを置いた。
 それだけで、彼女の心が怒りに満ちているのがわかる。
 先程のやり取りを思い返す。どう考えても、私に対しての悪意だった。……ただ、私は悪意に慣れていた。三歳の頃から十三歳までの十年間ずっと、両親や妹、さらには使用人たちでさえ、悪意を注いできたのだから。
 そこから二年間、ほぼ悪意のない場所で暮らしてきたけれど、やはり公爵家ということで、いろいろ言われたりもした。私自身のことを言われるのはいいのだけど、アンダーソン家の人たちが悪く言われるのはいやだった。同情を誘っているとか、容姿が良かったから引き取ったとか……そんな噂話を面白おかしく吹聴する人たちがいるのに、衝撃を受けたわ。
 アンダーソン家の人たちは、そんな噂話なんて気にするだけ無駄とばかりに明るく振る舞っていた。けれど、お母様がたまに私を抱きしめて、『負けないで』と伝えてくることがあった。つまり、まったく気にならないのではなく、傷ついた上で乗り越えて来た人たちなのだ、私の家族は。

「……ありがとう、イヴォン。でも、私は大丈夫よ。こういう悪意ある態度を取られることには、慣れているの」
「慣れちゃダメでしょ、それは!」
「そうよ、エリザベスは悪いことをしていないじゃない!」
「悪意に慣れないでください、心が死んでしまいます!」

 イヴォン、ジーン、クラウディア様の勢いに押されながらも、小さく頷いた。こんな風に親身になって怒ってくれるなんて、私は本当に恵まれているなぁと……。クラウディア様に関しては、今日初めてお会いする方なのに、こんなに優しい言葉を紡いでくれるなんて。みんなの優しさに目頭が熱くなった。

「嬉しいです、クラウディア様にもそう言って頂けて」
「あ……ええと、あの、よ、余計なことだったらごめんなさい」

 両手を左右に振った。だって、彼女の心がとても嬉しかったから。
 それはそれとして、クラウディア様こそ悪意に慣れているような言動が気になった。言葉を選んでたずねてみれば、お気遣いなくと前置いて答えてくれる。

「え、と……先ほどお話しした通り、わ、わたくし……国ではあまり存在感のない王族でして。十四番目の王女なので、父である国王陛下にもほとんどお会いしたことがなく……、この国に留学するために勉学だけはがんばったのです。陛下に留学を認めてもらう時、とても緊張しました」

 段々と流暢な言葉遣いになるクラウディア様。それにしても、十四番目の王女とは……。たくさんいるであろう彼女の血縁関係について考えると、少し頭が痛くなった。彼女の言い方だと、家族との仲はあまりよろしくなく、国にいたくないから留学を決めたような気がする。

「わたくし、側室の子ですの。なので、王位継承権もないに等しいもの。それにこれからの時代、女性も自分の足で立ち、手に職を持っていたほうが……! あ、す、すみません。つい、熱くなってしまいましたわ……」

 ぐっと拳を握り熱く語るクラウディア様。未来のことをそこまで考えて行動しているなんて、とても素晴らしい方だわ。語っている途中で我に返ったようで、恥ずかしそうに縮こまってしまった。
 私は彼女の手を取って、にこりと微笑んだ。

「クラウディア様、ぜひとも私と友人になってください!」

 元気よく言葉を発すると、彼女は一瞬動きを止めた。それからぎぎぎ、と音がするくらいぎこちなく私に顔を向ける。信じられないとばかりに大きく目を見開いているクラウディア様に、満面の笑みを浮かべて、彼女を見つめる。
 クラウディア様は視線をあたふたとあちこちに飛ばして、それから顔を真っ赤にさせてうつむいてしまったが、すぐにそっと私の手に自身の手を重ねてくれた。

「よ、よろしくお願いします……!」

 小さな声で呟く彼女の手に、ジーンとイヴォンも手を重ねた。驚いたように顔を上げたクラウディア様に二人は「私たちも友人ということで!」と微笑む。彼女は感極まったように瞳をうるませて、それでも嬉しそうにこくりと首を動かす。

