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本編

12.天敵には気をつけましょう

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 丁寧に撫で付けられた金の髪、甘さのにじむ少したれ気味の青い瞳。
リュカには及ばないが十分造作の整った容姿は、騎士というより女子の好む物語の王子様を連想させた。
当然、女性人気は異様に高いのだが、クロエはこの同期が正直嫌いだ。
理由は一つ。
この男がクロエの天敵だからである。
マイヤールはクロエの問いに、ひょいっと肩をすくめて答えた。
「昨日だよ。さすが国境付近は山脈が連なっているだけあって、妖魔も多くて手強かった。あれを放置しているとやたらに増えて集落の方まで出てくることもあるからね」
「えぇ、そうね。大変だったでしょう」
クロエは心にもない労いを口にする。
マイヤールはしたり顔でうなずいた。
「まぁね。でも国境砦勤務に選ばれるのは、実力者の証だから光栄なことだよ。団長も副団長も経験しているし、部長級はだいたい一回は国境砦勤務を経験しているよね」
「そうね」
次に来る質問が容易に予想出来て、クロエの相槌もおざなりになる。
「そういえばブランセル。君に国境砦勤務の経験は?」
(ほら、来た)
にこやかに笑いながら、クロエは内心舌打ちした。
この男はこういう嫌みが得意なのだ。
「残念なことに、ないわね。国境砦は女性用の設備がないし、改築する予算もないから。さすがに不浄や浴場を男女一緒にするわけにはいかないものね」
「そうだよねぇ。女性にはあの勤務はキツイかも知れないね。妖魔の数は多いし、強いし」
ふふん、と得意げに笑うマイヤール。
クロエは頬がひきつるのを感じながら、大げさに驚いてみせる。
「あら、マイヤール。私は”設備の問題”と言ったのよ? 言葉を歪めて解釈するなんて、認知の問題があるのではないかしら? 変に命令を解釈しては上も下も困るから、医師に診てもらった方が良いのではなくて?」
あくまで心配だ、という表情で言うクロエに、マイヤールも嘘くさいほど完璧な笑みを浮かべて答える。
「心配ありがとう、ブランセル。けど、僕は正常だ」
「でもマイヤールは医師ではないでしょう? 実は若い人でも認知に問題が出ることがあるのですって。恥ずかしがることはないわ。病気なんですもの」
「君こそ、しっかり診察してもらった方が良いのではないかな。一方的に人を病気だと決めつけるなんて、それこそ認知に問題があるのでは?」
ふふふ、あはは。と、完璧な笑みを浮かべながら当てこすりし合う二人は、端から見ても薄ら寒いものがあった。
幸いなことに周囲に人はいないが、もし見ている者がいたとしたら、背後に荒れ狂う吹雪の幻影が見えたに違いない。
しばしの目に見えぬにらみ合いの後、クロエは笑顔のまま毒を吐く。
「ふふふふ。……騎士学校の成績で私に負けていたからといっていつまでも絡んでくるなんて、器が小さ過ぎるのではない? まぁ、二等騎士に上がったのも、私の方が早かったけれど」
言われたマイヤールは器用に片眉をあげた。
「おや。妖魔の討伐数では僕の方が圧倒的に上だよ」
「えぇ。国境砦ではさぞかしご活躍なさったんでしょう。それまでの討伐数はたいして変わりないし、部隊指揮の評価も私の方が上だけれどね」
「こちらに戻ってきて僕も部隊を持つことになったから、評価はこれからだよ。自信だってある。……まぁ、君みたいに年下をたぶらかす能力はないけどね。さっきの部下も上手くたらし込んでいたよね。僕が居ない間にも、私事でその才能を十分に発揮したみたいじゃないか」
はっ、と鼻で笑われて、クロエの額に青筋が浮かぶ。
口元は笑みの形に歪んでいるが、ぞっとするほど冷たい目で、マイヤールを見上げた。
「どういう意味かしら、マイヤール」
そこらの新人なら後ずさりするほどの目でにらまれて、マイヤールは愉快そうにくくくと笑った。
「なるほど。これが鉄の魔女の逆鱗か」
クロエは忌々しげに顔を歪めた。
これが私事と示唆されなかったなら、もう少し上手く受け流すことが出来ただろう。
嫌み返しを出来る程度の余裕はあったに違いない。
短絡的に反応してしまったのは、悪手だった。
このことがクロエの余裕を奪うと、知られてしまった。
もう十年以上の犬猿の仲であるマイヤールには、下手な誤魔化しは利かない。
クロエは頭に上った血を下げる為、大きく息を吐いた。
