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1. 夜空から現れる星
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疲れた。
今日もサービス残業で会社を出たのは夜中2時過ぎ。
ここ数か月、この時間に帰るのが当たり前になってきている。
朝は9時始業だが8時半には出社しないと遅刻扱いなので早く寝なくてはならない。
深夜の街中、原付を飛ばす。
昔は400CCのバイクに乗っていたが趣味の時間が全く作れなくなり、更に維持費が払えない給料しかもらっていないので売ってしまい、そのお金で通勤用の原付を買った。
会社の部品となって働く日々。
Fランの大学に入り最初に内定が出たIT企業に何となく入ってしまった。
それがまずかった。
とんでもないブラック企業。
入社してすぐにあった自衛隊体験入隊と、社内研修という名の長時間労働で気づくべきだった。
入社5年目、27歳。
未だ昇給は無い。
同期は20人いたが、次々と辞めてしまい残っているのは自分と後2人。
そのうち1人は今入院中で、すでに退職が決まっている。
自分も以前辞めたいとチームリーダーに言った事がある。
すると勤務時間終了後に上司に囲まれて、
「お前なんかどこも雇ってくれないぞ」
「今会社が人手不足なのがわからないのか」
「今までかけた迷惑を挽回しないで辞めていいのか」
等、怒鳴られ続けた。
それでも辞めたいと言うと次の日さらに上司が現れ、勤務時間終了後にまた会議室で囲まれ、宥められ、怒鳴られ、説得と言う名の引き止めを延々と続けられる。
勤務時間終了後なので話は深夜を超え早朝にも及び朦朧とした意識に、
「じゃあ、明日からまた頑張れるな」
上司の問いかけ。
はいと頷く事しか出来なかった。
その日も8時半から仕事をしなくてはならない。
それから数日後。
原付は深夜2時の国道をひた走る。
早く寝て、明日、もう今日になってしまっているが泊まりの仕事に備えなくては。
通勤時間は40分。
空気はまだ冷たく手を刺すように冷す。
信号で停まる。
寒い、眠い。
気を紛らわす様に周りを見渡す。
街灯と静かな街.
黒一面の空が視界に入る。
店などコンビニ以外何処もやっていない。
ため息一つ。
信号が青になったので走り出そうとしたその時、視界の横に見えた物が気になり原付を停めた。
中古車店の片隅にひっそりと佇む様に展示されている車。
バブルの最盛期に登場し瞬く間の大ヒット、オープンカーの売り上げ世界一で未だにその記録を保持し続け現代に至る名車。
ユーノス ロードスター
名前は知っていたのだが、バイクの方が好きな私とは縁の無い物だと思っていた。
しかし私の心のどこかに、何かが引っかかった様な気がした。
10日ぶりの休み。
しかし会社からいつ掛かってくるかわからない電話に怯えながら過ごす休日。
電話か掛かってくれば場合によっては出社しなくてはならないので遠くに行けず、基本住んでいるアパートの近くをうろつく事位しか出来ない。
それゆえに予定が全然入れられない。
おまけに勤務はシフト制なので平日休みが多く、ただでさえ少ない友達とも段々と疎遠になっていった。
少しは気分転換を、と思い本屋にでも行こうと原付を走らせる。
本屋の帰り道、国道の交差点で赤信号、原付を停める。
ふと左を見ると素敵な車が展示されていた。
(この前仕事帰りに見たロードスターだ)
原付を降りて吸い込まれるように車の方に近寄る。
真っ白の車体に屋根はベージュの幌。
車の中を覗き込む。
本皮のシートに木のハンドル。
スピーカーも高級そうだ。
エンブレムがついていないその車は外車の様にも見えた。
小さい車なのにやけに堂々とした外観。
それでいて可愛らしくもあり、格好良くもある。
馬車馬の様に惨めに働く自分と正反対の存在にため息が出たその時、
「それ、いい車ですよ」
不意に後ろから店員さんに声をかけられた。
