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第148話 緑対白
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「白の聖王国は、数を揃えてきたな」
ジャンは聖王国軍の布陣を見渡しながら、隣にいるルージュに話しかけた。彼が率いる公国軍の後方部隊から見える、整然とした敵軍の隊列は圧倒的だった。
「想定の範囲内ですよ」
ルージュは、いつもの冷静な口調で返した。彼女の鋭い眼差しには焦りの色は一切ない。
「俺も、相手がそこらの凡兵なら多少、数で負けていようが気にはせん。しかし、今回の相手は最強謳われる聖騎士どもだ。ここで勝ったとしても、多くの兵を失えばそこで手詰まりになるぞ?」
ジャンの言葉には重みがあった。勝利を得ても、その代償があまりに大きければ、次はない。緑の公国は、残った国の中で最も国の規模が小さい。軍を立て直すのは容易なことではなかった。
「確かに、兵の個々の力では聖王国軍が最強でしょうね。でも、大事なのは兵をどう使うかです。先代の聖王が指揮を執っているのならまだしも、今の聖王レリアナが相手では、負ける気がしません」
「……レリアナは聖王として前線へ出ざるをえない。そこを狙って彼女を討つつもりか?」
敵の大将を討つ。それは最小限の被害で敵に勝利する常套手段だった。特に聖騎士達にとって聖王は絶対の存在だ。聖王のためなら命も投げ出す彼らが、聖王を失った瞬間に瓦解するのは目に見えている。
しかし、ルージュはジャンの問いに対し、首を横に振った。
「レリアナを討つのは下策です」
「なぜだ?」
「レリアナが死ねば、この戦いは確かにこちらの勝利になるでしょう。ですが、あの国では、天啓とやらを受けて、すぐに代わりの聖王が現れます。次の聖王が、また今のレリアナのような者ならばいいでしょう。何も恐れることはありません。しかし、もし次が先代の聖王のような猛者だったら? あるいは、私やキッドのような才覚を持った者だったらどうなるでしょう?」
ルージュの言葉にジャンは顔をしかめる。
「……確かに、それはまずいな」
「そういうことです。聖王がレリアナというただの小娘だというのは、こちらにとって好都合なんですよ。だから、彼女をここで討つのではなく、生け捕りにします。それが最善策。レリアナの身柄を確保すれば、あとは戦でも交渉でも、こちらの被害を最小限に抑えて聖王国を攻略できるます」
ルージュの声には自信が満ちていた。彼女の計略は確かに合理的であり、リスクを最小限に抑えるものだった。ジャンは軽く笑い、皮肉を込めて応じた。
「なるほど。さすがは赤の導士と言われるだけのことはある。だが、どうだ? キッドよりもお前の方が軍師として頼りになると、俺に思わせることができるか?」
ルージュのこめかみがピクリと動く。挑発に近いジャンの言葉が、彼女の誇りに触れたのだろう。
「キッドは、言葉だけでなくいつも実際にやってみせていた。お前にも同じことを期待したいものだな、ルージュ」
その一言でルージュは顔を真っ赤にした。
「キッドにできて、私にできないわけがないでしょ! 私がキッド以上だと示してあげるよ! あなたはここで大人しく見てればいいのよ!」
そう言い残すと、ルージュは前線で指揮を執るために馬を走らせた。
「……赤の導士ルージュ、その力が本物かどうか、見せてもらうぞ」
ジャンは険しい目で彼女の背中を見送りながら呟いた。
ルージュを軍師として迎え、聖王国に攻め込んだ時点で、もうジャンも後には引けない。
ルージュを選んだその判断が正しかったのかどうか、ジャンにとってこの戦いはそれを見極めるためのものでもあった。
そして、白の聖王国軍と緑の公国軍との戦いが幕を開けた。
