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本編

11.仕事はしっかりやりましょう

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(どうしたらいいのか、分からなくなりそうだわ……)
クロエは部下たちの鍛錬を監督しながら、そんなことを考えていた。
クロエの胸を舐めるという暴挙に出てからも、リュカの言動がそう変わることはなかった。
屈託なく、見た目通りに幼いようでいてその実聡く、そして大層可愛らしい。
可愛らしいが、クロエの目の鱗が落ちたからか、以前と同じ振る舞いをしているように見えて、時折、その美しい薄藍の瞳に熱が宿っているように見えた。
その熱はとても艶やかだった。
だいぶ耐性がついてきたと思っているクロエでも、ふと目が合えば赤面してしまうほどに。
リュカはまだ幼体、子供であると自分に言い聞かせようとしても、のし掛かってきた時のリュカが思い浮かび、上手く行かない。
(……見た目や言動が幼くても、十六歳、なのよね)
クロエは隊で預かっている見習いの姿をリュカと重ね、ふぅっと息を吐いた。
捕縛術の鍛錬で先輩騎士に引き倒されている彼は、リュカより一つ年上だ。
彼も猛者揃いの騎士団の中では恵まれた体格とは言えない。
しかし、さすがにクロエより背が高くがっしりした体つきだった。
(リュカも成体になったら……)
成長したリュカの姿を想像し、クロエははっと首を横に振った。
(そんなことを考えるなんて、はしたない)
男性率の高い騎士団に十年近く在籍しているせいで、下品な話に望まずとも慣れているクロエだが、自分のこととなると途端に保守的になってしまう。
もういい年であり、法的にとはいえ人妻であるのに何を今更と思うが、今現在幼体であるリュカに対して想像することではない。
人としては成人していても、だ。
リュカとの年の差は九つ。
年増が若い男に手を出したと、事情をある程度開示している今でも噂されている。
そこでクロエがこのようなことを考えていると知られたら、更にえげつない噂が流れるだろう。
リュカが成体になってこのまま婚姻を継続した場合も、そういう輩はそれみたことかと喜々として噂するに違いない。
言いたい者には言わせておけばいい、という気楽さがあれば良かったのだろうが、残念ながらクロエ・ブランセルという人間はそこまで出来た人間ではなかった。
自分に女性的な魅力があれば、もっと前向きに考えられたのだろうか。
少なくとも、リュカに釣り合う年であったなら……。
(……そう考えてしまうのは、リュカに気持ちが傾いて来ているから、ね。自分を律しようと決めていたはずなのに、なんて単純で浅ましいこと。こんな私がリュカにふさわしいとは……)
自嘲しかけて、クロエは小さく首を振った。
少なくとも、リュカはクロエにまっすぐ好意を伝えてくれている。
他の女性と触れ合う機会がないから。
まだ若いから。
一時の気の迷いだと判断する要素はある。
けれど、あのリュカの熱い眼差しを漠然とした不安や卑下で一方的に否定するのは、リュカを馬鹿にする行為だろう。
リュカを貶めるようなことは、クロエには出来ない。
だからといって、今すぐ思い切れるものでもなかった。
(仕事なら、ここまで優柔不断でもないのに……)
いずれ、自分の気持ちとリュカに向き合わなくてはならない時が来る。
その時はそう遠くはない。
「隊長!」
重たいため息を吐きかけたところへ、若手たちを指導していた部下から声がかかった。
「どうしたの?」
「ちょっとこいつに自分よりガタイのいいヤツの取り押さえ方を教えてやってください! 俺の指導じゃ分からねぇってぬかすんです!」
「お願いしまっす!」
指導役の騎士が口を尖らせて見習いを指差す。
見習いは腰を直角に曲げて頭を下げた。
指導役の言葉を否定しないあたり、彼は将来大物になるかも知れない。
クロエは一つうなずき、指導役の騎士に視線を送って言った。
「分かった。では実演してみせるから、犯人役をお願いね」
「えぇっ。他の誰かにしてやってくださいよ!」
心底嫌そうな顔をする指導役の騎士の反論を、クロエはにっこりと笑って封じる。
「指導役でしょう? これもお役目の一つと考えて頑張って」
「そんなぁ」
(とにかく今は職務に集中しなくてはね)
悲壮な顔をする年上の部下に近寄りながらクロエは騎士としての自分に頭を切り替え、憂鬱を頭の隅に追いやった。