「古い車ですけど故障も不思議な位無いし、運転もし易いですよ。値段も手ごろですし」
もう一度車を見る。
華やかさを少し、ほんの少し、分けてもらいたい気がした。
今日も帰宅は深夜1時過ぎ。
アパートの駐輪場に原付を停めた。
何気無く駐車場の方を見ると、ロードスターが土埃で汚れている。
結局衝動買いしてしまったのだがほとんど乗れていない。
通勤で使おうとも思ったが、朝は道が渋滞するので原付の方が早く出勤できる。
1回早く起きて乗って行ったら上司に、
「こんなものに乗ってくるんじゃねーよ。マフラー音うるせーだろ!」
と怒鳴られ、
「迷惑かけたんだからその分仕事で挽回しろ」
と、その日の仕事量が一気に増えた事があり、それからは通勤では使っていない。
別にマフラーは消音材が入っていてうるさくないと思うし、リーダーが毎日乗ってくる大型バイクのマフラー音は確実に3倍以上うるさいのだが。
ロードスターが始めて発売された20数年前、この車のカタログにはこんな事が書いてあったと店員さんが教えてくれたのが衝動買いのきっかけになった。
このクルマを手に入れるほんの少しの勇気を持てば、きっと、だれもが、しあわせになる
皮肉な事に今の所、購入してからというもの不幸にしかなっていないのだが。
トボトボとアパートの入り口に向かう。
2階に上る階段を登ろうとしたその時、
「今日も仕事ですか?」
不意に話しかけられた。
声の方を見ると駐輪所の街灯に照らされて女の子がこちらを見ていた。
長い髪、長い手足、小さな頭に整った可愛らしい顔。
このアパートの住人だろうか。
ええ、と曖昧な返事を返す。
「そうですか」
女の子は不機嫌そうな顔をしてアパートの敷地から出て行ってしまった。
ここの住人にあんな子いたかな?
次の日退社時間は夜中の2時。
これがいつもの退社時間。
私はもう麻痺してしまいこれが当たり前だと思っている。
以前終電なので帰りたいのですが? と言ったスタッフがいた。
上司の返答は、
「歩いて帰れ」
だった。
バイクや原付を持っているスタッフがほとんどなのはそう言った理由からだ。
妙に月明かりが眩しい夜。
なのにアパートの駐輪場に着いたと同時に雲に隠れて暗くなった。
「まるで人生みたい」
思わず口に出ていた。
悲しい気持ちになりながらアパートに向かうと、星の様な光が私の目に飛び込んできた。
そちらに目を向けると、
「帰り遅いですね」
星のイヤリングが雲間からの月明かりに照らされて反射していた。
それを付けている人の顔を見る。
昨日話しかけてきた女の子だった。
「ええ、まぁ」
今日も曖昧な返事を返す私。
女の子は何か言いたそうだったが、
「そうですか」
それだけ言うと怒った様な顔をしてアパートの敷地から出て行った。
その後ろ姿を見て思った。
ここの住人じゃないよなぁ。
次の日は夜23時の退社だった。
少し早く帰れる。
まだ本屋がやっている時間だったので漫画をまとめ買いした。
駐輪所に原付を停め上機嫌でアパートの入り口に向かうと、街灯の下にまた女の子がいた。
昨日と一昨日声を掛けてきた女の子だというのはすぐにわかった。
長い髪、長い手足、小さな頭に整った可愛らしい顔。
そして今日はどこか寂しげな表情をしている。
「毎日遅いですね」
また話しかけられた。
まぁ、と今日も曖昧な返事をする。
その返答を聞くと、
「そう」
と、一言発し、かなり不機嫌な表情になると近くにあった自転車を蹴り倒しアパートの敷地から出て行った。
倒れた自転車を直しながら何なの? と考えてしまう。
何をあんなに怒っているのだろうか。
次の日はいつもより少し遅い退社時間、夜中の3時だった。
早く寝なくては、と急いで駐輪場に原付を停める。
さすがにいないかな?
と、アパートの入口を見る。
しかし今日も女の子はいた。
何をする訳でもなく、街灯の下で所在なさげに長い手をぶらつかせて立っている。
誰かを待っている様にも見える。
不意に目が合う。
慌てて逸らすが物凄い勢いで近づいてきた。
何? 何?
