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第35話 夏祭りの夜に

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 さて、試合当日。
 その日、七月十九日は一学期の終業日でもあり、朝礼の山田校長の夏休みの心構えに始まり、教室内における担任の学級全体の総評、夏休みの宿題の確認、そして最大のイベント、通信簿の受領という歓喜と失望の入り混じった、そう、言うなれば生徒のみそぎともいうべき重苦しい時間を経た後、゙ではみなさん、充実した夏休みを"という担任の言葉に送られて各々教室を後にするのであった。
 帰路に就いた友人同士の会話は進学校故だろうか、各自の成績のことであり、それに基づく予備校における夏期講習の選択、及び大学受験における進路の選択にあった。
 が、校舎を出た途端、そんな会話がプツンと途切れて、"まあ、夏休みなんだから一日くらい羽目を外してもいいじゃん” 等という、そんな楽し気な気分にしてくれる風情が目に飛び込んでくる。
 校庭の至る所に夜店の資材が積まれており、それらを額に汗して組み立てる的屋さんの姿は、今夜行われる夏祭りへの期待を否が応にも盛り上げてくれる。
 同性の友人同士も異性の恋人同士も、この時ばかりは夏に相応しい楽しい話題で盛り上がる。特に女子は晴れて浴衣が着れる年に一度の大イベントなだけに、その興奮度はMAXモード全開だ。
 そんな風情に刺激を受けたのか、神崎玲花は一瞬今宵の試合のことを忘れて、ーー今夜、着ていく浴衣はどれにしようかしら? 綿紅梅めんこうばい注染ちゅうせんの朝顔、それとも綿絽めんろ、引き染めの百合か、いえいえ、やはりちぢみ、先染め牡丹か。等とあれこれと選択に悩む始末。
 一方、試合の相方清流院靖はというと、その風情を目の前にしてようやく、ーーそうだ、今夜の祭りに副会長を誘ってみよう。と思い付き、デートの誘いというよりは生徒会の打ち合わせのような生真面目な口調で、玲花から承諾を取り付けるに至った。
 それは去年の夏祭りの悲劇を繰り返さないための方便、優しい性格の彼は、女子達の夏祭りのデートの申し込みを断り切れず片っ端から受けてしまい、結果、三〇名の女子を引き連れての夜店巡りをする羽目に陥ったのだ。
 彼がヨーヨー釣りをすれば三〇名の女子もヨーヨー釣りを、彼が金魚すくいをすれば三〇名の女子も金魚すくいを、彼が綿菓子を買えば三〇名の女子も綿菓子を……。切羽詰まった彼はやけくそ気味に綿菓子を顎に付着させて、ーーメリークリスマス! 等とサンタクロースの物真似をするに至っては、最早、平常心を失っていたことは明白だ。
 それを偶然、例の三人組の一人、佐倉初美が目にして一言。

「なぜ夏にサンタ?」
 
 それはごく初歩的な疑問であり、むしろ当然とも言うべき突っ込みなのだが、彼女は知らなかった。靖を取り巻く三〇名の女子が、ーー神崎先輩がいない今なら私にだってチャンスがある。という打算から集団デートに踏み切ったということを。だから靖を気遣うのは当然であり、どんな季節外れの冗談だろうと引き攣った笑顔で応対するのだ。
 だが彼女が、神崎玲花が彼の傍らを静々と歩いていれば、ため息交じりに遠巻きに眺めるのみ。誰一人として介入できる者はいないはず。夏の夜のひと時を心ゆくまで楽しむことができるのだ。
 で、我らが主人公一番合戦嵐子ちゃんはというと……。

 ■■■

 その日、岡田礼次郎は帰宅するなり、座禅を組み精神を統一し瞑想状態に入った。
 まあ、冥王生なら誰もが一度や二度や三度や四度は経験しているのだが、礼次郎は今回が初めて。出来れば避けて通りたい修行の一つだった。
 そんな軟弱な精神性を有する彼がなぜ苦行に挑戦したかというと、理由は唯一つ。最愛の彼女、一番合戦嵐子の窮地を救わんがために他ならない。たとえ試合に乱入してでも彼女のタッグパートナーの地位を掴み取り、たとえ己が命を捨ててでも彼女の身を守り抜くのだ。

 男、礼次郎ここにあり! 
 
 たとえ我が身は滅びようとも、俺の魂は永遠に彼女の心の中に生き続けるのだ!
 そんな悲壮な決意を胸に瞑想に入った礼次郎だが、如何せん、彼方から祭り囃子がピ~ヒャララ♪ と聴こえてくれば、その軟派な精神は乱れに乱れようというもの。

 あ~、そういゃ去年は確かランちゃん、スーちゃん、ミキちゃんの三人とお祭りデートしたっけなあ。三人がかち合わないように時間差付けてデートしたんだっけ。スリリングでドキドキもんのデートだったが。あん時ゃ楽しかったなあ~。等と去年の夏祭りに想いを馳せていたら、彼方から祭り囃子の音と重なってピンポ~ンとドアホンの音がした。

「どちら様でしょうか?」と母親の対応する声がした。
 その声にドアの開く音が重なって、「岡ッ田く~ん! 迎えに来たわよ~ん」とあれは正しく、ら、嵐子ちゃんの声だあ~~~~~!