「さて、友情が芽生えたところで、早速シミを落としましょう!」
「お、お願いします。……それから、あの、わたくしのことはどうか『ディア』とお呼びください。敬称も敬語もりませんわ」
「……わかったわ。私のことも、敬称、敬語なしでお願いね。エリザベスやリザって呼ばれているから、好きな呼び方をしてちょうだい? ソル、ルーナ、出番だよ!」

 私の呼びかけに、精霊たちがぽんっと現れて、やっと出番かとばかりにこちらを見た。

「お願いできる?」
「ああ」
「任せて!」

 張り切り顔のソルとルーナに、私はディアから手を離した。ジーンとイヴォンもだ。ごくり、と唾を飲んで精霊たちを見つめる。

「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」

 深々と頭を下げる彼女に対し、精霊たちはじぃっとドレスのシミを見てから笑顔を浮かべ、ディアにソルは翼を、ルーナは手を上げた。

「それでは」
「始めるね!」

 精霊たちがドレスのシミを分解していく姿を見て、これはどんな魔法なのだろうかと一瞬真剣に悩んでしまう。
 この世界で、魔力を持つ人の大半は生活魔法が使える。生活魔法は親が子どもに教えるものらしいけど、髪を乾かしたり水を出したりと生活が便利になる魔法だ。
 私が生活魔法を知ったのは二年前。アンダーソン家の使用人であるリタに使ってもらった時。思えば、あの頃の私の世界は本当に狭かった。今では広がりすぎている気もするけれど、狭いよりはずっと良い。
 二年間のことを思い返していると、シミ抜きが終わったようだ。早い。さすがソルとルーナ。

「これで」
「終わり!」

 真っ白なドレスは元の輝きを取り戻した。そのことに、ディアはうるうると涙を浮かべる。

「ど、どうしたの?」
「……う、嬉しくて……! このドレス、大好きなおばあ様に入学祝いとして頂いたの……っ、本当に、ありがとう……!」

 ――そんなに大事なドレスだったのね……!
 この時、私とジーン、イヴォンは顔を見合わせて、おそらく同じことを思った。留学生でこの国に頼れる相手なんていないだろう彼女のことを、私たちが支えていこう。顔を見合わせたままこくりとうなずき合い、そっとディアの肩に手を置く。

「おばあ様からのドレス、とても似合っているわ」
「本当に。ねえ、ディア。私のことはジーンと呼んでね」
「……私は平民だから、敬称と敬語のままのほうが良いかしら……?」
「いっ、いえ、アカデミーで学ぶ者同士、敬称、敬語なしで……!」
「ふふ、ありがとう。じゃあ、そうさせてもらうわね」

 そんな会話をしていると、ルーナがしびれを切らしたかのように私に突進してきた。抱きとめると、「褒めて! 褒めて!」とばかりに赤い瞳を輝かせている。愛らしいその姿に、ルーナの体を撫でながら感謝の言葉を伝えた。もちろん、ソルにも。

「ソル、ルーナ、ありがとう。とても助かったわ」
「お役立ち! お役立ち!」
「それなら良かった」

 本当に可愛くて頼りになる精霊たち。こうやって撫でているだけでも癒されるわ。
 ……さて、シミ抜きも終わったし、そろそろ戻らないとね。
 重い足取りで会場まで戻ると、私たちが休憩室に移動する前までの賑やかさがなく、しんと静まり返っていた。なにがあったのかしら? と様子をうかがっていると、ハリスンさんが私たちに気付いて近付く。ものすごく、申し訳なさそうに眉を下げていて、どうしたのだろうと不思議に思っていると、なにがあったのかを小声で教えてくれた。

「……きみのことを、ジェリー嬢が口にした」
「私のことを?」
「うん、きみがなぜ、アンダーソン家の養女になったのかを……」

 ああ、なるほど。それでアル兄様がジェリー・ブライトを睨んでいるのか。
 アル兄様が怒りを隠せない様子で彼女を見据えている。睨まれている彼女は、しくしくと泣くように両手を覆っていた。

