上 下
3 / 26

第02話 喜劇王 石見源五郎丸の最期

しおりを挟む
「爺ィいいいい~~~~~!」
 
 真っ青になって老人にしがみつく源外を見て、野次馬の間に衝撃が走った。

ーーあの爺さん、死んでいるのか?

「爺、死ぬんじゃない、目を覚ませえェええええ~~~~~!」
 
 滂沱の涙と鼻水を垂れ流す源外を見て、多くの野次馬が老人の死を確信した。

ーー爺さん、気の毒に……。
 
 源外の御付きとして、彼が幼稚園のみぎりより登下校時には必ず姿を見せた老人なだけに、その姿を見知った者も少なくなく、その中には雨の日に傘を貸してもらった者や、転倒して膝を擦り剥いたときに絆創膏を貼ってもらった者や、熱中症で倒れたとき、リムジンで病院へ搬送してもらった者なども含まれており、その忘れ難い柔和な微笑みと相俟って、生徒の間に惜別の情を催させるには十分な存在だった。

「うおおおおお~! 爺ぃ、爺ぃ、なぜ死んだあああああ~! わしを置いてなぜ死んだあああああ~!」
 
 源外の慟哭が闇の中へ木霊した。
 遅刻した高校生がさわやかに目を覚ますこの時刻に、なぜか背景は月のない夜空のように真っ黒になったから不思議だ。
 ついでに源外の頭上からスポットライトのごとき光が射せば、ああ、あれこそが天国へと通じる階段なのだと、誰もが老人の冥福を祈らずにはいられなかった。
 そんなしめやかな状況下にあって、冷静に観察力を行使するものは、不意に老人の鼻腔から鼻提灯が膨らむのを目撃した。

----パチン!
 
 その破裂音は余りにも小さく、老人を抱きかかえる源外以外に聴こえたかどうか……。
 たぶん近間の数名のみが視認したに過ぎない、余りにも小さい、しかし余りにも大きな希望の灯火……。
 源外が泣き止んだ。その口元がみるみる微笑みで綻んでゆく。

「爺ぃ!」
 
 老人が眩し気に眼を見開いた。

「……ああ、これはお坊ちゃま。お早うございます」
 
 そう言って寝ぼけ眼で辺りを見回すと、ようやく状況を理解したのだろう。慌てて礼服モーニングの乱れを整えると、硬い表情で威厳を取り繕ってコホンと軽い咳払いを一つ……。

「なんだあ、おまえ、生きてたのかあ!」
 
 大泣きしてしていたのが気恥ずかしくなったのか、源外は照れ笑いを浮かべながら、憧れのドラえもんのポケットを真似て造った四次元バックパック、そこから取り出したハリセンで老人の頭をパチンと一発張ったからたまらない!
 老人はウーンと呻き声を立てて再びシートに倒れ込んだ。

「ああ、爺ぃ、爺ぃ……」
 
 あんまり源外が爺ぃ、爺ぃ、言うもんだから、作者は彼が痔を患っているのではと疑ってみたのだが、どうやらその心配はないようだ。
 ついでに言い添えると、彼の発明品たる四次元バックパックには、ドラえもんのポケットのような機能はなく、ただ単に他のバックより多めに物が入るだけという話。
 だいたい西暦20✕✕年の時代に、そんな便利なもん出来る訳ない。
 
 それはともかくハリセンの一撃で石見が死亡すれば、源外は間違いなく殺人罪に問われる。
 目撃者は多数。言い逃れは出来ない。

「爺ぃ、目を覚ましてくれ!」
 
 その期待に応えて石見がうっすらと目を開いた。

「お坊っちゃま、あなた様の御付きにしていただき、わたくしめはとても幸せでした。独身のわたくしに子供を持つ親の気持ちを教えてくれたのは、あなた様なのですから……」
「爺……」
 
 源外の目から大粒の涙が零れた。

向後きょうごよりは、あの世から、あなた様の成長を見守らせていただきます。それでは末永くお幸せに……」
 
 途切れ途切れに呟く石見の視線は既に虚空をさ迷っていた。
 今度こそ最期だろうという、周囲の期待と不安に応えるべく、石見はウッと小さく呻くと、カッと双眼を見開いて、天を掴み取らんばかりに勢いで、震える右腕を差し伸ばし、

