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本編
32.言い分を聞きましょう
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イヴォン・カレールという男を一言で言い表すなら、面倒見の良い兄貴分だ、というのが妥当だろう。
クロエやマイヤールといった個性豊かな同期の中で、一見地味だが皆に一目置かれて信頼されている、そんな存在だった。
現在は三等騎士の称号を持ち、副隊長の任を預かっている。
温厚で目端が利き、同期からは言うまでもなく、上からも下からも信頼は厚い。
クロエも何かと世話になっているし、信頼していた。
騎士学校時代から十年以上、カレールとは一緒だった。
異性の友人としては、一番仲が良かったと言って過言ではない。
よくよく知っているはずの男が、今はとても遠く感じる。
黙って待つクロエに目を細めて、カレールが言った。
「めでたい日に、突然何を言い出すんだよ」
「めでたい日だからこそ、区切りに良いかと思ったの」
「それで濡れ衣を着せられたら、たまったものじゃねぇな」
わざとらしく、カレールが肩をすくめる。
「濡れ衣なら、ね」
クロエは淡々と言い、鳶色の瞳を見つめた。
クロエの深緑の瞳には、確信の色が浮かんでいた。
カレールの瞳が、ほんのわずか揺れる。
クロエには、それで十分だった。
窓から燦々と差し込んでくる陽の光のまぶしさと対照的に、室内の空気は重い。
気まずい沈黙の中、クロエは眉を下げた。
「迷惑をかけたことは何度もある。でも、そこまで嫌われているとは思わなかった。……私は何か、カレールの気に障ることをした?」
「…………お前が悪いわけじゃねぇよ」
カレールが目をそらしてぽつりと言った。
表情の抜け落ちた顔で続ける。
「嫉ましかったんだ。俺だって努力したさ。だが、努力だけで上に行けるほど、騎士団は甘くない。家柄も才能も、お前らは俺より上だ。それであぐらをかいてりゃいいのに、お前らは努力も怠らなかった」
カレールは商家の出だった。
騎士団は実力主義だからこそ、子供時代から良い教師や剣術の師などを付けられる環境にある貴族階級の子が有利であるのだ。
貴族の子の出世は早く、平民の子の出世は遅い傾向があるのは、そういう理由からだ。
むろん、平民の子で才能に溢れる場合は、その限りではない。
残念なことに、カレールにはその溢れるほどの才能はなかった。
この歳で三等騎士で副隊長というのはそこそこ順調に出世した方であるが、同期には二人も二等騎士として隊長を張っている者が居る。
比べるな、という方が無理だった。
カレールは乾いた笑みを浮かべる。
「お前やマイヤールに勝てるのは異性関係くらいだって、騎士学校時代には達観してたんだ」
「カレールは気さくだしマメだし、昔からモテていたわね」
クロエは同世代の男に負けてなるものかと肩肘を張っていたし、マイヤールは容姿が良くモテてはいたが、昔から長いこと片思いをしていて他の女など興味もない朴念仁だ。
対して、家の仕事柄流行にも敏感なカレールは、街の若い女の子たちからの人気が高かった。
立ち回りも上手いので、修羅場になったこともない。
そのそつのなさは、クロエも手本にしたいと思ったほどだ。
「そ。若い頃は適当に遊んで、中堅になったら可愛い嫁さんもらって順風満帆。家庭持ちとしてお前たちより幸せになってやったぞ、って溜飲を下げてたんだがなぁ」
カレールがちらりと視線をこちらに向けた。
クロエはその後を継ぐ。
「私が結婚した」
「あぁ、青天の霹靂だった。おまけにそれが絶世の美少年で一回り近くも年下で、向こうがお前にベタ惚れだとか言うじゃねぇか……。そんな男女逆にしたら男の夢みたいなもんだろ。お前にまた負けたのかと思ったら、なんか虚しくなっちまった……」
「人望はカレールの方があるでしょう」
クロエは思ったことを口に出した。
「上からの人物評価だって」
「王都騎士団の隊長が人柄だけで選ばれるわけ、ねぇだろうがよ」
カレールが鋭い声で、クロエの言葉をさえぎる。
「お前やマイヤールは二等騎士の試験に受かった。同じ試験に、俺は落ちた。残酷なくらい、はっきり分かったじゃねぇか。俺とお前らとの違いが!」
