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第2章 ラジナ城砦

14話

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 庭に残されてしまい、ヴェルは所在なく「ご歓談ねぇ……」と呟いてしまう。捕らえた張本人と捕らわれた張本人で二人きりというのは何とも気まずい。

(と言っても……)
 ヴェルは横目でカイを見やる。やや高い位置にあるカイの顔は、一週間前に見た時よりも随分と穏やかそうである。昼下がりの庭という環境がそうさせているのか、はたまた、兵士たちの前ではないからか。

 冷酷で野蛮な暴君ではなく、リウが言っていたように「オメガ狩りを指揮すると思えない」人物なのであれば、会話もいくぶん通じそうではある。
(どうしてオメガ狩りなんかしたのか……事情を聞くなら今がチャンスかな)
 なににせよ、自分を村に帰してくれる許可は、この男が出さねば意味がない。
 何かしらの問題が起きて、イレギュラーで自分がさらわれたのであれば、その問題さえ解決されれば、自分がここにいる意義もなくなる。
(早く村に戻りたい。俺は村に恩返しをしたいんだ……)

 しかしヴェルが何かを問うより前に、カイが訊ねた。
「庭の手入れを?」
「え? あー……、うん。……じゃなくて。まあ。はい。そうです」
 出鼻をくじかれながら、たどたどしく答えると、カイは「かしこまる必要はない。敬語も不要だ」と、言いつつ、僅かに首を傾げた。
 その視線は、ヴェルの手元におさまっている手鎌に注がれている。

「まさか、その鎌で雑草を刈っているのか。キリがないだろう」
「……って言われましてもね。納屋には他の鎌もなかったし」

 納屋にない、と言われたカイは、目を瞬かせた。
「草刈り用の魔導具を修理しておいたはずだが」
「なにそれ?」 
 カイは「見てもらう方が早い」と、納屋へ向かってさっさと歩き出した。
 先週も思ったが、とにかく足が速い。長い上に速い。一歩が大きく、それでいて、しなやかな脚の筋肉は、まるで草地を滑るように歩いて行く。

 ヴェルは慌ててその後ろを追いかけた。館の裏手に当たる位置に納屋がある。この納屋も大層立派なレンガ造りであり、小さな家のような大きさだ。
 かんぬきを外して中へ入ったカイは、すぐ右手に置かれていた魔導具を片手で持ち上げて、ヴェルに見せた。
「これだ」
「なにこれ」
「草刈り具だ。知らないのか?」
 カイが見せてきたのは大鎌ではないが、見た目は少し似ていた。
 取っ手の部分があり、さお部分があり、先端には、鎌の代わりに円盤状の刃がついている。
 銀色の刃は先端がギザギザしており、その一つ一つが小さな刃だ。
 大鎌の方がよく刈れそうだが、とヴェルが思っていると、カイは取っ手部分にある魔力装置に手をかざした。
「魔力を装填そうてんして……」

 瞬間、重低音を響かせながら円盤状の刃が勢いよく回転し始める。カイは取っ手を持ったまま、納屋の脇に生えている背の高い雑草の根本あたりに刃を持っていった。
「このまま、こう」
 すると一瞬で雑草はすっぱりと刈れ、カイが左右に刃を振るだけで、周囲の草がみるみる短くなっていく。ヴェルは思わず「おお」と感嘆の声を上げた。

「めちゃくちゃ便利だな。これあんたが作ったの?」
「まさか。俺は整備しただけだ」

 カイは装填部分から手を離した。途端に、魔導具は静かになる。ヴェルは伺うように問う。
「……あんた魔導士?」
「いや。魔導士になるには魔力が足りなかった。元々魔導具いじりが趣味でな」
「へえ」

 魔力の量は先天的に決まる。
 魔導具の発明や運用には特殊な技術が必要なので、魔力量が一定以上の者は、魔導士資格を取るのが常だ。

 この世の全ての魔導具は、魔導士によって作られる。
 危険で高度な魔導具ほど、必要とされる魔力量は膨大になっていき、逆に、生活で使うような着火具や、湯沸かし具などは、子どもの魔力量でも扱えるように改良されている。

 ヴェルのチョーカーも、魔力量はほとんど必要とされていない。
 魔力は、普通に食べて寝ていれば放出されていくものだ。このチョーカーも、人体に備わった基礎魔力量だけでも動く代物しろものだった。

「好きに使うといい」
 カイは草刈り具をヴェルに渡す。ずしり、と重いそれをヴェルが両手で抱え直していると、カイはもう片方の手に持ったままの分厚い報告書に目を落とした。

「俺も、庭をどうにかしたいのは山々だったが、時間を取るのが難しくてな。雑草を刈ってくれるだけでも助かる」
「……まあ別に、やる事もなくて暇だし。雑草が終わったら木の剪定せんていもしておくつもりだよ」
「そうなのか。それは有り難い」
 ヴェルは若干面食らう。今のは嫌味を滲ませたつもりだったのだ。
 こんなにも明け透けに「有り難い」と言われては、捕らわれの身だから暇なのだ、とか。村の家を焼いて脅して俺をここに連れてきたくせに、とか。なじる言葉も出せなくなる。