「きみにリザのことをとやかく言う資格があるのか!?」
「う、噂に聞いただけですわ。エリザベス様は……ファロン子爵を殺したジュリー・ファロンの姉だって……。そんなに怒るということは、本当のことなのですね……!」

 しんと静まり返っているから、言葉がよく聞こえる。私はゆっくりと深呼吸を一度してから、アル兄様に近付いた。背中から彼に抱きつくと、驚いたように彼の動きが止まる。それは、彼女も同じだった。背中に額をついて、それから意識して柔らかな声を出す。

「ありがとうございます、アル兄様。私のために怒ってくださって……」

 心の底から、嬉しかったの。私のために怒ってくれる存在が、そばにいてくれる。それがどれだけ幸せなことなのか……。その幸せを噛み締めてから、抱きしめていた腕を緩めて、アル兄様の隣に立つ。真っ向から、彼女と向かい合う。彼女は私のことを無表情で見ていた。先に動いたのは、私。にこり、と微笑みを浮かべると、周りの人たちが驚いたように言葉をんだ。

「皆様も気になるでしょうから、先に答えておきましょう。確かに私はジュリー・ファロンと……姉妹です」

 一気に会場が騒がしくなった。私はもう一歩、前に出る。

「調べればわかることですわ。ファロン家には二人の子どもがいました。一人は私、一人はジュリー。私は三歳の頃、不慮の事故で顔に火傷やけどったため、ファロン家の家族から冷遇されていました。私はファロン家の人間ではないと――そんな扱いを受けていました。それを助けてくださったのは、ここにいらっしゃるアルフレッドお兄様。アル兄様がファロン家を訪れなければ、私はきっと今、存在していなかったでしょう」

 疲れ果てていた二年前。あのままの生活を続けていたら、『私』はいなかっただろう。命があっても、自分ではなにも考えることができずに、ただただ言われるがままに動く操り人形のようになっていただろうから。

「私の過去がどうであろうと、今の私は『エリザベス・アンダーソン』、アンダーソン家の長女。どうか、噂話に惑わされることなく、私と話して『私』という存在がどういう人物なのかを理解してください。……私はこのアカデミーで、様々なことを学びたいと思っております。その中にはもちろん人間関係も含まれていますわ。……さぁ、せっかくの入学祝いのパーティー、最後まで盛り上げていきましょう!」

 パンっと両手を頬の横で叩く。周りにいた人たちは困惑の表情を浮かべながらも、「そうだよな、せっかくのパーティーだし」とか、「楽しまないといけないよね」とか、そんな言葉を紡ぎ始めた。
 そこで、ぞくり、と背筋に悪寒が走る。ジェリー・ブライトが私を睨んでいた。……だけど、私は気にせずにアル兄様に手を差し伸べる。

「アル兄様は料理を食べまして? どれも絶品でしたわ!」
「……じゃあ、リザのおすすめを食べようかな」
「うん!」

 最後の返事が幼くなってしまったのは目をつむってほしい。アル兄様の手を引いて、料理の置いてある場所へ足を進める。みんなが私のところに集まってくれた。最初に声をかけてくれたのはヴィニー殿下だ。

「――二年前とは比べ物にならないくらい、凛として格好良かったよ」
「……さすがに緊張しましたけどね。ありがとうございます、ヴィニー殿下」
「……え? なに、その呼び方……!」

 アル兄様がちょっとショックを受けたような顔をした。私とヴィニー殿下は顔を見合わせて、ぷっとき出す。
 パーティーはその後、おおむね順調に進んだと思う。ダンスを踊る人たち、食事をする人たち、飲み物を片手に語り合う人たち。先程までの緊迫した空気は、あっという間にメロディーにみ込まれていった。良かった、せっかくの入学祝いパーティーだもの。あんなに暗い雰囲気のまま終わってしまったら、思い出が台無しになるところだったわ。
 パーティーが終わり、女子寮の前までアル兄様たちが送ってくれた。