今まで見たことがない、ギラギラとした目だった。
こんな顔も出来るのかと、クロエが息を飲む。
心のどこかで、クロエはカレールを侮っていたのかも知れない。
その傲慢さが、カレールを追いつめたのだ。
後悔の色が浮かんだクロエの顔を見て、カレールが大きく深呼吸した。
「お前の、そういう育ちの良いトコ、嫌いだよ。こっちが悪ぃみたいじゃねぇか」
「あなたが、悪いのでしょう」
クロエは即座に言い返した。
カレールを侮っていたのは悪いと思うし、それで恨まれるのは仕方がない。
が、被害者ぶられるのは納得がいかない。
クロエはそれほど、加害妄想にひたれるような精神構造はしていないのだ。
「劣等感が悪いのではなく、劣等感に呑まれたあなたが悪いのよ」
「あーあー。お前は本当にはっきり言うね。そういう容赦ねぇトコも嫌いだ。正論は人を追いつめるんだぜ?」
「そうね。でも、あなたは私に容赦して欲しかった?」
クロエは真顔で尋ねた。
もっと気遣って庇護して欲しかったのかと。
カレールは虚を突かれたような顔をした後、首を横に振った。
「いいや。……対等でありたかった。最後までな」
「そうでしょう?」
クロエはふわりと笑った。
腐ったことをした同期であるが、腐りきってはいなかった。
そのことに、ほんの少しだけ救われる。
空気が緩んだところで、さりげなく言葉をつむいだ。
「でも、それで合い鍵を渡した、というわけなのね」
「さて、それはどうかな」
カレールがにぃっと口角を上げた。
「こんなところで聞くってことは、証拠がないんだろ? お前は同期だからって温情かけるほど、甘いヤツじゃねぇからな」
「ないわね」
クロエは腕を組み、きっぱりと答えた。
ついでに淑女にあるまじき舌打ちをする。
「さすがに、流れで自白してくれるほど馬鹿ではなかったわね」
上からの物言いに、カレールが闊達に笑う。
「はっはっはっは。やっぱりお前の度胸の良さ、普通じゃねぇよ」
笑い過ぎて浮かんだ涙を指で拭って、カレールが真剣な顔で尋ねてきた。
「……ブランセルはどうして俺だと思った?」
「……勘?」
首を傾げて答えるクロエに、カレールが唖然とした顔をする。
「お前……あれだけ確信持ってるって目ぇしときながら……」
「確信はあったの。証拠はないけれど」
クロエは澄まし顔で肩をすくめた。
本当は勘ではなかった。
副団長率いる捜査本部が押収した名簿に載っていた守る会の会員のうち、王都騎士団の詰め所に勤めている団員を中心に尋問をしたが、隊部屋の鍵の複製を作り持ち出した犯人は未だ不明となっている。
王都の鍵屋も当たっているが、調査進行は芳しくはない。
クロエが自室でぶつぶつ独り言を言いながらこの件について考えていると、困った顔をしたリュカが部屋にやってきて言ったのだ。
「えーと、この精霊がクロエさんが探している犯人を知っている、って言うんですけど……」
リュカが足下に目線を向けたが、クロエには見えない。
クロエはすっと目を細めて足下に向かって尋ねた。
「どうして、それを知っているの?」
「……えっ、そんなことをしてたの?」
リュカは驚いたように目を見開いてから、申し訳なさそうに通訳する。
「あの、クロエさんにくっついて騎士団の詰め所に行って、探検に夢中になっていたらクロエさんが帰宅してしまって、仕方がないからとある部屋で一晩明かしている時に見たそうなんです。粘土みたいなものに鍵を押し当てている団員の姿を」
クロエは唾を飲み込み、核心に切り込んだ。
「……それが誰か分かる?」
「変なことをしていると思って、その人物に着いて行ったら名前を呼ばれていたので分かる、と言っています。……その名前が……」
リュカは言い難そうに躊躇してから、カレールの名を告げた。
クロエが家で親しい同期として名前を上げていたことを覚えていたのだろう。
聞いた時は半信半疑であったが、精霊にもリュカにもそのような嘘を言う利点はない。
腹を括ったクロエは、本人に問い正すことにした。
特定の人物しか見聞きすることが出来ない精霊の証言は、証拠として認められないので、上には報告していない。