戦場に響く金属音と怒号。聖王レリアナはその先頭で自ら剣を振るい、兵達を鼓舞しながら公国の兵を次々と斬り伏せていった。彼女の雄姿に呼応するかのように、聖騎士達はまさに無敵の戦士となり、敵をなぎ倒して進撃する。その姿は圧巻で、誰一人として彼らの前進を止めることができなかった。
しかし、レリアナの心には奇妙な違和感が芽生えていた。
「……おかしい。これほど敵を倒しているのに、なぜか勝っている気がしない」
広大な戦場の全貌が彼女の目に入るわけではないが、レリアナには感じ取れるものがあった。戦いの流れ、そして、何か見えない罠が仕掛けられているかのような感覚が、彼女の胸に重くのしかかっていた。
「レリアナ様、まずいです! 軍が伸びきっています!」
先ほどまで戦況を探りに離れていたティセがレリアナのもとへと駆け寄ってきた。
今回、ティセ、グレイ、フィーユの三本の矢は、レリアナの片腕として彼女のそばで戦っている。時にレリアナの目となり、剣となり、盾となるのがティセ達の役目だった。
「どういうこと?」
「前線が前へ進み過ぎています。後方部隊が敵の妨害を受けて、追いつけていません。隊列が縦に伸びすぎて、脆弱な状態になっています」
「……もしかして、敵の狙いはこれだったの?」
振り返れば、敵は抵抗する様子もなく、あまりにも簡単に崩れ去っていったように思えた。聖騎士達が敵を圧倒し、前へと進むのは容易だったが、その勢いがあだとなり、軍の陣形は崩れ弾めていた。本来なら、軍の進軍を制し、陣形を維持させるのは聖王の役目。しかし、レリアナは若き聖王であり、先代のような経験はまだ持ち合わせていなかった。
「赤の導士にまんまとハメられた……。これが軍師の力なのね」
レリアナは青の王国軍との戦いを経験している。だが、あの戦い、青の導士は青の軍に従軍していたものの、政治的な要因もありその指揮を執っていなかった。聖王軍にはキッドがいたが、その立場上、彼もまた指揮は取っておらず、あくまで遊撃としての動きをしていたに過ぎない。まともな軍師が指揮を執る戦場で戦うのは、これがレリアナにとって初めての経験だった。レリアナは、ただ目の前の敵を倒すだけでは勝てないということを、思い知らされる。
「まずいわ。今この状態で横から攻められれば、前方の私達だけ孤立させられる」
レリアナがそう気づいた時にはすでに手遅れだった。
それまで、後方の部隊に散発的に仕掛けて、その進行を遅らせていただけだったフェルズ率いる部隊が、聖王国軍のわき腹を突いていた。聖王国軍の盾に伸びた陣形は、薄くなっていた部分を突かれてあっという間に分断され、前線の部隊は孤立状態に陥る。
「しまった!」
レリアナは自分の判断ミスを嘆くが、もはやどうしようもない。彼女はここからどうするかに思考を切り替える。それができるという点で、レリアナは凡将ではなかった。
「部隊を転進! 逆に敵をこの位置で挟撃するわ!」
レリアナの判断は迅速だった。
しかし、ルージュはそれよりも遥か前に、この状況を予見し、次の一手を準備していた。
「レリアナ様! 前を!」
グレイの叫びに再び前を見れば、それまで逃げ惑うだけだった前方の敵部隊が、突如として激しい反撃に転じていた。今までのひ弱な戦いぶりは、演技だったのだと今更ながらに気づかされる。
そして、前方部隊の最前線では、剣と魔法、その両方を操り圧倒的な戦闘力を見せる男が、まっすぐにレリアナを見据えていた。
その男を見るのは初めてだが、その男のその情報はレリアナも得ている。
「……あれがカオスか。あのルイセとも互角に渡り合う剛の者」
手綱を握るレリアナの手に汗が滲む。
まだ距離があるのに、その男の強さがレリアナには感じられた。何度も戦場に立つ中、剣を交えずとも、そのくらいのことはわかる程度にはレリアナも成長していた。そして今、そのカオスが自分に向かって迫ってくるのを確信したのだった。