慌てる私の胸倉を掴んで、女の子はこんな事を言ってきた。
「何でいつも帰りが遅いの!!」
何で見ず知らずの子に、こんな事を言われなくてはならないのか。
「あなたには関係無いと思いますけど」
私が戸惑いつつ言うと、
「ある!!」
女の子は敢然と言い放つ。
そして、
「だって私はあなたの物なんだよ」
そう言って大きな目を見開き、私に顔を近づけた。
意味がわからない。
女友達もいないし、ましてや彼女などいる訳もない。
ひょっとして変なデート商法か何かかなぁ、等と可能性がありそうな事を考えていると次に彼女が言った言葉は衝撃を通り越して、
「だから私はロードスターだってば!!」
本当に意味がわからなかった。
本日もサービス残業。
時計は当たり前の様に23時の所を指していた。
今日のうちに退社出来るかな、と考えていたら、
「おい渡辺、チャンスが来た」
坂本リーダーが急に話しかけてきた。
何かと思ったら急遽仕様の変更が舞い込んできたのだという。
「そういう事だから今日中にこれやる様に」
急いでも4時間は掛かる作業内容の仕事だった。
私は暗い顔をしてしまったのだと思う。
「何だ、やりたくないのか!!」
怒鳴りつけられる。
「いえ、やります」
慌てて言うが、
「お前、やる気が無いならやらなくていいぞ。何でそんなにやる気が無いんだ、あー?」
なおも怒鳴られる。
「いえ、やらせて下さい」
引きつり笑顔で答える。
「わかればいいけどよ。会社が今、頑張らなきゃならない時期だというのはお前もわかっているだろ。それにこの仕事はお前の勉強にもなるんだぞ」
坂本リーダーはそう言い残して帰宅した。
これで今日は会社での泊りが決定した。
2日ぶりに通る我がアパートへ帰る道。
夜中、というか早朝4時半。
鉛の様な体。
明日はローテーション上休みだが、またいつ電話がかかってくるかわからない。
鉛の様な心。
自宅アパートの駐輪場に原付を停める。
早く寝よう。
夕食もまだ食べていないがとにかく眠かった。
体を引きずる様にアパートに向かうが、
「ちょっと遅すぎ」
急に声がした。
声の方向を見ると、
「もう朝だよ」
今日も女の子がいた。
こんな時間に何をしているのだろうか。
「ねぇ、本当に仕事ばっかりなの」
不思議そうな顔をして綺麗な目を私に向ける。
私は諭すように言う。
「家の人心配していると思うから早く家に帰りなさい。あとデート商法とかでしたら僕、本当にお金無いですよ」
僅かばかりあった貯金はロードスターを買った時に全て無くなってしまった。
それを聞いて女の子は、
「こんなに働いているのにお金が無いの? ていうかそんなに仕事が楽しいの?」
驚きの声を上げた。
こんな若い子に言ってもわからないだろうな。
そこで私の意識に限界が訪れた。
その場に崩れる様に倒れてしまった。
気がつくと寝ていた。
布団の上で。
慌てて起き上がり周りを見渡す。
私の部屋の様だが何かが違う。
薄汚かった部屋中が綺麗になっている。
驚いて立ち上がり、中を確認するがどう見ても私の住んでいるアパートだ。
更に確認すると靴もピカピカに磨かれている。
埃で汚かった廊下もツルツルしている。
台所も洗い場から食器類まで磨かれていた。
何だよこれ。
驚いていると、
「あ、起きた」
玄関のドアが開き、あの自分の事をロードスターだと言った女の子が大きなスーパーの袋を持って入って来た。
「部屋汚すぎ、食材無さすぎ、あと痩せているくせに体重重過ぎ」
文句を言いながら流しで手を洗っている。
状況が全く理解できない私は、
「何をしているの?」
とりあえず聞いてみた。
すると女の子は、
「食事作ってあげるよ」
楽しそうに米をとぎ始めた。
「何でそんな事をしてくれるの?」
不思議でしょうがないから聞いてみた。
「だから言ったでしょ。私はあなたの物だって」
ますます状況がわからなくなった。
部屋が汚すぎたのを知っているという事は、掃除をしてくれたのはこの子という事か。
あれっ、じゃあ私の体重を知っているという事は、
「あの、僕の事をここまで運んでくれたのは……」
「ホント重かったんだから」
この子らしい。
といだ米を炊飯器にセットする女の子を見る。
長い髪、長い手足、小さい頭、今風な若い子の服装。高校生? 中学生かもしれない。
とりあえず、
「しかし何で僕の部屋がわかったの?」
一番疑問だった事を聞いてみた。
「車検証見たから」
車検証?
