上 下
3 / 29
春のごちそう

芽衣とのひと時

しおりを挟む
「おやおや」

 恵子けいこも手を振り返す。それに気付いた子どもは、両手で自分の存在をアピールし、母親に止められた。

 ぺこりと頭を下げる姿を見て、二年前に会ったときよりもやつれているように思え、少し心配になる。

 少し考えてから、邪魔しては悪いだろうとそのまま日課の散歩に行った。

 三月の中旬。風はまだ冷たいが、歩いているうちに身体が温まる。散歩をするにはちょうど良い時期だ。

 一時間ほど、いつものコースを歩き自宅に戻ると、すでに引っ越しのトラックは姿を消していた。きっと今頃、中でいろいろとしているのだろうと想像し恵子は鍵を取りだす。

 カチャリと鍵を開け、自宅に入るとちょうど電話が鳴った。

「あらあら、誰かしら?」

 音が鳴りやまないうちに受話器を取り、耳にあてる。町内のIP電話は、ビデオ電話の機能もあり、ぱっと顔が映る。

「――美咲みさきちゃん?」
『お久しぶりです、けーこばあば。さっき、芽衣めいに手を振ってくれたでしょ?』
「芽衣ちゃん、おがったねぇ。ああ、そうだ、美咲ちゃん。おかえり」
『……ただいま。えへへ、帰ってきちゃった』

 眉を下げて笑う姿が見えた。恵子はそれから、美咲の話を十分ほど聞いていた。

 話をまとめると、『これからよろしくお願いします』という挨拶だった。心なしか、彼女の表情は暗い。恵子は少し考えるように黙り込み、それから口を開く。

「美咲ちゃん。あとでこっそり、うちに来れる?」
『え? でも……』
「いいから、いいから。今日じゃなくてもいい。でも、ちっと、私の話し相手になってくれんかね?」
『……じゃあ、落ち着いたら、で良いかな? 今はまだ、やることが多くて』

 美咲は戸惑ったように目をまたたかせたが、すぐにふっと微笑みを浮かべた。その笑みを見て、恵子もうなずく。それから「じゃあね」と受話器を置いた。

「……美咲ちゃんも、おがったなぁ」

 すっかりと『母親』の顔をしている美咲に、恵子はぽつりとつぶやく。

 三月の中旬に越してきた美咲たちが落ち着いたのは、約一ヶ月後だった。

 四月の中旬。芽衣は無事に小学校に入学し、新しい生活にも少しずつ慣れてきたようで、学校帰りに恵子の家まで遊びに来るようになった。新品のランドセルを自慢げに見せる姿はとても微笑ましい。

「けーこばあば、今日ねぇ、お母さんがお邪魔してもいいですか? って」
「あら、美咲ちゃん、今日は早いのね?」
「うん。でもね、芽衣はおばあちゃんたちと外食予定なの!」

 目をきらきらと輝かせて、「なにを食べようかなぁ」とワクワクしている芽衣に、恵子はそっと彼女の頭に手を伸ばして、その柔らかい髪をくしゃりと撫でた。

「お母さんと一緒じゃなくて良いの?」
「うん、お母さんとはまた別の日に行くから、外食二回あるんだよ!」

 人差し指と中指を立ててピースする芽衣に、「そうかい」と恵子は微笑む。

「それで、どうかなぁ?」
「うちは大丈夫、って伝えてくれる?」
「はーい。それじゃあね、けーこばあば!」

 芽衣は恵子の家から、自宅へと歩き出した。数歩で足を止め、くるっと身体を反転させて大きく手を振るのが見えて、恵子も手を振り返した。

「んだば、美咲ちゃんのためにごちそう用意せんとな」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

妻がヌードモデルになる日

矢木羽研
大衆娯楽
男性画家のヌードモデルになりたい。妻にそう切り出された夫の動揺と受容を書いてみました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。

スタジオ.T
青春
 幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。  そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。    ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

処理中です...