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第140話 王子と王女

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 本部天幕の中、キッドとセオドルは簡易な椅子に腰掛け、机を挟んで向かい合っていた。それぞれの背後には、ミュウとルイセ、そしてセオドルの護衛二人が静かに控えている。

「後ろの二人は、リガートとファルサス。私の護衛です」

 銀の短髪で野性味のある大柄の男と、黒い長髪で整った容姿を持つ細身の男が順に頭を下げる。大柄の剣士がリガート、細身の魔導士がファルサスという名前だとはわかったが、キッドにはその名前に聞き覚えがなかった。

(ルイセが警戒するほどの戦士と魔導士が、ここまで無名でいるとは。セオドルが引き立てたのか、それとも秘蔵っ子として温存してきたのか……)

 どちらにしても、キッドには脅威だった。青の王国の人材の層の厚さ、そしてセオドルの人を見抜く力、それらが確かなものであることは間違いない。

「セオドル王子は紺の王都で一度顔合わせをしていますが、改めてこちらの二人を紹介しておきます。ミュウとルイセ、俺が最も信頼している仲間です」

 ミュウが丁寧に頭を下げ、続いてルイセも静かに礼をする。

「お二人の女武者ぶりは、我が国にも響いております。それにしても、キッド殿にとってお二人は部下ではなく、仲間なのですね」

「部下? そんなふうに考えたことはないですね。二人は仲間であり、友でもありますから」

 キッドのその言葉に、ミュウもルイセも顔つきは変わらなかったが、明らかに嬉しそうな様子が感じられた。

「そういうところが紺の王国の強さなのかもしれませんな」

「――――?」

 キッドにはセオドルの言うことがいまいち理解できないようだった。それはキッドにとってあまりにも当たり前のことだったから。

「いや、こっちの話ですよ。それより、以前王都にてルルー王女とご一緒の時にお話した内容を覚えていらっしゃいますか?」

「ええ、もちろんですよ」

 大国青の王国の第一王子相手の会談だ、キッドが忘れるはずがなかった。

(セオドルはあの時から、紺の王国と青の王国が国境を接する時に備えての話をしていた。俺もいずれはそうなる時が来るとは思っていたが、まさかここまで早いとは予想外だった。もしかして、セオドルはあの時からこの事態を見越していたのか? だとすれば、俺達に赤の王国の本隊を引き付けさせ、その隙に赤の王都を落とす戦略をあの時から考えていたことになるが……)

 キッドはセオドルに目を向ける。彼の風貌は嫌味のない貴公子だが、それがセオドルの本質でないことは感じている。しかし、その仮面の奥のセオドルの真意を掴み切れてはいなかった。

(セオドルのもとには、やはり生きていたルブルックがいる。あの男ならそこまで考えていたとしてもおかしくはない。セオドルとルブルック、この二人が組んでいるのなら大きな脅威だ)

 キッドは緊張感を持ってセオドルを見据えたが、セオドルは柔らかな雰囲気を崩さず、キッドの視線を受け止めている。

「あの時に言った青の王国と紺の王国との同盟について、私は今もそれを考えています。そのためにも、ここは平和的に赤の王国の分割統治することを紺の王国に提案します」

 同盟は確かに前の対談でセオドルが示唆していたことだった。だが、キッドは同盟の言葉に隠されたセオドルの狙いを理解していた。

(今、青の王国が最も恐れているのは、このまま俺達紺の王国と戦闘になることだ。南では白の聖王国との争いが続いている。北と南、二面作戦を継続するのは青の王国にとって最も嫌な展開だ。セオドルの今回の動きはそれを避けるため。それは俺もわかっている。……だが、青の王国との戦闘は俺達紺の王国にとっても諸刃の剣。状況によっては、降伏したはずの赤の王国軍を交えての三つ巴の争いになりかねない……)

 青の王国を叩く絶好の機会を優先するか、紺の王国の安定を優先するか、それは大きな決断だった。

(ルブルックをこの場に伴ってこなかったのは、俺を刺激しないためだろう。そして、代わりにリガートとファルサスを連れてきたのは、人材の厚さをこちらに見せつけるため。セルドルの考えか、ルブルックの考えはわからないが、俺にとっては逆効果だったかもな。不戦協定を破ったことといい、そのやり口を腹立たしく感じるぜ)

 キッドの理性は平和的解決をすべきと訴えていたが、感情はここで青の王国と戦うべきだと囁いていた。

(ここで青の王国との戦いを選んで喜ぶのは、赤の王国と白の聖王国だろう。赤の王国は、青の王国と紺の王国が共倒れになれば逆転の芽が出てくる。白の聖王国は、相手にする兵力が単純に半分になることになる。……それはわかっている。わかっているが、このセオドルはきっとルルーにとって障害となる。俺にとってのルブルックと同じで!)

