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1章:出会い

宿屋で休憩 3話

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 朱亞シュアは初めて見た大浴場をわくわくとした瞳で見渡す。人の姿は見えず、朱亞と桜綾ヨウリンだけのようだ。

「うふふ。それじゃあ、まずは髪と身体を洗いましょうね」

 桜綾に案内されて、先に髪と身体を洗う。雨に打たれて冷えた身体は、髪と身体を洗っているうちに少しずつ身体が温まる。

「きれいな髪ね」
「え?」
「朱亞の髪よ。翠色の髪色で、艶があってきれいよね」

 朱亞は自分の髪に触れて毛先を持ってみる。髪色を褒められたことがあっただろうかと回想し、祖父に褒められたくらいだったかな? と照れたように頬を赤く染めた。

「ちゃんと髪の手入れもしているみたいだし……、羨ましいわ」

 頬に手を染めて観察するように、じぃっと朱亞の髪を見つめた。その視線に首をかしげて、口を開く。

「桜綾さんの髪だってきれいですよ! 雰囲気にぴったりです!」

 ぐっと拳を握り桜綾に言葉をかける朱亞に、彼女は目を丸くしてくすりと笑った。

「身体と髪を洗ったら、しっかりと芯から温まらないとね」

 桜綾は朱亞の髪を上のほうでまとめ、自分の髪も湯に浸からないようにしてから、湯船に足を入れた。ちゃぷんと水音が聞こえる。よく見ると、赤い花びらが湯船に浮かんでいる。

「器用ですね」

 自身の髪が湯に浸からないようにまとめられていることに、そっと後頭部を触ってみる。解けないように気をつけながら。

「朱亞もできるようになるわよ、きっと」

 お湯は少し熱いくらいだったが、身体が芯から温まっていく感じがして、ほぅ、と息を吐く。桜綾は朱亞の隣に座り、

「手足が伸ばせるって最高よねぇ」

 と、恍惚の表情を浮かべて、ぐーっとお湯を押すように手を組んで腕を前に伸ばす。

「泳げちゃいそうですね」
「うふふ、幼い頃、わたくしもそう思って少し泳いじゃった。お母さまにきつく叱られたけどね」
「そのときも、こんな風に花弁が散っていたんですか?」

 赤い花びらを一枚つまみ、桜綾に見せる朱亞。彼女は組んでいた手を解き、顎に人差し指を添えて天井を見上げる。幼い頃を思い出して「そのときはなかった気がするわ」と答えた。

「今日は特別なのでしょうか……?」
「この宿屋はね、大浴場があるから結構人気なのよ。だから、お客さまがいつ来てもくつろいでもらえるように、いろいろ試しているみたいね」
「商売上手な宿屋なのですね」

 しみじみと朱亞が感心したように言葉をこぼすと、桜綾は目をまたたかせてから小さくうなずく。

 湯船に浸かりながら、桜綾との会話を楽しんだ。彼女が商家の娘であることを知り、将来はと話していた。過去形? と首をかしげると、桜綾が複雑そうに表情を歪めていることに気付き、彼女の手をぎゅっと握った。

「朱亞?」
「……桜綾さんは……後宮に行くのですか?」

 たずねた声は震えていた。桜綾はふっと笑みを浮かべ、朱亞の手を握り返す。
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