 ヴェルは草刈り具を持ったまま、問うか問わぬか逡巡しゅんじゅんするが、多忙を極めるこの男に、次回いつ会えるかも分からないのだ。
 聞くなら今しかない、とばかりに、意を決して口を開いた。
「なあ。あんたが村を襲ったのって……」
 ヴェルがそう切り出すのと、目の前の男の身体がぐらりと傾いたのは同時だった。
 何の受け身も取ろうとせず、重力に従って崩れ落ちていく様子が、スローモーションのように目に映る。ヴェルは咄嗟に草刈り具から手を離して、倒れかけた巨躯きょくを支えた。

「お、おい! 大丈夫か!?」
 草刈り具などより遙かに重い筋肉など、到底支え切れるものではない。「おもっ!」とヴェルは呻きつつ、それでも、男の顔面が地面に激突するのは避けられた。
 筋ばった手からは報告書が滑り落ち、地面に紙がばらけていくが、それを拾う余裕はない。

 と、ヴェルは何かに気付いたように「あれ?」と零す。例の匂いがした。甘くかぐわしい、あの匂い。

 やはり香水か何かなのだろうか。などとヴェルが思っている一瞬で、カイは意識が戻ったようだ。焦った様子でヴェルの身体を引き離し、眩暈めまいをおさえるようにして顔の下半分を掌で覆った。
「……すまない。怪我けがは」
「これくらいでするかよ」
 ヴェルは散らばった報告書をさっと拾って渡してやる。よく見ればカイの顔色は真っ青だ。

「なあ、普通に主寝室使って寝た方がいいって」
「……俺はまた暫く戻る予定がない。一階の客用寝室が適している」
 律儀というか、頑固というか。その生真面目さにヴェルは呆れたように溜め息を吐いた。リウはまだ呼びに来ない。
「じゃあせめて座ってなよ。顔色おかしいから」
 納屋の横には、樹齢じゅれい百年は超えているだろう、どっしりとした幹を持つ広葉樹が植わっている。
 日陰になりそうなその木陰を指差すと、カイは「わかった」と頷いた。その素直さにヴェルは少し驚いたものの、カイも、自分の体調の自覚はあるのか、さっさと根元に座り込む。

 なんとなく、ヴェルもその隣に腰掛けた。
 カイは手元の報告書をもくもくと読み始める。真横から見ると、鼻の高さがますます彫刻じみていた。
 先ほど問おうとした言葉を今掛けるべきなのか。どうしたものか、と切り出すタイミングを伺いつつ、頭上を見上げた。
 春の薄い雲がゆったりと吹き流れ、あたたかな風が鳥のさえずりを運んでくる。

 村ではもう家の再建が始まっているだろうか。畑の種まきや、子羊の出産など、忙しい時期だ。遅れているかもしれない。
 そんな事をつらつらと考えていると、鳥の声や虫の羽音に混じって、何やら小さな呼吸音が聞こえてきた。

 呼吸音のする真横を見れば、大木に背を預けたまま項垂うなだれるカイの姿があった。
 撫でつけた褐色の髪がはらり、と、ひと房落ちて、高い頬骨にかかっている。

「……寝てんの?」
 ヴェルはそっと、カイの前で手を振るが、先ほどと違って全く気が付く様子もない。その高い鼻梁びりょうや、意外と長い睫毛をまじまじと見つめる。武人ではあるが、社交界でも人気があることだろう。

 ふと、リウの言葉を思い出した。
『殿下は、今までの縁談を全て断ってきているんです』

 成人年齢はどこの国でも十九歳。王族や貴族ともなれば許婚がいるのが普通だし、二十歳を過ぎる頃に結婚することが多い。ましてやアルファなのだから、幼少期から引く手はあまただったはずだ。
 確かに、戦時中であればそういった祝い事をしている余裕もないかもしれない。
 だが、最後の戦争である国境大戦は三年前。それ以降目立った戦争もない。
 何なら、同盟や不可侵協定の担保のために、隣国の王族と結ばれたっておかしくはない。
 それにも関わらず全てを断っている。
 戦争にしか興味がない戦闘狂、というわけではなさそうだ。かといって、人との交流を嫌っている厭世的えんせいてきなタイプにも見えない。
 と、なれば。
「……好きな奴がいるとか……?」
 ぽつりと呟くなり、ヴェルの胸中に得体の知れないもやが生じる。もやと呼べば良いのか、何かしらの苛立ちにも似たそれは、浮かんですぐに消えた。
 思わず口の端に苦笑いが浮かぶ。
「……ないない」
 何に対しての否定なのか、自分でもよく分からないまま、ヴェルはもう一度小さく「ない」と呟いた。

 二人の頬を、柔らかな春風がふわりと撫でて行った。
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