「ウオオオオオオオオオオ~~~~~!」
 
 礼次郎は叫んだ。心の限りに叫んだ。
 まさかこの期に及んで、嵐子ちゃんが会いに来てくれようとは。
 屋上の一件以来、彼女にすっかり見限られたと思っていた礼次郎だが、この意外な訪問こそ己を頼りにしている証であり、己を愛している証なのだ! と再び青春の炎を熱く燃え上がらせた。
 階段を七転八倒しながら玄関へ辿り着くと、そこには天使が、巾着袋片手に綿紅梅、鳴門模様の柄に゙嵐"の字を散りばめた浴衣を羽織った嵐子ちゃんの姿があった。

「か、可愛い」思わず唸った礼次郎。
「ええ、やっぱ似合いますかぁ~」と浴衣の両袖を掴んで、凧のような恰好をしてみせた嵐子。
「うん、似合う、似合うんだけど。その浴衣、どこで買ったの?」と聞かずでも良いことを聞いてしまった礼次郎。         
 それもそのはず、浴衣全体に散りばめられだ嵐"の字。そんな浴衣、どこにあるの? と礼次郎でなくとも思わず突っ込みたくなるような、そんな珍品ともいうべき代物なのだ。唯一、考えられる可能性。それは……。

「まさか、それ注文品オーダーメイド?」
「いいえ、既製品レディメイドですぅ。通販で買ったんですよ」
「通販?」
「あの、"嵐゙て知ってます?」
「台風の?」
「いえ、アイドルグル―プの」
「まあ、名前ぐらいなら」
 
 当人も結構なイケメンなのだが、芸能界入りは考えていないのか、その方面の情報には結構疎かったりする。
 嵐子は凧の恰好のままくるりと一回転すると、

「嵐のファンクラブで売ってたんです。自分の名前が柄になってるなんて、とてもいきだなあ~なんて」そう言って照れ臭そうに微笑んだ。
 その愛くるしい姿に胸を熱くした礼次郎。
 彼女の両手を力の限り握り締めると、

「嵐子ちゃん!」
「ーーはい!?」
「君は、君は……、必ず俺が守るから。この命を懸けて!」
「……」
 
 そのまま互いに見つめ合うこと凡そ一分半。
 痺れを切らせた礼次郎が先に問うた。

「ら、嵐子ちゃん?」
「あの~、すみませんけど、もう、お祭り行きません?」
 
 ニッコリほほ笑む嵐子。
 精神的にズッコケた礼次郎。それでも素早く態勢を立て直すと、

「え? あっ、そう、そうだよね、お祭りだよねえ。ちょっと待ってて、今、浴衣に着替えてくるから」

 そうだ! 肝心なこと忘れてた。
 
 女性との交際を人生の主題とする礼次郎にとって、今夜の試合はたとえ命懸けであっても、デートに優先させる事項ではないはず。

「母さ~ん、浴衣どこ?」
 
 先ほどの真摯な態度はどこへやら。礼次郎、青春真っ盛り。

 ■■■

 陽も沈みかけ、冥王高校の校庭に居並ぶ夜店の列は、多くの人だかりで賑わっていた。
 靖の読み通り、時折、生徒会役員の生徒が挨拶するくらいで、その他の女子生徒は遠巻きにこちらをチラ見する程度。去年のように数多の女子生徒の立体音響のごとき歓声に煩わされることもなかった。
 唯一つ気掛かりなのは、今宵のお祭りに同伴した玲花が、なぜか自分と肩を並べて歩こうとしないことだ。

 男子と二人だけで歩いているところを見られるのが恥ずかしいのだろうか? 等と勘ぐってはみたものの、彼女が三歩下がって静々と付いてくるのであれば、やはり一緒にいるのと同じだろう。等と考え直し、結局、本人に真相を問い質すべく振り返った。

「なぜ、僕と一緒に歩いてくれないんだ? 君に対してなにか失礼なことでも」
 
 玲花が立ち止まった。相変わらず三歩分の間隔を維持したまま。

「古来、大和撫子は殿方の三歩後ろを歩くもの。わたくしも大和撫子の端くれ、その雅で美しい仕来りに従いたいと想います」
 そう呟くとポウと頬を赤らめ顔を背けてしまった。
 靖は精神的にズッコケた。

「だって君、僕らはいつも学院の廊下を肩を並べて歩いているじゃないか。それを今更……」
「それは生徒会副会長としてのわたくしです。でも今は、今は……、あなたの想い人ですもの」
 
 浴衣の片袖で顔を覆った玲花。
 しかし一分ほど経っても何の音沙汰もないので、上目遣いに袖越しに靖の様子を伺ってみた。
 と、そこには半ば呆れ顔ながら、その時代錯誤の精神性を拒絶せずに優しく見守る想い人の姿があった。

「その精神性は尊重しよう。実を言えば、僕もそんな古風な仕来りは嫌いじゃない。でも今は男女平等の時代だし、第一、それでは僕が面白くない」
 
 言うなり、靖は戸惑う玲花の左腕を強引に引っ張った。
 不意の出来事に、抜群の平衡感覚を誇る彼女の上半身が大きく泳いだ。

「ど、どこへ?」と問うのが精一杯。
「さあ、こっちへ来たまえ。そうだ、僕は綿菓子が食べたいな。君もどうだい? 僕の持ちネタを披露するよ。大受け間違いなしの。君に観てもらいたいんだ。ーー玲花君」
 
 玲花の顔がパッと輝いたのは、何も彼の季節外れの持ちネタが楽しめるからではなく、彼が初めて自分の名前を呼んでくれたからに他ならない。玲花は自身の勇気を奮った告白が実りそうな予感に震えていた。
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