そうか、あくまでも自分は車だと言い張るつもりらしい。
じゃあ試してみるか。
「あのロードスター直さなくちゃいけない所があるんだけど、どこだかわかる?」
その言葉を聞いて野菜を切る手を急に止める。
「あー、そうだ。後で買ってよ」
「何を?」
「だから左のリトラライトでしょ。全く点かない訳では無いけど少し暗くなって来たもんね」
そう言ってまた野菜を切りはじめた。
まさか……偶然だよね。
今日もサービス残業で会社を出たのは夜中2時過ぎ。
ここ数か月、この時間に帰るのが当たり前になってきている。
朝は9時始業だが8時半には出社しないと遅刻扱いなので早く寝なくてはならない。
深夜の街中、原付を飛ばす。
昔は400CCのバイクに乗っていたが趣味の時間が全く作れなくなり、更に維持費が払えない給料しかもらっていないので売ってしまい、そのお金で通勤用の原付を買った。
会社の部品となって働く日々。
Fランの大学に入り最初に内定が出たIT企業に何となく入ってしまった。
それがまずかった。
とんでもないブラック企業。
入社してすぐにあった自衛隊体験入隊と、社内研修という名の長時間労働で気づくべきだった。
入社5年目、27歳。
未だ昇給は無い。
同期は20人いたが、次々と辞めてしまい残っているのは自分と後2人。
そのうち1人は今入院中で、すでに退職が決まっている。
自分も以前辞めたいとチームリーダーに言った事がある。
すると勤務時間終了後に上司に囲まれて、
「お前なんかどこも雇ってくれないぞ」
「今会社が人手不足なのがわからないのか」
「今までかけた迷惑を挽回しないで辞めていいのか」
等、怒鳴られ続けた。
それでも辞めたいと言うと次の日さらに上司が現れ、勤務時間終了後にまた会議室で囲まれ、宥められ、怒鳴られ、説得と言う名の引き止めを延々と続けられる。
勤務時間終了後なので話は深夜を超え早朝にも及び朦朧とした意識に、
「じゃあ、明日からまた頑張れるな」
上司の問いかけ。
はいと頷く事しか出来なかった。
その日も8時半から仕事をしなくてはならない。
それから数日後。
原付は深夜2時の国道をひた走る。
早く寝て、明日、もう今日になってしまっているが泊まりの仕事に備えなくては。
通勤時間は40分。
空気はまだ冷たく手を刺すように冷す。
信号で停まる。
寒い、眠い。
気を紛らわす様に周りを見渡す。
街灯と静かな街.
黒一面の空が視界に入る。
店などコンビニ以外何処もやっていない。
ため息一つ。
信号が青になったので走り出そうとしたその時、視界の横に見えた物が気になり原付を停めた。
中古車店の片隅にひっそりと佇む様に展示されている車。
バブルの最盛期に登場し瞬く間の大ヒット、オープンカーの売り上げ世界一で未だにその記録を保持し続け現代に至る名車。
ユーノス ロードスター
名前は知っていたのだが、バイクの方が好きな私とは縁の無い物だと思っていた。
しかし私の心のどこかに、何かが引っかかった様な気がした。
10日ぶりの休み。
しかし会社からいつ掛かってくるかわからない電話に怯えながら過ごす休日。
電話か掛かってくれば場合によっては出社しなくてはならないので遠くに行けず、基本住んでいるアパートの近くをうろつく事位しか出来ない。
それゆえに予定が全然入れられない。
おまけに勤務はシフト制なので平日休みが多く、ただでさえ少ない友達とも段々と疎遠になっていった。
少しは気分転換を、と思い本屋にでも行こうと原付を走らせる。
本屋の帰り道、国道の交差点で赤信号、原付を停める。
ふと左を見ると素敵な車が展示されていた。
(この前仕事帰りに見たロードスターだ)
原付を降りて吸い込まれるように車の方に近寄る。
真っ白の車体に屋根はベージュの幌。
車の中を覗き込む。
本皮のシートに木のハンドル。
スピーカーも高級そうだ。
エンブレムがついていないその車は外車の様にも見えた。
小さい車なのにやけに堂々とした外観。
それでいて可愛らしくもあり、格好良くもある。
馬車馬の様に惨めに働く自分と正反対の存在にため息が出たその時、