「……私の弱みを握ったと勘違いしないことね、マイヤール」
いつもの回転を取り戻した頭は、するすると牽制の言葉を吐き出す。
ぐっとあごを上げ、薄ら笑いを浮かべて言い放った。
「あなたの逆鱗もまた、私が知っていることをお忘れなく?」
クロエの言葉に、今度はマイヤールが眉間に大きなしわを刻んだ。
王子様然とした外見に似合わない大きな舌打ちをし、クロエを冷たい目で見下ろす。
「あまりいい気になるなよ、ブランセル」
「その言葉、そっくりそのまま返して差し上げるわ、マイヤール」
バチバチと火花が散るようなにらみ合いをしばし繰り広げた後、同時に鼻を鳴らす。
そのまま言葉を交わすことなく、二人はそれぞれ反対方向へ足を踏み出した。


今日は無性に精神的に疲れた一日だった。
街が夕暮れに沈む頃、ぐったりしながらクロエは自宅の玄関扉を開ける。
「ただいま」
「クロエさん! お帰りなさい!」
ぱぁっと明るい表情を浮かべたリュカが小走りに寄ってきた。
全身でクロエの帰宅を喜んでくれている様子に、ささくれ立った心にぽかぽかと温かいものが満ちるのを感じる。
自然と口元がほころんだ。
本当にリュカはあの男とは大違いだ。
なんと言っても、こうして『お帰りなさい』と言ってもらえるだけで、こんなにも癒されるのだから。
しみじみと幸せを噛みしめていると、常とは違うクロエの反応にリュカが心配そうに眉尻を下げた。
「お疲れみたいですね」
「そうなの。ちょっと気疲れしちゃって」
心配をかけてしまって悪いという気持ちと、心配してもらえて嬉しいという気持ちの両方が湧きあがった。
ただ、心配顔のリュカも可愛らしい。
どんな顔をしていてもリュカは可愛いとうなずきかけて、苦笑する。
どうやら、自分で自覚していたよりもだいぶ疲れていたようだ。
思考回路がいつもよりおかしい。
(結局、あの後も直近提出の書類の処理に追われていたし……)
慌ただしい一日だったと、クロエは遠い目になる。
「大丈夫ですか?」
リュカがますます心配そうな顔をするので、クロエは手をひらひらさせて否定する。
「あぁ、大丈夫よ。そこまでひどかったわけでもないの。ただ、リュカの顔を見たらなんだかほっとして気が抜けたみたい」
甘やかな笑みを浮かべたクロエは、無意識のうちに手を伸ばす。
リュカを安心させたい、思っていたのはそれだけだ。
しかし、その手がさらさらの亜麻色の髪に届く前に、リュカはびくっと肩を揺らし、後ずさった。
こちらを上目遣いで見上げるリュカの瞳に恐れの色がよぎったのを見取り、クロエは目を瞬く。
「……え、と、ごめんなさい。同意も得ず頭を撫でようとするのは、いけないわね。気を付けるわ」
困惑したままクロエは伸ばした手を引き込め、胸の前でぎゅっと握る。
自分の何がリュカを怯えさせたのか、検討もつかなかった。
最近は身体接触禁止令を出したから飛びついてくることはなくなっているものの、前はリュカの方からクロエに触れてきていた。
けれど、今、確かにリュカは、クロエに怯えたのだ。
ついさっきまで、クロエに好意を示してくれていたのに。
何を間違えたのだろう。
やはり、頭を撫でようとしたのを侮辱と捉えられたのだろうか。
自分から触れることもないと言い張っていたのに、触れようとしたのがいけなかったのだろうか。
触れようとして拒否されるのが、こんなにも胸をえぐるだなんて思ってもみなかった。
クロエはリュカに、こんなにもひどい思いをさせてしまっていたのか。
ぐるぐると負の感情と思考がクロエの中を巡り、眉がへにょりと下がる。
「本当に、ごめんなさい」
苦しげな顔で再度謝るクロエに、リュカがはっとした顔をして首を勢いよく横に振った。
「ち、違うんです! ごめんなさい! クロエさんは違うと分かっていたのに、勝手に勘違いしたのは僕なんです!」
リュカが半泣きで退いた分を詰めて来る。
「また人を、クロエさんを狂わせてしまったのかと怖くなって! ごめんなさい。クロエさんを信じていると思ったのに、本当は信じきれてなくて、ごめんなさい!」
本格的にえぐえぐと泣き出したリュカの言い分は、まだ要領を得ず飲み込めていない。
ただ、クロエの表情か行動かの何かが、リュカの心の傷をえぐってしまったらしい。
ごめんなさい、ごめんなさいと謝罪を繰り返すリュカに目線を合わせ、クロエはゆっくりしっかりとその名を呼んだ。
「リュカ」
びくっとリュカが肩を跳ねさせた。
おそるおそるといった様子のリュカと目が合う。