 キッドの心が、青の王国の戦争へと傾いていく。紺、青、赤、白の4つの軍が泥沼の争いになろうと、その中で自分が紺の王国を勝利に導けばいい。そのために自分はルルーのもとへ来たのだと、理性で抑えていた熱い衝動がキッドを突き動かす。
 とはいえ、自分が勢いのままその重要な決断を下していいのかとキッドは躊躇い、後ろの二人を振り返った。
 二人はキッドの目を見て、彼が何を考えているのか理解した。
 ミュウは「キッドが選択するのならどんなものでも自分の剣で応えるだけ」と頷き、キッドと共に白の聖王国で青の王国と戦ったルイセは、この国を放置してはおけないというキッドの判断は間違っていないとその目で訴えかけてくる。

(二人とも、ありがとう)

 自分についてきてくれる二人を見て、キッドの心は決まった。

(ルブルック、ここでお前と決着をつける!)

 ルブルックはこの場にはいないのに、キッドはセオドルの背後にルブルックの影を見た。この世界に必要なのはどちらか一人、会った瞬間にそう感じたあの男の影を。

「セオドル王子! ルルー王女の代理として、俺はあなたからの提案を――」
「提案を受け入れます!」

 キッドが「拒否する」と言う前に、天幕の中に飛び込んできた人影が発する声が室内に響いた。
 中にいた6人が一斉にこの声の主へと顔を向ける。

「ルルー王女!?」

 そこにいたのは紛れもなくルルーだった。
 本来なら黒の都で補給の指揮を執っているはずのルルーが、確かにそこに立っていた。

「どうしてルルー王女がここに!?」

「赤の領地の統治については私がマゼンタ女王と話さなければならないと思ってこちらに向かってきたのですが、……間に合ってよかったです」

 ルルーの言葉は半分は真実だった。だが、それが理由のすべてではない。
 赤の王国降伏の報せを受け、ルルーは直感的にセオドルのこの動きの可能性を感じ取っていた。もし王都でセオドルと会っていなければ、セオドルのこの動きは予測すらできなかっただろうが、直接会って話したことで何かを感じ取っていた。

「ルルー王女、俺は――」
「わかっています。それでも、今は青の王国とは争わず、話し合いで領地を確定させます。……ここは私の意見を受け入れてもらえませんか?」

 ルルーがここにたどりついたばかりなのは、その荒い呼吸からも明らかだった。それでも彼女はキッドの気持ちをわかっていると言った。キッドはその言葉を疑いはしなかった。ルルーの目を見れば、本当に理解してくれているのだとキッドには感じられた。そして、そのルルーが意見を受け入れてくれと言うのならば、キッドに拒否することはできなかった。ルルーの立場なら、自分に従えと言い切ることもできるはずなのに、彼女は理解を求めてきたのだ。キッドにそれを否と言えるはずがなかった。

「わかりました。俺はルルー王女の軍師です。王女の御心のままに」

「ありがとうございます、キッドさん」

 ルルーはキッドに微笑むと、キッドの隣の座り、セオドルと相対する。

「突然割り込んですみません、セオドル王子。ここからは私も交渉に同席します」

「いえ、まさかルルー王女がこの場に来られるとは思いませんでしたが、あなたと直接お話ができるのなら、それが最善です。私は運がいいようです」

 それはセオドルの本音だった。キッドの心が青の王国との戦いに傾いていたのはセオドルも感じていた。キッドが理性より感情や直感を優先するとは、セオドルにとって想定外だった。相打ち上等で挑もうとするほどに自分を、そしてルブルックを警戒しているとは、セオドルは読み切れていなかった。それだけに、ルルーが現れて提案を受け入れてくれたのは、セオドルにとって僥倖だった。

(争いを好まない優しい王女よ、それでいい。理想主義で生きてくのがあなたらしい)

 キッドを止めてくれたルルーのことをセオドルはそう理解した。キッドよりも与しやすい相手、今のセオドルにはそう見えた。

「ルルー王女、以前紺の王都でお話ししたように、私は紺の王国との同盟をも視野に入れています。互いにまだ王位を継いではいませんが、ここで将来の同盟について私達の間で約束をしておくというのはどうでしょうか?」

 甘いルルーなら、この誘いに乗ってくるはずだとセオドルは読んでいた。
 しかし、ルルーは険しい表情で、厳しい視線をセオドルに向ける。

「不戦協定を破って赤の王国に攻め込んだ青の王国のあなたと、ですか?」

 ルルーのその言葉は、キッドが胸に抱えていたが口にできなかったものだった。それをはっきり言ってくれたことに、キッドは胸がすく思いがした。同時に、自分の気持ちを理解していると語ったルルーの言葉が嘘でないことを改めて感じた。
 一方で、微笑む表情を変えはしないが、内心で焦りを覚えたのはセオドルだった。

