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第一章

02.三方に味方なし

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 賑やかな中心街から少しだけ外れた場所に、魔術師協会のムエット支部はあった。
三階建ての、白亜の瀟洒しょうしゃな建物だ。
全国に支部を持つ魔術師協会の役割は、大きく分けて三つ。
魔術師の互助、掟を破った魔術師の取り締まり、一般人と魔術師の橋渡しである。
一般人からの魔術師に相談したい、問題を解決して欲しいという依頼は、昔より減っているとはいえ少なくなかった。
依頼を聞き、それぞれの案件を適切な魔術師を紹介するのである。
もちろん、相手に呪いを掛けたいなど違法性のあることは、魔術師協会では受け付けない。
最近は魔術師は胡散臭いという印象を変えるため、協会全体で神秘的ながら健全であることを前面に押し出している。
便利な魔導具が普及し始めているなか、魔術師も生き残りに必死なのだ。
辻馬車を降りて支部の中に入ると、そこそこの人がいた。
建物の一階は、相談窓口や衝立で区切られた簡単な打ち合わせが出来る区画がある。
魔術師も一般人も入り乱れた空間だ。
フェリクスやゴドフロワの姿はよく目立つので、そこかしこから視線が注がれる。
ジゼルは居心地の悪さを感じながら、奥へと進んだ。
魔術師用の窓口に居た顔馴染みの協会職員が、軽く眉を上げた。
「エランさん、こんにちは。本日はどうされました?」
その若い男性職員が、ジゼルの後ろの二人を不安そうにちらりと見て尋ねてくる。
「こんにちは。ちょっとご相談があって。……掟関係なんですけど」
後半を声をひそめて伝えると、職員の顔色が変わった。
「少々お待ちください」
と言いおいて、奥の扉の中へ入っていく。
たいして待たずに、恰幅の良い中年女性がにこやかな笑みを浮かべながら奥から出てきた。
「エランさん、こんにちは。今日はご相談だとか。二階へどうぞ」
「こんにちは。ラサーニュさん。えぇ、よろしくお願いします」
ラサーニュは一見気の良いおっかさん風だが、支部の掟破りを取り締まる部署の部長である。
掟を熟知しているし、本部や他の支部にも顔が利く。
(まさか部長直々に話を聞いてくださるとは思わなかったけれど……地方騎士団のゴドフロワ隊長が一緒だから?)
大事になってきたと思いながら、ジゼルはラサーニュの後に続いて階段を上る。
二階には、個室の相談室が複数ある。
一階の打ち合わせ区画では出来ないような深刻な話をするところだ。
一番奥の部屋に案内され、八人掛けのテーブルにジゼル、フェリクス、ゴドフロワの三人とラサーニュで向かい合う。
「それでは、エランさん。お話くださいますか?」
柔和な口調で、ラサーニュが問いかけてくる。
「はい。それがですね……」
ジゼルはフェリクスたちが訪ねてきたところから、掻い摘んでラサーニュに説明する。
話を聞き終えたラサーニュは、厳しい顔でうなずいた。
「お話は分かりました。バラデュールさんはそれと知らずに魔術の修行をしていた、ということですね。バラデュールさんに手ほどきした魔術師の名前とご関係を教えて頂けますか」
「マルク・バラデュールです。祖父の従兄にあたります」
「え? あのバラデュール翁ですか? 水棲妖魔研究で著名な? それでは……」
ラサーニュが驚いたように目を見開いた。
「はい。五年前に亡くなっています」
フェリクスの答えに、ジゼルも驚く。
「え? そうなんですか。ラサーニュさん、この場合はどうなるんでしょう?」
「そうですねぇ。被疑者死亡で記録に残す、でしょうか。当時、バラデュールさんは子供ですし、魔術師ではなく何も知らなかったわけですから掟破りにはなりません。もちろん、これからも絶対に他言になさらないことが前提ですが。誤った伝聞による不幸な魔術事故を防ぐために掟はあるのです。ご理解頂けますか」