クロエは困り顔で、首を傾げた。
「リュカは、私が怖い?」
ふるふるとリュカは首を横に振った。
そして、言いづらそうに口を開く。
「それはありません。……怖いのは、僕自身です……」
リュカは苦悩の表情で視線を床へ落とした。
「……僕の体質で人生を狂わされた人は、何人もいます。友達だった人もです。狂って僕に愛を囁いて、僕を手に入れる為なら何でもしようとする。……僕は彼らにとって疫病神の悪魔でした。僕は、クロエさんにはそうなって欲しくないんです」
リュカは顔を上げて、泣いているような笑っているような、皮肉げな表情を浮かべた。
「おかしいですよね。僕はクロエさんに僕を好きになってもらいたい。でも、本当に好きになってもらえそうになると、怖いんです」
「別におかしくはないでしょう。至って普通の考えだと思うけれど」
クロエは真面目な顔で断言した。
「リュカが厄介な体質を持っているのは事実。狂わせてしまった人がいることも事実。そして、私が狂わないという保証はない。怖がるのも、無理はないでしょう?」
違う? とクロエは尋ねる。
リュカはぽかんとした顔をして、クロエの顔を見つめ返した。
ぱちくりと瞬いて、リュカが言う。
「……クロエさんは、自分なら大丈夫だって言わないんですね」
「そんな無責任なことは言わないわ。今は大丈夫でも根拠なんてないもの。今日明日、今すぐにでもリュカの魅了にやられて私も狂ってしまうかも知れない。過信は大敵よ。常に最悪は想定しておかなくては」
とまで言って、クロエは肩をすくめた。
「……まぁ、こういうことを言うから、可愛げがないと敬遠されるのだけどね。普通の女性は、私なら絶対に大丈夫。そんなあなたをずっと側で支えるわ、とでも言うのでしょう? 私にはそんな根拠も自信もないこと、言えやしないけれど。……リュカもこんなことを言う私のこと、嫌いになった?」
「いいえ、いいえ!」
リュカは自身の頬を拭って、力一杯否定する。
「クロエさんは軽々しく大丈夫と言う人より、よほど誠実です。慢心する人よりかえって安心できます。大好きです!」
さりげなく最後に混ぜてきたリュカに、クロエはふわりと微笑む。
「私も結構、リュカのこと好きよ」
「ふぇっ」
薔薇色の頬がさらに赤くなるのを見て、クロエは意地悪く付け足した。
「魅了の力が効いているのも、あるのでしょうけどね」
「クロエさん!」
ぷくっと頬を膨らまして、リュカが抗議してくる。
クロエはくすくす笑って続けた。
「それを自覚出来る程度には冷静だし、自信なんかはないけれど、それでも、結構好きだと思うのよ」
リュカも不安と恐怖を抱えているのだと、怖がっているのは自分だけではないのだと分かって、クロエはほっとした。
それでほっとするなど下衆のようだが、本音なのだから認めなければなるまい。
リュカがクロエを好きだとはっきり言ってくれるから、ぐるぐると悩んでいてもクロエには余裕があった。
今度はクロエが返す番だ。
リュカが不安に思っているのなら、正直に自分の今の気持ちを伝えておいた方が、彼も安心出来るだろう。
無責任なことは言えない。
確証もない。
自信なんてもっとない。
だからと言って何も言わないのでは、何でもないことでもこんがらがってしまう。
クロエは目を潤ませてこちらを見るリュカに提案する。
「話をしましょう」
思えば、今までもそれなりに会話はあったものの、表面的な話に終始していた気がする。
書類上は夫婦となっていたが、お互いに遠慮と怯えがあって踏み込んだ話はあまり出来ていなかった。
今、二人に必要なのは会話だ。
どうやって育ったのか、何があったのか、何を不安に思っているのか、これから、どうしたいか。
ここで一度、きちんと話しておくべきだろう。
こくんとうなずいたリュカに、クロエは柔らかく微笑む。
「では先にご飯を食べてしまいましょう。話はそれからね」
「え。でも」
早く話したいと訴えるリュカに、クロエはゆるゆると首を振る。
「お腹が空いていると人は悲観的になってしまうものなのよ。お腹を満たしてから、たくさん話しましょう。都合の良いことに、私は明日お休みだから、ね?」
「はいっ。じゃあ、夕飯暖めてきますね! クロエさんは着替えてきてください!」
明るい顔になったリュカが、ぱたぱたと台所へと駆けていく。
クロエはさて何から話すべきかと考えながら、二階へと続く階段に足をかけた。
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