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第108話 窮地

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(魔導士キッドか。この男が剣士ならば、おもしろい相手になっただろうが……)

 キッドを追うラプトは、そんなことを考えながら背中の剣に手を伸ばした。
 あと、3歩、それだけ進めばキッドの背中を斬れる距離に入る。
 もう時間の問題、そう思ったところでラプトは火傷しそうなほどの殺意を感じ、剣を抜き、そちらに体の向きを変えた。

 ――瞬間、白刃が煌めく。
 ラプトは抜いた剣で反射的にその一撃を食い止めた。

「私のキッドを傷付けようなんてふざけたことしてくれるじゃない!」

 交じり合う剣の向こうにいたのはミュウだった。
 さっきまでラプトの近くに敵兵の姿はなかった。数メートルの距離をひと跳びで詰めて斬りかかってきたのだ。変わらぬ身軽さに、こんな状況でもラプトの中のは興奮の感情が湧き上がってくる。

「お前との再戦を楽しみにしていたぞ、ミュウ!」

 ラプトは空いていた左手を背中のもう一本の大剣に伸ばすと、抜くと同時に斬り付けるが、刃が降りるより先にミュウは後ろに飛び退き、距離を取る。

「キッドはやらせないよ! この前の借りはここで返す!」

 前回の戦いでラプトに折られ、生まれ変わった新たな剣を握り直すと、ミュウは気を吐いた。
 そのミュウの後ろでは、キッドが逃げるのをやめ、肩の傷口を押さえながら立ち止まる。

「ここは俺達に任せてみんなは離れろ」

 キッドの指示で紺の王国兵達は離れ、キッド、ミュウ、ラプト、ルージュだけが残された空間がぽっかりの戦場の中に現れた。
 この戦いの中に、ほかの兵が下手に混じっては逆に足手まといになりかねない。そして、ラプトやルージュの相手をさせて、いたずらに兵を失うのを避けるための判断だった。
 そんな中、空いた空間の中に取り残されたルージュは立ち止まり茫然とする。

(早すぎる! こんな簡単にミュウがキッドのもとにたどりつけるはずがない! こんなの、まるでキッドがいる場所が分かっていて一目散に駆けつけてきたみたいじゃない!)

 ルージュはありえるはずがないと現実を受け入れられないでいるが、事実はその通りだった。
 キッドがルージュの魔貫紅弾を受けた後、ルージュの存在を叫んだのは、周りの兵に助けを求めるためではなかった。キッドがその情報を伝えたかったのは、聴覚共有している魔導士達の向こうにいるミュウ達だったのだ。
 聴覚共有で自分の声を聞いた魔導士が正確にミュウ達に伝えてくれることを信じて、キッドは時間を稼ぐためにほかの小隊の中を走った。そして、逃げながら自分の頭上の高い位置にダークマターに並走させていた。それこそが逃走時にキッドの位置をミュウ達に伝えるための印だった。
 それらはすべてあらかじめ決めていたことであり、キッドの窮地をすぐに知ったミュウは、戦場の上を動くダークマターめがけて全力で駆け、この場にたどりつくことができたのだ。

(でも、まだよ! 来たのがミュウだけならラプトが勝つわ! それにラプトが勝つのを待つまでもなく、私がキッドを倒せばいいのよ! 手傷を負ったキッドを相手に私が負けるわけがない。そのあとの脱出は手間かもしれないけど、キッドさえ倒してしまえばなんとでもなるわ!)

 ルージュは、対峙しているラプトとミュウの後ろにいるキッドを睨みつける。

(あの位置なら魔貫紅弾の射程内。油断したわね! ラプトはともかく私にほかの兵を向かわせれば、私の攻撃を邪魔できたでしょうに!)

 ルージュは右手の人差し指と中指を立て、魔力集中を始める。
 しかし、キッドが決しているわけではなかった。彼は待っているのだ。
 キッドは自分が窮地になった際に、誰に援護に来てもらうのか、それを敵に悟られぬ方法で仲間に伝えていた。「ルージュがいるぞ」先ほどキッドが叫んだその言葉の語尾、「ぞ」はミュウともう一人、頼りになる仲間に来てもらうことを伝える印だった。
 そして、味方兵を下げたことにも、兵を失わないためともう一つ理由があった。それは、こうやってルージュの姿を誰からもわかるようにすること。それにより、ルージュの顔を知らないその仲間にも誰がターゲットであるか確実に伝えることができる。

 魔力を指先に集めることに集中し、油断していたのは実はルージュの方だった。
 遠巻きにしていた兵達の中から、反りのある片刃の剣を構えた青い影がルージュに向かって跳び出す。

「ルージュ、後ろだ!」

 この状況でルージュに迫る敵に気付いたのはラプトだった。ミュウと対峙してなお、そこまで気にするだけの力がラプトにはあった。
 ラプトのその声でルージュは後ろから迫る影に気付き、慌てて飛び退くが肩に剣戟を食らい、苦悶の声を漏らす。
 ルージュの背後から一撃を加えたのはルイセだった。魔導士を通じてキッドの声を聞いたルイセも自分が呼ばれたとすぐに認識し、彼女もまたすぐにこの場に駆け付けたのだ。
 ラプトのおかげ致命傷を避けはしたルージュだったが、冷徹な暗殺者は獲物を逃しはしない。
 ルイセは斬りかかった姿勢からすぐに態勢を整え、再びルージュへと斬りかかろうとする。

(まずい! この間合いは剣士の間合い!)

 魔導士対剣士の戦いは間合いの勝負だった。距離があれば魔導士が有利、近ければ剣士が有利。そして、剣の間合いにまで入ってしまえば、魔導士にとってはそれは死の間合いだった。
 ルイセはもうわずか数歩前に出るだけで、ルージュを自身の剣の間合いに入れることができる位置にいた。
 しかも、先の攻撃回避でルージュは魔力集中を切らしており、切り札となる魔貫紅弾ももはや使えない。そのうえ、斬られた背中の肩口からは今も血が流れている。
 飛び掛かるために身を屈めたルイセを目の当たりにし、ルージュは死を覚悟した。

(こんなところで私がやられるなんて!)

 しかし、ほぼ勝ちを手中に収めていたはずのルイセは、何かに気付いたように後ろに飛び退いた。
 そして、それまでルイセがいた場所に光の球が炸裂する。
 ルージュが後ろに引いたルイセを目で追えば、彼女はもうルージュを見ていなかった。別の方向を向いて、そちらに剣を構えている。

「姐さん、俺を置いていくなんてひどいんじゃないか?」

 聞こえてきた声の主、ルイセが新手として警戒している男に、ルージュも目を向ける。
 そこには、右手に剣を持ちながら、左手で魔球を投げた後の姿勢を取ったカオスの姿があった。
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