「――くれぐれも、あのジュリー嬢には気をつけて」

 ヴィニー殿下が小声でそうささやいた。真剣な表情でうなずく。彼女と同じクラスじゃなくて、本当に良かった。クラスで会ったら、なにを言っていいかわからないもの。そう思考を巡らせながら、私たちは寮の部屋に足を踏み入れた。ドレスからネグリジェに着替え、眠る準備を整えてパンパンになったふくらはぎをマッサージしてから眠る。……友人も増えたし、自分の言葉で周りに伝えられた。うん、満足!
 二年前の私なら、絶対に無理だったと思う。ベッドに潜り目を閉じる。……明日からは授業が待っている。しっかり眠っておかないとね。
 翌朝、スッキリと目覚められた。ベッドから起き上がり、ぐっと背筋を伸ばす。どうやら私が一番に起きたみたいで、ジーンとイヴォンはまだすやすやと寝息を立てている。彼女たちを起こさないようにお風呂に入り、髪を乾かし、制服に袖を通して身支度を整える。
 深緑色のセーラーワンピース。リボンスカーフを結んで完成だ。スカートの丈は膝下まである。……でもね、この制服、下手に丈が長いドレスよりもずっと楽なのよ。なんせ、コルセットを使わないから。
 今日の髪型はどうしようかしら。ハーフアップにでもしようかな。ドレッサーの前に座り、くしを取り出す。毛先からいていき、ハーフアップにするために髪をまとめようとして、リボンを取り出すことを忘れていた。アンダーソン家の瞳の色を思わせる真っ赤なリボン。
 昨日のジュリー・ブライトが真っ赤なドレスを着ていたことを思い出して、動きを止める。

「……ん、……? はやいのね、エリザベス……」
「おはよう、ジーン。起こしちゃった?」
「いいえ、そろそろ起きる時間だったから……。髪型が決まらないの?」
「ハーフアップにしようとは思っているのだけど」
「そう、ちょっと待って」

 ジーンがベッドから抜け出して、私のもとに来てくれた。くしを取り、慣れた手つきで髪をハーフアップにまとめ上げる。引き出しから赤いリボンを取り出して、きゅっと結んでくれた。


しおりを挟む
表紙へ

あなたにおすすめの小説

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

ここは私の邸です。そろそろ出て行ってくれます?

藍川みいな
恋愛
「マリッサ、すまないが婚約は破棄させてもらう。俺は、運命の人を見つけたんだ!」 9年間婚約していた、デリオル様に婚約を破棄されました。運命の人とは、私の義妹のロクサーヌのようです。 そもそもデリオル様に好意を持っていないので、婚約破棄はかまいませんが、あなたには莫大な慰謝料を請求させていただきますし、借金の全額返済もしていただきます。それに、あなたが選んだロクサーヌは、令嬢ではありません。 幼い頃に両親を亡くした私は、8歳で侯爵になった。この国では、爵位を継いだ者には18歳まで後見人が必要で、ロクサーヌの父で私の叔父ドナルドが後見人として侯爵代理になった。 叔父は私を冷遇し、自分が侯爵のように振る舞って来ましたが、もうすぐ私は18歳。全てを返していただきます! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。

政略より愛を選んだ結婚。~後悔は十年後にやってきた。~

つくも茄子
恋愛
幼い頃からの婚約者であった侯爵令嬢との婚約を解消して、学生時代からの恋人と結婚した王太子殿下。 政略よりも愛を選んだ生活は思っていたのとは違っていた。「お幸せに」と微笑んだ元婚約者。結婚によって去っていた側近達。愛する妻の妃教育がままならない中での出産。世継ぎの王子の誕生を望んだものの産まれたのは王女だった。妻に瓜二つの娘は可愛い。無邪気な娘は欲望のままに動く。断罪の時、全てが明らかになった。王太子の思い描いていた未来は元から無かったものだった。後悔は続く。どこから間違っていたのか。 他サイトにも公開中。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。