合い鍵を渡した犯人の捜査は続けられているものの、再発防止の策として出入りと鍵の持ち出しが厳しく記録管理されるようにすることで区切りを付ける他ないという意見が出始めているところだ。
完全な、クロエの独断だった。
カレールは大きなため息を吐いて、天を仰いだ。
「……やっぱりお前は普通じゃねぇよ」
「反論しないでおくわ。……これからどうするの?」
クロエはカレールがやったと確信しているが、なにせ証拠がない。
カレールのことだ。
複製に使った道具なども、既に処分されてしまっているはずだとにらんでいる。
無理を通して家宅捜索しても、空振りに終わる可能性は高い。
副団長が音頭をとってマイヤールが捜査をしているのに、数ヶ月経った現在も証拠は見つからないのだ。
カレールのやったことを立件させるのは、ほぼ無理だろう。
それでも強行にカレールが犯人だと言い立てることは、クロエには出来なかった。
もはや正しいと信じるだけで行動出来る歳でも立場でもないのだ。
しかし、カレールがこのまま何食わぬ顔をして勤められるような神経をしているとも思わない。
そう思っての問いだった。
カレールは苦笑を浮かべて答えた。
「結局のところ平々凡々な俺には、王都騎士団は向いてねぇんだな。お前らみたいな化け物がごろごろ居やがるトコだ。……移動願いを出すさ。妻の故郷の地方騎士団が良いか」
「そう。……騎士として、人として……ご家族と奥様の故郷の為に尽くすと誓って。あなたの命が尽きるまで」
クロエは射るような強い目で、カレールを見つめる。
カレールは真面目な顔で言った。
「あぁ、誓うよ。今度は間違えない」
その言葉を聞いて、クロエは静かにうなずく。
カレールを許すことは出来ないが、彼の贖罪を疑いはしない。
カレールが誓うと言ったのなら、きっとその通りに実行するだろう。
クロエに出来ることは、それを遠くから監視するくらいだ。
最後に「おめでとう。すまなかった」と言って、カレールが退室した。
入れ替わるように、リュカが控え室に入ってくる。
力なく椅子に座り込んだクロエの前にリュカは片膝を付き、白い長手袋に包まれた手に己の手を重ねた。
「……そうではないと良いと、思っていたのよ」
力ない声で、クロエはぽつりと漏らした。
リュカを信じていないというわけではない。
それでもやはり、カレールは大事な同期だった。
胸に満ちるのは寂寥感と無力感。
そして、裏切られたという思い。
醜くどろどろした感情が、クロエの中に渦巻いていた。
「はい」
リュカが静かな声で、相槌を打つ。
「カレールは、本当に大馬鹿よ」
綺麗に紅が塗られた唇を噛みしめる。
そうでなければ、涙が溢れそうだった。
リュカは泣かないでとも、泣いても良いとも言わない。
ただ静かにクロエの手を握ってくれた。
それが心地良かった。
荒れ狂う心が穏やかになっていく。
「リュカ」
クロエは伏せていた顔を上げた。
くしゃりと泣き笑いのような顔で、リュカの手を握り返す。
「私は道を誤らない。でも、私がもし、道を踏み外しそうになっていたら、殴ってでも止めてちょうだい」
「クロエさんが、そう望むのなら」
リュカがふわりと笑ってうなずいた。
クロエもしっかりとうなずき返した。
カレールのしたことを、他人事だとは思わない。
でも、自分はそうはならない。
(リュカを悲しませるようなことは、絶対にしない)
改めて誓ったクロエは、深呼吸をして幸せな花嫁の顔に意識して戻す。
「リュカ、悪いのだけれど、化粧係の方を呼んできてもらえる? 唇の紅が落ちてしまっているでしょう」
「分かりました」
にっこり微笑んで、リュカがクロエの唇を食み、ぺろりと舐めた。
「なっ、リュカ!」
真っ赤になって声を荒げるクロエに、リュカは笑みを崩さず答える。
「花嫁が唇を噛みしめてた、なんて見せたくはないでしょう? 僕が辛抱出来ずに口づけしてしまった、って方が外聞は良いですよ」
「それも恥ずかしいではないの!」
「あはははは。じゃあ、呼んできます。まだ少しは時間がありますし、ちょっと道に迷ってしまうかもなので、待っていてくださいね」
クロエの手にハンカチを置いて、リュカが控え室を出て行った。
「もう、リュカったら……」
口ではそう言いつつも、その気遣いが嬉しかったのが本音だ。
本人の欲もあったのかも知れないが、気分が上向いたのは確かだった。
