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第32話 暗殺者と魔女

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 ガイウスの鏡から放たれた光の中にいた兵士達が、また一瞬にして消滅する。
 その圧倒的な攻撃に、紺の王国兵達は恐慌状態に陥った。ガイウスに鏡を向けられただけで、その場から逃げ出そうとしてしまうまほどだ。
 城門を守る帝国兵を蹴散らす一歩手前まで押していた勢いは完全に停滞し、両軍は城門にて膠着状態となる。兵達を指揮しているのがミュウでなければ、それさえできず押し返されていたかもしれない。

「キッド君、ここにいては我々もあの光に狙われかねません。移動しますからしっかり掴まっていてください」

 ルイセとキッドは突撃する兵達の後ろにいるが、隊列の側にいれば光に狙われれば用意に範囲外に逃れることもできない。指揮官がここに留まるのは危険だった。

「……そうだな」

 キッドはルイセの首に手を回し、体を密着させるが、ルイセの息遣いが聞こえるほどに顔が近づくと、心臓が自分でもびっくりするほど大きく跳ねた。艶やかなルイセ唇についつい目が向き、汗の匂いとは違うどこかかぐわしい匂いを鼻腔に感じてしまう。
 ルイセに戦士とは違う女性の部分を感じてしまい、キッドの手が思わず緩んだ。

「キッド君! ちゃんと掴まってください!」

「ご、ごめん」

 すぐに飛んできた叱るような声に、キッドは反射的に謝るが、どうしてもこれ以上密着することには躊躇してしまう。

「もう、何をやっているんですか」

 痺れを切らしたルイセは、言うより自分が動くほうが早いとばかりに、細い腕でキッドを抱え上げた。不意打ちでお姫様抱っこのような形で抱えられたキッドは、思わず腕に力を込めてルイセに抱きついてしまう。頬と頬とが触れそうになるが、落とされるわけにはいかないので離すこともできない。
 ルイセの体の使い方は天才的だった。関節、筋肉、骨、それらをどう使えば最も効率よく機能させられるか、彼女は感覚的に理解している。自分より重い男を抱えたにもかかわらず、ルイセはふらつくこともなく人のいない方へと移動していく。

「ルイセ、城壁だ。高いところに上がれば、かえって真下が死角になる」

「わかりました!」

 ルイセはキッドの指示に従い、速やかにガイウスが立っている城壁の下へと退避した。
 壁までたどりつくと、そこにもたれかけさせるようにキッドを下ろして座らせる。

「キッド君、さっきの光ですが、あれは魔法とはまた違うものに思えました」

「ああ。光を放つ前に鏡に、街から力が流れ込んでいくのを感じた。あれは霊子の流れというよりも、人の命の流れそのものだ」

「人の命ですか?」

「おそらくあれは人の命を糧にした魔法兵器……いや、邪法兵器とでも言うべきものだ。吸い取っているのは、この街の人間の命。帝都に入ってから感じていた違和感の正体はこれだったんだ。この街全体に、人の命を吸い上げる何らかの邪法が施されているに違いない。あの攻撃を続けさせたら、王国兵だけじゃなく、この街の人間も何人死ぬかわからないぞ」

「……街に施された邪法の仕組みがわかれば防げますか?」

「……その前に、王国兵が壊滅する。あの攻撃を見てもまだ兵達が戦っていられるのは、ミュウが指揮して支えているからだが、それもいつまでもつか……。くっ、俺に魔力が残っていれば竜王破斬撃でまとめてなんとかできるかもしれないのに!」

 キッドはまだ力を十分にこめられない拳を地面に叩きつけた。
 今のキッドに竜王破斬撃をもう一発撃てるだけの魔力は残っていない。このまま時間を置いたとしても、再び撃つほどの回復は見込めなかった。
 キッドは自分の無力さに歯噛みする。
 そんなキッドを見て、ルイセが唇をきつく噛んだ。
 彼の代わりに自分に何ができるかを彼女は考える。

「……ガイウスは私がなんとかします。キッド君はそこで休んでてください」

「ルイセ?」

 いつも以上にルイセの重い声に、キッドはルイセの顔を見上げた。
 ルイセの考えはなかなか表情からは読み取れない。それでも、無表情の装う彼女の瞳から、強い決意のようなのは伝わってきた。
 だが、この位置からでは、角度がなくて真上のガイウスに魔法攻撃は当てられない。
 かといって、ガイウスを狙える角度まで離れると、今度は距離が遠すぎて魔法が届かない。
 城内から城壁に上がろうにも、両軍はまだ城門で熾烈に争いを繰り広げており、中への侵入はかなわない。ほぼ団子状態で押し合っているその状態では、さすがのルイセでも自由に動けず突破は無理に思えた。

