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第41話 娘よ……、蘭子 愛の一撃

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 う~む、これでは美しい背中が台無しだ。
 
 理事長の眼前に晒された嵐子の背中には刃傷が数条刻まれていた。その裂傷から血を滴らせながら闘う嵐子の姿は見るに堪えないものだが、彼はその背筋から彼女の母親、ーー一番合戦蘭子の艶めかしい背筋を思い浮かべていた。

 う~ん、どこを取っても瓜二つ。彼女、完全に母親似だねえ。
 
 理事長、少し寂し気な笑みを浮かべると、若き日の追憶を断ち切って、嵐子の背中へ声をかけた。

「一番合戦君、一寸話があるんだが」
「……」
 
 嵐子は振り向かなかった。
 理事長の声はガン無視された。

「一番合戦君、一寸こちらを振り向いてくれないかな? 靖は相手を背中から打つような卑怯者ではない。だから安心して」
「……」
「お~い、嵐子ちゃん、遊・び・ま・し・ょ!」
 
 ようやく嵐子が振り向いた。その吊り上がった細い眉の下に星を散りばめたような瞳の輝きを見たとき、彼は思わず唸った。

 あの時の瞳と同じだ! インターハイの決勝でタイブレークに持ち込まれた時の、あの瞳の輝き。あの時はわたしのミスで窮地に追い込まれたが、蘭子君の驚異的な粘り腰で勝利することが出来たのだ。今こそ、あの時の借りを返すべき時。
 嵐子が苛立たし気に叫んだ。

「理事長先生、わたし、今とても忙しいんです。お話なら後で」
「君はよく闘ったよ、嵐子君。だがもう限界だろ? そろそろ選手交代の頃合いだよ」
「選手交代? まさか理事長先生と?」
「いやいや、わたしではない」
「なら関君か岡田君と?」
「いやいや、彼らでもない」
「では誰と?」
「それは君の母親だよ」
 
 言いざま、理事長は玩具の打刀で嵐子の頭頂をコツンと叩いた。その打刀はピコハンと同じ効果を嵐子に齎した。肩にかかった髪がスルスルと腰まで伸びて、その長い前髪から覗くギラギラと異様に輝く二つの瞳が、彼の瞳を鋭く射た。
 久し振りの再会に理事長の頬が弛んだ。

「久し振りだね。再会できて嬉しいよ。一番合戦蘭子君」
 
 不意に蘭子の手が伸びて、理事長の胸倉を掴んだ。

「てめえ、呼び出すのが遅えんだよ! お陰で娘の身体はボロボロじゃねえか!」
 
 熱り立つ蘭子を理事長が冷や汗を掻きつつ押し止めた。

「まあまあ、そう怒らずに。いや、遅れて済まなかった。娘さんの立ち振る舞いが余りにも美しかったもんで、つい見惚れてしまって」
「見惚れただと? 娘の身体が切り刻まれてんだぞ。それが本当なら、てめえはとんだサディストだ」
「サディスト? とんでもない! 君の娘さんはなかなかの逸材だよ。剣技の才能といい身体の均整プロポーションといい、それこそ冥王の歴史上五本の指に入るような。見惚れて当然だろ?」
「身体の均整? まったく、どこ見てんだよ。てめえが理事長なんて世も末だぜ」
「まあ、息子にも同じこと言われたが、剣術には身体の均整も大切だから。別に嫌らしい眼で見ていた訳じゃない」
「チィ、言いやがるぜ。相変わらず口の減らない野郎だぜ」
「そういう君こそ、試合中にお喋りが過ぎるんじゃないか? ほら、相手はお待ちかねだよ」
 
 振り返った蘭子の目に映る靖は明鏡止水の境地とでもいおうか、凡そ高校生とは思えない落ち着き払った態度でコーナーポスト上に佇んでいた。
 蘭子が感嘆して叫んだ。

「なるほど! 高校生時分のてめえより資質は上のようだ。いや、先が楽しみだねえ」
 
 だが理事長の息子を見つめる眼は厳しかった。

「息子は剣術に対して誰よりも真摯だ。多分、あと数年でわたしすら追い抜くだろう。だがそうなるには真摯な性格故に堅固に構築された大きな壁を克服しなければならない。蘭子君、君にもそれが見えているはずだ」
 
 蘭子は軽く頷くとロープに凭れ掛かって弾力を確かめた。

「じゃあ、ご期待に応えて、その堅固な壁とやらを、このピコハンで打ち砕いてやるとするか」
 
 言いざま、一歩だけ前へ進み出るとピコハンを靖へ突き付けた。

「さあ、お坊ちゃん。娘に代わってこのあたしが相手をしてやる。どこからでも掛かって来な!」
 
 靖が冷笑した。

「やはりあなたは存在したのですね。玲花君の物言いではありませんが、時代を超えてあなたと対戦できることはとても栄誉なことです。感謝します」
 蘭子に向かって深々と一礼すると、「では参ります」そう言うや、流氷を上段に構えて四度コーナーポスト上から乱舞した。冥王最強の座を勝ち取るべく彼が選択した技は、余程自信があるのだろう。またもや゙天鬼降斬剣"だった。
 蘭子がほくそ笑んだ。