「待ってください。あの不戦協定こそ、我々を油断させ、我が父を暗殺するための赤の王国の策略。我ら青の王国こそ被害者なのです」

「私の知るマゼンタ女王はそのようなことをなさるかたではありません」

「マゼンタ女王のもとには赤の導士がいます。不戦協定は赤の導士が進めたもの。女王に狙いを隠して、赤の導士が企んだのでしょう」

「ルージュは確かに策士ですが、そのような卑怯な策を講じる女ではありませんよ」

 マゼンタ女王をルルーが、ルージュをキッドが庇う。
 ルルーは、黒の帝国が戦乱を起こす前のまだ平和だった時代、幼き頃に赤の王国へ短い期間であったが遊学の経験があった。将来の女王としての運命を背負ったルルーにとって、最も繁栄している女王の国を知ることは大きな意味があると、ルルーの父王が考えてのことだ。その際にルルーはマゼンタの世話になり、幼いながらに多くのことを学んだ。それだけにマゼンタの人となりをセオドルよりも遥かに知っている。
 キッドもまた、ルージュとは何度も戦場で対峙している。それは対話以上に相手を知るための十分な機会だった。
 それだけに、ルルーもキッドも、赤の王国が不戦協定を利用して青の王国のライゼル王を暗殺したとは考えてはいなかった。

「セオドル王子、同盟を語るのなら、あなたがたが信頼に足る相手であるところを見せてください」

 ルルーは毅然と言い放った。

(……なるほど。ルルー王女、ただの甘くて優しいだけの王女ではないということか)

 セオドルは自分の見立てを改めざるを得なかった。

「とはいえ、赤の王国の分割統治についての話し合いには応じます。今、両国による不毛な争いは私も望んではいません」

「……わかりました。それでは、協議を始めましょう」

「はい。両国の国境線を決めるのはもちろんですが、国が分かれることで生じる人々への影響は大きなものになります。家族や親族が離ればなれになる人、たまたま故郷を離れている人もいるでしょう。そういった人々のことについても、私達は話し合わねばなりません。国を治めるとはそういうことでしょう?」

「……ええ、その通りです」

 セオドルは、目の前の少女が、ただ幸運にも優れた軍師を得ただけの小娘ではなく、確かに王の系譜に連なる者であることを改めて認識した。そして、決して油断すべき相手ではないことも。

 その後、紺の王国と青の王国、それぞれの実質的トップである王女と王子による協議が行われ、赤の王国を分割し、それぞれが領有することが正式に決まった。
 赤の王都と、現在マゼンタ女王がいる第二都市との間に流れる河を国境線とし、その河は両国の共同管理することとなった。仕事などで住む町を離れていた者は、当面の間国境を越えて自分の町に戻ることが認められる。赤の王国軍については、紺と青、それぞれが現在管理に置いている者についてはそのまま両国の所属とする。ただし、赤の王国の分割によって故郷や家族と異なる国に所属することになる者や事情のある者については、所属国を移ることを認める、などの取り決めがなされた。
 まだまだ協議が必要な部分が多く残っているが、それでも今回でおおまかな取り決めがまとまった。

 交渉を終えたセオドル達が去り、ミュウとルイセも交渉内容を皆に伝えに行き、天幕の中にはキッドとルルーだけが残された。

「おつかれさまでした。ルルー王女が来てくれて助かりました。もし俺だけだったら、今頃戦争準備で慌ただしく動かなければならないところでしたよ」

「いえ、私のわがままを通してしまい、申し訳ありません」

「いやいや、ルルー王女の判断は正しいですよ。俺も頭ではわかっていたんですけど……セオドルとルブルック、この二人はここで叩いておかなければならない、その思いがどうしても強くなってしまって……」

「キッドさんのその直感、私も決して間違っていないと思います。……でも、今はダメ。そう思ったんです」

 申し訳なさそうなルルーの表情を見て、キッドは逆に恐縮してしまう。
 キッド自身、青の王国との話が無事にまとまったことで、ルルーに感謝こそすれ、後悔はしていなかった。
 しかし、キッドはルルーが自分を止めた本当の理由には気づいていない。キッドの警戒の外にあるものの、ルルーだけは気にしているものがそこにはあった。

(ごめんなさい、キッドさん。青の王国と戦おうとするあなたの決断を止めてしまって。キッドはきっと、紺の王国、青の王国、赤の王国、白の聖王国の4国の戦いになったとしても、いずれは私達紺の王国を勝利へと導いてくれると私は信じています。でも、4国がそんな消耗戦を行えば、戦火から逃れたあの国が大きな力を持つことになってしまうの。そう、キッドさんが元々いた緑の公国、ジャン公王の国。キッドは同盟国として緑の公国を信用しているけど、私はそうじゃない。ジャン公王、あの人はきっと王の中の王を目指す人。機会さえあれば、そのために覇道を進むかもしれない。だから、今はまだ緑の公国だけが力を温存できる状況を作っちゃダメなの)

 キッドとジャンの間に友情があることをルルーは知っている。だからこそ、彼女は自分のその想いをキッドに伝えることはできず、自分の胸の中だけに留めておくしかなかった。
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