誰が窓を開けたのか、爽やかな風が頬を撫でていく。
ひるがえるヴェールが隠したその顔には、作り物ではない笑みが浮かんでいた。
クロエやマイヤールといった個性豊かな同期の中で、一見地味だが皆に一目置かれて信頼されている、そんな存在だった。
現在は三等騎士の称号を持ち、副隊長の任を預かっている。
温厚で目端が利き、同期からは言うまでもなく、上からも下からも信頼は厚い。
クロエも何かと世話になっているし、信頼していた。
騎士学校時代から十年以上、カレールとは一緒だった。
異性の友人としては、一番仲が良かったと言って過言ではない。
よくよく知っているはずの男が、今はとても遠く感じる。
黙って待つクロエに目を細めて、カレールが言った。
「めでたい日に、突然何を言い出すんだよ」
「めでたい日だからこそ、区切りに良いかと思ったの」
「それで濡れ衣を着せられたら、たまったものじゃねぇな」
わざとらしく、カレールが肩をすくめる。
「濡れ衣なら、ね」
クロエは淡々と言い、鳶色の瞳を見つめた。
クロエの深緑の瞳には、確信の色が浮かんでいた。
カレールの瞳が、ほんのわずか揺れる。
クロエには、それで十分だった。
窓から燦々と差し込んでくる陽の光のまぶしさと対照的に、室内の空気は重い。
気まずい沈黙の中、クロエは眉を下げた。
「迷惑をかけたことは何度もある。でも、そこまで嫌われているとは思わなかった。……私は何か、カレールの気に障ることをした?」
「…………お前が悪いわけじゃねぇよ」
カレールが目をそらしてぽつりと言った。
表情の抜け落ちた顔で続ける。
「嫉ましかったんだ。俺だって努力したさ。だが、努力だけで上に行けるほど、騎士団は甘くない。家柄も才能も、お前らは俺より上だ。それであぐらをかいてりゃいいのに、お前らは努力も怠らなかった」
カレールは商家の出だった。
騎士団は実力主義だからこそ、子供時代から良い教師や剣術の師などを付けられる環境にある貴族階級の子が有利であるのだ。
貴族の子の出世は早く、平民の子の出世は遅い傾向があるのは、そういう理由からだ。
むろん、平民の子で才能に溢れる場合は、その限りではない。
残念なことに、カレールにはその溢れるほどの才能はなかった。
この歳で三等騎士で副隊長というのはそこそこ順調に出世した方であるが、同期には二人も二等騎士として隊長を張っている者が居る。
比べるな、という方が無理だった。
カレールは乾いた笑みを浮かべる。
「お前やマイヤールに勝てるのは異性関係くらいだって、騎士学校時代には達観してたんだ」
「カレールは気さくだしマメだし、昔からモテていたわね」
クロエは同世代の男に負けてなるものかと肩肘を張っていたし、マイヤールは容姿が良くモテてはいたが、昔から長いこと片思いをしていて他の女など興味もない朴念仁だ。
対して、家の仕事柄流行にも敏感なカレールは、街の若い女の子たちからの人気が高かった。
立ち回りも上手いので、修羅場になったこともない。
そのそつのなさは、クロエも手本にしたいと思ったほどだ。
「そ。若い頃は適当に遊んで、中堅になったら可愛い嫁さんもらって順風満帆。家庭持ちとしてお前たちより幸せになってやったぞ、って溜飲を下げてたんだがなぁ」
カレールがちらりと視線をこちらに向けた。
クロエはその後を継ぐ。
「私が結婚した」
「あぁ、青天の霹靂だった。おまけにそれが絶世の美少年で一回り近くも年下で、向こうがお前にベタ惚れだとか言うじゃねぇか……。そんな男女逆にしたら男の夢みたいなもんだろ。お前にまた負けたのかと思ったら、なんか虚しくなっちまった……」
「人望はカレールの方があるでしょう」
クロエは思ったことを口に出した。
「上からの人物評価だって」
「王都騎士団の隊長が人柄だけで選ばれるわけ、ねぇだろうがよ」
カレールが鋭い声で、クロエの言葉をさえぎる。
「お前やマイヤールは二等騎士の試験に受かった。同じ試験に、俺は落ちた。残酷なくらい、はっきり分かったじゃねぇか。俺とお前らとの違いが!」
今まで見たことがない、ギラギラとした目だった。
こんな顔も出来るのかと、クロエが息を飲む。
心のどこかで、クロエはカレールを侮っていたのかも知れない。