 同じ技を四度も仕掛けりゃ、いい加減隙が見えちまう。真摯で一途なのは構わねえが、それだけじゃ天下を制することはできねえ。お姉さん、今からあんたのそのお堅い性格をぶち壊して、あのサンタの一発芸が似合う男に生まれ変わらせてやるから。まあ、よ~く見ておくんだな。
 そして心の奥底で眠る娘に語り掛けた。

「おい、嵐子、起きろ! 目を覚ませ!」
「ムニャムニャ。あれ、ここはどこ?」
「そこはおまえの心の中だ」
「心の中? アッ、その声はお母さん!」
「そうだ、嵐子、よくお聞き。今からあのお坊ちゃんの必殺技を破ってみせるから、しっかりと目に焼き付けておくんだ。いいな、最初で最後の見取り稽古だ。一瞬も見逃すなよ」
「うん、わかった」
「よし、いくぞ!」
 
 蘭子は靖にわずかに遅れて跳躍した。それも上方ではなく背後へ。
 ロープ最上段へ跳び乗ると、その反動を利用して宙高く舞い上がった。
 
 しまった! 
 靖の顔が驚愕に歪んだ。
 
 やった! 
 解説の本居が再び椅子を引っ繰り返した。
 
 う~む、その手があったか。
 佐馬之丞が腕組みして唸った。
 
 蘭子さん、あなたは正しく女神です。
 礼次郎が忘我の境地で呟いた。
 
 やはり若き日のわしを打ち倒しただけのことはある。正に本物じゃ。
 坂田の目は微かに潤んでいた。
 
 息子よ、おまえの真摯で一途な性格が自身を盲目にするのだ。蘭子君の一撃で目を覚ますがいい。 
 理事長、エプロンから下がると、ーーSee You、と片手を挙げて花道の奥へ姿を消した。 

 もらったあ~~~~~! 

 蘭子が雄叫びを上げた。
 両者の身体が空中で動きを止めたとき、即ち両者が跳躍の頂点を極めたとき、蘭子は靖を身体一つ分上回っていた。
 蘭子のピコハンが上段に振り上げられた。

「てめえの"天鬼降斬剣゙は羽毛のように身体を軽くして、相手が刀身を振る度に生じる空気圧を利用して斬撃を躱す技と見た。だがそれが有効なのは下からの攻撃だけだ。上から押さえ込まれたら、いくら羽毛のように軽くても逃げ場はねえだろ? なっ、お坊ちゃんよ」
「クッ……」
 
 靖の口端から苦渋の呻き声が漏れた。
 眼前の蘭子の膝を薙ぐ以外に窮地を脱する方法はない。
 苦し紛れに刀身を打ち下ろそうとした瞬間、蘭子の足裏が彼の右肘を押さえ込んだ。

「さあ、ジ・エンドだ。あたしと再戦したかったら、もっと修行してくるんだな」
 
 直後、がら空きの頭頂を蘭子のピコハンが直撃した。
 血飛沫が飛散して、靖の瞳が焦点を失った。
 前のめりになった靖の頭頂をピコハンで押さえ込む形で、両者はリング上に落下した。
 ド~~~~~ンという轟音と共にリング上に大量の埃が舞い上がった。
 観客が固唾を飲んで見守る中、やがて埃は止み、リング中央に空いた大きな穴と、それを残心の姿勢で見つめる蘭子の姿が現れた。
 坂田が這いつくばって穴の中を覗き込むと、殺気を湛えて怪しく光る二つの目とかち合った。
 靖が流氷を杖に穴の中から這い上がってきた。
 頭頂から流れる数条の血の跡が、その美しい顔に恐怖の色彩を添えている。その気迫に押されて思わず後退りする坂田。だが嵐子は一歩も退かなかった。

 僕は負けない、絶対に勝つ。
 
 リング上に血を滴らせながら、蘭子の半間手前まで歩み寄ると、最後の気力を振り絞って流氷を上段に振り上げた。

 僕は冥王最強の男だあ~~~~~!
 
 瞬間、蘭子がピコハンを横一文字に薙ぐと、流氷は呆気なく真っ二つにへし折れた。

 ウグッ、直後、靖は白目を剥いて倒れた。
 
 坂田が駈け寄って状況を確認する。
 彼は躊躇なく蘭子を指さすと、ーー勝者、一番合戦蘭子! と演歌歌手顔負けの美声で場内に告げた。
 直後、場内から大歓声が上がり、大勢の生徒が興奮を抑え切れずにリングに駆け寄った。その中には佐馬之丞や礼次郎、五月やイク、金太郎や熊公、龍虎や一徹、浮子や雪絵等の顔も見えた。
 朽木アナがマイクを抱え込んで絶叫した。

「見事、正に見事! 本居部長、本当に凄まじ試合でしたねえ。冥王史上最高の試合といっても過言ではありませんよね」
 
 本居が確信したように頷く。

「ええ、わたしもそう思います。本試合こそ正に命懸けという言葉が相応しい。決闘の本来あるべき姿を余すことなく具現化していると思います」
 
 そんな喧騒を他所に、蘭子はしばらくの間、担架に乗せられて搬送される靖を目で追っていたが、やがて軽いため息をつくと、ーーGood Bye、嵐子。幸せになるんだぞ。

「……」

 その心中の呟きに対して、嵐子が言葉を返す間はなかった。
 彼女は意識を失って佐馬之丞、礼次郎、二人の腕の中へ倒れ込んだ。
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