「はい。誓って他言致しません」
胸に手を当て、フェリクスが真剣な顔をして言う。
ラサーニュはうなずき、ゴドフロワに視線を移した。
「ゴドフロワ隊長も、よろしくお願いしますね?」
「あぁ。魔女エランにさきほど散々脅された。誰にも言わない」
二人の返事を聞いたラサーニュはにっこり笑う。
「ご協力感謝します。エランさんも、速やかなご相談ありがとうございます」
「いえ、魔術師として当然のことをしたまでですので……」
「ふふふ。その“当然”が出来ない人たちも居るので、困ってしまうんですよねぇ」
そう言うラサーニュの笑顔は、少し怖い。


「それはさておき。今後の話もしなければなりませんね。バラデュールさん、魔術師になれなかった事情をお訊きしても? 話したくなければ無理にとは言いませんけれども……」
ラサーニュの問いかけに、フェリクスが「はい」と答える。
「祖父は私が生まれた頃には引退しておりましたが、王都騎士団の団長まで上り詰めました。それもあって孫は全員騎士にすると言ってきかなくて……」
「でも、王都騎士団の中にも魔術の使い手は居ますよね? 有名どころでは、ブランセル二等騎士も魔術の使い手です」
ラサーニュが上げた名前には、ジゼルも聞き覚えがあった。
「あぁ、あの妃将軍の懐刀で、精霊王の孫を婿にもらったとかいう」
「そうです。彼女は魔術と剣の二刀流で素晴らしい騎士になっていますね」
どういうことだ、とジゼルは険しい顔でフェリクスを見る。
「祖父は、ふた昔前の騎士ですので、魔術に対してその、偏見がありまして」
気まずそうにフェリクスが言うと、ゴドフロワが補足を入れた。
「頭の固いじいさんでな。『騎士が武器以外で戦うなど邪道! 騎士に胡散臭い妖術など必要ない!』と言い張ったんだ。当主の座を退いても影響力がデカくて、爺さんを無視することは誰も出来なかったんだよ」
「そのお祖父様も……」
こうして弟子入り志願をしているなら、とジゼルが顔を曇らせると、フェリクスはあっけらかんとした顔で告げた。
「あ、いえ、もう百歳近いのですが、ぴんぴんしております。曾孫に自ら剣の稽古をつけているくらいで」
「は?」
ジゼルの一度は和らいだ顔が再び険しさを増す。
「それで何故、今になってお祖父様の意向を無視するんです?」
「祖父の出した条件を飲み、達成したからです」
「条件?」
「はい。祖父は私が騎士ではなく魔術師になりたいと訴えた時、二等騎士になれば魔術師を目指しても良いと言ったのです。先日、二等騎士への昇級試験にめでたく合格しまして、王都騎士団を退団して参りました」
フェリクスがさらりと答えた内容に、ジゼルは思わず大きな声をあげてしまった。
「二十代で二等騎士に昇級って、出世街道まっしぐらじゃないですか!」
ジゼルでも二等騎士になるのは狭き門だと知っている。
二等騎士にもなると、栄誉ある王都騎士団の中でも隊長級だ。
並大抵の才と努力で達成出来ることではない。
大多数の騎士が三等騎士で現役を終える、といえばどれだけ大変なことか分かるだろう。
フェリクスの祖父が出した二等騎士になれば魔術師になっても良いという条件は、一般的には引退するまで騎士として生きろと言ったに等しい。
「辞めてしまうなんて勿体ない!」
「ですが、私は騎士ではなく魔術師になりたかったので、悔いはありません」
にこにこ笑ってフェリクスが言う。
(ほ、本気だとは言ってたけど、まさか名誉も給与も良い職まで捨ててきてたなんて……)
愕然がくぜんとしながら、ジゼルは尋ねる。
「退団してきたって、もし魔術師の素質がなかったらどうするつもりだったんですか?」
「その時は地方騎士団の入団試験を受けようと思っておりました。さすがに王都には戻れませんから。ですが、どうやら魔力はあるようで良かったです」
本当に嬉しそうなフェリクスを見ると、ジゼルはそれ以上『勿体ない』とは言えなかった。
(っていうか、魔術師になるために二等騎士へ昇級するとか、すごい執念じゃない?)