その傲慢さが、カレールを追いつめたのだ。
後悔の色が浮かんだクロエの顔を見て、カレールが大きく深呼吸した。
「お前の、そういう育ちの良いトコ、嫌いだよ。こっちが悪ぃみたいじゃねぇか」
「あなたが、悪いのでしょう」
クロエは即座に言い返した。
カレールを侮っていたのは悪いと思うし、それで恨まれるのは仕方がない。
が、被害者ぶられるのは納得がいかない。
クロエはそれほど、加害妄想にひたれるような精神構造はしていないのだ。
「劣等感が悪いのではなく、劣等感に呑まれたあなたが悪いのよ」
「あーあー。お前は本当にはっきり言うね。そういう容赦ねぇトコも嫌いだ。正論は人を追いつめるんだぜ?」
「そうね。でも、あなたは私に容赦して欲しかった?」
クロエは真顔で尋ねた。
もっと気遣って庇護して欲しかったのかと。
カレールは虚を突かれたような顔をした後、首を横に振った。
「いいや。……対等でありたかった。最後までな」
「そうでしょう?」
クロエはふわりと笑った。
腐ったことをした同期であるが、腐りきってはいなかった。
そのことに、ほんの少しだけ救われる。
空気が緩んだところで、さりげなく言葉をつむいだ。
「でも、それで合い鍵を渡した、というわけなのね」
「さて、それはどうかな」
カレールがにぃっと口角を上げた。
「こんなところで聞くってことは、証拠がないんだろ? お前は同期だからって温情かけるほど、甘いヤツじゃねぇからな」
「ないわね」
クロエは腕を組み、きっぱりと答えた。
ついでに淑女にあるまじき舌打ちをする。
「さすがに、流れで自白してくれるほど馬鹿ではなかったわね」
上からの物言いに、カレールが闊達に笑う。
「はっはっはっは。やっぱりお前の度胸の良さ、普通じゃねぇよ」
笑い過ぎて浮かんだ涙を指で拭って、カレールが真剣な顔で尋ねてきた。
「……ブランセルはどうして俺だと思った?」
「……勘?」
首を傾げて答えるクロエに、カレールが唖然とした顔をする。
「お前……あれだけ確信持ってるって目ぇしときながら……」
「確信はあったの。証拠はないけれど」
クロエは澄まし顔で肩をすくめた。
本当は勘ではなかった。
副団長率いる捜査本部が押収した名簿に載っていた守る会の会員のうち、王都騎士団の詰め所に勤めている団員を中心に尋問をしたが、隊部屋の鍵の複製を作り持ち出した犯人は未だ不明となっている。
王都の鍵屋も当たっているが、調査進行は芳しくはない。
クロエが自室でぶつぶつ独り言を言いながらこの件について考えていると、困った顔をしたリュカが部屋にやってきて言ったのだ。
「えーと、この精霊がクロエさんが探している犯人を知っている、って言うんですけど……」
リュカが足下に目線を向けたが、クロエには見えない。
クロエはすっと目を細めて足下に向かって尋ねた。
「どうして、それを知っているの?」
「……えっ、そんなことをしてたの?」
リュカは驚いたように目を見開いてから、申し訳なさそうに通訳する。
「あの、クロエさんにくっついて騎士団の詰め所に行って、探検に夢中になっていたらクロエさんが帰宅してしまって、仕方がないからとある部屋で一晩明かしている時に見たそうなんです。粘土みたいなものに鍵を押し当てている団員の姿を」
クロエは唾を飲み込み、核心に切り込んだ。
「……それが誰か分かる?」
「変なことをしていると思って、その人物に着いて行ったら名前を呼ばれていたので分かる、と言っています。……その名前が……」
リュカは言い難そうに躊躇してから、カレールの名を告げた。
クロエが家で親しい同期として名前を上げていたことを覚えていたのだろう。
聞いた時は半信半疑であったが、精霊にもリュカにもそのような嘘を言う利点はない。
腹を括ったクロエは、本人に問い正すことにした。
特定の人物しか見聞きすることが出来ない精霊の証言は、証拠として認められないので、上には報告していない。
合い鍵を渡した犯人の捜査は続けられているものの、再発防止の策として出入りと鍵の持ち出しが厳しく記録管理されるようにすることで区切りを付ける他ないという意見が出始めているところだ。
完全な、クロエの独断だった。
カレールは大きなため息を吐いて、天を仰いだ。