「それ、いい車ですよ」
不意に後ろから店員さんに声をかけられた。
「古い車ですけど故障も不思議な位無いし、運転もし易いですよ。値段も手ごろですし」
もう一度車を見る。
華やかさを少し、ほんの少し、分けてもらいたい気がした。
今日も帰宅は深夜1時過ぎ。
アパートの駐輪場に原付を停めた。
何気無く駐車場の方を見ると、ロードスターが土埃で汚れている。
結局衝動買いしてしまったのだがほとんど乗れていない。
通勤で使おうとも思ったが、朝は道が渋滞するので原付の方が早く出勤できる。
1回早く起きて乗って行ったら上司に、
「こんなものに乗ってくるんじゃねーよ。マフラー音うるせーだろ!」
と怒鳴られ、
「迷惑かけたんだからその分仕事で挽回しろ」
と、その日の仕事量が一気に増えた事があり、それからは通勤では使っていない。
別にマフラーは消音材が入っていてうるさくないと思うし、リーダーが毎日乗ってくる大型バイクのマフラー音は確実に3倍以上うるさいのだが。
ロードスターが始めて発売された20数年前、この車のカタログにはこんな事が書いてあったと店員さんが教えてくれたのが衝動買いのきっかけになった。
このクルマを手に入れるほんの少しの勇気を持てば、きっと、だれもが、しあわせになる
皮肉な事に今の所、購入してからというもの不幸にしかなっていないのだが。
トボトボとアパートの入り口に向かう。
2階に上る階段を登ろうとしたその時、
「今日も仕事ですか?」
不意に話しかけられた。
声の方を見ると駐輪所の街灯に照らされて女の子がこちらを見ていた。
長い髪、長い手足、小さな頭に整った可愛らしい顔。
このアパートの住人だろうか。
ええ、と曖昧な返事を返す。
「そうですか」
女の子は不機嫌そうな顔をしてアパートの敷地から出て行ってしまった。
ここの住人にあんな子いたかな?
次の日退社時間は夜中の2時。
これがいつもの退社時間。
私はもう麻痺してしまいこれが当たり前だと思っている。
以前終電なので帰りたいのですが? と言ったスタッフがいた。
上司の返答は、
「歩いて帰れ」
だった。
バイクや原付を持っているスタッフがほとんどなのはそう言った理由からだ。
妙に月明かりが眩しい夜。
なのにアパートの駐輪場に着いたと同時に雲に隠れて暗くなった。
「まるで人生みたい」
思わず口に出ていた。
悲しい気持ちになりながらアパートに向かうと、星の様な光が私の目に飛び込んできた。
そちらに目を向けると、
「帰り遅いですね」
星のイヤリングが雲間からの月明かりに照らされて反射していた。
それを付けている人の顔を見る。
昨日話しかけてきた女の子だった。
「ええ、まぁ」
今日も曖昧な返事を返す私。
女の子は何か言いたそうだったが、
「そうですか」
それだけ言うと怒った様な顔をしてアパートの敷地から出て行った。
その後ろ姿を見て思った。
ここの住人じゃないよなぁ。
次の日は夜23時の退社だった。
少し早く帰れる。
まだ本屋がやっている時間だったので漫画をまとめ買いした。
駐輪所に原付を停め上機嫌でアパートの入り口に向かうと、街灯の下にまた女の子がいた。
昨日と一昨日声を掛けてきた女の子だというのはすぐにわかった。
長い髪、長い手足、小さな頭に整った可愛らしい顔。
そして今日はどこか寂しげな表情をしている。
「毎日遅いですね」
また話しかけられた。
まぁ、と今日も曖昧な返事をする。
その返答を聞くと、
「そう」
と、一言発し、かなり不機嫌な表情になると近くにあった自転車を蹴り倒しアパートの敷地から出て行った。
倒れた自転車を直しながら何なの? と考えてしまう。
何をあんなに怒っているのだろうか。
次の日はいつもより少し遅い退社時間、夜中の3時だった。
早く寝なくては、と急いで駐輪場に原付を停める。
さすがにいないかな?
と、アパートの入口を見る。
しかし今日も女の子はいた。
何をする訳でもなく、街灯の下で所在なさげに長い手をぶらつかせて立っている。
誰かを待っている様にも見える。
不意に目が合う。
慌てて逸らすが物凄い勢いで近づいてきた。
何? 何?