「なんとかするといたって、一体どうやって……」

 ルイセは珍しく柔らかな目を一瞬だけキッドに向けると、腰に提げた二本の剣を抜いた。

穿刃昇華せんじんしょうか!」

 ルイセの力ある言葉とともに、握った剣の刃に魔力がこもった。
 キッドには、それが刃を強化する魔法であることがわかったが、この状況でそれをする意味はわからない。

「ルイセ、一体なにを……」

「それでは、ちょっといってきますね」

 ルイセは城壁の石壁に向きを変えると、その場で垂直に飛び上がり、二本の剣を壁に突き立てた。
 刃を魔法で強化された剣は、そのまま石壁に突き刺さり、ルイセの体を支えている。
 ルイセはそのまま左右の剣を素早く順に上へ上へと突き刺し、腕の力だけで高くそびえる城壁を登っていく。
 魔法で剣を強化できない剣士にはできない、魔法だけで力のない魔導士にもできない、剣と魔法が使えても体の重い者にはできない、それはルイセだからこそできる壁登りの方法だった。

「無理だけはするなよ……」

 魔力消費の激しい今のキッドには、ルイセを止める資格などない。心配に思っても、彼女に頼るしかなかった。
 苦も無く壁を登っていくルイセを見上げながら、キッドは彼女の無事を祈る。

◆ ◆ ◆ ◆

 真下にはなかなか注意を向けないとはいえ、馬鹿正直にガイウスの真下から登っていけばさすがに気付かれる。
 剣だけでぶら下がる今のルイセの態勢では、あの鏡を向けられれば回避のしようはない。その上、城壁の上にはほかにも魔導士や弓兵もいる。
 そのためルイセは斜めに移動し、できるだけガイウスやほかの兵達の視野に入らないよう注意しながら登っていく。
 敵の警戒網を避けたため、目標のガイウスからは遠い位置にはなってしまったが、ついにルイセは城壁の上へとたどり着いた。
 身を躍らせるように、壁から城壁の上の通路に飛び出ると、ルイセはそのままガイウスに向けて駆け出す。ガイウえまでの間には何人かの兵や魔導士がいるが、彼らはこんなところに敵が突然出てくる微塵も想定しておらず、まともに迎撃態勢をとれていない。彼らはまともに抵抗もできずにルイセに斬り倒され、城壁から落とされていった。
 しし、ただ一人、そのエイミの出現に慌てず、ルイセの前に立ち塞がった者がいた。
 その者が放った氷の槍が、風のように突き進んでいたルイセを立ち止まらせる。
 ルイセは武器を構えたまま、前方の相手に目を向けた。

「陛下にはこれ以上近寄らせません」

 ガイウスに至るまでの障害として立ち塞がったのは「帝国の魔女」エイミだった。
 剣を抜いて、静かでありながらまるで透明な炎のような熱い気迫とともに立っている。

「……あなたも魔導士なら、あの光のことに気付いていますよね。自国民の命を糧とした邪法兵器をよしとするのですか?」

 ルイセの言葉に、エイミの整った顔が少し歪む。無表情を貫こうとしたが、それでもかなわずに生まれた歪みだった。エイミ自身も決して皇帝の行いをよしとしていないことが、それだけからも見えてくる。

「……私は陛下のために戦う臣下です。私の感情よりも、陛下の考えは何より優先される。そういうことです」

「臣下とはそういうものなのですか? 私の知っている人ならそうは言わないでしょう。暗殺しか能のない女に、暗殺者として生きることを認めず、人として生きさせるような人です。彼なら、人の道を外れた行い、たとえ自分の王であって止めるはずです」

「くっ、勝手なことを……」

 エイミの中の霊子の動きが活発化するのが感じられる。
 それに呼応するように、ルイセもまた霊子を練り上げ魔力へと変える。

 剣と魔法を共に高いレベルで習得した二人は、一般的に魔法剣士と呼ばれる存在だった。ただし、魔法剣士として、二人は対極の位置にある。
 二振り剣による剣戟を主軸とし、その剣を活かすために魔法を駆使するルイセは、剣の方に振った魔法剣士。一方で、あくまで魔法が主軸で、剣をそのサポートや魔法の隙間を埋めるために使うエイミは、魔法の方に振った魔法剣士。
 そんな二人の戦いで重要なのは、互いの距離だった。剣の間合いの外での魔法の打ち合いならエイミに分があり、接近戦ならルイセに分がある。
 城壁の上は、武装した兵がすれ違えるよう、2メートルほどの幅があるが、戦闘において十分な広さとは言えない。特に、その身軽さと機動力をもってして、戦場で舞うように戦うルイセにとっては、明らかに不利な場所だった。
 だが、それでもルイセはそこが地上から数十メートルの高さの場所であるとは思えない動きでエイミに迫る。一歩足を踏み外せば地上まで転落するかもしれないのに、ギリギリの足場をためらいなく踏み込み、エイミの魔法が自分の体を掠めて傷をつけるのに構わず、一気に距離を詰めて斬りかかった。
 煌めく二刀の攻撃を、エイミはきわどいところで受け流す。

 しかし、今の一度の斬り合いだけでルイセは理解した。

(剣の腕では私の方が遥かに上! ミュウさんのほどの剣裁きもなければ、キッド君ほどの魔法のうまさもない! この間合いを維持すれば、彼女では私の攻撃を防ぎきれはしない!)