「……やっぱりお前は普通じゃねぇよ」
「反論しないでおくわ。……これからどうするの?」
クロエはカレールがやったと確信しているが、なにせ証拠がない。
カレールのことだ。
複製に使った道具なども、既に処分されてしまっているはずだとにらんでいる。
無理を通して家宅捜索しても、空振りに終わる可能性は高い。
副団長が音頭をとってマイヤールが捜査をしているのに、数ヶ月経った現在も証拠は見つからないのだ。
カレールのやったことを立件させるのは、ほぼ無理だろう。
それでも強行にカレールが犯人だと言い立てることは、クロエには出来なかった。
もはや正しいと信じるだけで行動出来る歳でも立場でもないのだ。
しかし、カレールがこのまま何食わぬ顔をして勤められるような神経をしているとも思わない。
そう思っての問いだった。
カレールは苦笑を浮かべて答えた。
「結局のところ平々凡々な俺には、王都騎士団は向いてねぇんだな。お前らみたいな化け物がごろごろ居やがるトコだ。……移動願いを出すさ。妻の故郷の地方騎士団が良いか」
「そう。……騎士として、人として……ご家族と奥様の故郷の為に尽くすと誓って。あなたの命が尽きるまで」
クロエは射るような強い目で、カレールを見つめる。
カレールは真面目な顔で言った。
「あぁ、誓うよ。今度は間違えない」
その言葉を聞いて、クロエは静かにうなずく。
カレールを許すことは出来ないが、彼の贖罪を疑いはしない。
カレールが誓うと言ったのなら、きっとその通りに実行するだろう。
クロエに出来ることは、それを遠くから監視するくらいだ。
最後に「おめでとう。すまなかった」と言って、カレールが退室した。
入れ替わるように、リュカが控え室に入ってくる。
力なく椅子に座り込んだクロエの前にリュカは片膝を付き、白い長手袋に包まれた手に己の手を重ねた。
「……そうではないと良いと、思っていたのよ」
力ない声で、クロエはぽつりと漏らした。
リュカを信じていないというわけではない。
それでもやはり、カレールは大事な同期だった。
胸に満ちるのは寂寥感と無力感。
そして、裏切られたという思い。
醜くどろどろした感情が、クロエの中に渦巻いていた。
「はい」
リュカが静かな声で、相槌を打つ。
「カレールは、本当に大馬鹿よ」
綺麗に紅が塗られた唇を噛みしめる。
そうでなければ、涙が溢れそうだった。
リュカは泣かないでとも、泣いても良いとも言わない。
ただ静かにクロエの手を握ってくれた。
それが心地良かった。
荒れ狂う心が穏やかになっていく。
「リュカ」
クロエは伏せていた顔を上げた。
くしゃりと泣き笑いのような顔で、リュカの手を握り返す。
「私は道を誤らない。でも、私がもし、道を踏み外しそうになっていたら、殴ってでも止めてちょうだい」
「クロエさんが、そう望むのなら」
リュカがふわりと笑ってうなずいた。
クロエもしっかりとうなずき返した。
カレールのしたことを、他人事だとは思わない。
でも、自分はそうはならない。
(リュカを悲しませるようなことは、絶対にしない)
改めて誓ったクロエは、深呼吸をして幸せな花嫁の顔に意識して戻す。
「リュカ、悪いのだけれど、化粧係の方を呼んできてもらえる? 唇の紅が落ちてしまっているでしょう」
「分かりました」
にっこり微笑んで、リュカがクロエの唇を食み、ぺろりと舐めた。
「なっ、リュカ!」
真っ赤になって声を荒げるクロエに、リュカは笑みを崩さず答える。
「花嫁が唇を噛みしめてた、なんて見せたくはないでしょう? 僕が辛抱出来ずに口づけしてしまった、って方が外聞は良いですよ」
「それも恥ずかしいではないの!」
「あはははは。じゃあ、呼んできます。まだ少しは時間がありますし、ちょっと道に迷ってしまうかもなので、待っていてくださいね」
クロエの手にハンカチを置いて、リュカが控え室を出て行った。
「もう、リュカったら……」
口ではそう言いつつも、その気遣いが嬉しかったのが本音だ。
本人の欲もあったのかも知れないが、気分が上向いたのは確かだった。
誰が窓を開けたのか、爽やかな風が頬を撫でていく。
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