ジャンは聖王国軍の布陣を見渡しながら、隣にいるルージュに話しかけた。彼が率いる公国軍の後方部隊から見える、整然とした敵軍の隊列は圧倒的だった。
「想定の範囲内ですよ」
ルージュは、いつもの冷静な口調で返した。彼女の鋭い眼差しには焦りの色は一切ない。
「俺も、相手がそこらの凡兵なら多少、数で負けていようが気にはせん。しかし、今回の相手は最強謳われる聖騎士どもだ。ここで勝ったとしても、多くの兵を失えばそこで手詰まりになるぞ?」
ジャンの言葉には重みがあった。勝利を得ても、その代償があまりに大きければ、次はない。緑の公国は、残った国の中で最も国の規模が小さい。軍を立て直すのは容易なことではなかった。
「確かに、兵の個々の力では聖王国軍が最強でしょうね。でも、大事なのは兵をどう使うかです。先代の聖王が指揮を執っているのならまだしも、今の聖王レリアナが相手では、負ける気がしません」
「……レリアナは聖王として前線へ出ざるをえない。そこを狙って彼女を討つつもりか?」
敵の大将を討つ。それは最小限の被害で敵に勝利する常套手段だった。特に聖騎士達にとって聖王は絶対の存在だ。聖王のためなら命も投げ出す彼らが、聖王を失った瞬間に瓦解するのは目に見えている。
しかし、ルージュはジャンの問いに対し、首を横に振った。
「レリアナを討つのは下策です」
「なぜだ?」
「レリアナが死ねば、この戦いは確かにこちらの勝利になるでしょう。ですが、あの国では、天啓とやらを受けて、すぐに代わりの聖王が現れます。次の聖王が、また今のレリアナのような者ならばいいでしょう。何も恐れることはありません。しかし、もし次が先代の聖王のような猛者だったら? あるいは、私やキッドのような才覚を持った者だったらどうなるでしょう?」
ルージュの言葉にジャンは顔をしかめる。
「……確かに、それはまずいな」
「そういうことです。聖王がレリアナというただの小娘だというのは、こちらにとって好都合なんですよ。だから、彼女をここで討つのではなく、生け捕りにします。それが最善策。レリアナの身柄を確保すれば、あとは戦でも交渉でも、こちらの被害を最小限に抑えて聖王国を攻略できるます」
ルージュの声には自信が満ちていた。彼女の計略は確かに合理的であり、リスクを最小限に抑えるものだった。ジャンは軽く笑い、皮肉を込めて応じた。
「なるほど。さすがは赤の導士と言われるだけのことはある。だが、どうだ? キッドよりもお前の方が軍師として頼りになると、俺に思わせることができるか?」
ルージュのこめかみがピクリと動く。挑発に近いジャンの言葉が、彼女の誇りに触れたのだろう。
「キッドは、言葉だけでなくいつも実際にやってみせていた。お前にも同じことを期待したいものだな、ルージュ」
その一言でルージュは顔を真っ赤にした。
「キッドにできて、私にできないわけがないでしょ! 私がキッド以上だと示してあげるよ! あなたはここで大人しく見てればいいのよ!」
そう言い残すと、ルージュは前線で指揮を執るために馬を走らせた。
「……赤の導士ルージュ、その力が本物かどうか、見せてもらうぞ」
ジャンは険しい目で彼女の背中を見送りながら呟いた。
ルージュを軍師として迎え、聖王国に攻め込んだ時点で、もうジャンも後には引けない。
ルージュを選んだその判断が正しかったのかどうか、ジャンにとってこの戦いはそれを見極めるためのものでもあった。
そして、白の聖王国軍と緑の公国軍との戦いが幕を開けた。
戦場に響く金属音と怒号。聖王レリアナはその先頭で自ら剣を振るい、兵達を鼓舞しながら公国の兵を次々と斬り伏せていった。彼女の雄姿に呼応するかのように、聖騎士達はまさに無敵の戦士となり、敵をなぎ倒して進撃する。その姿は圧巻で、誰一人として彼らの前進を止めることができなかった。
