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本編

18.脅迫されてみましょう

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「あれ? ブランセル隊長、お疲れですか?」
内勤で書類と格闘している最中、鍛錬から戻ってきた部下の一人に声をかけられた。
クロエは奥歯に物が挟まった時のような表情を浮かべ、顔を上げる。
「そう見える? トルイユ」
「はい。髪にツヤがないですし、お肌も荒れ気味じゃないですか?」
トルイユがずばりと指摘する。
遠慮のないもの言いに、部屋にいる他の団員たちが慌ててトルイユの口を押さえにかかった。
「馬鹿! この馬鹿娘!」
「あーあ、ブランセル隊長は微妙なお年頃だってのに」
「お前はもっと配慮ってもんを覚えろ! ってか社交の場ではもっと空気読めただろ!」
「ふがっ、もががもが!」
口をふさがれたトルイユが抗議の声をあげるが、何を言っているのかは分からない。
クロエは苦笑を浮かべ、手をひらひらと振った。
「トルイユを離してあげなさい。あと、あなたの方が失礼なこと言っているから」
『微妙なお年頃』と言った団員を一にらみしてから、クロエはトルイユに視線を戻した。
トルイユは入団三年目の女性騎士だ。
明るくはきはきとしていて物怖じしないし、腕もそこそこ立つ。
侯爵家の次女という出自も、人脈作りに一役買うだろう。
将来が楽しみな部下の一人である。
トルイユに指摘されたことは確かに男性率の高い職場では軽々しく話題にしにくいことだが、心配そうな視線をいくつかもらっているのも事実。
何でもないと誤魔化すよりは、軽く触れておいた方が良いだろう。
そう思案しながら、きっちり編み込んでまとめた髪を一撫でする。
手触りが明らかに悪い。
その事実にクロエは悩ましげな息を吐いた。
「手入れは前よりしているのだけど。家のことでちょっとあってね」
「あぁ。ブランセル隊長の旦那さん、厄介で迷惑な惚れ方されたりするんでしたっけ。夫を守るのも妻の務めですもんね。お疲れ様です」
うんうん、とうなずくトルイユの結婚観は、世間一般からは微妙にずれている。
(トルイユの婚約者は少々気弱で控え目な性格だったわね。突っ走り気味のトルイユを上手く引き留める手腕もあるらしいけれど)
社交界で得た情報を思い出し、クロエも内心うなずく。
(それにしても、上手いこと誤解してくれて良かったわ。……本当のことはとても口には出来ないもの)
他の部下たちもトルイユの言葉に納得した表情を見せている。
それに、リュカの魅了の力に囚われ続けている者たちからの嫌がらせが、まったくないわけではない。
ただ、今のところは想定の範囲内というだけだ。
王妃の覚えもめでたいクロエに、正面切って喧嘩を売ってくる阿呆は、そうはいない。
(三日に一通の頻度で、東の魔王から恨み言がかかれた手紙が来るのは厄介だけれど……。まとめての侍従宛に送り返しているし。あとは小物ばかりで良かったわ)
髪や肌荒れの本当の原因は、リュカに生気をとられているからだ。
リュカも食事などを工夫してくれているが、毎日のことになると体力に自信のあるクロエも疲れ気味だった。
裸のままぴったりとくっついて眠りにつくのは、少しだけ慣れた。
リュカのすべすべもちもちの肌が触れるのは、単純に気持ちが良い。
ただ、触られたり舐められたり触ったり、というのは、まだ慣れない。
どうにも恥ずかしさが抜けないのだ。
そうして生気をとられると、どっと疲れるという理由もある。
このままではさすがに仕事に差し障るからと、性的接触で生気を渡すのは二、三日に一度にしてもらった。
それでも、この体たらくである。
やはり、手入れの仕方を変えた方が良いかも知れない。
クロエはトルイユを手招いた。
「ねぇ、トルイユ、良い石鹸や化粧水などの情報を持っていたら教えて欲しいのだけれど」
「十代のトルイユと同じ物使っても駄目なんじゃないですか。ご自分の歳を忘れちゃあいけないと思いますよ」
先ほど『微妙なお年頃』と言った部下が、性懲りもなく茶々を入れてきた。
クロエはゆっくりとその部下の方に顔を向け、完璧な笑みを浮かべる。
「リュノー、あなたは後で特別な鍛錬を課してあげるから、楽しみにして口を閉じていなさい」
「えぇっ。ブランセル隊長、横暴っす!」
ぶうぶうと不満を口にする部下に、クロエは笑みを浮かべたまま小さく首を傾げる。
「口を閉じていなさい、と私は言ったのだけど?」
すうっと目を細めると、リュノーは顔をひきつらせ、びしっと背筋を正して黙った。
何故か他の部下たちも直立不動で黙り込んだが、まぁ良いだろう。
クロエはうなずいて、トルイユに尋ね直した。
「良い品に心当たりはあって?」
トルイユもぴしっと背筋を伸ばしたまま、若干顔をひきつらせて答えた。
「私はそんなに詳しくないんですけど、姉が美容品に詳しいので訊いてみます。私も姉が選んでくれたのを使っているので」
「まぁ、悪いわね」
「いえいえ」
「手紙をお届けにきましたー、って、皆さん、どうされたんですか?」