 一度詰めた間合いを離されないよう、ルイセは追撃を繰り出す。
 誰かから剣術を学んだわけではないルイセの剣は我流。セオリーを無視したタイミングや軌道の攻撃が、防戦一方のエイミを削っていく。
 我流のルイセに対して、エイミの剣は王道の剣術だった。帝国伝統の剣術を、まさに教科書通りに学んだ正統派の剣術。力でもセンスでも勝るソードやフェルズを相手に、一筋の勝機さえ見いだせないまま敗北を続けたが、それでもエイミはただひたすら基本の剣術を繰り返し鍛えた。
 基本にただ忠実なだけのその剣は、ルイセ相手に起死回生の奇跡的な一撃を生み出すことはない。だが、先人たちが積み上げ築き上げたその剣術は、王道の剣術にして、エイミが最後に勝つと信じる剣術。剣だけなら格上のルイセ相手に、幾多の傷を負いながらも耐え続ける。

(……おかしいです)

 攻め続けるうちにルイセは違和感を覚えていた。
 致命的な一撃はまだ加えていないが、ルイセの攻撃は何度もエイミを掠め、確かな傷をその身に刻んでいる。守りに徹した王道剣術は確かに攻めづらくはあったが、そのダメージが重なれば次第にエイミの動きは乱れ、いずれはルイセの剣がエイミを捉えるはずだった。
 しかし、時間が経つほどに、ルイセの攻撃が容易に防がれることが増え、むしろエイミの攻撃に押され出していた。
 そしてついには、エイミの剣がルイセの左腕を掠め、軍服を切り裂き皮膚にまで刃が通る。

(エイミの攻撃が鋭くなっている!? いや、違います! これは私のほうが遅くなっているんです!)

 それと同時に、ルイセは踏み込んだ自分の足の氷を踏むような感触と音にも気付く。
 このまま戦闘継続することに本能的に危機感を覚えたルイセは、せっかく詰めた間合いだったが、一旦距離を置いて、エイミの足元に目を向ける。
 城壁の上の通路は、エイミを中心にして白くなっていた。その白の中に、ルイセとエイミの足跡が残っている。

「……まさか、霜?」

 ルイセのつぶやきに、エイミが薄い笑みを浮かべた。
 今は日中であり、冬でもない。普通に考えれば、こんな状況で霜がおるはずがない。だが、それは間違いなく霜だった。
 ルイセは改めて肌に感じる外気に注意を向ける。

(……寒すぎます。先ほどまではこんなではなかったのに)

 エイミとの間合いを変え、ルイセは温度の変化に注目する。

(エイミに近づけば近づくほど温度が下がるようです。これは恐らく魔法……でも、これに何の意味が?)

 一般的な魔導士の認識として、氷は炎の対となる魔法だと思われている。その使用方法も、氷の矢や氷の壁など、氷の形を利用することが専らだった。
 だが、氷の魔法の可能性を考えたとき、それらは極一部の使い方をしているのに過ぎない。
 この世界の科学レベルではまだ知られていなが、熱というものは簡単に言えば分子運動だ。氷のような表面的な変化でなく、冷やすという魔法を突き詰めれば、やがてそこにたどり着く。
 究極の氷魔法は、巨大な氷の塊を作ることでも、鉄をも貫く鋭い氷の槍を作ることでもない。相手の分子運動を完全に止めてしまうような魔法があれば、それは対生物においては究極とも言える魔法だった。
 エイミは分子運動を理解しているわけでもなく、氷魔法を究極的に極めているわけでもない。ただ、様々な学問を学んできた彼女は、魔法を使って冷やすということについて、ほかの人よりも一歩先を歩いていた。
 その彼女が生み出したのがこの魔法――氷結領域だった。
 この魔法は、エイミを中心として、周囲の分子運動を低下させる。活動を止めるほどの力はとても有していないが、相手はエイミに近づけば近づくほど動きが鈍くなる。
 遠距離なら得意の魔法、近距離なら自分有利な空間での剣勝負。それはエイミだからこそできる業だった。
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