「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった……」
 
 その言葉を最後に静かに息を引き取った。

「ああ、爺……」
 
 源外の両腕が力強く老人の身体を抱きしめる。その脳裏には十五年に渡る老人との思い出が、走馬灯となって駆け巡っていたはずだ。
 感極まった源外は心の丈を吐き出すべく、大口を開けて思い切り空気を吸い込んだ。そして……。

「爺ィいいいい~~~~~!」
 
 その絶叫はそれを発した者の志半ばで倒れ、いや、途切れ、その続きの部分は人々の心の奥底にのみ響く木霊となった。
 
 源外の顔が、リムジンのサイドガラスにベッタリと押し付けられている。
 それは顕微鏡のスライドに載せられた雪見大福類の、あの白くて丸くてぷにぷにした原生生物を想起させる。
 まっ、女子高生から見たら間違いなく顔を背ける代物だ。
 
 だが最も注目すべきは、そのサイドガラスに蜘蛛の巣状のひびが入っていることだ。
 それはアクリル製の強化ガラスで造られており、たとえ銃弾が撃ち込まれても割れない構造だった。
 つまり源外は銃弾を上回る破壊力でサイドガラスに頭を打ち付けられたことになる。そんな未知なる力がこの世に存在するのだろうか? それも車内という閉ざされた空間の中で……。
 
 まるで密室ミステリーのごとき展開だが、そうなるとまずは犯人捜しよりも先に、そんな未知の力を後頭部に喰らった源外の命が心配だ。
 彼はといえば、半ば潰れた双眼は焦点を失い、鼻は豚鼻のように鼻腔を上向きに丸く潰れ、歪んだ唇からは一筋の涎が滴り落ち、頭上には二匹の蠅が僕天使のごとく飛び回るという、追突現場の犠牲者そのままの惨状なのだが、ーーさあ、みんなで彼を応援しよう。がんばれ源外! 負けるな源外! 立ち上がれ源外! 生きるのだ源外! 地球の運命は、君の、君の双肩にかかっている。

ーーその原因を探ってゆけば、彼の後頭部を容赦なく踏みしだく細く長く美しい御々足おみあしに辿り着く。

「源外君、君はまだそんなことをやっているのですか?」
 
 普段の冷静な口調にわずかばかりの怒りが加われば、愛輝の十文キックは本家の十六文キックを遥かに凌駕する破壊力を発揮する。
 それは今のところ源外だけが体感した脅威であり、他者にとっては見聞のみによる想像の域を出ない脅威だ。
 それ故に人はその行為を愛と呼ぶ(源外だけはDVと呼ぶ)。
 源外が踏まれるのを見て、ちょっぴり羨ましいと思うM系男子生徒がいたことも事実だ。だがそんな彼らも源外の垂れ流す鼻水と涎が赤く滲んでいくのを目撃して、あっさりと先の願いを翻した。
 
 愛輝さん、ちょっとやり過ぎ……。源外君、かわいそう……。おい、誰か止めろよ! ーー等々、野次馬の間に同情と憐憫の輪が広がっていった。
 
 だが場の空気を読まないことにかけては源外とドッコイドッコイの、しかも感情に一旦火が付くと暴走の止まらない性格の愛輝なので、攻撃は当然のごとく続行された。

ーーどわっ、どほっ、どぺしっ、ひでぶぅ~、ひえ~、お赦しを~! と
 泣きわめく源外にもいよいよ最期の時が訪れた。
(爺、待っておれよ。わしもすぐに冥府へ逝くぞ……)
 なんか戦国武将が腹切り間際に辞世の句を詠むような、そんな雰囲気を醸し出している源外だが、当人が何を考えているかは一向に分からない。
 お断りしておくが、先に書いたト書きの心理描写は、あくまで科学者よりも戦国武将を愛する作者の勝手な憶測である。

ーーげろげろげろ~~~~~!(ケロ〇軍曹のような感じで)
 
 突然、口から大量の吐瀉物を撒き散らした源外。それは木綿豆腐(絹ごし豆腐でも可)を塗りたくったようにサイドガラス一面を覆い尽くし、固唾を飲んで見守る野次馬に集団パニックを誘発した。

ーー(犬にしか聴こえない悲鳴)~~~~~!
 
