上 下
40 / 44

第40話 嵐子 大ピンチ!

しおりを挟む
 坂田が傷口の具合を確かめるべく、嵐子の傍らに駆け寄った。
 が、彼女は坂田を押し除けると、ピコハンを痺れた右手から左手に持ち替えて立ち上がった。その瞳は好敵手を得た喜びに爛々と輝いている。依然、彼女の闘志は失われていない。
 理事長が呟いた。

「蛙の子は蛙か。それにしても二人とも良くやる。特に靖。我が息子があれほどの実力を秘めていようとは……。いや、お父さん、気付かなかったよ」
 
 多分、息子はその実力に比肩しうる好敵手に恵まれなかった。また生来の優しい気性が災いして、相手に対して無意識に手加減をしていた。相応の剣技を修得しながら、観る者にある種のもどかしさを感じさせるのは、それらの要因が重なって、彼が十全な実力を発揮する機会を奪われていたからだ。
 理事長の見識は坂田や山田校長、その他複数の学校職員、遅れて会場に現われた佐馬之丞や礼次郎、一部の生徒とその保護者等に共有された。
 
 嵐子が右足を大きく引いて半身となり左膝を垂直に立てた。ピコハンは深く左脇に構える。先ほど見せた受けの構えより更に歩幅を大きく取ることで、靖の斬撃に耐え弾き返そうという狙いなのだ。
 その構えが安定したのを見て取った靖。流氷を正眼に構えるとコーナーポストから宙高く舞い上がった。
 ピコハンが背中に隠れるくらいに嵐子は更に脇深く構えた。上段から襲い掛かる流氷に狙いを定めて、素早い動きでリングの床すれすれにピコハンを振り上げた。

 あれは空気の障壁!
 
 佐馬之丞が唸った。
 以前、五月雨五月との対戦で見せた、空気を超高圧により一瞬で堅固な壁とするあの技を、嵐子は再び靖相手に仕掛けようというのだ。
 ピコハンが空気を切り裂き乱気流を生んだ。
 嵐子の髪が激しく乱れる。
 ほぼ同時に靖の長髪も後方へ靡いた。
 繰り出された刃動が空気の障壁を作り、猛禽のごとく急降下する靖を押し包んだ、かに見えた。
 瞬間、靖の身体が上方へ跳ねた。
 空気の障壁が緩衝材となって、そのしなやかな肉体を弾いたように佐馬之丞には見えた。
 実際、その動きは空気抵抗に弄ばれつつ緩慢に落下する羽毛を想わせる。
 だから多くの観客の目には、彼の一連の所作がハッキリと見て取れた。
 靖は緩やかに空中で一回転すると、伸び上がった嵐子の背後に回って流氷を軽く一振り、袈裟に斬り下げた。そして対角線上のコーナーポストに音もなく着地すると、双眼を見開いて気息を整えた。
 リング上の一切が動きを止めた。
 観衆が固唾を飲んで次の瞬間を待った。
 刹那、嵐子の背中に一筋の裂傷が走り血飛沫が四方へ跳んだ。
 浴衣が開けて艶めかしい背中が露になった。その激痛に耐えきれずに嵐子は両肩を抱えて膝を折った。

「ら、嵐子ちゃん!!!!!!」
 
 花道の奥で観戦していた礼次郎が思い余って絶叫した。
 リングへ向かって駆け出そうとしたその肩に、佐馬之丞の手がかかった。

「待て! これは正式な決闘だ。当事者以外は決して手を出してはならぬ。ここは我慢するのだ」
 
 振り向いた礼次郎の顔は蒼褪めていた。

「で、でもよ、このままじゃあ嵐子ちゃんが」
「一番合戦は助太刀など決して望んではおらぬ。彼女の想いを汲み取るのだ。それが出来なければ、お前に彼女の友たる資格はない」
「ク、クソがあ!」

 と叫んではみたものの、礼次郎にも佐馬之丞の言い分はよく理解できる。
 今、彼に出来ることは、逸る気持ちを抑えて、嵐子ちゃんの闘いぶりを見守り、その勝利を願うことだけだ。

 ■■■

 嵐子は立ち上がった。
 浴衣に柄のごとく点在する血痕が悲壮な姿を際立たせる。誰の目にも彼女が深手を負っていることは明白だった。
 靖の瞳に憐憫の情が浮かび上がった。

「君、その身体でこれ以上闘うことは不可能だ。試合を放棄したまえ」
 
 嵐子が口端を歪めた。

「いえいえ、勝負はこれからですぅ。わたしは必ずや会長さんの必殺剣を粉砕してみせます。さあ、どこからでもかかって来なさい!」
 
 ピコハンを靖に突き付けて大見得を切った嵐子。
 いつもなら拍手や失笑の沸く場面だが、彼女の凄惨な姿を目の当たりにすれば、誰もがそんな行為を自重してしまう。
 靖も自身の闘志が萎えるのを感じていた。
 降参を促すよう坂田に目で合図を送ったが、彼はかぶりを振って拒絶した。
 靖は仕方なく流氷を下げた。

