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第2章 ラジナ城砦

8話

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 眠りに落ちる寸前、ヴェルは思った。とてもではないがこんな場所で熟睡できるものかと。
 だが身体はなんとも正直なもので、気付けば朝であった。
 極度の緊張の糸がぷつりと切れてしまったせいだろう。眠るというより、気絶に近く、夢も見なかった。

 思い瞼を持ち上げ、ベッドの上にのっそりと身を起こす。
 伸びをしていると、扉がゴンゴンとノックされた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
 肩で扉を押しながら、リウが大量の衣類を抱えて入ってきた。
「おはよう。お陰様でなんとか」
「それは良かったです。服をお持ちしたので、お好きなものを着てください」
 リウは、手にしていた服を広げながらヴェルに渡していく。
 手触りの良い肌着、裏地が上等なパリッとしたズボン、繊細な刺繍が入ったベスト、滅多に見かけない、なめらかな牛革の上着。そのどれもが、明らかに大きい。長身で筋骨の逞しい男性が着るためのもののように見える。
 香水がついているのか、はたまた質の良い石鹸で洗われているのか、えもいわれぬ、甘く柔らかな匂いが衣類から漂っていた。
 嫌な予感がしてヴェルは恐る恐るリウに問う。
「……まさかこの服って」
「あ。殿下のです」
 やっぱり、と、ヴェルは顔を顰め、受け取った服をそのままゆっくりとベッドの端に積んで置いた。リウは続ける。
「実はこの館に来てから僕らも日が浅くて。ちょうど良いサイズの服がなくてですね……。僕の服だと小さいですし。ほら、殿下の服なら誰でも着られるサイズじゃないですか」
「それはまあそうだろうな。……いや、そうじゃなくて!」
「あ、王族の服は恐れ多いとか? 殿下はそういうの気にしないので大丈夫ですよ」
「俺が大丈夫じゃないんだよ!」
「潔癖症ですか?」
「そうじゃなくて! 俺はあいつのせいで……っ!」
 言い掛けて咄嗟に口を噤んだ。リウはきっと、カイがオメガ狩りを命じたことも、ヴェルがそれで捕らわれたことも知らないのだ。
 言うか一瞬迷うものの、リウが「あいつって殿下ですか? 何かあったんですか」と首を傾げてくるので、薄く唇を開いた。
「俺はあいつのせいで連れて来られた。ーー……オメガ狩りだよ。奴はその首謀者だと、自分で言ってた」
 リウは「へ?」と目を丸くする。
「オメガ狩り、ですか? 殿下が? 本当に?」
 やはりリウは知らなかったようだ。動揺を隠しきれない様子の少年にヴェルは頷き、昨日起きたことをかいつまんで話した。
 オメガを差し出せと村人が脅されたこと。家に火をつけられたこと。村を守るために身を差し出し、捕らわれ、ここまで連れて来られたこと。そしてそれらが、カイの命令だったこと。

 神妙な顔つきで聞いていたリウだったが、聞き終えるなり、指先を軽く顎に当てた。
「うーん……。無理があるような……」
「無理?」
「はい。殿下のことなので、何か考えがあってのことかもしれませんが。何にせよ、殿下と僕らが、ラジナに到着したのは先週なんです。そんな短期間で調査をして、オメガ狩りを遂行するというのは考えにくいです」
 根拠なく擁護しているわけでもなさそうだ。ヴェルの頭も幾分、冷静になる。

「先週、って言ったか? 正確には?」
「今日でちょうど七日目です。村の襲撃は一昨日なんですよね?」
「……なるほど。赴任早々にやることじゃないな」
「はい。優先順位として高いものは他にたくさんあります。現に、殿下がこの館に戻れたのは二回だけですから。そんな多忙な中でオメガ狩りなんて……」
「それはそうだ。……あ」
 ヴェルはふと思い当たるものがあった。
 村を襲った集団の中で一人だけ浮いていた、貴族の男。カイよりも先に到着し、兵に命じていたのはあの男だった。

 ヴェルはリウに問う。
「ダオン、っていう貴族の名前は知ってるか?」
「ダオン? まさか、ダオン=カロンがその場にいたんですか?」
 リウの柔和な顔がこれでもかと歪んだ。
「そいつ怪しいですよ。元々ここはラヴァド家の領地なのに、半年前から中央貴族のカロン家が常駐してるらしいんです。何が目的かは知りませんけど」
 半年前から調査を行っていたのなら、あの村に自分がいることも調べ上げられるだろう。そして、王子がこの城砦に来たタイミングで、王子の名の元にオメガ狩りを行った。
「……それは確かに怪しいな」
 ヴェルの相槌に、リウは痛ましそうに長いまつ毛を一瞬伏せる。
「でも、そうですか。オメガ狩りに……。すみませんでした。そんな事情があったとは知らず、ただのお客様かと……」
「謝るようなことじゃないよ」
 苦笑するヴェルに、リウは「いえ。ただのお客様というか、むしろ……」と続けた。
「僕はですね……。いよいよかと。ようやくこの時が来たかと。喜んでおりまして」
「ん?」

 伏せられていたリウの目がきらりと輝き、ヴェルの両手を勢いよく握った。
「だってあの殿下に『大事な客だからもてなせ』と言われて! 連れて来られたのがこんな美人のオメガですよ!? とうとう殿下が身を固める時が来たと思って、僕は昨日、キッチンで小躍りしてましたよ! 歌はさすがに我慢しましたけど!」
 らんらんと光る目で興奮気味に語るリウに、ヴェルは「へ?」と、気圧されたように頬を引き攣らせた。
「殿下は、今までの縁談を全て断ってきているんです。まさか生涯独身なのかと、気が気ではなかったのですが、ここに来てようやくつがいを作る気にと!」
「あー……」
「なのにッ!」
 リウはいっそ目の端に涙を浮かべながら叫んだ。
「まさかオメガ狩りの被害者を保護しただけってことですかぁ!?」
 一人で百面相をしているリウに、ヴェルは「ま、まあ、それが一番有り得る線かな……」と頷いた。
 実際、ヴェル自身、なぜカイがわざわざ「自分の名においてオメガ狩りを行った」とのたまったのか。なぜわざわざ自分の屋敷に置いているのか、把握はできていない。
 リウはヴェルの手を掴んだまま、力なく項垂れた。すっかり元気の無くなってしまった様子のつむじを見つめながら、ヴェルは声を掛けた。
「なんかごめん……」
「いえ……。ヴェル様は何も悪くないです……」
 だが、今の会話で一つの光明は見えた気がした。
(もし、『何らかの事情』のせいであのオメガ狩りが行われたとしたら……)
 目の前でぶつぶつと「殿下ってこういう人がタイプなんだぁ、って勝手に早とちりしたのは僕ですし……昨晩殿下が急に帰ってきた時は、めちゃくちゃ積極的ィ! なんて浮かれて……」と呟くリウを見下ろしつつ、ヴェルは一つの希望を胸に抱く。

(もし、その『事情』とやらが解決すれば、俺は村に帰してもらえるんじゃないか?)
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