 耐えられなくなった一人の女子高生が声にならない超音波サイクルの悲鳴を上げた。
 数名の生徒が口を押えて屈み込んだのは、バス旅行の貰いゲロと同様の現象かと思われる。
 辺りに漂う血と吐瀉物の臭いに、爺の死臭と加齢臭が加われば、そこはもう地獄の世界。
 晴れ渡った空が、いつしか血で染めたように真っ赤になったのを見れば、その場にいた全員が鷹の爪団の戦闘員に、いや、鷹の団が引きずり込まれたのと同様の魔界へと引きずり込まれたのは明白だった。
 その証拠に、見よ! 愛輝は蝶が孵化するがごとく、背中から十二枚の透明な羽を生やし始めたではないか……。
 おお、なんという美しさ! なんという気高さ! なんという神々しさ!
 H・ハインリヒハイネなら、彼女の美を讃える詩を即座に百編は詠んだはずだ。
 今や彼女は学園の天使から冥界の堕天使へと華麗に変貌を遂げたのだ。そう、サタンやルシファーのように……。
 
 その氷のごとき冷酷な瞳に映る源外はというと、サイドガラスに吐瀉物塗れの顔を押し付けたまま、ゴキブリの断末魔のごとくぴくぴくと手足を痙攣させている。
 生身の人間が魔界の生物レベルの攻撃に晒されれば、その作品が自然主義を標榜する限り、まず間違いなく絶命する。
 源外はプレス機(ター〇ネーターを圧殺した)並みの圧力をガンガン後頭部に受け続けたのだ。
 誰の目にもその死は明らかだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

乙男女じぇねれーしょん

ムラハチ
青春
 見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。 小説家になろうは現在休止中。

夜の公園、誰かが喘いでる

ヘロディア
恋愛
塾の居残りに引っかかった主人公。 しかし、帰り道に近道をしたところ、夜の公園から喘ぎ声が聞こえてきて…

美少女アンドロイドが色じかけをしてくるので困っています~思春期のセイなる苦悩は終わらない~

根上真気
キャラ文芸
4サイト10000PV達成!不登校の俺のもとに突然やって来たのは...未来から来た美少女アンドロイドだった!しかもコイツはある目的のため〔セクシープログラム〕と称して様々な色じかけを仕掛けてくる!だが俺はそれを我慢しなければならない!果たして俺は耐え続けられるのか?それとも手を出してしまうのか?これは思春期のセイなる戦い...!いざドタバタラブコメディの幕が切って落とされる!

購買の喪女~30歳喪女で毒女の私が、男子校の購買部で働いている件について~

ダビマン
キャラ文芸
 自由に生きる!がモットーだった。 ちょっとお馬鹿で、ギャンブル好きな、佐倉公子(さくらきみこ)さんが。  バイトをクビになったのをキッカケに、男子校の購買部で働く事に……。  そして、いろんな事に毒を吐きながら、独断と偏見で渋々と問題事を解決?するお話し。  きみこさんは人と関わりたくは無いのですが……。男子高校生や周りの人達は面白い物がお好きな様子。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

美少女幼馴染が火照って喘いでいる

サドラ
恋愛
高校生の主人公。ある日、風でも引いてそうな幼馴染の姿を見るがその後、彼女の家から変な喘ぎ声が聞こえてくるー

毎日記念日小説

百々 五十六
キャラ文芸
うちのクラスには『雑談部屋』がある。 窓側後方6つの机くらいのスペースにある。 クラスメイトならだれでも入っていい部屋、ただ一つだけルールがある。 それは、中にいる人で必ず雑談をしなければならない。 話題は天の声から伝えられる。 外から見られることはない。 そしてなぜか、毎回自分が入るタイミングで他の誰かも入ってきて話が始まる。だから誰と話すかを選ぶことはできない。 それがはまってクラスでは暇なときに雑談部屋に入ることが流行っている。 そこでは、日々様々な雑談が繰り広げられている。 その内容を面白おかしく伝える小説である。 基本立ち話ならぬすわり話で動きはないが、面白い会話の応酬となっている。 何気ない日常の今日が、実は何かにとっては特別な日。 記念日を小説という形でお祝いする。記念日だから再注目しよう!をコンセプトに小説を書いています。 毎日が記念日!! 毎日何かしらの記念日がある。それを題材に毎日短編を書いていきます。 題材に沿っているとは限りません。 ただ、祝いの気持ちはあります。 記念日って面白いんですよ。 貴方も、もっと記念日に詳しくなりません? 一人でも多くの人に記念日に興味を持ってもらうための小説です。 ※この作品はフィクションです。作品内に登場する人物や団体は実際の人物や団体とは一切関係はございません。作品内で語られている事実は、現実と異なる可能性がございます…

処理中です...