「君はなぜそうまでして闘おうとするんだ? 所詮、高校生同士の剣術試合だ。命を懸けてまでやる必要はないはずだ」
「会長さんがわたしの立場だったらどうします? 降参しろと言われてYESと答えられますか? わたしだったら口が裂けても言えません」
「……」
「お母さんが死ぬ間際に言い残したんです。ーー強くなれ、嵐子。そして冥王高校に入って世界一の剣豪を目指せって」
「君の母親は冥王史上最強とうたわれた……」
 
 嵐子が双眼に闘志を漲らせてピコハンを霞上段に構えた。

「わたしはそんな母親の娘です。だから負ける訳にはいかないのです!」
 
 言い様、嵐子は腰を目一杯落として跳躍した。
 二度の仕太刀に失敗したので、今度は先制攻撃の打太刀に切り替えたのだ。
 同時に靖も跳躍した。
 コーナーポスト上にいた分、嵐子より高く跳ぶことが出来た。が、上から打ち掛かれば刃は受け流されてしまう。そのまま肩口に強烈な痛打を喰らうのは誰の目にも必定だった。
 落下態勢に入った瞬間、靖は流氷を水平に構えた。

「一つ訂正しよう。以前、君より玲花君の方が強いと言ったが、それは僕の誤りだった。君は間違いなく玲花君より強い」
 
 相手が打ってこないと知って嵐子は構えを解いた。で、繰り出したのだ。爪先を。
 それも靖の股間を狙って。

 チィ! 

 靖の顔にあからさまな嫌悪の情が浮かんだ。
 身体を左半身に捻って金的攻撃を躱すと、握り締めた流氷の柄頭を嵐子の鳩尾みぞおちに叩き付けた。
 瞬間、嵐子の身体が九の字に折れた。
 見開かれた双眼から光が消えた。
 背中から落下した身体がマッド上で跳ね上がった。そしてうつ伏せの状態のままピクリとも動かなかった。
 靖はその様子をコーナーポスト上から冷徹な眼差しで見つめていた。
 会場内から音が消えた。
 放送席で本居が唸った。

 あれは鳩射刺殺きゅうしゃしさつ
 朽木アナが呻いた。

「本居部長、あ、あの技は反則なのでは?」
「古来、剣術には柄頭で相手の顔面や胸を突く技があるのです。だから反則にはならないでしょう」
 
 本居は外した眼鏡の汚れを丁重にハンカチで拭い取った。
 勝負は決したと思ったのだ。
 そのとき背後から津波のごときどよめきが起こった。
 慌てて掛け直した眼鏡のレンズの向こうに、彼は奇蹟を見た。

 ■■■

「----!」
 
 靖の双眼に驚愕の色が浮かび上がった。
 嵐子が立ち上がったのだ。
 ピコハンを杖にヨロヨロと、それでも瞳を爛々と輝かせて、口元には薄ら笑いすら浮かべて。
 常識では考えられないことだ。
 渾身の必殺剣を三度も受けて立ち上がるなどあってはならないことだ。そして四度目の斬撃は確実に彼女の命を奪うことになる。
 靖は双眼を閉じた。
 彼女の命を奪う訳にはいかない以上、致命傷を与えて戦闘不能に追い込む以外に試合を終わらせる手段はない。
 狙いは左肩。そこを破壊すれば両腕が使えなくなり、試合の帰趨は決する。
 剣豪同士と見紛う壮絶な試合に決着をつけるべく、靖は双眼を見開くと再び流氷を正眼に構えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

総受けルート確定のBLゲーの主人公に転生してしまったんだけど、ここからソロエンドを迎えるにはどうすればいい?

寺一(テライチ)
BL
──妹よ。にいちゃんは、これから五人の男に抱かれるかもしれません。 ユズイはシスコン気味なことを除けばごくふつうの男子高校生。 ある日、熱をだした妹にかわって彼女が予約したゲームを店まで取りにいくことに。 その帰り道、ユズイは階段から足を踏みはずして命を落としてしまう。 そこに現れた女神さまは「あなたはこんなにはやく死ぬはずではなかった、お詫びに好きな条件で転生させてあげます」と言う。 それに「チート転生がしてみたい」と答えるユズイ。 女神さまは喜んで願いを叶えてくれた……ただしBLゲーの世界で。 BLゲーでのチート。それはとにかく攻略対象の好感度がバグレベルで上がっていくということ。 このままではなにもしなくても総受けルートが確定してしまう! 男にモテても仕方ないとユズイはソロエンドを目指すが、チートを望んだ代償は大きくて……!? 溺愛&執着されまくりの学園ラブコメです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

転校先は着ぐるみ美少女学級? 楽しい全寮制高校生活ダイアリー

ジャン・幸田
キャラ文芸
 いじめられ引きこもりになっていた高校生・安野徹治。誰かよくわからない教育カウンセラーの勧めで全寮制の高校に転校した。しかし、そこの生徒はみんなコスプレをしていた?  徹治は卒業まで一般生徒でいられるのか? それにしてもなんで普通のかっこうしないのだろう、みんな!

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する

エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング1位獲得作品!!】  最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。  戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。  目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。  ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!  彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!! ※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中

処理中です...