慌てる私の胸倉を掴んで、女の子はこんな事を言ってきた。
「何でいつも帰りが遅いの!!」
何で見ず知らずの子に、こんな事を言われなくてはならないのか。
「あなたには関係無いと思いますけど」
私が戸惑いつつ言うと、
「ある!!」
女の子は敢然と言い放つ。
そして、
「だって私はあなたの物なんだよ」
そう言って大きな目を見開き、私に顔を近づけた。
意味がわからない。
女友達もいないし、ましてや彼女などいる訳もない。
ひょっとして変なデート商法か何かかなぁ、等と可能性がありそうな事を考えていると次に彼女が言った言葉は衝撃を通り越して、
「だから私はロードスターだってば!!」
本当に意味がわからなかった。
本日もサービス残業。
時計は当たり前の様に23時の所を指していた。
今日のうちに退社出来るかな、と考えていたら、
「おい渡辺、チャンスが来た」
坂本リーダーが急に話しかけてきた。
何かと思ったら急遽仕様の変更が舞い込んできたのだという。
「そういう事だから今日中にこれやる様に」
急いでも4時間は掛かる作業内容の仕事だった。
私は暗い顔をしてしまったのだと思う。
「何だ、やりたくないのか!!」
怒鳴りつけられる。
「いえ、やります」
慌てて言うが、
「お前、やる気が無いならやらなくていいぞ。何でそんなにやる気が無いんだ、あー?」
なおも怒鳴られる。
「いえ、やらせて下さい」
引きつり笑顔で答える。
「わかればいいけどよ。会社が今、頑張らなきゃならない時期だというのはお前もわかっているだろ。それにこの仕事はお前の勉強にもなるんだぞ」
坂本リーダーはそう言い残して帰宅した。
これで今日は会社での泊りが決定した。
2日ぶりに通る我がアパートへ帰る道。
夜中、というか早朝4時半。
鉛の様な体。
明日はローテーション上休みだが、またいつ電話がかかってくるかわからない。
鉛の様な心。
自宅アパートの駐輪場に原付を停める。
早く寝よう。
夕食もまだ食べていないがとにかく眠かった。
体を引きずる様にアパートに向かうが、
「ちょっと遅すぎ」
急に声がした。
声の方向を見ると、
「もう朝だよ」
今日も女の子がいた。
こんな時間に何をしているのだろうか。
「ねぇ、本当に仕事ばっかりなの」
不思議そうな顔をして綺麗な目を私に向ける。
私は諭すように言う。
「家の人心配していると思うから早く家に帰りなさい。あとデート商法とかでしたら僕、本当にお金無いですよ」
僅かばかりあった貯金はロードスターを買った時に全て無くなってしまった。
それを聞いて女の子は、
「こんなに働いているのにお金が無いの? ていうかそんなに仕事が楽しいの?」
驚きの声を上げた。
こんな若い子に言ってもわからないだろうな。
そこで私の意識に限界が訪れた。
その場に崩れる様に倒れてしまった。
気がつくと寝ていた。
布団の上で。
慌てて起き上がり周りを見渡す。
私の部屋の様だが何かが違う。
薄汚かった部屋中が綺麗になっている。
驚いて立ち上がり、中を確認するがどう見ても私の住んでいるアパートだ。
更に確認すると靴もピカピカに磨かれている。
埃で汚かった廊下もツルツルしている。
台所も洗い場から食器類まで磨かれていた。
何だよこれ。
驚いていると、
「あ、起きた」
玄関のドアが開き、あの自分の事をロードスターだと言った女の子が大きなスーパーの袋を持って入って来た。
「部屋汚すぎ、食材無さすぎ、あと痩せているくせに体重重過ぎ」
文句を言いながら流しで手を洗っている。
状況が全く理解できない私は、
「何をしているの?」
とりあえず聞いてみた。
すると女の子は、
「食事作ってあげるよ」
楽しそうに米をとぎ始めた。
「何でそんな事をしてくれるの?」
不思議でしょうがないから聞いてみた。
「だから言ったでしょ。私はあなたの物だって」
ますます状況がわからなくなった。
部屋が汚すぎたのを知っているという事は、掃除をしてくれたのはこの子という事か。
あれっ、じゃあ私の体重を知っているという事は、
「あの、僕の事をここまで運んでくれたのは……」
「ホント重かったんだから」
この子らしい。
といだ米を炊飯器にセットする女の子を見る。
長い髪、長い手足、小さい頭、今風な若い子の服装。高校生? 中学生かもしれない。
とりあえず、
「しかし何で僕の部屋がわかったの?」
一番疑問だった事を聞いてみた。
「車検証見たから」
車検証?
そうか、あくまでも自分は車だと言い張るつもりらしい。
じゃあ試してみるか。
「あのロードスター直さなくちゃいけない所があるんだけど、どこだかわかる?」
その言葉を聞いて野菜を切る手を急に止める。
「あー、そうだ。後で買ってよ」
「何を?」
「だから左のリトラライトでしょ。全く点かない訳では無いけど少し暗くなって来たもんね」
そう言ってまた野菜を切りはじめた。
まさか……偶然だよね。
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後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
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