午前中に部下たちとの鍛錬で汗を流したクロエは、午後から書類仕事に追われていた。
部下から上がってくる日報や報告書に目を通し、部隊長としての見解を書き込み、他部署から回ってきた苦情やら、経費の申請書やらを処理する。
部隊長級になると、この手の書類仕事がどっと増える。
山積みの紙束は見るだけで嫌になるが、目をそらしてもそれらは消えてはくれない。
なるべくため込まずに処理しようと心がけているものの、急な出動も多いので計画通りにはいかないのだ。
ただこれでもクロエは、他の部隊長たちに比べたらマシな部類だった。
副官に何度も尻を叩かれながら嫌々書類仕事をする部隊長も、また多いのだから。
(とはいえね、私もそこまで好きなわけではないのよ。特に苦情の対応と予防策の作成はね)
血気盛んな若者が多く在籍する騎士団は厳しい規律で縛られているものの、羽目をはずす者もいるし、職務中の不注意や不可抗力で住民に迷惑をかけることもある。
今回、クロエの部下の場合は後者だ。
巡回中にひったくりを目撃し、追いかけて犯人を確保した。
しかし、犯人を取り押さえた際にひったくられた荷物の中に入っていた細工物が壊れてしまったという。
職務に忠実であっただけの騎士にとっては、とんだ災難だ。
こういう時の騎士団の対応は、頭を下げ理解を求めるが金は出さない、である。
被害者は中年の女性だった。
来月の部隊目標を眉間にしわを刻みながら作成していたクロエは、連絡を受けて応接室へと向かう。
応接室前で、取り押さえた騎士本人と渋い男前である警邏部長と合流した。
基本的にはこういう類のことは警邏部長に任せておけば間違いない。
不安げな顔をする部下に大丈夫だと言ってあげたいが、今安心させてほっとした顔をさせるのもまずい。
すがるような目で見てくる部下に、真面目な顔で一つうなずいてみせる。
「それじゃあ、まぁ、謝り倒そう」
警邏部長がぼそっとつぶやいてから、応接室の重厚な扉を開けた。
結果から言えば、警邏部長が口先三寸と男の色気満載の申し訳なさそうな顔で被害者を丸め込み、苦情を取り下げさせることに成功した。
思ったより早く解放されたのも幸いだろう。
被害者を詰め所の入り口まで見送ったクロエは、隣に立つ部下を見上げた。
クロエより三期下の部下は、やはり内心は面白く思っていないだろう。
口角はかろうじて上がっているものの、目が死んでいる。
(こういうのは、本当に精神にくるものね)
クロエも助けた者からは感謝の言葉をもらうことが大半だが、罵声を浴びせかけられたことも少なからずある。
被害者の背中が見えなくなった所で、クロエはぽんっと部下の腕を叩いて建物の中に戻るように促す。
「あまり気にしないことよ。故意でない限りこうしたことで査定は下がらないから」
歩きながらクロエが言えば、部下はほっとしたように表情を緩めた。
「それを聞いて安心しました。でも警邏部長やブランセル隊長にもご迷惑をおかけしてしまって……」
再びしょんぼりと肩を落とす部下に、クロエは柔らかな笑みを浮かべる。
「私だって平の頃はこうして上の人に面倒みてもらったもの。あなたも出世したら同じように下の面倒をみてあげればそれでいいのよ」
「それには次の昇級試験に合格しないとっすね」
部下がにやりと笑う。
クロエもにやりと笑い返した。
「そうそう。ぜひ私よりも出世する気で挑んでちょうだい」
「うわー、そういう圧力はいらないっす。でも頑張ります」
晴れやかな顔で鍛錬に向かうと言う部下と別れたクロエは、まだ山のように残っている書類を処理する為、事務部屋のある建物の扉に手をかける。
「おや、ブランセルじゃないか。久しぶりだね」
朗らかに響く声に、クロエは冷水を浴びせかけられたような気分になった。
嫌なことは重なるものだ。
そのまま無視したい気分だったが、さすがにそれはまずい。
クロエは内心嫌々、後ろを振り返った。
背後に立っていたのは、薄っすらと優美な笑みを浮かべる長身の男。
相も変わらず、無駄にきらきらしい。
クロエは忌々しく思いながら、完璧な笑みを浮かべて尋ねる。
「久しいわね、マイヤール。いつ国境砦から戻ったの?」
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