しかし、レリアナの心には奇妙な違和感が芽生えていた。
「……おかしい。これほど敵を倒しているのに、なぜか勝っている気がしない」
広大な戦場の全貌が彼女の目に入るわけではないが、レリアナには感じ取れるものがあった。戦いの流れ、そして、何か見えない罠が仕掛けられているかのような感覚が、彼女の胸に重くのしかかっていた。
「レリアナ様、まずいです! 軍が伸びきっています!」
先ほどまで戦況を探りに離れていたティセがレリアナのもとへと駆け寄ってきた。
今回、ティセ、グレイ、フィーユの三本の矢は、レリアナの片腕として彼女のそばで戦っている。時にレリアナの目となり、剣となり、盾となるのがティセ達の役目だった。
「どういうこと?」
「前線が前へ進み過ぎています。後方部隊が敵の妨害を受けて、追いつけていません。隊列が縦に伸びすぎて、脆弱な状態になっています」
「……もしかして、敵の狙いはこれだったの?」
振り返れば、敵は抵抗する様子もなく、あまりにも簡単に崩れ去っていったように思えた。聖騎士達が敵を圧倒し、前へと進むのは容易だったが、その勢いがあだとなり、軍の陣形は崩れ弾めていた。本来なら、軍の進軍を制し、陣形を維持させるのは聖王の役目。しかし、レリアナは若き聖王であり、先代のような経験はまだ持ち合わせていなかった。
「赤の導士にまんまとハメられた……。これが軍師の力なのね」
レリアナは青の王国軍との戦いを経験している。だが、あの戦い、青の導士は青の軍に従軍していたものの、政治的な要因もありその指揮を執っていなかった。聖王軍にはキッドがいたが、その立場上、彼もまた指揮は取っておらず、あくまで遊撃としての動きをしていたに過ぎない。まともな軍師が指揮を執る戦場で戦うのは、これがレリアナにとって初めての経験だった。レリアナは、ただ目の前の敵を倒すだけでは勝てないということを、思い知らされる。
「まずいわ。今この状態で横から攻められれば、前方の私達だけ孤立させられる」
レリアナがそう気づいた時にはすでに手遅れだった。
それまで、後方の部隊に散発的に仕掛けて、その進行を遅らせていただけだったフェルズ率いる部隊が、聖王国軍のわき腹を突いていた。聖王国軍の盾に伸びた陣形は、薄くなっていた部分を突かれてあっという間に分断され、前線の部隊は孤立状態に陥る。
「しまった!」
レリアナは自分の判断ミスを嘆くが、もはやどうしようもない。彼女はここからどうするかに思考を切り替える。それができるという点で、レリアナは凡将ではなかった。
「部隊を転進! 逆に敵をこの位置で挟撃するわ!」
レリアナの判断は迅速だった。
しかし、ルージュはそれよりも遥か前に、この状況を予見し、次の一手を準備していた。
「レリアナ様! 前を!」
グレイの叫びに再び前を見れば、それまで逃げ惑うだけだった前方の敵部隊が、突如として激しい反撃に転じていた。今までのひ弱な戦いぶりは、演技だったのだと今更ながらに気づかされる。
そして、前方部隊の最前線では、剣と魔法、その両方を操り圧倒的な戦闘力を見せる男が、まっすぐにレリアナを見据えていた。
その男を見るのは初めてだが、その男のその情報はレリアナも得ている。
「……あれがカオスか。あのルイセとも互角に渡り合う剛の者」
手綱を握るレリアナの手に汗が滲む。
まだ距離があるのに、その男の強さがレリアナには感じられた。何度も戦場に立つ中、剣を交えずとも、そのくらいのことはわかる程度にはレリアナも成長していた。そして今、そのカオスが自分に向かって迫ってくるのを確信したのだった。
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