フェリクスの魔力の量や質も恐ろしいが、その執念の方が恐ろしい。
爽やかな美青年の見た目に惑わされてはいけないと、ジゼルは肝に銘じる。
「経緯は分かりました」
ラサーニュが脱線した話を元に戻すため、声をあげた。
「バラデュールさんは既に魔力が練られた状態でいるようですから、きちんとした魔術師に師事して修行して頂くほかないでしょう。言い方は悪いですが、野放しには出来ません」
「はい!」
ラサーニュの言葉に、きらきらした空気を振りまいてフェリクスが返事をした。
「それで、その師匠ですけれど……」
不自然なところで言葉を切り、ラサーニュがジゼルを見てくる。
言わんとしていることが分かり、ジゼルは盛大に首と手を横に振った。
「わ、私には無理です!」
全力で拒否するジゼルに、ラサーニュはにこにこと笑みを浮かべて圧をかけてくる。
「いえいえ。そんなことはないですよ。エランさんも一人前になってそれなりに経ちますし、そろそろ弟子をとる頃合いでしょう? これも縁ですよ。縁」
「いや、本当に無理ですって。普通の弟子ならともかく、バラデュールさんの魔力は並じゃないです! ラサーニュさんも視てみれば分かります!」
「あら、そんなにですか? バラデュールさん、少し手に触れてもよろしいですか?」
「はい。どうぞ」
「では、ちょっと失礼して…………まぁ。これはすごいですねぇ」
差し出されたフェリクスの手に触れたラサーニュが、目を丸くした。
我意を得たりと、ジゼルはたたみかける。
「でしょう? 私の手には余りますでしょう?」
「と、おっしゃってもですねぇ」
「魔女様、いえ、エランさん。私を弟子にするのは、そんなにお嫌なのでしょうか」
ジゼルとラサーニュのやりとりを聞いていたフェリクスが、話に割り入ってきた。
美青年の切なげな表情は、見る者の胸を締め付ける。
ジゼルも人並みに美形に弱いので、効果は抜群である。
ただ、そこで全面降伏するほどの面食いでもなかった。
「べ、別にバラデュールさんが嫌だというわけではありません。私は平々凡々な街の魔術師なので、バラデュールさんほどの魔力の持ち主を指導するには力不足だと言っているだけです」
「でもエランさんほどしっかりした方で、新たな弟子をとる余裕のある方はうちの支部にはいらっしゃいませんよ」
「他の支部や本部の方で……」
「エランさん」
ラサーニュがテーブルの上で両手の指を組んで、じぃっとジゼルの目を見つめる。
「わたしはね、ご自身が考えてらっしゃるより、エランさんのことを評価しているのですよ。エランさんの作る薬は好評ですし、他の魔術においても基礎がしっかりしてらっしゃる。バラデュールさんの事情は特殊です。だからこそ、基礎からしっかりみっちり指導出来て信頼のおける方に師事してもらわねばなりません。ただ、誤解なさらないでくださいね。協会支部としましても、エランさんお一人で抱え込め、とは言っていません。初めて弟子を育てる時は何かと悩むものです。いつでも相談に来てくださいね。それでは新弟子申請の手続きですけれども」
「ラサーニュさん、完全に丸め込みに来てますよね? 本音は、他支部や本部にバラデュールさんをとられたくないってことですよね? これほどの魔力の持ち主ですもんね?」
「いえいえ、最善を考えた結果ですよ」
じぃっと恨みがましい目で見るジゼルと、にこにこと受け流すラサーニュ。
軍配はラサーニュに上がった。
目線での戦いに破れたジゼルは、フェリクスの方に顔を向ける。
「バラデュールさん、あなたには魔術師になれるだけの魔力があると分かったのですから、王都の高名な魔術師に師事することも不可能ではないと思います。私の師匠にお願いして推薦状を書いてもらって……」
「いえ。私はエランさんに師事したいと思います」
「は?」
ぽかんとした顔で見上げると、フェリクスは薄らと頬を染めて言う。
「年齢で散々門前払いされたなか、素質まで視てくださったのはエランさんが初めてです。私としましても、出来れば信頼出来る方に師事したい気持ちがあります。魔術師協会の方のお墨付きでいらっしゃるなら、否やなどどうして言えましょう」
断り切れず素質を視たのは、フェリクスの顔の良さのおかげである、とは口が裂けても言えない雰囲気だ。
なんと答えれば良いかと逡巡しゅんじゅんしていると、ゴドフロワが追い打ちをかけてくる。
「魔女殿。フェリクスは一度こうと決めたら頑固だからな。諦めて弟子にしてやった方が良いぞ。受け入れられるまで手土産持って日参しかねん」
ジゼルはその光景を想像し、ぶるりと震える。
(ご、ご近所さんに美青年をたぶらかしたとか何とか、面白おかしく噂されてしまう!)
客商売の街の魔術師にとって、悪評は致命傷だ。
ジゼルに残された手段は、フェリクスを弟子にするか夜逃げするかのニ択しか残っていなかった。
「分かりました。フェリクス・ジャン・バラデュールを弟子にします……」
がっくりとうなだれて白旗を上げたジゼルの手を、満面の笑みを浮かべたフェリクスがとった。
「ありがとうございます! これからよろしくお願い致します。お師匠様」
騎士が貴婦人に捧げるように、手の甲に口づけを落とされた。
ジゼルのフードの下の顔が、真っ赤に染まる。
「私の弟子になるからには、そういう気障ったらしいことは禁止だからー!!!」
悲鳴に近い叫び声をあげたジゼルは、この時ほど相談室が防音で良かったと思うことはなかった。
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