クロエとトルイユがうふふと笑い合っているところに、総務課の若い団員が部屋に入って来た。
クロエの部下たちが固まっているのを見て、不思議そうに首を傾げている。
「ご苦労様。何でもないのよ。さぁ、仕事仕事」
クロエはにっこり笑って、ぱんぱんと手を叩く。
呪縛から逃れた団員たちは、クロエから目をそらしてそれぞれの職務に戻っていった。
それを不思議そうに見ながら、総務課の団員はクロエの席までやってきて手紙を差し出す。
「ブランセル隊長の所は規律正しいですね。部屋も綺麗だし。はい、どうぞ」
「ありがとう。虫やねずみの巣窟は、ちょっとね……」
「ひどい部屋はひどいですよね……」
そういう部屋にも行かなくてはいけない総務課の団員が遠い目をする。
内勤の部屋はおおまかに隊ごとに分けられていて、内装は画一のはずなのにそれぞれ隊長の性格が反映されていた。
クロエの隊があてがわれている部屋は、規則を決めてきっちり片づけさせているので綺麗な方だ。
クロエ自身も自身の机の整理は自分でやる。
騎士団は掃除婦を雇っているが、通路や手洗いなどの共有部のみが清掃の対象で、各隊の部屋は団員が掃除することになっている。
団外秘の書類が積まれていたりするせいだ。
大ざっぱな隊になると、床に積んでいた書類がねずみに噛じられた、などという例もあるそうだから、恐ろしい。
あまりに汚く、虫や臭いが他の部屋に流れて来るような事態になると、汚部屋の隊長は団長からのお説教と副団長からの拳骨を食らうことになるのだが、懲りない者も中にはいるのだ。
本当に恐ろしい。
乾いた笑みを浮かべて、総務課の団員は次の隊部屋へと去って行った。
クロエは渡された手紙の束の仕訳にかかる。
騎士団宛に来る手紙のほとんどは、礼状か苦情だ。
顔が知られている団員などは、個別に手紙が来る。
(呪いがかけられている物などは、総務課で弾いてくれているからまだ楽なのだけど……)
念の為、探査の魔術を展開しながら、宛名別に分けていく。
これも隊長の仕事の一つだ。
その内一通の手紙をとったクロエの手が止まった。
封筒の裏表を魔術を展開した手の平で丹念になぞり、眉間に深いしわを刻む。
「まずいものですか?」
副隊長のボワレーが声をかけてきた。
「まずいというか、嫌なもの、ね」
うんざりした調子で吐き捨て、クロエは宛先に目線を落とした。
『クロエ・ブランセル 二等騎士様』
筆跡からたどれないようにか、ガタガタの金釘流だったが、間違いようがなくクロエ宛だ。
クロエは他の手紙の束を隅に避けると、机の引き出しから紙切り用の小刀を取り出した。
もう一度探査の魔術で確認してから、小刀で慎重に封を開く。
「あー……また、古典的な手ですね」
クロエの手元をのぞき込んだボワレーが呆れたように言った。
分厚い便箋の束の中に、鋭利な剃刀かみそりが仕込まれていた。
便箋には新聞の切り抜きが、ベタベタと貼られている。
どう見ても脅迫文だ。
「総務課は人手がなくとも、呪物探査だけではなくて金属探査もやって欲しいものだわ」
クロエはため息を吐いた。
脅迫文や怪文章をもらうのは、残念なことに慣れてしまっている。
だからといって、もらって気分が良いと思えるほど変態でも性悪でもない。
「私が気にくわなくて脅迫してくるだけなら良いけれど、これは、ねぇ」
トンッ。
クロエは薄らと微笑んで、便箋の端を指で叩いた。
クロエの周囲に冷たい空気が漂う。
年上の団員たちは触らぬ神に祟りなしとばかりに、報告書の作成など自分の作業に没頭しているふりをしていた。
そんな中、怖いもの知らずの若手二人が寄ってくる。
トルイユとリュノーだ。
リュノーは黙っていろと言われた手前、目線だけで催促し、トルイユははっきりと口に出した。
「騎士団の襲撃予告か何かですか!?」
その顔にわくわくとした表情が浮かんでいるのは、騎士団員としてどうだろうか。
(……いえ、好戦的な団員も多いし、少数派とも言い切れないわね。けれど、上にあがるなら血の気の多さは致命的になるし)
部下の育成計画に注意事項として追記しようと考えつつ、身を乗り出してくるトルイユを制する。
「落ち着きなさい。騎士団が目的ではないわ。私的な方面だから、一応上には報告しておくけれど皆を巻き込むつもりはないから」
クロエはそう言って、無表情で脅迫文を見下ろした。
剃刀を誤魔化す為か、大量に入った便箋のうち文が記載されているのは、最初の一枚のみ。

『クロエ・ブランセルは、リュカ・ラ・トゥールにふさわしい相手ではない。命が惜しければ、即刻リュカ・ラ・トゥールを解放すべし。さもなければ、天誅を加える。鉄の魔女は地獄に堕ち、天使は真にふさわしき伴侶の隣に立つことになるだろう』

陳腐ないたずらと片づけられないのは、便箋と共に入れられていた一葉の印画紙が原因だった。
白黒であるが、何を撮ったものかは一目で分かる。
クロエが結界を張り、精霊王が聖域とさせ、外部からは容易に覗けないはずの自宅の裏庭で菜園の手入れをしているリュカの姿が、そこには写っていた。
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